2023.02.28

まつだ桜まつり 2023年2月

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第24回 まつだ桜まつりに行ってきました。

曽我梅林帰りに寄り道です。
15時から1時間程度・・・
何度も来ているのですが(コロナ以前に・・・)
あらぁ、入場料が必要になっていました、何時から徴収するようになったんだろう?

「関東の富士見百景」に選ばれているそうですが、富士山は残念ながら雲に隠れていました。

でも、青空、満開のピンクの河津桜、あざやかな黄色の菜の花、この色彩のコントラストは何度来ても素晴らしいと思いました。
野鳥のさえずりも心地よかったです。

(画像はクリックで拡大表示になります)

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撮った写真、動画をまとめてみました。

 

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2023.02.25

小田原梅まつり・曽我別所梅林富士の景色と35,000本の白梅の香り 2023年2月

小田原梅まつり・曽我別所梅林富士の景色と35,000本の白梅の香り」に行ってきました。

開催期間 令和5年2月4日(土)~2月26日(日)

数年ぶりに曽我梅林を散策してきました。 

(画像はクリックで拡大表示になります)

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この日は。晴天でしたが少々風がありました。
曽我別所梅林で・・・・
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午後2時頃(だったと思います)に雲がとれて・・・・
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見晴らし台に向かう途中の民家の見事な大しだれ。
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見晴らしでいに向かう途中で、眼下に広がる別所梅林。
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山道を登ると、ダウンジャケットを脱いで・・・
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見晴らし台からの眺望です。相模湾から山並み、その奥に富士山。



撮った写真、動画のまとめです。

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2022.12.05

鎌倉 覚園寺に行ってきました 2022年11月

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北条義時ゆかりのお寺、
鎌倉覚園寺に行ってきました。

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山門

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愛染堂

(画像はクリックで拡大表示になります)

鎌倉のお寺はほぼ廻ったつもりでしたが、覚園寺を訪れるのは初めてでした。

残念ですが、拝観受付所から先は、写真撮影禁止でした。
「祈りの空間」なので、ということです。
これもいいと思いました。
美しい自然環境の祈りの空間に思わず深呼吸をしてしまいます。 

山門から、拝観受付所までをスマホで撮ってみました。


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本堂 薬師堂は1218年に北条義時が造った大倉薬師堂が前身。現在のお堂は1354年に再建され、以来修繕が重ねられています。中央の仏様が本尊薬師如来、右に日光菩薩、左に月光菩薩、周囲にお堂を守る十二神将が祀られています。

薬師堂では、20人程度の参拝者に区切って、ガイドの方が案内してくれました。
とても分かりやすく勉強になりました。
鎌倉の寺社で、ガイド付きの参拝は初めてでした。

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を観ているので、薬師堂内では、義時と運慶が対面する場面を思い出したりしての拝観でした。


HPの「覚園寺について」からです。
「別天地(べってんち)」 覚園寺(かくおんじ)
一二一八年、北条義時公の薬師如来信仰により建てられた大倉薬師堂が、覚園寺のはじまりです。
一二九六年、北条貞時公が、元寇の再来がないように願い、智海心慧律師を開山として、真言・天台・禅・浄土の四宗を学べる道場、覚園寺といたしました。

本堂薬師堂を中心とする堂宇、数多くの仏像、古趣あふれる自然環境が一体となった、中世鎌倉の祈りをささげる空間、「鎌倉らしさ」を是非、感じてください。

 

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2022.09.30

小林古径記念美術館 2022年9月


新潟県上越市の高田城址公園内にある、
小林古径記念美術館に行ってきました。

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蓮が植えられた広々とした濠に架かる、
この紅い橋を渡りきると左側に上越市歴史博物館、右側に小林古径記念美術館があります。
一か月前に行っていれば蓮の花に包まれて渡ることができたのに、と思いました。
(別の道順もあります)

