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2024.04.29

企画展 ライトアップ木島櫻谷 ― 四季連作大屏風と沁みる「生写し」

企画展 ライトアップ木島櫻谷
― 四季連作大屏風と沁みる「生写し」

会期 2024年3月16日(土)~2024年5月12日(日)

泉屋博古館東京


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(画像はクリックで拡大表示になります)


木島櫻谷作品展示と、
江戸時代中期(18世紀)京都で生まれた円山四条派の代表的な画家たちによる花鳥画表現を併せて紹介することで、櫻谷の「生写し」表現の特質をライトアップします。


展覧会の構成は次の通りです。
第1章 四季連作屏風のパノラマ空間へ、ようこそ。
木島櫻谷が描いた四季連作の金地大屏風が全面居並ぶ空間をまずはご用意しましたので心行くまでご堪能ください。
四双の金屏風は、大正中期に大阪茶臼山に建築された住友家本邸のため、大正4年頃から2年をかけた制作されたものです。
本紙だけでもすべて180cm、幅720cmをこえるサイズは、書院大座敷にあわせてかなろ大振りです。琳派が流行した大正期、これらの屏風は制作中から「光琳風」との評判もたち、古典をこよなく愛した15代住友吉左衛門(春翠)の審美眼にかなうものでした。(展示会場の解説から)
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木島櫻谷《燕子花図》大正6年(1917)泉屋博古館東京 
(この作品のみ撮影可です)


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第2章 「写生派」先人絵師たちと櫻谷
円山派は筆数を増やすことで細密な描写をめざす「加筆系」、一方諧謔味を含んだ四条派は筆数を減らす「減筆系」の傾向があります。時代が下ると、それらが融合した作風も現れますので、一括りに円山四条派という呼び名も通りがよかったのでしょう。
ここでは円山四条派の写生に基ずく親和的表現に特色がある動物画に焦点を当て、先人画家たちによる動物表現と比較しながら櫻谷の動物画をライトアップします。さて、櫻谷の筆は加筆系、減筆系?(展示会場の解説から)

第3章 櫻谷の動物たち、どこかヒューマンな。
絵の中の動物たちは櫻谷の筆を通して息を吹き返し、生き生きとした豊かな表情が観る者の心に沁みます。ここでは動物表現に託した櫻谷のヒューマニズムが生んだ作品を紹介します。
櫻谷は「技巧派」とか、「最後の四条派」などと称されましたが、櫻谷の真骨頂は、それに収まらない斬新なものでした。


【第4展示室】同時開催企画:住友財団助成による文化財修復成果-文化財よ、永遠に


―HPの解説ー
大正中期に大阪天王寺の茶臼山に建築された住友家本邸を飾るために描かれた木島櫻谷の「四季連作屏風」を全点公開します。

大正期の櫻谷は、独特な色感の絵具を用い、顔料を厚く盛り上げ、筆跡を立体的に残し油彩画のような筆触に挑戦しています。そのために櫻谷は、「技巧派」などと称されましたが、櫻谷の真骨頂は、それに収まらない極めて近代的なものでした。リアルな人間的な感情を溶かし込んだ動物たちは絵の中で生き生きと輝きはじめ、とりわけ動物が折節にみせる豊かな表情は、観る者の心に沁みます。
江戸時代中期(18世紀)京都で生まれた円山四条派の代表的な画家たちによる花鳥画表現を併せて紹介することで、櫻谷の「生写し」表現の特質をライトアップします。


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2024.04.24

庭園美術館開館40周年記念 旧朝香宮邸を読み解く A to Z

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開館40周年記念 旧朝香宮邸を読み解く A to Z

会期 2024年2月17日(土)~5月12日(日)

東京都庭園美術館


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展覧会のタイトルにある A to Z
旧朝香宮邸のそれぞれの部屋に、キーワードとその解説が書かれたカードが配置されています。
カードに記された解説を読みながら往時に思いを馳せるという体験展の様相です。

