« 2024年10月 | トップページ | 2024年12月 »

2024.11.27

小杉放菴展

Img_9079

小杉放菴展

八王子夢美術館

会期 2024年11月16日(土)〜2025年1月26(日)

 

小杉放菴の日本画は、中国絵画の南宗画に由来する江戸時代後期の日本絵画『南画』の系譜に、近代的な感覚を取り入れた『新南画』と位置付けることができます。“南画の印象派”とも呼べる小杉放菴の魅力を存分にお楽しみください。(チラシの解説から)

小杉放菴記念日光美術館の所蔵作品を中心に、日本画家としての放菴にスポットを当てた展示内容になっています。

Img_20241126_0001 Img_20241126_0002

(画像はクリックで拡大表示になります)

展示構成です。
<未醒>時代
<未醒>から<放庵>へ
<放菴>時代
日光の社寺と風景


小杉放菴(1881~164)は、
二荒山神社の神官で、国学者、また日光町長も務めた富三郎の子として生まれました。本名は国太郎。
10代のとき日光在住の洋画家・五百城文哉の内弟子となり、その後上京して、白馬会洋画研究所。一時故郷し再上京後は、小山正太郎の不同舎に入門し、1902年(明治35年)に太平洋画会に入会し1904年(明治37年)に未醒の号で出品するようになります。
Img_8910
《神橋》 1901年頃 紙/水彩 小杉放菴記念美術館蔵

20241103_20241126101701
五百城文哉 《西本願寺・三重塔》 1892-1905頃 紙/水彩 小杉放菴記念美術館蔵


1913(大正2)年にヨーロッパを外遊した小杉は、パリで池大雅の模写画を見てから、むしろ「東洋」に帰するべき道を見出します。帰国後は日本画の制作が増えていきますが・・・
20241108_20241126181601
《牧童》1916年頃 カンヴァス/油彩 小杉放菴記念美術館蔵

20241109_20241126185801
(左)《湖山春色》1917年頃 絹本着色 記念日光美術館蔵
(右)《煉丹》1917年 絹本着色 小杉放菴記念美術館蔵
 

1922(大正11)年、小杉放菴(当時は未醒)は<放菴>の号を用いるようになります。
雅号を改めたこの時期の重要な事柄として、越後の紙匠、岩野平三郎製の「麻紙」との出会いがあります。麻紙には墨の滲みやすさという特徴があり、仮名文字が発達する平安時代には難点とされ、国内産は姿を消したといわれています。この難点をむしろ魅力と考えてのが小杉放菴でした。
この時期に、代表作の東京帝国大学安田講堂大壁画を完成させるなど充実した制作活動を行っています。20241104_20241126104601
《泉(断片)》 1925年頃 カンヴァス/油彩 小杉放菴記念美術館蔵

20241105_20241126104601
《母子採果》 カンバス/油彩 小杉放菴記念美術館蔵



小杉放菴は、初期から晩年まで油彩画と水彩画を並行して描いていますが、作品の発表数や現存数では1920年代以降は圧倒的に日本画の数が優位です。放菴の関心は日本画、水彩画に傾いていきますが、放菴は洋画家(油彩画家)としての功績により帝国芸術院会員に任じられたことから、画題や発表の場が国政に関わるものには油彩画を描くのが筋と考えていたようです。(本展会場の解説から)20241106_20241126111001
(左)《仙山朝陽》1930年代後半 紙本着色
(中)《木蓮にひよ》1935年頃 紙本着色
(右)《南枝早春》1936年頃 紙本墨画淡彩
小杉放菴記念美術館蔵

20241107_20241126111301
《良寛》 1958年頃 カンヴァス/油彩 小杉放菴記念美術館蔵


この展覧会、撮影可です。
スマホで撮った写真をまとめてみました。

 

| | コメント (0)

2024.11.22

両大戦間のモダニズム:1918-1939 煌めきと戸惑いの時代

Img_20241113_0005 Img_20241113_0006

両大戦間のモダニズム:1918-1939 煌めきと戸惑いの時代

会期 2024年9月14日(土)~12月1日(日)

町田市立国際版画美術館

 

―HPの解説からー
本展覧会では、ふたつの世界大戦の狭間にあたる約20年間に焦点を当て、モダニズムの時代を版画に表したアーティストたちの作品約230点を展示します。パリのファッション雑誌を彩った色彩豊かなポショワール(ステンシル)、市井の人々の生活を描き出したドイツの版画集、シュルレアリストの実験的な銅版画など、社会の変革期につくられた作品は100年後を生きる私たちに何を問いかけてくるでしょうか。

