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2025.03.26

百花ひらく-花々をめぐる美-

百花ひらく-花々をめぐる美-

会期 2025年3月11日(火)~5月6日(火・休)
前期:3月11日(火)~4月6日(日) 
後期:4月8日(火)~5月6日(火・休)

三の丸尚蔵館

三の丸尚蔵館は、この展覧会で一時休館になります。
※新施設の建設工事に伴い、当館は本展をもって一時休館します。全面開館は令和8年(2026)秋を予定しています。

皇室伝来の貴重な収蔵品の中から、
今回は花を題材とした11世紀から現代にいたる絵画・工芸・書跡45件を厳選して紹介しています。

伊藤若冲・国宝《動植綵絵》のうち、花を描いた4幅の公開です。
前期は《牡丹小禽図》と《桃花小禽図》
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国宝 動植綵絵《牡丹小禽図》《桃花小禽図》 伊藤若冲 江戸時代(18世紀) 絹本着色

後期は《梅花小禽図》と《薔薇小禽図》です。

(画像はクリックで拡大表示になります)

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以下に展示作品から 
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七宝四季花鳥図花瓶 並河康之 明治32年(1899) 七宝
1900年のパリ万博において日本美術を世界にアピールするため、明治天皇の御下命を受けて製作されました。(キャプションから)

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春草蒔絵棚 新井半十郎、河之邊一朝ほか 明治14年(1881) 木、漆塗、蒔絵

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桜図屏風 跡見玉枝 昭和7年(1932)絹本着色
左近桜、御車返し桜など計10種が描かれています。(キャプションから)

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菊花図額 1910年頃 陶磁
明治43年(1910)、侯爵徳川家達が欧米視察より帰朝した際、明治天皇は献上されました。(キャプションから)

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黒縮緬地乱菊模様振袖 昭和5年(1930)頃 友禅染、刺繍
昭和5年に高松宮宜仁親王とのご成婚後の内宴で喜久子妃(1911~2004)が着用したものです。(キャプションから)


皇居東御苑で”フキノトウ”を見つけました。
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スマホで撮った写真をまとめてみました。


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2025.03.20

愛しのマン・レイ

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 愛しのマン・レイ

会期 2025年1月11日(土)~3月23日(日)

東京富士美術館

マルチアーティスト(画家、写真家、オブジェ作家などで活躍)マン・レイ(1890-1974)の仕事と交友関係を、富士美術館所蔵の作品と日本における無類のマン・レイ・コレクターまた研究家である石原輝雄氏所蔵の作品と膨大な周辺資料を中心に、マン・レイの足跡を追いつつ、彼の愛すべき人間性を探る展覧会です。

展示品ごとに添えられた丁寧な解説、沢山のマンレイのことば、そして壁面上部に貼られた延々と続く年表、
流石にすべては追いきれませんでした。よくここまで・・感心しました。

展覧会の構成です。
CHAPTER1 ニューヨーク ⇄ リッジフィールド時代 1906 1920
「絵を描くということを、わたしは人間達成の極致と見なしていた」

topic1《ゲイシャ・ガール》と歌川国貞
国貞の浮世絵を模写した油彩がが展示されてます。
《ゲイシャ・ガール 》1906年頃 油彩、カンヴァス

topic2 ブルックリンでの写生活動 
「マン・レイ」という名前を名乗るようにまります。

topic3 フェレール・センター
マン・レイは1912年秋から同センターので美術クラスに通い始めました。

topic4 リッジフィールド
1915年12月までの2年半、マンレイはこの地で絵画制作に励みました。
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マン・レイ《室内または静物+部屋》1918年 油彩・コラージュ、石膏板

topic5 マン・レイとマルセル・デュシャン
マンレイとデュシャンはお互いに影響を与える存在であり、その友情は生涯続きました。

 

CHAPTER2 第1次パリ時代 1921 1940
芸術に進歩などない。人間のさまざまな営為の裏通りには、無限の多様性があるのだ。

topic6 モンパルナスのキキ
マン・レイは1921年暮れに彼女とカフェで知り合い恋仲となりました。1928年に終焉を迎えますが、その後も良好な関係は続き・・

topic7 映像制作
マン・レイは早い段階から写真とともに映像の制作にも携わっています。

topic8 シュルレアリストの仲間との交わり
シュルレアリスムは指導者ブルドンを中心に、多くの人物が関り、交流の中で互いに影響を与えながら多彩な活動を展開しました。
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マン・レイ《贈り物》1921/72年 アイロン、鋲 東京富士美術館

