第8回横浜トリエンナーレ「野草:いま、ここで⽣きてる」
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第8回横浜トリエンナーレ「野草:いま、ここで⽣きてる」
会期 2024年3月15日(金)~ 2024年6月9日(日)
横浜美術館、旧第一銀行横浜支店、BankART KAIKO、
クイーンズスクエア横浜、元町・中華街駅連絡通路
【横浜美術館】
いま、ここで生きてる
展覧会の冒頭を飾るこの大きなスペースは、どこかキャンプを思わせます。自然に囲まれた楽しい キャンプ場のようにも、また人びとが身を寄せ合う難民キャンプのようにも見えます。
災害や戦争に巻き込まれ、避難し、逃亡し、さまよう――こうした「非常事態」は、わたしたちの日常のすぐそばにあります。実際、無数の人びとが難民キャンプをはじめとする厳しい環境のもとで暮らしています。ふだん意識せず何気なく日々を送るわたしたちにも、予期せぬ異常な事態がいつ訪れるかわかりません。
この章でご紹介するアーティストたちの作品は、こうした危機を象徴的に表しています。これらはわたしたちに、いつか来る非常事態を想像するための手がかりを与えてくれます。しかしまた、生の安全がおびやかされ、「生き延びたい」と願うこんなときこそ、わたしたちの創造の力が刺激され、生きることの可能性が大きく開かれるのかもしれません。
中央のテーブルには「日々を生きるための手引集」が置かれています。アーティスト、思想家、 社会活動家などがいまの時代や歴史、生について書いた、2000年代以降の文章を集めたもの です。そこには、傍観せずにまずは実践しようという呼びかけがあります。
(展示会場の解説パネルから)
ギャラリー1
鏡との会話
魯迅の詩集『野草』の中に不思議な一節があります。
なつめ 「わが裏庭から、塀の外の二本の木が見える。一本の木は棗の木である。もう一本も棗の木で ある。」★
魯迅はなぜ「二本の棗の木がある」とはせずこんな書き方をしたのでしょう。同じ種類の木なのにふたつある。ひとつのものがふたつに分離して向かい合っているようだ。そんなことを考えたの でしょうか。
作品とはアーティストの精神的な自画像です。それはアーティストの姿を鏡のように映し出しま す。しかし同時に、ひとたび制作されると、作品は独立した存在としてアーティストの前に立ち現 れます。
あるアーティストは歴史に入り込み、別のアーティストは自らを機械に変容させます。こうした行 為を通して、アーティストたちは、自分の魂を見つめ、自身を知るための秘密の通路を探り出します。そのために用いられるのは、観察、スケッチ、誇張、想像、類推、置き換え、象徴化といっ た手法です。こうして、自分で創造した「自己」たる作品が同時に見知らぬ「他者」でもある、とい う分裂した状況が生まれます。
鏡に映った自分の姿と対話すること。これは、自分を深く知り、同時にまだ見ぬ新しい自分を想像することでもあるのです。
★魯迅(竹内好訳)『野草』、岩波文庫、1980年
(展示会場の解説パネルから)
ギャラリー2、5
わたしの解放
この章はギャラリー2とギャラリー5の2室による2部構成です。タイトルは、日本のアーティスト、富山妙子の自伝的エッセイ『わたしの解放辺境と底辺の旅』(1972年刊)に由来します。
ギャラリー2では、ウィーン在佳のアーティスト、丹羽良徳によるビデオ・インスタレーションと、台湾の台南を拠点とするグループ、你影視社(ユア・ブラザーズ・フィルムメイキング・グループ)の新作<宿舎>(2023年/2024年)をご紹介します。
丹羽の作品は、資本主義の論理を大げさに強調し、あるいはあいまいにぼかして、その本質を暴とうとします。丹羽の作品に向き合うことで、わたしたちは、自分も市場経済をまわすしくみにうまく組み込まれていることに気づきます。個人と国家の関係もまた、国の秩序と利益を守るととを前提に結ばれています。わたしたちは、ここからどのように自分を解放することができるでしょうか。
你哥影視社の作品は、2018年、台湾の新北市にある寮で、100人以上のベトナム人女性労働者がストライキを起こし、その様子がインターネットを通じて世界中に拡散された、という出来事に想を得ています。作品は、たくさんのワークショップやさまざまな職業の人びととのコラボレーションによりつくられました。
(展示会場の解説パネルから)
ギャラリー3、4
密林の火
この章では、いま現在の姿を映し出すものとして過去の歴史をとらえます。そして、まるで火打石 を打ちつけたときのように激しく火花が飛び散った歴史上の瞬間を現在によみがえらせます。
飛び散る火や火花とは、紛争や対立、衝突や事件のたとえです。この部屋には、そのような歴史的な出来事をふり返る作品と、こんにちの課題に向き合う作品を一緒に並べてあります。する と、過去と現在が混じり合って時代の違いが消え失せます。代わって、人びとの苦しみとそれに 立ち向かう行為とが、生きることの本質として浮かび上がってきます。