(画像はクリックで拡大表示になります)

展覧会の構成です。
第1章 両大戦間に向かって:Before 1918
1-1 ベル・エポックの光と闇:ヴァロットンとその時代
この時期、ヨーロッパは「ベル・エポック」と呼ばれる繁栄の時代を迎えましたが、1914年に勃発する第一次世界大戦によって世界は大きく変化しました。
20241113_20241121182201
フェリックス・バロットン『レスタンプ・オリジナル』《街頭デモ》1893 木版 町田市立国際版画美術館蔵

 20241101_20241120164501
フェリックス・ヴァロットン《ラ・ペピニエールのポスター》1893年、リトグラフ(多色) 町田市立国際版画美術館蔵「ラ・ペピニエール」は、1871から1910年までパリ第8区のラ・ペピニエール通りにあったミュージック・ホール。
平和な時期が積図いていたベル・エポックのフランスにおいても、すでに軍事的な要素は娯楽の中に溶け込んでいたのです。(キャプションから)

1-2 第一次世界大戦 戦地に向かう /平和を祈るアーティスト 
20241102_20241120150401
ジャン=エミール・ラブルール《前線の小さな売り子たち》1917-21年(1921年以降の刷り)、エングレーヴィング 町田市立国際版画美術館蔵
ラブルールは第一次世界大戦中にイギリス軍やアメリカ軍の通訳として戦地に赴きました。
1917年から参戦したアメリカ軍とともに大西洋岸の港町サン=ナゼールに滞在していた頃に制作したと考えられる作品(キャプションから)


第2章 煌めきと戸惑いの都市物語
2-1 フランス:パリ・モードの輝き 
両大戦間のフランス、アメリカ、日本、ドイツ、ロシアの様相を見ていきます。20241107_20241120172301
編:リュシアン・ボージェル『ガゼット・デュ・ポン・トン』平版印刷、ポシヨワール 伊藤紀之氏コレクション 
シャルル・マルタン《愛の死 トルーキャートのモードと着こなし》(1920年代10号第72図)
シャルル・マルタン《ためらい ビアーの寝巻》(1920年第10号第72図)

20241103
シャルル・マルタン『スポーツと気晴らし』より、1923年刊、平版印刷、ポショワール 町田市立国際版画美術館蔵
《ヨット遊び》
20241108_20241120174501
《フラート(恋のかけひき)》

2-2 アメリカ:摩天楼の夢

2-3 日本:西洋への憧憬
20241105
『婦人グラフ』木版、平版印刷
竹下夢二《雪の風》(第1巻第8号表紙)1924(大正13)12巻 町田市立国際版画美術館蔵

2024110
竹久夢二 《七夕》(第3巻第4号表紙絵)1926(大正15)7刊、平版印刷、木版 町田市立国際版画美術館蔵蔵

20241109
マックス・ベックマン『年の市』より、1921年、ドライポイント 町田市立国際版画美術館蔵

20241110_20241121095401
ロシア関連資料の展示ケース


第3章 モダニズムの時代を刻む版画
3-1 抽象表現:「アブストラクシオン・クレアシオン(抽象・創造)」のアーティスト
20241114
フェルナン・レジェ《花瓶》1927 リトグラフ 町田市立国際版画美術館蔵
第一次世界大戦への従軍を経て、両大戦間は兵器などの工業製品の幾何学的な造形美を見出します。第二次世界大戦中はアメリカの亡命し、戦後はフランスの市民生活をのびやかに描き出しました。(キャプションから)

20241104_20241120161101
ピエト・モンドリアン《色面によるコンポジション No.3》1957年(原画1927年)、スクリーンプリント 町田市立国際版画美術館蔵
「デ・ステイル」を主導した画家モンドリアンは「新造形主義」を提唱し、図形や直線から構成される幾何学的な抽表現を探求しました(キャプションから)

3-2 挿絵本文化:独立版画協会と版画のリバイバル
20241111_20241121101701
アンリ・マティス《寝椅子の上のオダリスク、赤いタイルの床》1929 リトグラフ 町田市立国際版画美術館蔵

3-3 シュルレアリスム:版に刻まれた偶然、幻想、強迫観念


第4章「両大戦間」を超えて:After 1939
両大戦間を超えて:After 1939 World WarⅡ and After
4-1 第二次世界大戦:留まる/亡命するアーティスト
20241112
ジャン・アルプ《5つのフォルムの星座》1956 リトグラフ 町田市立国際版画美術館蔵
第二次世界大戦の勃発を受けてパリを去ったアルプは、第一次大戦中と同様にスイスへと逃れました。