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マン・レイ《ヴァランティーヌ・ユゴーの肖像》1933年 ゼラチン・シルバー・プリント 石原輝雄・純子コレクション

topic9 ソラリゼーション
「ソラリゼ-ション」はマン・レイ自身が名付けた造語です。

topic 10 レイヨグラフと『エレクトリシテ』
1921年から22年にかけての冬、マン・レイはツァラと一緒に写真機を使用せずに印画紙に直接物を置き、感光し焼き付けて撮影する方法を発見します。マン・レイは後にこれを「レイヨグラフ」と名付けました。

topic11 リー・ミラー
前年にキキと別れた1929年の夏前、マン・レイは行きつけのカフェ、バトー・イーヴルでカメラマンを目指す若い女性リーと出会います。

topic12 ファッション写真
マン・レイによるファッション写真は新しいものを求める制作者側とマンレイの意図が合致したうえに、それを求める大衆によって広く認知されるようになりました。 

topic13 メレット・オッペンハイム
シュルレアリスム運動に関わった彼女のヌードを撮影しており、特に銅板プレス機とオッペンハイムを映した連作が有名です。

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エリュアールとマン・レイが共同で制作した刊行物に『容易』と『自由な手』があります。

topic15 シュルレアリスム国際展
1938年にパリのボザール画廊で「シュルレアリスム国際展」が開催されました。主催はブルドンとエリュアールでマン・レイは照明責任者でした。

 

CHAPTER3 ハリウッド時代 1940 1951
自分の作品に何か疑いをもったときなど、敵対的な批評に出会って、自分が正しい道を歩んでいることをかえって確信したものだった。

topic16「我愛しのオブジェ」
1994年9月3日から30日にかけてサークル画廊でマン・レイの個展が開催されました。
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マン・レイ《ミスター・ナイフとミス・フォーク》1944年木、ネット、ナイフ、フォーク、、ビロード 東京富士美術館
本作の着想はシュルレアリストであった詩人ルネ・クレヴェルの著書『バビロン』の『第1章:ミスター・ナイフとミス・フォーク』から得ている。

topic17「告知なしにあり続けるために」
1948年12月13日から翌49年の1月9日にかけてコプリー画廊で開催されたマン・レイの個展には「告知なしにあり続けるために」のタイトルが付けられました。

 

CHAPTER4 第2次パリ時代 1951 1976
私は待ちたくない、私は未来にも過去にも生きない。私は今を生きようとしている。

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マン・レイ《ライナス・ポーリングへのオマージュ》1943/70年 アクアチント、リトグラフ、紙

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マン・レイ《永続するモティーフ》1923/70-71年 メトロノーム、写真

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金色の表紙にマン・レイの自画像が印刷された彼の自伝『セルフ・ポートレート』が1963年4月にボストンのリトル・ブラウン社とロンドンのアンドレ・ドイッチェ社から発刊されました。

topic19 宮脇愛子とマン・レイ
宮脇は「パリでマン・レイのアトリエに入りびたっていた頃は、自分では影響なんて受けていない思っていたけれど、今思うとやっぱり大きな存在」であったとし、彼女の制作姿勢に対するマン・レイの影響について認めています。

topic20 盟友との別れ
デュシャン死との別れ

topic21『大人のためのアルファベット』シリーズ 

topic22『時を超えた貴婦人たちのバラード』

topic23 1971-72年 の大回顧展

topic24 1974-75年の大回顧展

 

生誕135年 愛しのマン・レイ 東京富士美術館
東京富士美術館公式YouTubeチャンネルで
2027年2月19日まで公開されています。

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2025.03.16

ミロ展

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ミロ展

会期 2025年3月1日(土)~7月6日(日)

東京都美術館 

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(画像はクリックで拡大表示になります)

1893年にスペイン、カタルーニャ州に生まれたジュアン・ミロ(1893~1983年)は、同郷のピカソと並び20世紀を代表する巨匠です。
本「ミロ展」は70年に及ぶ創作活動の、初期から晩年までの各時代の変化を一望し、ミロの芸術の真髄を体感できる空前の大回顧展となっています。