美術館の正面全景です。 
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建物正面を通じての雁木?が雪国新潟の風情を想わせてくれます。
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正面入り口です。
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玄関を入り美術館の受付を通って右側に行くと、
古径記念室と企画展示室があります。
古径記念室。
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企画展室では当日『生誕100年 斎藤真一展 瞽女と郷愁、さすらい』が開催されていました。

受けの左側は庭に面した通路になっていて、作品の展示も行われていました。
(受付の反対から撮った画像です)
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廊下を抜けると、講座やワークショップが行われる「二の丸ホール」があります。
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二の丸ホールから外に出ると、東京都大田区南馬込から移築復原した小林古径邸(国の登録有形文化財)と、再現された古径の画室があります。
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小林古径画室 改築:1936(昭和11)年
復原:2001(平成13)年 吉田五十八改築
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古径は1920(大正9)年に農家を改造し、画室として使用していた。その後、1934(昭和9)年に画室の隣に住宅 (古径邸) を建てる。住宅を気に入った古径は、1936(昭和11)年に再び吉田五十八に画室の改造を依頼した。画家にとって、絵を描く際の光の調整することはとても重要である。改造後の画室は、自由に採光できるように大きく窓を取り、障子は上げ下げでき るようになっている。古径はこの広い画室で朝から日が暮れる まで絵を描いたという。なお、古径の死後、画室は取り壊され たため、現在の建物は当時の写真や図面をもとに 2001(平成 13)年に再建されたものである。(解説パネルから)

小林古怪邸
建築:1934(昭和9)年
移築復原:2001(平成13)年
吉田五十八設計 国指定登録有形文化財
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一階の室内 私一人で、暫し椅子の腰かけて庭を眺めていました。
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小林古径は 1934(昭和9)年、画室に隣接して住宅を建て、鏑木清方などの日本画家と親交があった吉田五十八に設計を任せた。注文する時、無口な古径は吉田に対し、ただ一言「私が好きだという家をつくって下さい」と言っただけであった。
吉田は古径の芸術を研究して古径邸を建てたという。古径邸は目に見える部分をなるべく細く、すっきりと見えるようにデザインされている。柱を壁で覆い隠す「大壁」や、一部だけを見せる「はっかけ」などの技法を使い、余計な線や無駄な部分が見えないような作りになっている。屋根は「むくり」という曲線を付け、シャープさの中に柔らかなふくらみを持たせているこの繊細な建物を支えるため、柱の内部にボルトを仕込むなど、近代的な技術で補強されている。また、古径邸は機能面でも優れている。どの部屋も段差のないデザインになっており、収納が豊富で使いやすさを重視した設計になっている。 住宅完成後、古径はすぐに引っ越さず、半年くらいは眺めて楽しむほ どこの住宅を気に入っていた。(解説パネルから)

 

―HPの解説ー 
当館は2020年(令和2年)10月に新たな美術館としてオープンしました。小林古径作品を常設展示する「古径記念室」、上越市ゆかりの作品を中心に多彩な美術作品を紹介する「企画展示室」のほか、講座やワークショップを行う「二ノ丸ホール」などがあります。

敷地内には東京都大田区南馬込から移築復原した小林古径邸(国の登録有形文化財)と、再現された古径の画室があります。庭園には古径が絵にした草花や樹木が植えられ、四季の移り変わりとともに眺めを楽しむことができます。

当館は教育普及活動を重視し、ワークショップや工作教室、講演会など、年間を通してさまざまなイベントを行っています。

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2022.08.26

ロボット特別展「きみとロボット ニンゲンッテ、ナンダ?」

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特別展「きみとロボット ニンゲンッテ、ナンダ?」は、日本科学未来館で開催されています。

会 期 2022年3月18日(金)~8月31日(水)


総務省のHPに次のような記述があります。
(2)ロボットの定義とパートナーロボット
国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の「NEDOロボット白書2014」(2014年3月)では、ロボットを「センサー、知能・制御系、駆動系の3つの要素技術を有する、知能化した機械システム」と定義している。その上で、ロボットの役割を、産業用ロボットのような「生産環境における人の作業の代替」、無人システムのような「危機環境下での作業代行」、それに日常生活の中での家事支援や介護支援等の「日常生活支援」に大別している。

