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2024.03.27

森美術館開館20周年記念展 私たちのエコロジー:地球という惑星を生きるために

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森美術館開館20周年記念展
私たちのエコロジー:地球という惑星を生きるために

会期 2023年10月18日(水)~ 2024年3月31日(日)

森美術館

本展のタイトルは、私たちとは誰か、地球環境は誰のものなのか、という問いかけです。
本展では、環境問題をはじめとする様々な課題について多様な視点で考えることを提案します。また輸送を最小限にし、可能な限り資源を再生利用するなどサステナブルな展覧会制作を通じて、現代アートやアーティストたちがどのように環境危機に関わり、また関わり得るのかについて思考を促し、美術館を対話が生まれる場とします。(HPから)

展覧会の構成です。
第1章 全ては繋がっている
この地球上の生物、非生物を含む森羅万象は、何らかの循環の一部であり、その循環をとおしてこの地球に存在する全てのモノ、コトは繋がっています。(HPから)
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ニナ・カネル《マッスル・メモリー(5トン)》 2023年 オホーツク海の海生軟体動物の殻 サイズ可変
【Junior Guideから】
床を埋めつくすホタテ貝の殻は、北海道から送られてきました。毎年大量に捨てられていますが、建物の材料にもなるそうです。自然界の生き物が人間に食べられ、貝殻が粉々にされて建物の一部になり、私たちの生活空間をつくる。この大きな循環を、貝殻のうえを歩きながら、みなさんも想像してみましょう。

第2章 土に還る 1950年代から1980年代の日本におけるアートとエコロジー
日本は戦後の高度経済成長期において、自然災害や工業汚染、放射能汚染などに起因する深刻な環境問題に見舞われました。(HPから)20240304_20240325174901
第2章の展示風景


第3章 大いなる加速
人類は、地球上のあらゆる資源を利用して文明を発展させ、工業化、近代化、グローバル化を押し進めてきました。しかしながら産業革命以降、加速度的に発展した科学技術や産業社会は、「人新世」という地質学上の区分が議論されているように、短い期間で地球環境を変化させました。(HPから)
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モニラ・アルカディリ《恨み言》 2023年 FRP、自動車用塗料、サウンド サイズ可変 音楽:ファティマ・アルカディリ
【Junior Guideから】
モニラの故郷ペルシャ湾岸では、その昔、天然真珠が大きな産業でしたが、100年ほど前に日本で真珠の養殖 が始まると、ペルシャ湾の真珠産業は衰退しました。養殖真珠は、真珠貝に人工的に核を入れて育てられますが、それを真珠の気持ちになって考えてみたらどうでしょうか? モニラがつくった大きな真珠の下に立って、真珠の「うらみ言」を聞いてみてください。


第4章 未来は私たちの中にある
環境危機は私たち自身の「選択」が招いた結果です。現状を打破するには、私たち人間が在り方を改めることが必要でしょう。未来にはどんな選択肢が残されているのでしょうか。(HPから)
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アサド・ラザ《木漏れ日》 2023年 修復された天窓、日光、足場、シルヴィー・セマ・グリッサンによるサウンドスケープ プロデューサー:オリヴィア・フェアウェザー 足場設計:渡邉啓太 足場製作:おだわら名工舎 特別コンサルタント:イザベル・オリヴィエ 協力:Black Cat Daydream(京都)
【Junior Guideから】
アサドは初めて森美術館を訪れたとき、展示室の天窓のスクリーンが長い間開かなくなっていることを知りました。彼は六本木ヒルズ森タワーという高層ビルをひとつの身体ととらえ、怪我を治してこの天窓から再び太陽の光を入れたいと考えました。修理のために木製の足場を組み、再生を祈願する神事も執り行いました。
日中は美しく光の入る展示室で、壮大な太陽系、惑星としての地球の動きを想像してみてください。


撮影可の作品を撮ってまとめてみました。

―HPの解説ー
産業革命以降、特に20世紀後半に人類が地球に与えた影響は、それ以前の数万年単位の地質学的変化に匹敵すると言われています。この地球規模の環境危機は、諸工業先進国それぞれに特有かつ無数の事象や状況に端を発しているのではないか。本展はその問いから構想されました。