展覧会の構成です。
第1章 若きミロ 芸術への決意
1918年にバルセロナのダルマウ画廊で初めての個展を開催する。展示された風景画は、キュビズムの影響を感じさせ、色図解はフォーヴィズムやセザンヌを彷彿とさせるものだった。そこではミロのアイデンティティーを示す風景と前衛的な表現形式が見事な調和を見せていた。(展示会場解説パネルから)
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《自画像》 1919 油彩/カンヴァス ピカソ美術館、パリ
本作を描いた翌年、初めてパリを訪れたミロは尊敬していた画家パブロ・ピカソを訪問し、信頼と敬意に満ちた友情関係を築いた。本作と《スペインの踊り子》はどちらもピカソが生涯手元に置いていた作品である。(キャプションから)

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《ヤシの木のある家》 1918 油彩/カンヴァス 国立ソフィア王妃芸術センター、マドリード
この頃、ミロはそれまで大きく影響を受けていたフォーヴィズムの作品を捨て、細部の描写にこだわった作品の制作を始める。(キャプションから)

― 誰もが木々や山々の大きな塊ばかり求め、それを描こうとしますが、草や葉や小さな花の音楽を聴くこともなく、渓谷の小さな石に注意を払うこともありません。それはとても魅力的なのに ―
ジョアン・ミロからジュゼップ・フランセスク・ラフォルスへの手紙 1918年8月11日付

 

第2章 モンロッチ―パリ 田園地帯から前衛の都へ
1920年にパリを訪れたミロは、1922年にはブロメ通り45番地にあった、画家アンドレ・マッソンの隣のアトリエに移り住んだ。そこでミロはシュル・レアリスムの作家たちや詩人と出会い、交流を深めていく。 20250306
《絵画=詩(栗毛の彼女を愛する幸せ)》 1925 油彩/カンヴァス ジョアン・ミロ財団、バルセロナ
パリで詩人や作家との交流をもったミロは、画面に文字を伴う「絵画=詩」と呼ばれる作品を制作する。、こうした作品では単語やフレーズを加えて絵画的な詩として視に遊びを与えている。「栗毛の彼女を愛する幸せ」と書かれている。(キャプションから)

― 私は絵画と詩を区別していない、時にはカンヴァスに詩的なフレーズを加え、またその逆もある ― 

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《オランダの室内Ⅰ》 1928 油彩/カンヴァス ニューヨーク近代美術館
1928年5月、ミロはベルギーとオランダへ旅行に出かけた。オランダではマウリッツハイス美術館(ハーグ)やアムステルダム国立美術館を見て回った。そこで17世紀オランダ絵画に強い印象を受けた。ミロは作品のポストカードを購入し、帰国後に3点の《オランダの室内》シリーズをを描いた。本作はその最初の作品であり、ヘンドリク・ソルフの《リュートを弾く人》のポストカードをもとにしている。(展示会場解説パネルから)

第3章 逃避と詩情 戦争の時代を背景に
《星座》
1939年の夏、第二次世界大戦勃発の1か月前、ミロはフランス、ノルマンディー地方のヴァランジュヴィル=シュルーメールに移住する。翌年1月からミロはカンヴァスではなく、紙に《星座》シリーズという23枚のグアッシュ画の制作を開始した。
ここに展示される3点はどれもヴァランジュヴィル=シュル=メールで描かれたものである。3点に共通して見られる大きく口を開けた恐ろしげな怪物が、厳しい時代を象徴している。しかし、そうした状況に置かれながらも、ミロはあえて目の前の現実から目を背け、広大な空に瞬く星々を描くことで凄惨な現実に対するアンチテーゼを提示している。(展示会場解説パネルから)
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《明けの明星》 1940 グアッシュ、油彩、パステル/紙 ジュアン・ミロ財団、パリ 

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《女と鳥》 1940 グアッシュ、油彩/紙 ナーマド・コレクション

―《星座》を描いている間、本当に密かに作業をしているという感覚がありましたが、それは私にとって解放でもありました。周囲の悲劇について考えることをやめることができたのです。―

 

第4章 夢のアトリエ 内省を重ねて新たな創造へ
第5章 絵画の本質へ向かって

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ミロ展 第4章、第5章

ミロ展

会期 2025年3月1日(土)~7月6日(日)

