愛しのマン・レイ
愛しのマン・レイ
会期 2025年1月11日(土)~3月23日(日)
マルチアーティスト(画家、写真家、オブジェ作家などで活躍)マン・レイ(1890-1974)の仕事と交友関係を、富士美術館所蔵の作品と日本における無類のマン・レイ・コレクターまた研究家である石原輝雄氏所蔵の作品と膨大な周辺資料を中心に、マン・レイの足跡を追いつつ、彼の愛すべき人間性を探る展覧会です。
展示品ごとに添えられた丁寧な解説、沢山のマンレイのことば、そして壁面上部に貼られた延々と続く年表、
流石にすべては追いきれませんでした。よくここまで・・感心しました。
展覧会の構成です。
CHAPTER1 ニューヨーク ⇄ リッジフィールド時代 1906 1920
「絵を描くということを、わたしは人間達成の極致と見なしていた」
topic1《ゲイシャ・ガール》と歌川国貞
国貞の浮世絵を模写した油彩がが展示されてます。
《ゲイシャ・ガール 》1906年頃 油彩、カンヴァス
topic2 ブルックリンでの写生活動
「マン・レイ」という名前を名乗るようにまります。
topic3 フェレール・センター
マン・レイは1912年秋から同センターので美術クラスに通い始めました。
topic4 リッジフィールド
1915年12月までの2年半、マンレイはこの地で絵画制作に励みました。
マン・レイ《室内または静物+部屋》1918年 油彩・コラージュ、石膏板
topic5 マン・レイとマルセル・デュシャン
マンレイとデュシャンはお互いに影響を与える存在であり、その友情は生涯続きました。
CHAPTER2 第1次パリ時代 1921 1940
芸術に進歩などない。人間のさまざまな営為の裏通りには、無限の多様性があるのだ。
topic6 モンパルナスのキキ
マン・レイは1921年暮れに彼女とカフェで知り合い恋仲となりました。1928年に終焉を迎えますが、その後も良好な関係は続き・・
topic7 映像制作
マン・レイは早い段階から写真とともに映像の制作にも携わっています。
topic8 シュルレアリストの仲間との交わり
シュルレアリスムは指導者ブルドンを中心に、多くの人物が関り、交流の中で互いに影響を与えながら多彩な活動を展開しました。
マン・レイ《贈り物》1921/72年 アイロン、鋲 東京富士美術館
マン・レイ《ヴァランティーヌ・ユゴーの肖像》1933年 ゼラチン・シルバー・プリント 石原輝雄・純子コレクション
topic9 ソラリゼーション
「ソラリゼ-ション」はマン・レイ自身が名付けた造語です。
topic 10 レイヨグラフと『エレクトリシテ』
1921年から22年にかけての冬、マン・レイはツァラと一緒に写真機を使用せずに印画紙に直接物を置き、感光し焼き付けて撮影する方法を発見します。マン・レイは後にこれを「レイヨグラフ」と名付けました。
topic11 リー・ミラー
前年にキキと別れた1929年の夏前、マン・レイは行きつけのカフェ、バトー・イーヴルでカメラマンを目指す若い女性リーと出会います。
topic12 ファッション写真
マン・レイによるファッション写真は新しいものを求める制作者側とマンレイの意図が合致したうえに、それを求める大衆によって広く認知されるようになりました。
topic13 メレット・オッペンハイム
シュルレアリスム運動に関わった彼女のヌードを撮影しており、特に銅板プレス機とオッペンハイムを映した連作が有名です。
topic14
エリュアールとマン・レイが共同で制作した刊行物に『容易』と『自由な手』があります。
topic15 シュルレアリスム国際展
1938年にパリのボザール画廊で「シュルレアリスム国際展」が開催されました。主催はブルドンとエリュアールでマン・レイは照明責任者でした。
CHAPTER3 ハリウッド時代 1940 1951
自分の作品に何か疑いをもったときなど、敵対的な批評に出会って、自分が正しい道を歩んでいることをかえって確信したものだった。
topic16「我愛しのオブジェ」
1994年9月3日から30日にかけてサークル画廊でマン・レイの個展が開催されました。
マン・レイ《ミスター・ナイフとミス・フォーク》1944年木、ネット、ナイフ、フォーク、、ビロード 東京富士美術館
本作の着想はシュルレアリストであった詩人ルネ・クレヴェルの著書『バビロン』の『第1章:ミスター・ナイフとミス・フォーク』から得ている。
topic17「告知なしにあり続けるために」
1948年12月13日から翌49年の1月9日にかけてコプリー画廊で開催されたマン・レイの個展には「告知なしにあり続けるために」のタイトルが付けられました。
CHAPTER4 第2次パリ時代 1951 1976
私は待ちたくない、私は未来にも過去にも生きない。私は今を生きようとしている。
マン・レイ《ライナス・ポーリングへのオマージュ》1943/70年 アクアチント、リトグラフ、紙
マン・レイ《永続するモティーフ》1923/70-71年 メトロノーム、写真
topic18
金色の表紙にマン・レイの自画像が印刷された彼の自伝『セルフ・ポートレート』が1963年4月にボストンのリトル・ブラウン社とロンドンのアンドレ・ドイッチェ社から発刊されました。
topic19 宮脇愛子とマン・レイ
宮脇は「パリでマン・レイのアトリエに入りびたっていた頃は、自分では影響なんて受けていない思っていたけれど、今思うとやっぱり大きな存在」であったとし、彼女の制作姿勢に対するマン・レイの影響について認めています。
topic20 盟友との別れ
デュシャン死との別れ
topic21『大人のためのアルファベット』シリーズ
topic22『時を超えた貴婦人たちのバラード』
topic23 1971-72年 の大回顧展
topic24 1974-75年の大回顧展
生誕135年 愛しのマン・レイ 東京富士美術館
東京富士美術館公式YouTubeチャンネルで
2027年2月19日まで公開されています。
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