2004.06.16

珍カメラ(フォトクローム)

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かなり前に手に入れたカメラです。何故か、雑誌のコピーが化粧箱の中に入っていましたので、その一部を引用します。(大坂治雄さんという方の記事です)

昭和40年、USAフォトクロームkkよりの発注で今はなきペトリ・カメラが製造したカメラである。総数500~600台思われるが、もっと多く生産された、と言う人もあり、正確な数は分からない。製品は40年末、アメリカに輸出されはしたものの、ついに一度も店頭に出ることなく行方不明になってしまったものである。 ---------中略--------- なんと13年間倉庫に眠っていたものが日本人X氏の目にとまり、全部が日本に里帰りし200台が業者に渡り、約300 台がH氏の入手するところとなり、H氏の依頼でO氏が125台をブローニーフィルム(モノクロ)を使用できるように改造した。
------以下略--------

残念ながら、フィルムを買ったまま、とうとう一度も撮影していません。
収納部屋に積んであったのを見つけ、懐かしくなりました。いつか撮影して、このサイトで紹介したいと考えています

さて、いつになるか...........。

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2004.05.27

人生の意味(拉致事件に思うこと)

人生を意味あるものにできるのは、第一に、何かを行うこと、活動したり創造したりすること、自分の仕事を実現することによってです。第二に何かを体験すること、自然、芸術、人間を愛することによっても意味を実現できます。第三に、第一の方向でも第二の方向でも人生を価値あるものにする可能性がなくても、まだ生きる意味を見いだすことができます。自分の可能性が制約されているということが、どうしようもない運命であり、避けられない逃れられない事実であっても、その事実に対してどんな態度を取るか、その事実にどう適応 し、その事実に対してどうふるまううか、その運命を自分に課せられた「十字架」としてどう引受けるかに、生きる意味を見出すことができるのです。

あの「夜と霧」の著者V・Eフランクルの「それでも人生にイエスと言う」から引用しました。

拉致被害者の方々の運命を決めたのは何なのでしょうか...........

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