東京都美術館 

第4章 夢のアトリエ 内省を重ねて新たな創造へ
1947年にミロは初めてアメリカを訪れ、アメリカの若い画家とも交流して刺激を受けます。1956年、マジョルカに長年の夢であった広いアトリエが完成すると、自身の芸術を再検討し、じっくりと作品に向き合って制作する時期に入りました。また、かねてから日本の文化に大きな関心を寄せていたミロは、1966年と1969年に訪日し、日本文化と自身の芸術の親和性を再確認していきます。(展示会場解説パネルから)20250309
《クモを苦しめる赤い太陽》 1948 油彩/カンヴァス ナーマドコレクション
第二次世界大戦後ミロはそれまでの試作的絵画とは対照的な作品を描くようなる。本作では黒く太い記号的な線が、カンヴァスの空間を区切り、絵画にどっしりとした存在感を、与えている。一見抽象画にも見えるが、ミロは「私にとって画中のカタチや図像はけっして抽象的なものではなく常に何かを表す記号である」と述べている。(キャプションから)

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《絵画(エミリ・フェルナンデス・ミロのために) 1963 油彩/カンヴァス ジョアン・ミロ財団、バルセロナ
孫のダビットとエミリに捧げた2点のうちの1点である。横長のカンヴァスに左側に人物が描かれ、そこから撮りが現れて星を追いかけている。背景にはミロらしい青が広がりその上に1940年代にかけての作品に特徴的なシンプルな線と鮮やかな色の格子柄が描かれている。(キャプションから)

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太陽の前の人物 1968年 アクリル/カンヴァス ジュアン・ミロ財団、バルセロナ
ミロの造形言語の集大成のひとつである。
筆触はシンプルで力強く、素早く描かれ、カンヴァス全体に飛び散るようで、アメリカの抽象表現主義の技法を思わせる。しかし、同時に東洋的な感性とも結びついており、日本の画僧・仙厓が丸、三角、四角で宇宙を表現した作品とも関連がある。本作にもその3つの形が見て取れる。(キャプションから)

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展示風景

第5章 絵画の本質へ向かって
晩年を迎えたミロは、改めて西洋の伝統的な絵画技法に挑戦するために、オブジェと新たな支持体を用いて、若き日に試みた芸術作品の脱神聖化を推し進めることを決意する。(解説パネルから)
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《焼かれたカンヴァス 2》 1973年 アクリル/切られて焼かれたカンヴァス ジュアン・ミロ財団、バルセロナ(寄託)「焼かれたカンヴァス」と題された5点の連作絵画のひとつ。ミロは、白いカンヴァスに勢いよく絵具を垂らし、したたらせ、踏みつけ、ナイフで切り刻み、最後にガソリンを染みこませて火をつけた。作品を破壊するような大胆で型破りな手法をためらいなく用いた本作は、ミロが80歳を迎えてなお、新たな表現を追求していたことを示している。 

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展示風景

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《涙の微笑》 1973年 アクリル/カンヴァス ジュアン・ミロ財団、バルセロナ(寄託)
1967年に構想を練り始め、それから6年をかけて完成させた作品。タイトルには「涙」と「微笑」という対照的な要素が並ぶが、画面内にも対照的な表現が見てとれる。上半分は手の届かない空の領域で、月や星がむき出しのカンヴァス地の上に描かれる。一方、下半分は足で踏みしめる大地が赤、黄、緑、黒で丁寧に塗られている。(キャプションから)

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展示風景

ポスター
ミロの文化的、社会的、政治的な取り組み
1940年代初めにリトグラフに取り組んだミロは、1960年代から1970年代に再びリトグラフを用いて数多くのポスターを制作する。20250312


本展では、撮影可エリアがあります。
スマホで撮った写真をまとめてみました。

 

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2025.03.08

今津景 タナ・アイル

今津景 タナ・アイル

会期  2025年1月11日(土)~ 3月23日(日)

東京オペラシティ アートギャラリー

 

タイトルにある「タナ・アイル」とは、インドネシア語で「タナ(Tanah)」が「土」、「アイル(Air)」が「水」を指し、二つの言葉を合わせると故郷を意味する言葉になります。
現在拠点にしているインドネシアと自身のルーツである日本の二つの土地での経験と思考に基づき、
自らが生きる場所について考える初の大規模個展。

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(画像はクリックで拡大表示になります)


展示構成です。
(以下、受付で手渡されるパンフレットの記述を引用しています)
Anda Ddisini/You Are Her
私が初めてインドネシアを訪れたのは2017年2月、バンドンでのアイティストインレジデンスに誘ってもらった事がきっかけだった。
レジデンスの最終日、私はGoa Japang(ゴア・ジャパン)と呼ばれるバンドンの北にあるかつての軍事要塞として使用されていた洞窟を訪れた。
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Anda Disini 2024 油彩、キャンバス
Anda disini/You are here 2019 油彩、キャンバス 羽地徹氏蔵