4-2 フェルナン・レジェの『サーカス』
20241106
フェルナン・レジェ『サーカス』より、1950年刊、リトグラフ 町田市立国際版画美術館蔵

Img_8437

 

| | コメント (0)

2024.11.17

挂甲の武人 国宝指定50周年記念 特別展「はにわ」

Img_20241113_0001 Img_20241113_0002
挂甲の武人 国宝指定50周年記念 特別展「はにわ」

会期 2024年10月16日(水)~2024年12月8日(日)


東京国立博物館

この展覧会は一部を除いて撮影可です。
大撮影大会の趣 、大変混んでました。

第一会場の入り口は、埴輪 踊る人
プロローグ 埴輪の世界
Img_7977-1Img_7978
埴輪 踊る人々 埼玉県熊谷市 野原古墳出土 古墳時代・6世紀 東京国立博物館

「近年は片手を挙げて馬の手綱(たづな)を曳(ひ)く姿であるとする説も有力です」と解説にあります。

キャラクターのトーハクくんのモデルですよね


第1章 王の登場
20241007
20241006
国宝 金象嵌銘太刀 奈良県天理市 東大寺山古墳出土 古墳時代・4世紀 (刀身:中国 後漢時代・2世紀) 東京国立博物館


第2章 大王の埴輪
20241005
重要文化財 円筒埴輪 奈良県桜井市 メスリ山古墳出土 古墳時代・4世紀 奈良県立橿原考古学研究所付属博物館

第3章 埴輪の造形
20241008
馬型埴輪 三重県鈴鹿市 石薬師東古墳群63号墳出土 古墳時代・5世紀 三重県蔵(三重県埋蔵文化財センター保管

20241009
重要文化財 船形埴輪 大阪市 長原高廻り1号墳出土 古墳時代・5世紀 文化庁(大阪歴史博物館保管)


スマホで撮った写真をまとめてみました。(第一会場)

 

第二会場に入るとすぐに、「埴輪 挂甲の武人」5体が展示されています。
第4章 国宝 挂甲の武人とその仲間
Img_8014

20241001 

20241002

20241003
国宝 埴輪 埴輪 挂甲の武人 群馬県太田市飯塚町出土 古墳時代・6世紀 東京国立博物館 

20241004
埴輪 埴輪 挂甲の武人(彩色復元) 原品:群馬県太田市飯塚町出土 古墳時代・6世紀 制作:文化財活用センター令和5年(2023)東京国立博物館

第5章 物語を伝える埴輪
20241012
牛型埴輪、犬型埴輪などの展示風景

20241014
家型埴輪展示風景

20241011
埴輪 子を背負う女子 栃木県真岡市鶏塚古墳出土 古墳時代・6世紀 東京国立博物館

埴輪 乳呑み児を抱く女子 茨城県ひたちなか市大平古墳群出土 古墳時代・6世紀 茨城県ひたちなか市境域委員会蔵(ひたちなか市埋蔵文化財調査センター保管) 

エピローグ 日本人と埴輪の再開 
20241013
埴輪 笑う男子(部分) 群馬県藤岡市 下毛田遺跡出土 古墳時代・6世紀 群馬・真岡市境域委員会


スマホで撮った写真をまとめてみました。(第二会場)


―HPの解説ー
埴輪とは、王の墓である古墳に立て並べられた素焼きの造形です。その始まりは、今から1750年ほど前にさかのぼります。古墳時代の350年間、時代や地域ごとに個性豊かな埴輪が作られ、王をとりまく人々や当時の生活の様子を今に伝えています。

なかでも、国宝「埴輪 挂甲の武人」は最高傑作といえる作品です。この埴輪が国宝に指定されてから50周年を迎えることを記念し、全国各地から約120件の選りすぐりの至宝が空前の規模で集結します。素朴で“ユルい”人物や愛らしい動物から、精巧な武具や家にいたるまで、埴輪の魅力が満載の展覧会です。東京国立博物館では約半世紀ぶりに開催される埴輪展にどうぞご期待ください。


何かと話題の、 

Hello Kitty展
―わたしが変わるとキティも変わる―
会期 2024年11月1日(金) ~ 2025年2月24日(月・休)

も開催中で、トーハクはますますの賑わいを見せています。
20241001_20241117111601

20241003_20241117111601

20241002_20241117111601

 

| | コメント (0)

2024.11.12

田中一村 奄美の光 魂の絵画

Img_20241108_0001 Img_20241108_0002

田中一村 奄美の光 魂の絵画 

会期 9月19日(木)~12月1日(日) 