この章の作品は、もちろんそれぞれに異なるアーティストが創造したものです。しかしそれらは また、アーティストたちが人類に共通する視点をもって現実に反応した結果、生み出されたものでもあります。だからこそこれらの作品は、個々のアーティストが生きた時間と空間を飛び超えて、 今を生きるわたしたちのうちに共感と共鳴を呼び起こします。
(展示会場の解説パネルから)
ギャラリー6
流れと岩
「流れと岩」の章では、進む力とはばむ力がぶつかるところに生命力がほとばしるさまをご紹介し ます。
小川とは生命の絶え間ない活力であり、湧き上がる潜在的なエネルギーのようなもの。一方、 岩とは困難、停滞であり、頑固に立ちはだかる問題のようなもの。流れは岩にぶつかることで行く手をはばまれ、同時にそこでエネルギーを生み出します。
前進を続ければ、岩はやがてなめらかに削られ、流れはまた次の岩にぶつかるでしょう。中断や行き詰まりは、意味の連続性を断ち切ることもあれば、新たな意味を生み出すこともあります。 危機と回復はいつもとなり合わせ。この意味で「流れと岩」は、ごくふつうの人生のありようを描き 出しているとも言えます。
この章では、強い生命力のしるしとして、無邪気さ、若さ、気ままさ、高揚感、爆発、欲望、 穏やかさ、平凡さ、忍耐力などに注目します。そして、それらの要素が歴史的な、また現代の問題に力を及ぼすさまを考察します。決して枯れることのない若さは、困難に立ち向かう意志を生む源泉なのです。
(展示会場の解説パネルから)
ギャラリー7
苦悶の象徴
この章では100年ほど時をさかのぼります。タイトルは1900-1920年代に活動した日本の文筆家、 厨川白村の著作『苦悶の象徴」 (1924年刊)から採りました。1924年、魯迅は詩集「野草」を執筆 しながら、同時に白村のこの本を翻訳しました。この中で白村は次のように述べています。
「文芸は純然たる生命の表現だ。外界の抑圧強制から全く離れて、絶対自由の心境に立って個性を表現しうる唯一の世界である。」★
しかし続けて白村は、この自由な創造は何の制限もないところからではなく、前進する力と抑えつける力がぶつかるところからこそ生まれ出る、と語ります。この意味で芸術とは、まさに「抑圧強制」と戦って生じる「苦悶の表現」なのです。思えばふたつの力のぶつかりあいは、芸術の創造 に限らず、わたしたちが未来を切り開く力を生み出すための普遍的な条件なのかも知れません。
魯迅は1902年に日本に留学し、その後医学の道を捨てて文筆家になりました。帰国後、母国 の人々に近代的な考えを広めるため、版画を用いた活動を展開しました。魯迅の版画コレクショ ンには、ドイツの社会主義運動と共に歩んだ版画家、ケーテ・コルヴィッツの作品も含まれていま した。
★厨川白村『苦悶の象徴』1924年、改造社
(展示会場の解説パネルから)
【旧第一銀行横浜支店】
【BankART KAIKO】
すべての河
旧第一銀行横浜支店とBankART KAIKOの二会場にまたがるこの章のタイトルは、イスラエルの作家、ドリット・ラビニャンの小説『すべての河』 (2014年刊)から採られています。イスラエルとパレスチナから来た二人の恋物語は、公的な出来事がいかに個人の人生を翻弄するかをわたしたちに教えてくれます。
旧第一銀行でご紹介するのは、この20年ほどの間に東アジアで活発化した、カフェや古着屋、 低料金の宿泊所、印刷所やラジオ局を運営する人々の動きです。彼らは「自治」「助け合い」「反消費」といった理念を掲げ、資本主義の論理や支配的な社会秩序の及ばないスペースをつくって、日々の暮らしの中に社会を変えるきっかけをもたらそうとしています。また街頭に出て活動し、人と人とを結びつけ、新たなコミュニティを創造しようとします。
あわせて、道をはさんで向かいのBankART KAIKOでは、東西冷戦が終結した1990年代以降、世界が経済優先、弱者切り捨ての方向に進む中で、それに対抗しようとする人々の動きをご紹介します。
これらの実践はわたしたちに、想像力を通じて互いにつながり、革命が起こるのをただ待つのではなく、自ら日常のうちに革命的な行動を持ち込もうと呼びかけます。
(展示会場の解説パネルから)
展示風景です。
セット券プログラム
BankART Life7「UrbanNesting:再び都市に棲む」
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黄金町バザール2024 —世界のすべてがアートでできているわけではない
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