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2024.03.18

邨田丹陵-時代を描いた やまと絵師

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邨田丹陵-時代を描いた やまと絵師

【前期】1月13日(土)~2月18日(日)
【後期】2月24日(土)~3月31日(日)

たましん美術館

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地域ゆかりの絵師、邨田丹陵(1872~1940)の展覧会です。
丹陵は、中央画壇から距離を置き、東京府下の北多摩郡砂川村(現在の東京都立川市砂川町)で半生を過ごしました。

本展には、やまと絵の伝統を継承しつつ進化を極めた丹陵の作品、日本古来の史実をテーマにした歴史画が多く展示されています。


この作品を見て「この絵(大政奉還)を描いた画家なんだ」と思う方も多いのではないかと・・・
私自身、聖徳記念絵画館に行った際大いに印象に残った作品のひとつです。
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聖徳記念絵画館壁画下図「大政奉還」 邨田丹陵 1面 紙本着色 昭和9年(1934) 明治神宮 (前期展示)

展覧会の構成は次の通りです。
第1章 日本青年絵画協会の立ち上げと「丹陵時代」の到来
第2章 諸国遊歴と中央画壇からの引退
第3章 砂川村移住と大作《大政奉還》の制作

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孔子中庸ヲ説クノ図 邨田丹陵(画)・村田直景(賛) 1幅 絹本着色 明治25年(1892) 砂川家 (後期展示)
画面上部に丹陵の父直景が孔子一門の説話を蒐集した『孔子家語』の一節を記している。それによれば描かれているのは「宥座の器」と呼ばれる道具を前にして、儒学の祖孔子が中庸の大切さを弟子に説いている場面。ここに吊るされている器は、空の状態では傾き、水を入れすぐればひっくり返り、程よく水を注いだ時だけ、安定するのだという。(キャプションから)

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巴御前図 邨田丹陵 1幅 絹本着色 明治36年(1903) 個人蔵 (後期展示)
巴御前は『平家物語』に登場する木曽義仲に仕えた女武将である。丹陵は、甲冑をつける前の小袖と袴の姿で、弓に弦を張り戦いに向かわんとする様子を描いている。(キャプションから)


―HPの解説ー
旧田安徳川家に仕えた儒学者村田直景の子として生まれた丹陵は、父より史学や故実の教えを受けて育ち、その父の勧めで武者絵の大家川辺御楯に弟子入りしました。そして10代の頃より内国絵画共進会、東洋絵画共進会、内国勧業博覧会、日本美術協会展覧会などに歴史画を出品し受賞を重ね、明治24年には寺崎廣業や小堀鞆音らと日本青年絵画協会を結成し、同31年に岡倉天心が起ち上げた日本美術院にも特別賛助員として参加しました。
しかし、大正12年の関東大震災に罹災後、東京府下の北多摩郡砂川村(現在の東京都立川市砂川町)に転居し、また展覧会への出品は明治40年の第1回文展を最後に、その後一切行った記録がありません。中央画壇から距離をおき、名声を欲さず、質素な暮らしの中で気の赴くままに筆を揮ったのです。30代半ばにしての早すぎる引退の結果、その名は長く忘れ去られることになり、丹陵の画業や生涯を正面から論じた研究はほぼ皆無です。砂川村に構えた画室で、歴史の教科書等でよく知られる代表作《大政奉還》(明治神宮外苑・聖徳記念絵画館の壁画)を完成させたこともほとんど知られていません。本展は、絵師邨田丹陵に焦点を当てた初の本格的な展覧会となりますが、地域作家の掘り起こしにとどまらず、明治以降の「日本画」創出の動きの中で、日本古来の史実をテーマにした歴史画が果たした役割についても考察します。


たましん美術館には、
昭和記念公園との組み合わせで来てもいいな・・・と思いました。
昭和記念公園立川ゲート、あけぼの口の近所にあります。
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昭和記念館立川ゲート

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