東京都美術館


会場は大変な混みようでした。
この混雑は久しぶりで少々驚きました。

数え8歳から晩年までの数多くの作品が展示されていて、その作品の量と多彩さと会場の混雑・・
体調を整えて出向くのがお勧めです。

柳暗く、花明らかにして、また一村あり
(一村の雅号の由来とされる陸游の詩「遊山西村」より)


昭和33年(1958)、50歳の時に奄美大島に単身移住移住。紬織の染色工として働き、生活費を貯めては、奄美の自然を主題とした絵に専念する日々を送りました。

私のゑかきとしての最終を飾る立派な絵をかきたいと考えています。(昭和37年(1962)の葉書より)

ちらし表に使われた作品
一村が「閻魔大王への土産物だ」と言葉を残した一枚
20241110_20241109164801
《アダンの海辺》 絹本着色 額装一面 昭和44年(1969) 個人蔵

Img_20241108_0003 Img_20241108_0005



展覧会の構成です。
第1章 若き南画家「田中米邨」東京時代
明治41年(1908)、彫刻師の長男として生まれた田中一村(本名孝)は、神童と言われるほどに絵の才能を発揮し、父親から米邨という号を与えられます。数え「八童」「八歳」と署名した絵が残されています。

私立芝中学在籍中からで漢籍を学び、中学を卒業した一村は17歳で東京美術学校の日本画科に入学しますが、家事都合で2か月で退学してしまいます。そして若き南画家・田中米邨として身を立てます。

20代の米邨は、中国風絵画から、現実の風景を写し取るような作品を描くようになっていきます。
20241101
《椿図屏風》昭和6年(1931) 絹本金地着色 屏風 千葉市美術館蔵



第2章 千葉時代「一村」誕生
30歳の時、親戚を頼り千葉市千葉寺町へ移った一村は、農作業をし、内職をしながらも、絵で生きる暮らしが貫かれました。
身近な小景画、デザイン的な仕事や木彫、仏画、節句掛や季節の掛物などの作品も残しています。
20241108_20241111172101
《花草文日傘(一村絵付)》昭和22年(1947)頃 布に墨画着彩 個人蔵
《牡丹菊図帯(一村絵付)》1950年代 絹地に着彩 個人蔵

昭和22年(1947)、「柳一村」と画号を改め、川端龍子主宰の青龍社展に《白い花》を出品し初入選します。
20241102_20241111173201 
《白い花》昭和22年(1947)9月 紙本着色 2曲一隻 田中一村記念館蔵

千葉時代は長い模索期でした。
屋敷の障壁画一式を任されるような大きな仕事もあり、
昭和30年(1955)、47歳の頃、依頼された「やわらぎの郷」聖徳太子殿の天井画を、石川県の現地に滞在もして制作し完成させました。この時期、九州から四国、南紀を廻る旅の機会を得ます。
20241104
《薬草図天井画》昭和30年(1955) シナベニア地に着色 石川県・やわらぎの郷聖徳太子殿蔵

しかしその前後の40代も半ばをすぎてからの日展や院展への出品はすべて落選し失意のときが続きます。
50歳になった一村は、ついに昭和33年12月、当時日本最南端の奄美大島の新天地へと向かうことになりました。


第3章 己の道 奄美へ
昭和33年単身奄美大島の名瀬市に移ります。
しかし金銭的にも行き詰まったか、昭和35年(1960)には千葉へ帰ります。

自らの覚悟の甘さを認識することになった一村は、昭和36年(1961)、不退転の決意で再び奄美へ戻ると、紬工場で染色工として働いて制作費を蓄えたら絵画に専念するという計画を立てて、実践することになりました。
20241107
《榕樹に虎みゝづく》昭和48年(1973)以前 絹本墨画着色 田中一村記念美術館蔵

20241111
《不喰芋と蘇鐵》昭和48年(1973)以前 絹本着色 個人蔵

20241113
《奄美の海に蘇鐵とアダン》昭和36年(1961)1月 絹本墨画着色 田中一村記念美術館蔵

 

| | コメント (0)

2024.11.07

10月花散歩 2024

季節の進み具合が遅れて、
紅葉まつりが始まった公園の樹々は色づかず。
ダリア園の花々は、10月下旬に満開になりました。

青空が楽しみな11月、美しい紅葉とのコントラストを観ることができるでしょうか?