 

Bandoengsche Kinine Fabriek
キニーネはキナの樹液から抽出されるアルカロイド、白い結晶でマラリアの特効薬。Img_2151
Bandoengsche Kinine Fabriek 2024 ミクストメディア サイズ可変

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(展示風景)

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Human Study 2018 油彩、キャンバス 個人蔵(シンガポール)

 

When Facing the  Mud
シドアルジョは世界最大の泥火山だ。今でも噴出は続いている。
シドアルジョのそのあたり一帯は古くからエビ養殖で有名だ。
エビ養殖業を先祖代々いとなむ父と息子に話を聞いた。
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(展示風景)

 

Hainuwele
私は出産後、セラム島に伝わるハイヌウェレという神話に興味を持った。Img_2182
(展示風景)

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(展示風景)

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《When Facing the Mud (Response of Shrimp Farmers in Sidoarjo)》2022
油彩、アクリル、泥、UVプリント、キャンバス 個人蔵

 

Lost Fish
世界一汚染された川という異名を持つチタルム川。
川に住む6割の魚が死滅したという。
特に在来の魚は水質汚染に弱く、ナマズのような魚以外は消えてしまった。(パンフレットから)Img_2224
(展示風景)

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Lost Fish 2021 油彩、再利用した木材


スマホで撮った写真をまとめてみました。

 

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中世の華・黄金テンペラ画 - 石原靖夫の復元模写 チェンニーノ・チェンニーニ『絵画術の書』を巡る旅

中世の華・黄金テンペラ画 - 石原靖夫の復元模写
チェンニーノ・チェンニーニ『絵画術の書』を巡る旅 

会期 2025年2月15日(土)~2025年3月23日(日)

目黒美術館 


中世から伝わる卵黄テンペラの技法を1970年代にイタリアで学び、技法研究の集大成として取り組んだシモーネ・マルティーニ《受胎告知》(1333年)の復元研究。
石原靖夫はこの板絵を、マルティーニが描いた当時の、真新しい姿に描き出すことを試みました。
マルティーニの時代の画家が行っていた手順で、材料・素材も1970年代に入手可能なものは集め、出来るだけ当時のものに近づくように手作りをし、6年の歳月をかけ復元模写を完成させました。
 本展では、石原の復元模写の大作を、石原が本作制作当時に使用した道具、材料、色材のほか、入念に調べた研究ノートなどの周辺資料とともに展示します。(HPの解説から)
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石原靖夫 復元模写《 シモーネ・マルティーニ〈受胎告知〉》 1972ー78年 卵黄テンペラ、金箔・板 / 226.0×171.0×11.5cm / 金沢美術工芸大学蔵(原画= 1333年/ ウフィツィ美術館蔵)

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(復元模写の部分)大天使カブリエル

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(復元模写の部分)聖母マリア

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(画像はクリックで拡大表示になります)

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展覧会の構成です。
第一話 旅のはじまりーローマへ
第二話 シモーネ・マルティーニ<受胎告知)(1333年)の復元模写
第三話 テンペラ画制作工程
第四話 ラビスラズリと古典技法への旅

イタリア風景に託すテンペラ画
イタリアからの帰国後、石原は、日本の風土にあったテンペラ画のやり方を模索し、支持体となるキャンバスづくりから始め、卵黄のみを使う卵黄テンペラで、主にイタリアの風景に、自分の表現を求める旅を続けている。(会場の解説から)20250202_20250301180701
展示風景

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技法見本 花の聖母寺―フィレンツェ 石原靖夫 卵黄テンペラ、金箔/キャンバス 個人蔵

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花の聖母寺―フィレンツェ 石原靖夫 卵黄テンペラ、金箔/キャンバス 個人蔵

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砦 石原靖夫 1988年 卵黄テンペラ/キャンバス(金箔地) 個人蔵

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(砦の部分)

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展示風景

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展示風景

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輝く森 石原靖夫 2025年 卵黄テンペラ/キャンバス(金箔地)

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(輝く森の部分)

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テンペラ工房

映像でみるテンペラ技法
石原靖夫によるテンペラ画 制作工程
1、全行程ダイジェスト版
2、彩色
3、金箔装飾

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