この定義の通りの、さまざまな分野で開発、発達してきたロボットが展示されていて、老若男女誰でもが楽しめる展覧会です。
ただ、最先端技術?・・・・扱いずらいのでしょうが、軍事ロボット関連展示(解説程度でも)があっても良かったのでは?
この施設では無理なの?・・・ 興味ある人は多いのではと思ったりしました。


本展では、さまざまな体験ができるコーナーが設けられています。
わたしも体験しました。
零式人機Ver.1.2  人機一体
VRゴーグルをつけてロボットの視界(視線)が体験できます。操作感は触らせてくれません。
(画像はクリックで拡大表示になります)
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「ロボットと触れ合う」コーナーでは、お馴染みのロボット、沢山の楽しいロボットと遊べます。
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展覧会の構成は以下の通りです。
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ロボットって、なんだ?
ロボットは、いつ、どのように生まれたのだろう。
人間はどうやってロボットを創り出してきたのだろう。
人間とロボットはどのように歩んできたのだろう?
ロボットの誕生、そして現在へ
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Z o n e 2
きみって、なんだ? にんげんって、なんだ?
Z o n e 2 - 1
からだって、なんだ?
にんげんのからだ、ロボットのからだ
ロボットで変わるからだ
ロボットで感じる・伝える
もうひとつのからだ
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Z o n e 2 - 2  
こころって、なんだ?
ロボットとふれあう
ロボットのおしゃべり
こころを感じるこころ
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Z o n e 2 - 3  2-3
いのちって、なんだ?
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漱石アンドロイド
二松学舎大学大学院研究科 大阪大学大学院基礎工学研究科
声は孫の夏目房之介氏の声をもとに作られた。授業を行うほか漱石作品の朗読や講演を再現する。

Z o n e 3
きみとロボットの未来って、なんだ?

最期に問いかけられます。
あなたは死後、さなたの個人データとAIやCGなどを利用して「復活」させられることを許可しますか?
ボタンを押して、あなたの意見を投票してみよう
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スマホで撮った画像をまとめてみました。


―HPの解説ー
本展は、多数のロボットを見たり触れたりインタラクティブな仕掛けを体験したりしながら、幅広い層に楽しんでいただけます。ロボットとの関係性を通して、変わりゆく人間の「からだ」「こころ」「いのち」に目を向け、「人間とはなにか?」を問いかけながら、人間とロボットの未来像を思い描きます。

本展のみどころは、一堂に集結した多彩なロボットたち。世界初の人型ロボット「WABOT-1(ワボット-ワン) 」をはじめ、体高4メートルを超える汎用人型重機「零式人機(れいしきじんき) ver.1.2」や、どこにいてもロボットを通して社会の活動に参加できる遠隔操作が可能な分身ロボット「OriHime(オリヒメ)」、実在する人物の写真や音声などのデータを元に再現されたデジタルクローンなど、日本のロボット開発の礎となったロボットから、本邦初公開の最新ロボットまで多岐にわたります。また、本展後半では、インタラクティブな体験展示を通して、ロボットとともに変わりゆく人間のあり方や、その先の未来像に思いをはせます。

「ロボット」という言葉が生まれてから100年以上。発展・拡大を続けるロボット技術は、いまや私たち人間にとってなくてはならない存在になり、ロボットの定義や概念、形もさまざまに変化しています。それはロボットと人間の関係性が複雑になってきたということなのかもしれません。私たち人間とはどのような存在なのか、かえりみるきっかけにもなるのではないでしょうか。

 

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2022.08.13

薬師池公園の蓮田(大賀ハス)2022年8月

大賀ハスの花が咲く薬師池公園の蓮田で撮影してみました。

花の盛りは過ぎたようですがもう少し観連は楽しめそうです・・・この荒天でどうなるのでしょうか?

