開創1150年記念 特別展「旧嵯峨御所 大覚寺―百花繚乱 御所ゆかりの絵画―」第4章 女御御所の襖絵ーー正寝殿と宸殿(第2会場)
開創1150年記念 特別展「旧嵯峨御所 大覚寺―百花繚乱 御所ゆかりの絵画―」
会期 2025年1月21日(火) ~ 2025年3月16日(日)
東京国立博物館 平成館 特別展示室
第4章 女御御所の襖絵ーー正寝殿と宸殿
(第2会場展示風景)
御冠の間(原寸大再現)
「正寝殿」は歴代門跡の御座所(居室)であり、なかでも最も格式が高いのがこの「御冠の間です。通常は非公開ですが、本展では特別な許可を得て、この部屋を原寸で再現しました。(展示会場の解説から)
重要文化財 山水図[正寝殿御冠の間]狩野山楽筆 紙本墨画 安土桃山~江戸時代(16~17世紀)京都・大覚寺
(第2会場展示風景)
正寝殿襖引手金具[正寝殿雪の間] 重文 桐竹蒔絵帳台構蒔絵部材
(第2会場展示風景)
重要文化財松鷹図[正寝殿鷹の間]狩野山楽筆 紙本墨画 安土桃山~江戸時代 (16~17世紀)京都・大覚寺
巨大な松と勇猛な鷹を豪壮に描き表わした、山楽による水墨花鳥画の代表作。山楽の師である狩野永徳の「図屏風」(館蔵、本展での展示はありません)と酷似するが、柔らかな筆使いに、山楽の様式的個性の萌芽を見出すことができる。(展示会場の解説から)
宸殿
後水尾天皇(1596~1680)より下賜されたと伝えられる寝殿造の建物です。もともと「紫殿」とは、内裏(御所)にある即位や節会などの公式行事を行なう殿舎「紫宸殿」の略称です。大覚寺宸殿は徳川和子(1607~78、後の東福門院)が後水尾天皇に入内した際に造営された女御御所の紫宸殿であったと伝えられています(現在では諸説あります)。
中部は儀礼の場の中心となる「牡丹の間」など四つの部屋から構成されており、内部には金箔を多用した濃彩の襖給がおさめられており、それぞれの引手金具には天皇家の象徴である菊と、徳川家の家紋である葵がデザインされています。(展示会場の解説から)
重要文化財 松鶴図[宸殿柳松の間]紙本金地着色 安土桃山~江戸時代(16~17世紀)京都・大覚寺
松の樹上で子育てするつがいの鶴と、生まれたばかりのヒナを描く。「大樹」は将軍の異称であることから、徳川将軍の庇護の下で、後水尾天皇と徳川和子が子宝に恵まれるよう願った画題とも考えられる。(展示会場の解説から)
(第二会場展示風景(牡丹図展示風景))
牡丹図[宸殿牡丹の間]狩野山楽筆 紙本金地着色 江戸時代(17世紀)京都・大覚寺
宸殿の最も重要な部屋を飾る襖絵。今を盛りと咲く牡丹を装飾的に描いた狩野山楽(1559~1635)の代表作。しかし一部に引手金具の位置を動かしたり絵を補っている部分がみえ、本来どこを飾る襖絵として描かれたのかは明らかでない。(展示会場の解説から)
重要文化財 柳に燕図[殿紅梅の間]紙本金地着色 安土桃山~江戸時代(16~17世紀)京都・大覚寺
紅梅の間の東面4面と西面4面を飾る襖絵。春真っ先に芽吹く柳は、夫婦仲良く子育てする燕とともに好まれた、組み合わせの画題であった。画面が繋がらない部分があることから、もとはさらに規模の大きな画面であったと考えられる。(展示会場の解説から)
重要文化財 柳桜図[宸殿柳松の間]紙本金地着色安土桃山~江戸時代(16~17世紀)京都・大覚寺
若笹や野春菊、白丁花など、春の景色を豊かに描く。元は右側3面と左側6面の計9枚の襖絵だったものを、後の時代に現在の6枚の形に仕立て直したもの。つがいの白鷺が望む先にはさらに画面が続いていたと考えられる。(展示会場の解説から)
重要文化財 紅白梅図[歳殿紅梅の間]狩野山楽筆 紙本金地着色 江戸時代( 17世紀)京都・大覚寺
「牡丹図」と並び、写実と装飾を見事に調和させた狩野山楽の代表作。中央に大きな紅梅、向かって右に白梅がみえ、本来はさらに横に続く襖絵だったと考えられる。大樹表現は山楽の師・狩野永徳(1543~90)からの影響を思わせる。(展示会場の解説から)
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