庭園美術館では、度々旧朝香宮邸に関する企画展が開催されていますが、今回の企画は出色に思えました。

新館の展示室にAからZのカード全てが展示されています。
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カードB 水のせせらぎ
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小客室
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カードE 食べられそうな
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大食堂
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カードF フランスと日本
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小食堂
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カードI 噴水に憩う
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殿下居間
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カードZ 美学を纏う
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妃殿下居間
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―HPの解説ー
この館(やかた)に込められたキーワードを拾い集め、解き明かす—
旧朝香宮邸—。1933年(昭和8)に竣工したこの建物は、皇族・朝香宮家の邸宅として、または外務大臣・首相の公邸や迎賓館として、時代とともに役割を変えて様々な顔を見せながらも今日たくさんの方々をお迎えしています。 建設当初の姿を留めた旧朝香宮邸は、現在では特別で豊かな時間をお楽しみいただける美術館という一面のみならず、国指定の重要文化財という特性も兼ね備え、活用と保存の両輪を成した存在と言えます。

開館40周年を記念して開催する本展は、改めて旧朝香宮邸をじっくりと読み解く趣旨の展覧会です。これまで培った調査や研究をもとに、建築技法、建設に携わった人々、室内意匠や素材、各時代にまつわるエピソード等、アルファベットのAからZを頭文字に持つキーワードをピックアップして解説し、新たな見どころや魅力を来館者に発見していただきたいと思います。

今回、可能な限り建築空間との対話ひとつひとつを大切に考えていきます。今までに来館されたことがある方も、まだ見たことがない!という方も、この機会にぜひご来館いただき、建築そのものを存分にご堪能ください。そして当館の活動へのご理解を深めていただけるきっかけになれたら嬉しく思います。

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2024.04.19

没後50年 木村伊兵衛 写真に生きる

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没後50年 木村伊兵衛写真に生きる

会期 2025年3月16日(土)~5月12日(日)

東京写真美術館

1936年の沖縄。
戦前戦後に活躍した画家、作家、俳優。
戦前戦後の列島風景。
戦後間もないヨーロッパ、パリ。
1952-1963年の秋田の民族。

木村伊兵衛流歴史のドキュメントです。

”私が撮り続けてきたのは、人びとの生活や顔である。何かを語ってくれそうな写真を感情の現れた写真を撮り続けてきた”

展覧会の構成は次の通りです。
第1章 夢の島ー沖縄
1935(昭和10)年に東京で開催された日本各地の民族舞踊大会で琉球舞踊を初めて観た木村は、つよい感銘を受けて連日会場に通い撮影した。沖縄が夢のような島という印象を舞踊から受け、矢も楯もたまらない想いにかられ、翌年4日間の船旅で渡航した。ライカ2台、交換レンズ5本、照明機器の大荷物を背負っての旅だった。この一連の作品が、木村が初めて世に出るきっかけともなった。(展示パネル解説から)
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那覇の市場、本通り、沖縄、1936年


第2章 肖像と舞台
木村の最初の個展「ライカによる文芸家肖像写真展」は日本工房の主催で1933(昭和8)年に東京銀座の紀伊国屋ギャラリーで開催された。従来の大型カメラで正面からきっちり捉える肖像写真ではなく、小型カメラで被写体の性格や感情の動きを捉えたものが高く評価された「ライカ使いの名手」としての名声の出発点。また被写人物の日常生活を自然さを尊重して撮影をする姿勢の原点ともなった。(展示パネル解説から)

第3章 昭和の列島風景
東京下町に生まれ育った木村は、戦中戦後を通じ一環として都市の日常風景をスナップショットで描きとり「街角」を記録し続けた。
戦争が終わり、戦後の混乱の中で、自らの写真表現の方向性を模索する。たまたまアンリ・カルティエ=ブレッソンの作品を見て強い衝撃を受け、あらためて報道写真こそ自分の写真の道であるという覚悟を新たにした。(展示解説パネルから)20240404_20240419092501
本郷森川町、東京、1953年

第4章 ヨーロッパの旅
木村が写真への心構えを新たにする契機ともなった一連の旅。

第5章 中国の旅
木村は戦前と戦後それぞれ数回ずつ中国の旅をしている。
私が訪中のたびごとに、変わることなく生活を主とした写真を撮り続けてきたのも、そうした姿や表情をそのときそのときの時点のものとして伝えたかったからである。(展示パネル解説から)
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王府井の酒場にて、北京、中国、1973年

第6章 秋田の民族
1952年、秋田県総合美術展覧会で写真部門の審査のために秋田を訪れた木村を秋田在住のアマチュア写真家たちが審査後県内の農村へと案内した。
木村は、日本社会の縮図があると直感した。農民の姿を捉えたい、そこにこそ自分の探し求めたテーマがあると確信した。それから1971年までの20年間、秋田に21回通い続けて319本のフィルムに収めた。(展示解説パネルから)
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秋田おばこ、大曲、秋田、1953年

