« 令和6年春の特別展「夢みる光源氏―公文書館で平安文学ナナメ読み!―」 | トップページ | 庭園美術館開館40周年記念 旧朝香宮邸を読み解く A to Z »

2024.04.19

没後50年 木村伊兵衛 写真に生きる

Img_20240419_0001 Img_20240419_0002

没後50年 木村伊兵衛写真に生きる

会期 2025年3月16日(土)~5月12日(日)

東京写真美術館

1936年の沖縄。
戦前戦後に活躍した画家、作家、俳優。
戦前戦後の列島風景。
戦後間もないヨーロッパ、パリ。
1952-1963年の秋田の民族。

木村伊兵衛流歴史のドキュメントです。

”私が撮り続けてきたのは、人びとの生活や顔である。何かを語ってくれそうな写真を感情の現れた写真を撮り続けてきた”

展覧会の構成は次の通りです。
第1章 夢の島ー沖縄
1935(昭和10)年に東京で開催された日本各地の民族舞踊大会で琉球舞踊を初めて観た木村は、つよい感銘を受けて連日会場に通い撮影した。沖縄が夢のような島という印象を舞踊から受け、矢も楯もたまらない想いにかられ、翌年4日間の船旅で渡航した。ライカ2台、交換レンズ5本、照明機器の大荷物を背負っての旅だった。この一連の作品が、木村が初めて世に出るきっかけともなった。(展示パネル解説から)
20240406_20240419092301
那覇の市場、本通り、沖縄、1936年


第2章 肖像と舞台
木村の最初の個展「ライカによる文芸家肖像写真展」は日本工房の主催で1933(昭和8)年に東京銀座の紀伊国屋ギャラリーで開催された。従来の大型カメラで正面からきっちり捉える肖像写真ではなく、小型カメラで被写体の性格や感情の動きを捉えたものが高く評価された「ライカ使いの名手」としての名声の出発点。また被写人物の日常生活を自然さを尊重して撮影をする姿勢の原点ともなった。(展示パネル解説から)

第3章 昭和の列島風景
東京下町に生まれ育った木村は、戦中戦後を通じ一環として都市の日常風景をスナップショットで描きとり「街角」を記録し続けた。
戦争が終わり、戦後の混乱の中で、自らの写真表現の方向性を模索する。たまたまアンリ・カルティエ=ブレッソンの作品を見て強い衝撃を受け、あらためて報道写真こそ自分の写真の道であるという覚悟を新たにした。(展示解説パネルから)20240404_20240419092501
本郷森川町、東京、1953年

第4章 ヨーロッパの旅
木村が写真への心構えを新たにする契機ともなった一連の旅。

第5章 中国の旅
木村は戦前と戦後それぞれ数回ずつ中国の旅をしている。
私が訪中のたびごとに、変わることなく生活を主とした写真を撮り続けてきたのも、そうした姿や表情をそのときそのときの時点のものとして伝えたかったからである。(展示パネル解説から)
20240407_20240419092501
王府井の酒場にて、北京、中国、1973年

第6章 秋田の民族
1952年、秋田県総合美術展覧会で写真部門の審査のために秋田を訪れた木村を秋田在住のアマチュア写真家たちが審査後県内の農村へと案内した。
木村は、日本社会の縮図があると直感した。農民の姿を捉えたい、そこにこそ自分の探し求めたテーマがあると確信した。それから1971年までの20年間、秋田に21回通い続けて319本のフィルムに収めた。(展示解説パネルから)
20240405_20240419092801
秋田おばこ、大曲、秋田、1953年

20240401_20240419092701
板塀、追分、秋田、1953年

第7章 パリ残像
1954年9月、木村は羽田空港を出発してヨーロッパへの初旅にでた。ギリシャ、イタリア、ドイツなどを回ってパリに入るが・・・
アンリ・カルティエ=ブレッソンと一夜写真について語り合い、ロベール・ドアノーに同行して下町の人びとの人情にふれたことも自身の写真の道を再認識することになった。ニコンとライカM3を使って「富士カラーフィルム(感度ASA10相当)を用い、生きた街―パリの表情を捉えようとした。(展示解説パネルから)
20240402_20240419092401
ミラボー橋、パリ、フランス、1955年 


ーHPの解説ー
本展は日本の写真史に大きな足跡を残した写真家・木村伊兵衛(1901-1974)の没後50年展として、その仕事を回顧するものです。1920年代に実用化が始まったばかりの小型カメラに写真表現の可能性をいち早く見出し、それを駆使した文芸諸家のポートレート、あるいは東京下町の日常の場面を素早く切り取るスナップショットで名声を確立しました。1933年に開催された「ライカによる文芸家肖像写真展」では、従来の型にはまった肖像写真ではなく、被写体の一瞬の表情の変化を捉える独自のスタイルを確立し、また1936年には初めて沖縄を訪れて生活感にあふれた日常を記録するなど、“ライカの名手”としての名を早くに馳せました。

木村伊兵衛はまた、広告宣伝写真や歌舞伎などの舞台写真、カラーフィルムによる滞欧作品、秋田の農村をテーマにするシリーズなど、実にさまざまな被写体を捉えた数多くの傑作を残しました。その卓越したカメラ・ワーク、そして写真機材や感光材料への深い理解などは、旺盛な好奇心と豊かな体験に裏付けられています。印刷メディアを媒体として人間の営みのイメージを伝えるという写真の社会的な機能を自覚して、自らを「報道写真家」と位置づけました。その独特な眼差しにこだわった写真表現は、きわめてユニークなもので、見るものの記憶の中にいつまでも生き続けます。

没後50年に合わせ、本展では最近発見されたニコンサロンでの 木村伊兵衛生前最後の個展「中国の旅」(1972-1973)の展示プリントを特別公開します。

|

« 令和6年春の特別展「夢みる光源氏―公文書館で平安文学ナナメ読み!―」 | トップページ | 庭園美術館開館40周年記念 旧朝香宮邸を読み解く A to Z »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 令和6年春の特別展「夢みる光源氏―公文書館で平安文学ナナメ読み!―」 | トップページ | 庭園美術館開館40周年記念 旧朝香宮邸を読み解く A to Z »