本展では、国内外のアーティスト34名による歴史的な作品から新作まで多様な表現約100点を、4つの章で紹介します。第1章「全ては繋がっている」では、環境や生態系と人間の活動が複雑に絡み合う現実に言及します。第2章「土に還る」では、1950~80年代の高度経済成長の裏で、環境汚染が問題となった日本で制作・発表されたアートを再検証し、環境問題を日本という立ち位置から見つめ直します。第3章「大いなる加速」では、人類による過度な地球資源の開発の影響を明らかにすると同時に、ある種の「希望」も提示する作品を紹介します。最終章である第4章「未来は私たちの中にある」では、アクティビズム、先住民の叡智、フェミニズム、AIや集合知(CI)、精神性(スピリチュアリティ)などさまざまな表現にみられる、最先端のテクノロジーと古来の技術の双方の考察をとおして、未来の可能性を描きます。

本展のタイトル「私たちのエコロジー:地球という惑星を生きるために」は、私たちとは誰か、地球環境は誰のものなのか、という問いかけです。人間中心主義的な視点のみならず、地球という惑星を大局的な視点から見渡せば、地球上にはいくつもの多様な生態系が存在することにあらためて気付くでしょう。本展では、環境問題をはじめとする様々な課題について多様な視点で考えることを提案します。また輸送を最小限にし、可能な限り資源を再生利用するなどサステナブルな展覧会制作を通じて、現代アートやアーティストたちがどのように環境危機に関わり、また関わり得るのかについて思考を促し、美術館を対話が生まれる場とします。

 

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2024.03.23

生誕150年 池上秀畝―高精細画人―

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生誕150年 池上秀畝―高精細画人―

会期 2024年3月16日(土)~4月21日(日)

練馬区立美術館


旧派の日本画家とされ、大正・昭和と活躍した池上秀畝の人生とその代表作を紹介する展覧会です。 

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展覧会の構成は次の通りです。
プロローグ 池上秀畝と菱田春章 日本画の旧派と新派
同い年の池上秀畝(1874~1944)と菱田春章(1874~1911)はほとんど同じころに本格的に絵をまなぶべく上京しました。秀畝が進んだのは前近代的な画塾。春宵が学んだのは東京美術学校でした。

コラム 旧派と新派

池上秀畝と菱田春章の作品が並べて展示されています(前・後期展示替え)
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池上秀畝(秋色)1907年 紙本着色 北野美術館
「僕は新派でも旧派でもない」と言った秀畝の自由な表現が見られる作品。

第一章 「国山「から「秀畝」へ
明治22年(1889)高等学校を卒業した國三郎は父とともに上京し荒木寛畝の弟子として入門します。
父の雅号秀花の「秀」と師匠の「畝」の字をとって「秀畝」を号としたそうです。
秀輔の作品と師の荒木寛畝の作品(前・後期1点)が展示されています。

コラム 池上家三代 休柳、秀花、秀畝
コラム 師、荒木寛畝と読書会

第二章 秀畝の精華ー官展出品の代表作を中心に
秀畝は官展のほか、日本美術協会、寛畝の画塾、自身の画塾の展覧会を中心に作品を発表しました。官展出品作は現在も秀畝の代表作として知られる一方、所在不明のものも多くあると。

コラム 秀畝、署名の変遷

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四季花鳥(夏)大正7年(1918) 紙本着色/四幅対のうち 長野県立美術館
秀畝曰く、狩野永徳や山楽の絢爛豪華な作品を研究し現代における花鳥画の新たな表現に挑戦したという(キャプションから)

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《桃に青鸞図》昭和3年(1928)/板戸着色 オーストラリア大使館蔵
三田にあった旧大名家蜂須賀侯爵邸内の板戸絵。秀畝芸術の絢爛さを目の当たりにできる名作であり、旧派の作品が、皇室や家族に好まれた証を知ることができる。(キャプションから)

第三章 秀畝と写生 師・寛畝の教え、”高精細画人”の礎
秀畝は、荒木寛畝の門下で手本を模写する、臨模と写生を厳しくたたき込まれました。修業時代から秀畝がひたむきに取り組んだ沢山の写生作品が展示されています。