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板塀、追分、秋田、1953年

第7章 パリ残像
1954年9月、木村は羽田空港を出発してヨーロッパへの初旅にでた。ギリシャ、イタリア、ドイツなどを回ってパリに入るが・・・
アンリ・カルティエ=ブレッソンと一夜写真について語り合い、ロベール・ドアノーに同行して下町の人びとの人情にふれたことも自身の写真の道を再認識することになった。ニコンとライカM3を使って「富士カラーフィルム(感度ASA10相当)を用い、生きた街―パリの表情を捉えようとした。(展示解説パネルから)
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ミラボー橋、パリ、フランス、1955年 


ーHPの解説ー
本展は日本の写真史に大きな足跡を残した写真家・木村伊兵衛(1901-1974)の没後50年展として、その仕事を回顧するものです。1920年代に実用化が始まったばかりの小型カメラに写真表現の可能性をいち早く見出し、それを駆使した文芸諸家のポートレート、あるいは東京下町の日常の場面を素早く切り取るスナップショットで名声を確立しました。1933年に開催された「ライカによる文芸家肖像写真展」では、従来の型にはまった肖像写真ではなく、被写体の一瞬の表情の変化を捉える独自のスタイルを確立し、また1936年には初めて沖縄を訪れて生活感にあふれた日常を記録するなど、“ライカの名手”としての名を早くに馳せました。

木村伊兵衛はまた、広告宣伝写真や歌舞伎などの舞台写真、カラーフィルムによる滞欧作品、秋田の農村をテーマにするシリーズなど、実にさまざまな被写体を捉えた数多くの傑作を残しました。その卓越したカメラ・ワーク、そして写真機材や感光材料への深い理解などは、旺盛な好奇心と豊かな体験に裏付けられています。印刷メディアを媒体として人間の営みのイメージを伝えるという写真の社会的な機能を自覚して、自らを「報道写真家」と位置づけました。その独特な眼差しにこだわった写真表現は、きわめてユニークなもので、見るものの記憶の中にいつまでも生き続けます。

没後50年に合わせ、本展では最近発見されたニコンサロンでの 木村伊兵衛生前最後の個展「中国の旅」(1972-1973)の展示プリントを特別公開します。

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2024.04.14

令和6年春の特別展「夢みる光源氏―公文書館で平安文学ナナメ読み!―」

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令和6年春の特別展「夢みる光源氏―公文書館で平安文学ナナメ読み!―」 

会期 令和6年3月16日(土)〜5月12日(日) 

国立公文書館

令和6年春の特別展では「夢」をテーマに、『源氏物語)』やその注釈書を中心とした平安文学に関する資料を展示します。和歌や物語には、
「夢」が神仏のお告げであったり、亡き人からの伝言であったり、不思議な力を持つものとして描かれています。それは当時の信仰・文化の一つであり、これらを読むことによって平安貴族の精神世界に迫ることができます。(チラシの解説から)

展覧会の構成は次の通りです。
プロローグ
『源氏物語』はある日突然現れたわけではありません。まずは『源氏物語』へいたる道として、様々な平安文学に目を通していきましょう。
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古今和歌集一首撰【編者】大森盛顕(生没年未詳)【成立】嘉永5年(1852)
和歌を学ぶ童女向けに編集された歌書のひとつで、『古今和歌集』 から記名歌人の歌を130 首抄出して掲載したもの。編者は大森盛顕、 序文は在原正高、絵は佐藤玄賢。
展示資料は嘉永6年(1853) 版で昌平坂学問所旧蔵。
(キャプションから)

第Ⅰ章 和歌・漢詩に描かれた「夢」
Ⅰ 勅撰和歌集の「夢」
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古今和歌集【下命】延喜5年(905)【成立】延喜13年(913)頃【下命者】醍醐天皇(在位:897~930)
【編者】紀貫之(生没年未詳)・凡河内躬恒(生没年未詳)・紀友則(?~907)・壬生忠岑(生没年未詳)
第1番目の勅撰和歌集。20巻。約1100首を、四季や恋の展開に合わせて配列する。理知的で優美な歌風が特徴。王朝和歌の美的感覚を確立したもので、以降の勅撰集や『源氏物語』などに多大な影響を及 ぼした。
展示資料は正保4年(1647)版『二十一代集』のうち『古今和歌集 下』で、紅葉山文庫旧蔵。(キャプションから)