10月にスマホで撮った写真をまとめてみました。


| | コメント (2)

2024.11.02

没後300年記念 英一蝶―風流才子、浮き世を写す―

Img_7234

没後300年記念 英一蝶
―風流才子、浮き世を写す―

会期 2024年9月18日(水)~11月10日(日)

サントリー美術館

202411
重文 布晒舞図 英一蝶 一幅 江戸時代 17~18世紀 遠山記念館 (展示期間10月16日~11月10日)

202412
雨宿り図屏風(部分)

202413

202414
(画像はクリックで拡大表示になります)

風流才子、英一蝶(1652~1724)の人生は波乱万丈、いくつもの顔がありました。

展覧会の構成です。
第1章 多賀朝湖時代
第2章 島一蝶時代
第3章 英一蝶時代


狩野探幽の弟・安信のもとで教育を受けますが、次第に狩野派の枠を飛び出し、市井の人々を活写した独自の風俗画を生み出し、広く愛され、英派と呼ばれる一派が形成されます。
また、俳諧師暁雲を名乗り、松尾芭蕉に学び、俳諧師の宝井其角らと生涯親しく交流しました。

202424_20241102095201
雑画帖のうち「睡猫図」 英一蝶 一帖のうち一面 江戸時代 17世紀 大倉集古館
場面替あり (本場面の展示期間:9/18~10/14)
山水、人物、花鳥、獣、戯画、風俗画など多様な画題を扱った全36画からなる画帖。署名や印章は配流前のもので初期の一蝶の画域を示す代表作。(キャプションから)

202426
投扇図 英一蝶 一幅 江戸時代 17世紀 板橋区立美術館 (展示期間:9/18~10/14)
鳥居の下の男が大きく反り返りながら指をさし喜んでいる。それもそのはず、中央の男が投げた扇が鳥居の間を見事にすり抜けるところだ。(キャプションから)


49歳絶頂期の一蝶は三宅島へ流罪になります。
流罪の一番有力な説は、江戸吉原に出入りし幇間として大名などと交流していた一蝶が、綱吉の生母・桂昌院の縁者を遊所に誘い、遊女を身請けさせたという理由などで、幕府から目を付けられていたというものです。
島流しに会いながら足掛け12年の歳月を腕一本で生き延び、将軍代替わりの恩赦で江戸に返り咲いた不屈の流人。
島で描かれた作品は<島一蝶>と呼ばれ高く評価されています。

202423
神馬図額 一面 元禄12年(1699頃) 東京稲根神社
伝統的な図様を踏襲した神馬図で、狩野派の粉本を参考にしたと考えられる。
御蔵島の稲根神社に伝わった。(キャプションから)

202422_20241102102101
吉原風俗図巻(部分) 英一蝶 一巻 元禄16年(1703)頃
サントリー美術館 通期展示(場面替あり)(本場面の展示期間:10/16~11/10)


江戸再帰後は、「多賀朝湖」などと名乗っていた画名を「英一蝶」と改め、仏画、狩野派の画法を順守した花鳥画や風景画、物語絵や故事人物画などが増えていきます。
一方で、風俗画の依頼は絶えなかったようで、都市や農村に生きる人々の営みに、一蝶ならではの諧謔味を加えた大作も複数残されています。

20240902_2024102918180120240901_20241029181801
舞楽図・唐獅子図屏風のうち舞楽図 英一蝶 六曲一双 メトロ美術館蔵
表面に舞楽、裏面に唐獅子を描いた両面屏風、小画面の多い一蝶作例のなかで、珍しい大作。 

202421
雨宿り図屏風 英一蝶 六曲一隻 江戸時代18世紀 東京国立博物館 展示期間(9/18~10/14)
雨宿りは一蝶にとって特別な主題だったようで、晩年の大作が2点残る。本作はその1点。門の下に集う人々は、年齢も職業もばらばら。本来であれば関わることのなかった老若男女だが、にわか雨という自然の力によって、同じ空間に身を寄せ合う。その不思議な一体感を一蝶は見事に活写する。(キャプションから)

202427
釈迦十六善神図 英一蝶 一幅 江戸時代 18世紀 個人蔵 (展示期間:9/18~10/14)
近年発見された新出の仏画、釈迦・文殊・普賢の三尊を金泥で表し、肉身を朱線で描き起こす。勤直で繊細な描線と極彩色の精緻な描写は一蝶の確かな技量を伝える。右下の署名「北窓一蝶敬院圓」は江戸帰還後の作例であることを示し、風俗画廃業を宣言した最晩年の画風をうかがわせる。(キャプションから)

一蝶は享保9年(1724)、73歳でこの世を去りました。

辞世の句
「まぎらはす 浮き世の業の色どりも 有りとや月の薄墨の空」

| | コメント (0)

« 2024年10月 | トップページ | 2024年12月 »