儒教のかたち こころの鑑 日本美術に見る儒教
会期 2024年11月27日(水)~2025年1月26日(日)
サントリー美術館
儒教は仏教よりも早く4世紀期には日本へ伝来したといわれていて、江戸時代には、身分を問わず多くの人が儒教をもとにした教育を受けました。日本美術にも儒教の影響を受けた作品がたくさんあり、当時の人々が求めた心の理想が絵画や工芸品に表されています。
本展が、『論語』にある「温故知新」(ふるきをたづねて新しきを知る)のように、日本美術の名品に宿る豊かなメッセージに思いを馳せる機会となれば幸いです・・・と企画された展覧会。
展覧会の構成です。
(以下、本展の解説を参考・引用しています)
第1章 君主の学問
中国から『論語』が伝わり、以来、天皇や公家・武家など、政治を司る者は、儒教経典に高い関心を寄せ、「理想の世をつくる為政者の心構え」を学ぶため、常に座右に置いてきました。
この章では、中国から伝来した儒教美術や、それらに影響を受けて成立した天皇や将軍の居室内を飾った大画面の勧戒画を中心に、32人の中国古代の賢臣の姿を描く『賢聖障子』、親孝行などの優れた行いをした24人の中国古代の人物を描く画題である『二十四孝図』、帝鑑図説をもとにした画題である『帝鑑図』などを展示しています。
重要文化財 賢聖障子絵 狩野孝信 二十面のうち 慶長19年(1614) 仁和寺
賢聖障子とは内裏の紫宸殿に置かれた高御座の背後を飾った障子で、32名の中国古来の賢臣および聖人たちの肖像を描く。徳の高い君主に重用される優れた臣下たちの姿は儒教における理想を示しており、本作は狩野孝信によって描かれた現存最古の賢聖障子絵である。
重要文化財 二十四孝図襖 伝 狩野永徳
十四面のうち 天正14年(1586) 南禅寺
元来は天正14年(1586)に豊臣秀吉が建てた仙洞御所対面所の障壁画で南禅寺に建物ごと下賜された。この御所の障壁画は狩野永徳とその一門が手掛けたことが知られている。
重要文化財 名古屋城本丸御殿上洛殿襖絵 帝鑑図 露台惜費 狩野探幽 四枚四面 寛永11年(1634) 名古屋城総合事務所
三代将軍・家光の上洛のために名古屋城本丸御殿に増築された上洛殿の襖絵。上段之間に面する本図には、展望台建設の浪費に気づいた漢の文帝の故事を描き、ここに座する将軍を名君の誉れ高い文帝になぞらえようとしている。
第2章 禅僧と儒教
本章では、中世の禅僧と儒教の関係に注目します。
13世紀以降の為政者たちと儒教の深い関係の裏側には、彼らのブレーンとなって活躍した禅僧たちの存在がありました。同時期の禅僧たちは、中国から持ち込まれた当時最新の禅の思想だけでなく、宋学(宋代に生まれた新潮流の儒学)の知識全般に高い関心を持っていました。
尚書正義上杉憲実 寄進 二十巻八冊のうち第一・二冊中国・南宋時代 12世紀史跡足利学校事務所
南宋時代の儒教経典で上杉憲実寄進の国宝『尚書正義』
第3章 江戸幕府の思想
江戸幕府は、支配者階級である武士から民衆に至るまでの全ての層に、朱子学を学ぶことを奨励します。幕府の中枢で活躍した狩野探幽をはじめとする狩野派の絵師たちは、このような幕府の姿勢を反映し、多くの名品を生み出しました。本章では湯島聖堂の歴史を物語る貴重な絵画や工芸も合わせてご覧いただきます。
聖像(帝堯像・文宣王(孔子)像・禹王像・周公旦像・帝舜像)牡丹蒔絵祠堂形厨子 五体 一基 江戸時代(17世紀)徳川美術館
第4章 儒学の浸透
江戸時代も後半になると、儒学者による講義から子ども向けの教育に至るまで、儒教を学ぶ機会は充実し、その知識は幅広い層に普及していきました。この章では、儒教の知識に基づいてつくられ、広く民衆に受容された浮世絵や染織・漆工などといった、近世以降の日本の美術作品をご紹介しています。
五常 義 鈴木春信 一枚 明和4年(1767)サントリー美術館
儒教、禅宗などをもとに発展した武士道では義が特に重要な徳であった。描かれている2人の人物は男娼であるとされる。暖色は江戸時代に武士の作法と結びつき義を重んじた。手てにもつ版本は義士豫譲の故事が掲載されており、2人はあるべき男色の姿について語り合っていると思われる。
―HPの解説ー
儒教は、紀元前6世紀の中国で孔子(前552/551~前479)が唱えた教説と、その後継者たちの解釈を指す思想です。孔子が唱えた思想とは、五常(仁・義・礼・智・信)による道徳観を修得・実践して聖人に近づくことが目標であり、徳をもって世を治める人間像を理想としています。このような思想は、仏教よりも早く4世紀には日本へ伝来したといわれ、古代の宮廷で、為政者のあるべき姿を学ぶための学問として享受されました。
中世になると、宋から新たに朱子学(南宋の朱熹が確立させた新しい儒教思想)が日本へ伝わり、禅僧たちがそれを熱心に学んだことから、儒教は禅宗寺院でも重要視されました。そして近世以降、文治政治を旨とする江戸幕府は、儒教を積極的に奨励し、その拠点として湯島聖堂を整備します。江戸時代を通じ日本各地で、身分を問わず武家から民衆、子どもに至るまで、その教育に儒教が採用され、広く浸透していったのです。
例えば、理想の君主像を表し為政者の空間を飾った、大画面の「帝鑑図」や「二十四孝図」が制作された一方で、庶民が手にした浮世絵や身の回りの工芸品の文様にも同じ思想が息づいています。それらの作品には、当時の人々が求めた心の理想、すなわち鑑(かがみ)となる思想が示されており、現代の私たちにとっても新鮮な気づきをもたらしてくれます。本展が、『論語』にある「温故知新」(ふるきをたづねて新しきを知る)のように、日本美術の名品に宿る豊かなメッセージに思いを馳せる機会となれば幸いです。
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