第Ⅱ章 物語と随筆に描かれた「夢」
Ⅰ 物語が描く「夢」
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伊勢物語【成立】平安時代前期【作者】未詳
和歌を中心に物語が展開する歌物語。六歌仙の一人である在原業平(825~880) をモデルとするある男の生涯を、初冠(男子が成人して初めて冠をつける儀式)から辞世の歌に至るまで約125の章段で描く。『古今和歌集』以前に存在した業平の物語を中心にして、やがて他の章段が付加され、『後撰和歌集』以降に現在の形になったと考えられている。
展示資料は江戸時代前期に書写されたと思われるもので、幕末の京都で朝廷の教育機関として設置された京都学習院旧蔵。(キャプションから)

Ⅱ 随筆が語る「夢」
「夢語り」と「夢合わせ」
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枕草子【 成立】長保2年(1000)頃【 作者】清少納言(生没年未詳)
約300段にわたる随筆。作者が仕えた藤原定子 (977~1001)の後宮生活や随想を著した。内容はおよそ3種類に分けられ、①同種類のものを「は・・・」「・・・もの」と列挙していく物尽くしの章段。②定子後宮の様子を描いた日記的な章段。③「春はあけぼの」などの随想的な章段。鋭い独自の着眼点が冴えており「をかし (趣がある)」の文学とも称される。
展示資料は慶長年間(1596~1615) に刊行された古活字版で、紅葉 山文庫旧蔵。(キャプションから)


第Ⅲ章 『源氏物語』の「夢」
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源氏物語 紅葉山文庫  夕顔

第Ⅳ章 「源氏物語』の研究の来た道
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源氏物語奧入【成立】天福元年(1233)以降 【編者】藤原定家(1162~1241)
『源氏釈』に続く『源氏物語』のごく初期の注釈書。奥書に定家出家後の署名があることから、定家が出家した天福元年以降の成立と考えられている。元は『源氏物語』写本の各巻の末尾に書き加えていた注記で、別冊としてまとめなおしたという。内容は『源氏釈』を引き継ぐものだが、独自の批判を加えている箇所も多い。 展示資料は写年不明で、和学講談所旧蔵。通称「内閣文庫本」。
(キャプションから)

第Ⅴ章 光源氏たちの「現実」
Ⅰ 歴史物語が描く政変
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大鏡【成立】未詳【作者】未詳 平安時代の歴史物語。大宅世継と夏山繁樹という二人の老翁が、 文徳天皇(在位:850~858) から後一条天皇(在位:1016~1036)までの14代約180年間を回想して物語る。聞き手の若侍が批判を加えながら、藤原道長の栄華を中心として平安時代を描く。展示資料は、慶長~元和(1596~1624)頃に刊行された古活字版で、 教部省旧藏。
(キャプションから)

Ⅱ 史書に見る疫病
Ⅲ 日記が語る災害
Ⅳ 日記が語る事件


挿絵で読む『源氏物語』
本コーナーでは承応三年(1654)再販の『源氏物語』(紅葉山文庫旧蔵)の挿絵と共に『源氏物語』のあらすじをご紹介します。  
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展示風景


展示資料一覧
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2024.04.09

第27回岡本太郎現代芸術賞(TARO賞)

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第27回岡本太郎現代芸術賞(TARO賞)

会期: 2024年2月17日(土)~2024年4月14日(日) 

岡本太郎美術館


ほぼ毎年観ている岡本太郎現代芸術賞展、
今年は621点の応募があり、22組の作家が入選を果たしました。


岡本太郎賞
つん《今日も「あなぐまち」で生きていく》
作品サイズ 450x400x250cm
素材 段ボール、ジェッソ、アクリル絵の具、アクリル板、レジン、色鉛筆、防水、水、木材、ボンド、プラ板、毛糸、折り紙、糸、コピー用紙、石塑粘土、ホッチキス、建築模型用パウダー、布、イレクターパイプ、メタルジョイント、モニター、澱粉、ワイヤー、フローラルテープ、ボタン 
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団地も草花もも、ほぼ全てのものが段ボールによ って表現されている作品。
団体で観に来ていた子供たちが、楽しそうに「小さな絵本を」読んで(見て)ました。
作家の言葉から、
幼少期から続けてきた、段ボールで出来た空想の町に住む住民たちは私の心を救い続けている。