(画像はクリックで拡大表示になります)

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今年は野鳥に出会えなくて寂しい思いをしています。
久しぶりにカワセミに出会えました。
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蓮田の風景をスマホ動画にしてみました。

 

 

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2022.07.18

高館 義経堂 2022年6月

義経終焉の地「高館 義経堂」に、15~16年ぶりに行って来ました。

私だけでしょうか、高館義経堂からの眺望に「みちのくに来たな~」との感慨を持ちます。
(画像はクリックで拡大表示になります)
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義経堂からの眺め、北上川、背景に束稲山。
西からは、かつてその流域が前九年・後三年の役の戦いの場となり、弁慶立往生の故事でも知られる衣川が北上川に合流しています。

ーHPからの引用ですー
高館は北上川に面した丘陵で、判官館(はんがんだて、ほうがんだて)とも呼ばれています。現在では、その半ばを北上川に浸蝕され狭くなっていますが、この一帯は奥州藤原氏初代清衡公の時代から、要害地とされていました。兄・頼朝に追われ、少年期を過ごした平泉に再び落ち延びた源義経公は、藤原氏三代秀衡公の庇護のもと、この高館に居館を与えられました。地元で判官館と呼ばれているのは、義経が判官の位にあったことに由来します。

しかし、文治5年(1189)閏4月30日、頼朝の圧迫に耐えかねた秀衡公の子・泰衡の急襲にあい、この地で妻子とともに自害したと伝えられています。

天和3年(1683)、仙台藩主第四代伊達綱村公が義経を偲んで建てた義経堂。
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義経堂内に、本尊として祀られている木造の源義経公像です。
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源義経公供養塔
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高館は、松尾芭蕉があの名句を詠んだ場所です。
松尾芭蕉が門人・曽良を伴い、平泉を訪れたのは元禄2年(1689)旧暦5月13日(6月29日)のこと。
高館に立ちあの名句を詠みました。

「夏草や 兵どもが 夢の跡」

芭蕉句碑
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小さな資料館もあり、義経関連資料が展示されています。
素朴な?仁王像が印象的でした。
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スマホ動画です。



高館義経堂を出て、中尊寺に向かう道をしばらく歩いたところにあります。
卯の花清水
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芭蕉同行の曽良(そら)が、老体に鞭打って義経のために討ち死にした兼房(かねふさ)を称え、「卯の花に 兼房見ゆる 白毛かな」と詠んでいます。かつては、水が湧き、いつしか“卯の花清水”と呼ばれるようになりました。


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2022.06.15

薬師池の花菖蒲 20220年6月中旬

薬師池公園の花菖蒲を撮ってみました。
この土日の様子です。
(クリックで拡大表示になります)

静止画はイチデジで撮りました。

動画は全てスマホで撮影しました。 

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2022.05.22

神代植物公園 春のバラフェスタ 2022年5月

何年かぶり(十数年ぶり?)で、神代植物公園の「春のバラフェスタ」に行ってきました。

5月にしては日差しが強く、スマホのモニター画面がほぼ見えない状態で、難しい撮影になりました。 急に思いついて出かけたので準備不足でした。

以下の静止画は、イチデジ+中望遠レンズでとりました。

(画像はクリックで拡大表示になります)


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スマホ動画です。
iMovieのマジックムービを使いました。



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2022.05.08

散歩の途中、スマホで花を撮ってみました「フタリシズカ」 2022年5月

今年も「フタリシズカ」が咲きました。
「ヒトリシズカ」はまだ咲いていませんでした。

(画像はクリックで拡大表示になります) 

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「フタリシズカ」「ヒトリシズカ」というの名の由来は「世にも麗しき静御前の舞姿」を野の花にたとえたということです。

下記クリックで、解説サイトにジャンプします。

きごさい歳時記 二人静

能の謡曲「二人静」


鎌倉祭りは2年連続で縮小開催となり、流鏑馬や行列巡行などは中止となりました。
「開催日非公表で、静の舞を実施して、その模様をを5月13日(金)から観光協会ユーチューブチャンネルで配信する。」
そうです。

静の舞は、静御前が源義経との別れの悲しみを訴えた舞。

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