コラム 秀畝の『写生帖』
コラム 秀畝の外地旅行ー台湾、朝鮮、中国へ
コラム 『匣書科口』
コラム 鳥よ、鳥よ、鳥たちよー花鳥画を描き続ける


第四章 秀輔と屏風 画の本分 
「大概の人は、そんなに大きいものは描かなかったが、わたしは大概、六曲二双を描いた」(「池上秀畝、口述控」1937年)これは秀畝の官展についての回想です。花鳥画にくわえ歴史画、山水画など、その時々の自分の興味関心に即した作品を制作しました(本展パネル解説から)

コラム 屏風絵のあり方ー会場芸術としての屏風絵・床の間芸術としての屏風絵

エピローグ 晩年の秀畝 衰えぬ創作意欲
秀畝の創作意欲は60歳を超えても衰えず、制作依頼は画塾や自身の個展など制作依頼はむしろ増加します。晩年の仕事で大きなものは旧目黒雅叙園の壁画類と、戦勝祈願のために描かれた奉載記念画が挙げられます。(本展パネル解説から)

雅叙園の作品を詳しく解説しています(動画あり)
次回、雅叙園「百段階段」に行った際には意識して観てこようと思いました。


―HPの解説ー
池上秀畝(1874–1944)は、長野県上伊那郡高遠町(現在の伊那市)に生まれ、明治22年(1889)、本格的に絵を学ぶため上京。当時まだ無名だった荒木寛畝の最初の門人・内弟子となります。大正5年(1916)から3年連続で文展特選を受賞。また、帝展で無鑑査、審査員を務めるなど官展内の旧派を代表する画家として活躍しました。
 同じく長野県出身で同い年の菱田春草(1874-1911)らが牽引した「新派」の日本画に比べ、秀畝らの「旧派」と呼ばれる作品は近年展覧会等で取り上げられることは少なく、その知名度は限られたものに過ぎませんでした。しかし、伝統に基づく旧派の画家たちは、会場芸術として当時の展覧会で評価されたことのみならず、屏風や建具に描かれた作品は屋敷や御殿を飾る装飾美術としても認められていました。特に秀畝は徹底した写生に基づく描写に、新派の画家たちが取り組んだ空気感の表現なども取り入れ、伝統に固執しない日本画表現を見せています。
 本展は生誕150年にあたり、秀畝の人生と代表作をたどり、画歴の検証を行うと共に、あらたなる視点で「旧派」と呼ばれた画家にスポットを当てる展覧会です。


長野県立美術館に巡回します。
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本展を企画した学芸員による対談動画です。(練馬と長野の担当学芸員)

練馬区文化振興協会公式チャンネル
学芸員が語る!「生誕150年 池上秀畝―高精細画人―」【練馬区立美術館】

 

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2024.03.18

邨田丹陵-時代を描いた やまと絵師

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邨田丹陵-時代を描いた やまと絵師

【前期】1月13日(土)~2月18日(日)
【後期】2月24日(土)~3月31日(日)

たましん美術館

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地域ゆかりの絵師、邨田丹陵(1872~1940)の展覧会です。
丹陵は、中央画壇から距離を置き、東京府下の北多摩郡砂川村(現在の東京都立川市砂川町)で半生を過ごしました。

本展には、やまと絵の伝統を継承しつつ進化を極めた丹陵の作品、日本古来の史実をテーマにした歴史画が多く展示されています。


この作品を見て「この絵(大政奉還)を描いた画家なんだ」と思う方も多いのではないかと・・・
私自身、聖徳記念絵画館に行った際大いに印象に残った作品のひとつです。
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聖徳記念絵画館壁画下図「大政奉還」 邨田丹陵 1面 紙本着色 昭和9年(1934) 明治神宮 (前期展示)

展覧会の構成は次の通りです。
第1章 日本青年絵画協会の立ち上げと「丹陵時代」の到来
第2章 諸国遊歴と中央画壇からの引退
第3章 砂川村移住と大作《大政奉還》の制作

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孔子中庸ヲ説クノ図 邨田丹陵(画)・村田直景(賛) 1幅 絹本着色 明治25年(1892) 砂川家 (後期展示)
画面上部に丹陵の父直景が孔子一門の説話を蒐集した『孔子家語』の一節を記している。それによれば描かれているのは「宥座の器」と呼ばれる道具を前にして、儒学の祖孔子が中庸の大切さを弟子に説いている場面。ここに吊るされている器は、空の状態では傾き、水を入れすぐればひっくり返り、程よく水を注いだ時だけ、安定するのだという。(キャプションから)