岡本敏子賞
三角 瞳《This is a life. This is our life.》
作品サイズ 400×400×400cm
素材 ポリエステル
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作者の言葉から、
わたしたちは生まれながらに遺伝子に束ねられた存在である。普遍的で抗いようのないこれらを、布に絡みつく糸で表現する。これが人生。これがわたしたちの人生。

 

特別賞(10作品)は次の通りです。
池田 武史《Space-X》
長 雪恵《きょうこのごろ》
小山 恭史《無明》
クレメンタイン・ナット《POT-PLANTS》
月光社《MUSAKARI》
小山 久美子《三月、常陸國にて鮟鱇を食ふ》
ZENG HUIRU《BACK-TO-ME》
タツルハタヤマ《小鳥のさえずりを聞くとき、遠くで銃声が鳴り響いた》
フロリアン・ガデン《Anomalies-poétiques/詩的異常》
村上 力《學校》


本展は撮影可能です。
撮ってきた写真をまとめてみました。

 

同じ、生田緑地内のかわさき宙(そら)と緑の科学館
のプラネタリュームに寄り道してきました。
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2024.04.05

3月花散歩 2024

3月、
私の散歩道にも様々な花が咲き始め華やいできました。
散歩がてらスマホで撮影しました。

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2024.04.01

中平卓馬 火―氾濫

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中平卓馬 火―氾濫

会期 2024年2月6日(水)~4月7日(日)

国立近代美術館

日本の写真を変えた、伝説的写真家 約20年ぶりの大回顧展
日本の戦後写真における転換期となった1960 年代末から70 年代半ばにかけて、実作と理論の両面において大きな足跡を記した写真家である中平卓馬(1938-2015)、その初期から晩年まで約400 点の作品・資料から、今日もなお看過できない問いを投げかける、中平の写真をめぐる思考と実践の軌跡をたどる待望の展覧会です。(HPから)

本展で登場する固有名詞を思い出すと、時代背景が想像できるかもしれません。
雑誌・現代の目、アサヒグラフ、季刊シネマ、映画批評、アサヒジャーナル、アサヒカメラ、サンデー毎日。美術出版社、風土社。寺山修司、大山大道、篠山紀信、佐藤信(黒テント)など・・・

(画像はクリックで拡大表示になります)

展覧会の構成です。
第1章 来たるべき言葉のために
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寺山修司「町に戦場あり 親指無宿たち」 1966年 朝日新聞社 展示風景

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中平卓馬《夜》1969年頃      《夜》1969年頃  東京国立近代美術館


第2章 風景・都市・サーキュレーション
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中平卓馬《サーキュレーション―日付、場所、行為》1971年  東京国立近代美術館


第3章 植物図鑑・氾濫 
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中平卓馬《氾濫》1974年 東京国立近代美術館

 
第4章 島々・街路
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中平卓馬《「街路あるいはテロルの痕跡」【『現代詩手帖』掲載作の原稿プリント】》 1976 年 東京国立近代美術館


第5章 写真原点
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5章の展示風景

 

一部を除いて撮影可でした。
撮った写真をまとめてみました。

 

―HPの解説ー
日本の写真を変えた、伝説的写真家 約20年ぶりの大回顧展
日本の戦後写真における転換期となった1960 年代末から70 年代半ばにかけて、実作と理論の両面において大きな足跡を記した写真家である中平卓馬(1938-2015)。その存在は森山大道や篠山紀信ら同時代の写真家を大いに刺激し、またホンマタカシら後続の世代にも多大な影響を与えてきました。1960 年代末『PROVOKE』誌などに発表した「アレ・ブレ・ボケ」の強烈なイメージや、1973 年の評論集『なぜ、植物図鑑か』での自己批判と方向転換の宣言、そして1977 年の昏倒・記憶喪失とそこからの再起など、中平のキャリアは劇的なエピソードによって彩られています。しかしそれらは中平の存在感を際立たせる一方で、中平像を固定し、その仕事の詳細を見えにくくするものでもありました。
本展では、あらためて中平の仕事をていねいにたどり、その展開を再検証するとともに、特に、1975 年頃から試みられ、1977 年に病で中断を余儀なくされることとなった模索の時期の仕事に焦点を当て、再起後の仕事の位置づけについてもあらためて検討します。
2015 年に中平が死去して以降も、その仕事への関心は国内外で高まり続けてきました。本展は、初期から晩年まで約400 点の作品・資料から、今日もなお看過できない問いを投げかける、中平の写真をめぐる思考と実践の軌跡をたどる待望の展覧会です。

 

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