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2024.06.08

画鬼 河鍋暁斎×鬼才 松浦武四郎 「地獄極楽めぐり図」からリアル武四郎涅槃図まで

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静嘉堂文庫竣工100年 ・ 特別展
画鬼 河鍋暁斎×鬼才 松浦武四郎
「地獄極楽めぐり図」からリアル武四郎涅槃図まで

会期 2024年4月13日(土)~6月9日(日)

静嘉堂文庫美術館

武四郎が暁斎に初めて挿絵を依頼したのは明治五年『西蝦夷日誌』だった。暁斎は湯島に、武四郎は馬場崎門近くの岩倉邸長屋明治六年からは神田五軒町と近所に住んでいました。

お釈迦様になりきり、好物に囲まれシアワセなお昼寝
武四郎が自邸で昼寝をする自身の姿を釈迦入滅の情景に見立て、暁斎に描かせた一幅。

重文 武四郎涅槃囪
河鍋暁斎 明治19年(1886)松浦武四郎記念館
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お釈迦様になりきり、好物に囲まれシアワセなお昼寝
武四郎が自邸で昼寝をする自身の姿を釈迦入滅の情景に見立て、暁斎に描かせた一幅。愛用の丹前を着て、右を下に眠る武四郎の顔は実に穏やかだ。胸に自慢の大首飾り、腰に愛用の「火用心」煙草入。足をさすり泣き伏すのは黒付姿の妻・とう。満月に沙羅双ならぬ常緑の赤松が映え、天上から駆け付ける仏母・摩耶夫人一行ならぬ、古画から飛び出した遊女たち。武四郎の周囲の愛玩品は皆、悲壮な面持ちだ。武四郎と暁斎ならではの作。(キャプションから)

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大首飾り
縄文時代~近代 (公財)静嘉堂
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勾玉・管玉二四三個繋げて背丈ほどの首飾り
「蔵品目録」にも「勾玉首掛一連」と記され、65~67歳頃撮影した唯一の肖像写真にも、「武四郎涅槃図」でも身に着けている自慢の大首飾り。総数243点の玉を絹糸で繋げて一連としている。形態は、勾玉あり、管玉あり、材質も、硬玉、碧玉、瑪瑙、水晶、滑石、ガラスと多岐にわたり、それらを美しくつなげている。本品は「馬角」と墨書された、玉類の収納箱に入っていた。「馬角」は武四郎の号「馬角斎」のことで「ありえないこと」の意。(キャプションから)

伊勢撮革紙の袋に玉付けて「火用心」刻煙草入
重文 火之用心袋
巌谷一六 明治期(19C)松浦武四郎記念館
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展覧会の構成です。
第一章 暁斎と武四郎ーー『撥雲余興』まで
第二章 暁斎と武四郎ーー天神信仰と祈りの造形
第三章 暁斎✖武四郎=「武四郎涅槃図」
第四章 好古趣味の系譜ーー静嘉堂文庫と千歳文庫

―HPの解説ー
絵師・河鍋暁斎(1831~89)と、探検家で好古家、著述家、北海道の名付け親である松浦武四郎(1818~88)は、幕末から明治期を生きたマルチタレントです。二人の交流は明治の初め頃からあり、武四郎は愛玩品を集めた書物『撥雲余興(はつうんよきょう)』(当館蔵)等の挿絵を暁斎らに依頼しています。住いも近く、共に天神を信仰し、情に篤い二人の記念碑的作品は何と言っても「武四郎涅槃図」です。本展では、「武四郎涅槃図」とそこに描かれた、「大首飾り」(当館所蔵)をはじめとした武四郎愛玩の品々(武四郎記念館所蔵品と当館所蔵品)を同じ空間で展示し、「武四郎涅槃図」を立体的に再現します。さらに、武四郎の親友・川喜田石水(1822~79/川喜田家第14代)と実業家で陶芸も能くした川喜田半泥子(1878~1963/川喜田家第16代)、岩﨑小彌太(1879~1945/三菱第四代社長・静嘉堂初代理事長)との縁を紹介します。
幕末明治の多才な二人と、彼らを支えた人々の、古物(文化財)への情熱に思いを馳せる機会となれば幸いです。

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