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巴御前図 邨田丹陵 1幅 絹本着色 明治36年(1903) 個人蔵 (後期展示)
巴御前は『平家物語』に登場する木曽義仲に仕えた女武将である。丹陵は、甲冑をつける前の小袖と袴の姿で、弓に弦を張り戦いに向かわんとする様子を描いている。(キャプションから)


―HPの解説ー
旧田安徳川家に仕えた儒学者村田直景の子として生まれた丹陵は、父より史学や故実の教えを受けて育ち、その父の勧めで武者絵の大家川辺御楯に弟子入りしました。そして10代の頃より内国絵画共進会、東洋絵画共進会、内国勧業博覧会、日本美術協会展覧会などに歴史画を出品し受賞を重ね、明治24年には寺崎廣業や小堀鞆音らと日本青年絵画協会を結成し、同31年に岡倉天心が起ち上げた日本美術院にも特別賛助員として参加しました。
しかし、大正12年の関東大震災に罹災後、東京府下の北多摩郡砂川村(現在の東京都立川市砂川町)に転居し、また展覧会への出品は明治40年の第1回文展を最後に、その後一切行った記録がありません。中央画壇から距離をおき、名声を欲さず、質素な暮らしの中で気の赴くままに筆を揮ったのです。30代半ばにしての早すぎる引退の結果、その名は長く忘れ去られることになり、丹陵の画業や生涯を正面から論じた研究はほぼ皆無です。砂川村に構えた画室で、歴史の教科書等でよく知られる代表作《大政奉還》(明治神宮外苑・聖徳記念絵画館の壁画)を完成させたこともほとんど知られていません。本展は、絵師邨田丹陵に焦点を当てた初の本格的な展覧会となりますが、地域作家の掘り起こしにとどまらず、明治以降の「日本画」創出の動きの中で、日本古来の史実をテーマにした歴史画が果たした役割についても考察します。


たましん美術館には、
昭和記念公園との組み合わせで来てもいいな・・・と思いました。
昭和記念公園立川ゲート、あけぼの口の近所にあります。
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昭和記念館立川ゲート

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2024.03.13

開館40周年記念 源氏物語 THE TALE OF GENJI ─「源氏文化」の拡がり 絵画、工芸から現代アートまで─

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開館40周年記念
源氏物語 THE TALE OF GENJI ─「源氏文化」の拡がり 絵画、工芸から現代アートまで─

会期 2024年2月24日(土)~2024年3月24日(日)

東京富士美術館


今年の大河ドラマ『光る君へ』今後の展開がなんとなくみえてきました・・・
タイムリーな企画の本展、楽しく観賞してきました。

本展覧会では、「源氏絵」を中心として、『源氏物語』や紫式部にまつわる美術、工芸、文学作品を紹介します。本展覧会が、それぞれの作品を通して物語を追体験し、『源氏物語』の世界を身近に感じる機会となれば幸いです。(HPから)


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復元装束による打出の再現展示/二人の女房による打出の様子 令和3年(2021) 民族衣装文化普及協会蔵

展示構成は以下の通りです。
第1部 『源氏物語』とその時代
『源氏物語』が成立した平安時代の美術・工芸品とともに、模本や再現された装束を展示しています。
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尾形光琳《紫式部図》 江戸時代、18世紀 MOA美術館蔵
石山寺の一室に籠った紫式部が、琵琶湖に映る月を見て『源氏物語』の着想をえたという伝承を基にした作品。

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《源氏物語小色紙宿木》 平安時代、12世紀 個人蔵
本展で初公開の作品。右側には匂宮、左側には中の宮が描かれ、薫から中の宮への贈り物を前にして語り合う様子が描かれています。薫と中の宮の関係を疑う匂宮、薫からの思いに戸惑う中の宮。2人の心のすれ違いを表現していると考えられ・・・(本展解説から)

