没後300年記念 英一蝶―風流才子、浮き世を写す―
没後300年記念 英一蝶
―風流才子、浮き世を写す―
会期 2024年9月18日(水)~11月10日(日)
重文 布晒舞図 英一蝶 一幅 江戸時代 17~18世紀 遠山記念館 (展示期間10月16日~11月10日)
雨宿り図屏風(部分)
(画像はクリックで拡大表示になります)
風流才子、英一蝶(1652~1724)の人生は波乱万丈、いくつもの顔がありました。
展覧会の構成です。
第1章 多賀朝湖時代
第2章 島一蝶時代
第3章 英一蝶時代
狩野探幽の弟・安信のもとで教育を受けますが、次第に狩野派の枠を飛び出し、市井の人々を活写した独自の風俗画を生み出し、広く愛され、英派と呼ばれる一派が形成されます。
また、俳諧師暁雲を名乗り、松尾芭蕉に学び、俳諧師の宝井其角らと生涯親しく交流しました。
雑画帖のうち「睡猫図」 英一蝶 一帖のうち一面 江戸時代 17世紀 大倉集古館
場面替あり (本場面の展示期間:9/18~10/14)
山水、人物、花鳥、獣、戯画、風俗画など多様な画題を扱った全36画からなる画帖。署名や印章は配流前のもので初期の一蝶の画域を示す代表作。(キャプションから)
投扇図 英一蝶 一幅 江戸時代 17世紀 板橋区立美術館 (展示期間:9/18~10/14)
鳥居の下の男が大きく反り返りながら指をさし喜んでいる。それもそのはず、中央の男が投げた扇が鳥居の間を見事にすり抜けるところだ。(キャプションから)
49歳絶頂期の一蝶は三宅島へ流罪になります。
流罪の一番有力な説は、江戸吉原に出入りし幇間として大名などと交流していた一蝶が、綱吉の生母・桂昌院の縁者を遊所に誘い、遊女を身請けさせたという理由などで、幕府から目を付けられていたというものです。
島流しに会いながら足掛け12年の歳月を腕一本で生き延び、将軍代替わりの恩赦で江戸に返り咲いた不屈の流人。
島で描かれた作品は<島一蝶>と呼ばれ高く評価されています。
神馬図額 一面 元禄12年(1699頃) 東京稲根神社
伝統的な図様を踏襲した神馬図で、狩野派の粉本を参考にしたと考えられる。
御蔵島の稲根神社に伝わった。(キャプションから)
吉原風俗図巻(部分) 英一蝶 一巻 元禄16年(1703)頃
サントリー美術館 通期展示(場面替あり)(本場面の展示期間:10/16~11/10)
江戸再帰後は、「多賀朝湖」などと名乗っていた画名を「英一蝶」と改め、仏画、狩野派の画法を順守した花鳥画や風景画、物語絵や故事人物画などが増えていきます。
一方で、風俗画の依頼は絶えなかったようで、都市や農村に生きる人々の営みに、一蝶ならではの諧謔味を加えた大作も複数残されています。
舞楽図・唐獅子図屏風のうち舞楽図 英一蝶 六曲一双 メトロ美術館蔵
表面に舞楽、裏面に唐獅子を描いた両面屏風、小画面の多い一蝶作例のなかで、珍しい大作。
雨宿り図屏風 英一蝶 六曲一隻 江戸時代18世紀 東京国立博物館 展示期間(9/18~10/14)
雨宿りは一蝶にとって特別な主題だったようで、晩年の大作が2点残る。本作はその1点。門の下に集う人々は、年齢も職業もばらばら。本来であれば関わることのなかった老若男女だが、にわか雨という自然の力によって、同じ空間に身を寄せ合う。その不思議な一体感を一蝶は見事に活写する。(キャプションから)
釈迦十六善神図 英一蝶 一幅 江戸時代 18世紀 個人蔵 (展示期間:9/18~10/14)
近年発見された新出の仏画、釈迦・文殊・普賢の三尊を金泥で表し、肉身を朱線で描き起こす。勤直で繊細な描線と極彩色の精緻な描写は一蝶の確かな技量を伝える。右下の署名「北窓一蝶敬院圓」は江戸帰還後の作例であることを示し、風俗画廃業を宣言した最晩年の画風をうかがわせる。(キャプションから)
一蝶は享保9年(1724)、73歳でこの世を去りました。
辞世の句
「まぎらはす 浮き世の業の色どりも 有りとや月の薄墨の空」
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