第2部 あらすじでたどる『源氏物語』の絵画
『源氏物語』五十四帖のストーリーに沿って、土佐派や住吉派による画帖、絵巻、色紙形式の作品を中心に多種多様な「源氏絵」を紹介しています。(チラシから)
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土佐光吉《源氏物語手鑑》より「桐壺一」 桃山時代、慶長17年(1612)頃 和泉氏久保惣記念美術館蔵

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《源氏物語絵詞》鎌倉時代、13世紀 大和文華館蔵(3/10まで展示)
匂宮が浮舟を山荘に連れ出してともに雪景色を眺めながら歌を詠み交わす場面、薫から届いた文によって匂宮との関係を悟った浮舟が返信を描きあぐねる場面である。(図録から)

 

第3部 『源氏物語』の名品
『源氏物語』の屏風作品を中心に、大画面「源氏絵」の名品の数々。また、「源氏絵」の図様や特徴的なモチーフは、工芸の意匠としても取り入れられるようになります。ここでは、物語を主題とした漆芸品を中心として紹介し、ジャンルを超えた『源氏物語』の拡がりを見ていきます。(チラシから)
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土佐光起《源氏物語図屏風》(右隻、部分) 江戸時代、17世紀 福岡市美術館蔵(森山コレクション)

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狩野晴川院養信《源氏物語図屏風》(左隻) 江戸時代、文政9年 法然寺蔵
右隻に「若菜上」の、六条院で光源氏の40歳の誕生日を祝う場面を描いた「若菜春乃賀」がらり、左隻には同じく「若菜上」の、二条院でお祝いする場面を描いた「若菜冬之賀」があります。

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《紫宸殿蒔絵硯箱》 江戸時代、17世紀 個人蔵

第4部 近代における『源氏物語』
本セクションでは、尾形月耕、松岡映丘、上村松園、安田靫彦らによる「源氏絵」を紹介しています。また、物語の普及に大きな貢献を果たした、与謝野晶子と谷崎潤一郎による現代語訳本の装丁・挿画にも目を向けます。(チラシから)
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上村松園《紫式部図》 大正10年(1921)頃 二階堂美術館蔵
上村松園は、小野小町や清少納言、紫式部などの平安時代の才媛を「心の友」と称しており、美人画風の紫式部図をいくつか手掛けている。(図録の解説から)

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安田靫彦《源氏帯木》 昭和31年(1956) 二階堂美術館
本作は、五月雨のある夜、光源氏の宿直所と呼ばれる泊まり部屋に、頭中将、左馬頭、藤式部丞が集い女性談義に花を咲かせる「雨夜の品定め」の場面を描いています。(本展解説から)

エピローグ 現代に蘇る『源氏物語』
現代作家による工芸、文学、漫画等を紹介し、現代における「源氏文化」の様相を探ります。
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吉岡幸雄《若菜上 女三宮(紅梅の袿と桜の細長)》 平成20年(2008) 染司よしおか蔵 ©紫紅社
父・吉岡常雄の研究成果を継承し『源氏物語』全巻の色彩再現に挑み、平安王朝の彩を植物染めによって現代によみがえらせました。(キャプションから)

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山本茜《源氏物語シリーズ 第1帖「桐壺」》 平成26年(2013) 個人蔵(佐野市立吉澤記念美術館寄託) 
ガラスの中を浮遊する截金がガラスの色彩と融合し、見る角度や光の反射によってさまざまな表情を見せる截金ガラス。光源氏誕生のイメージが「強く光り輝く黄金の玉」として浮かび上がったと言い・・・(図録から)


―HPの解説ー
紫式部によって執筆された『源氏物語』は、平安時代中期に成立して以来読み継がれ、現在でも広く愛読されています。主人公・光源氏を中心に、貴族社会における栄華や恋愛模様を叙情豊かに表したこの物語は、文学、絵画、工芸、芸能、香道など幅広い分野に影響を及ぼし、「源氏文化」と総称し得る文化現象を生み出しました。
 とりわけ、物語場面を絵画化した「源氏絵」は流派や時代を越えて数多く描かれ、人びとに享受されてきました。本展覧会では、「源氏絵」を中心として、『源氏物語』や紫式部にまつわる美術、工芸、文学作品を紹介します。本展覧会が、それぞれの作品を通して物語を追体験し、『源氏物語』の世界を身近に感じる機会となれば幸いです。

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2024.03.08

マティス 自由なフォルム

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マティス 自由なフォルム
巨匠ニースが遺した切り紙絵のあざやかな世界。

会期 2024年2月14日(水) ~ 5月27日(月)

国立新美術館

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展示構成です。
Section1 色彩の道
・初期
・アジャクシオ―トゥールーズ
・フォービズム(野獣派)
1905年、マティスは地中海に面するコリウールで、アンドレ・ドレンとともに制作し、フォービズムを予期する作品を描きました。《マティス夫人の肖像》は、補色関係にある緑系と赤系の色彩対比の効果が示されています。(キャプションから)
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《マティス夫人の肖像》 1905年 油彩/カンヴァス ニース市マティス美術館蔵

・彫刻 ー絵画との並行
1927年、の《横たわる裸婦Ⅱ》に認められる横たわる女性が左肘を地面につけ、右手を頭の後ろに回し、右脚で左脚を跨ぐ姿勢は、画家の絵画に幾度となく表れる馴染みの姿勢です。しかしながら、絵画と彫刻の表現において目指したものが異なることを、マティスは表明しています。(キャプションから)
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《横たわる裸婦Ⅱ》 1927年(鋳造1953年)ブロンズ オルセー美術館蔵蔵(ニース市マティス美術館寄託)

・アルベール・マルケとアンドレ・ドラン


Section2 アトリエ
・ニースに着いて
・赤いオブジェのコレクション
マティスはニースの光に惹かれてこの地でいくつもアトリエを転々としながら制作に励みます。《赤い小箱のあるオダリスク》では、敷物や壁面の幾何学的な背景の中で、女性の身体の量感が曲線によって表現されています。(キャプションから)
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《赤い小箱のあるオダリスク》 1927年 油彩/カンヴァス ニース市マティス美術館蔵

マティスの絵画に描かれている、花瓶、テキスタイル、家具調度品などのオブジェは、実際に画家本人が購入して収集したものです。肖像画のようにクローズアップして描かれた、1946年の《ロカイユ様式の肘掛け椅子》では対象となった椅子が画面の構図から外に溢れ出ています。(キャプションから)
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《ロカイユ様式の肘掛け椅子》 1946年 油彩/カンヴァス ニース市マティス美術館蔵

・彫刻の連作
・女性像、ニース
・1940年代の《ヴァンス室内画》
1943年、マティスは戦火を逃れるためにニースから近郊の町ヴァンスに移りました。1946年から48年にかけて、彼は一連の縦型の《ヴァンス室内画》を描きます。1947年の《ザクロのある静物》はそのうちの一点です。 (キャプションから)
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《ザクロのある静物》 1947年 油彩/カンヴァス ニース市マティス美術館蔵

・裸婦とデッサン
・デッサン ―テーマとヴァリエーション


Section3 舞台装置から大型装飾へ
・ナイチンゲールの歌
・バーンズ財団の<ダンス>・タペストリーの計画
・《パペーテ ―タヒチ》と《森の中のニンフ(木々の緑)》
1935年、マティスは起業家でコレクターのまりー・キュットリからタペストリー制作の依頼を受けました。その下絵として描かれたのが、油彩《パペーテ ― タヒチ》」です。マティスが1930年に訪れたタヒチのパペーテのホテルから目にした光景が描かれています。(キャプションから)
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《パペーテ ― タヒチ》 1935年 油彩/カンヴァス ニース市マティス美術館蔵


Section4 自由なフォルム
・『ジャズ』と『ヴェルヴ』
・ポリネシア、海
・クレオールの踊り子
1950年頃からマティスは女性の身体をモティーフとした切り紙絵による一連の大きな作品を制作しており《クレオールの踊り子》はその中のひとつです。(キャプションから)
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《クレオールの踊り子》 1950年 切り紙絵 ニース市マティス美術館蔵

・筆によるデッサン
1946年から52年にかけて、マティスは顔をモティーフとした筆と墨によるデッサンを数多く制作しています。(キャプションから)
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《大きな頭部、仮面》 1951年 筆と墨/紙 オルセー美術館蔵蔵(ニース市マティス美術館寄託)

・花と果実
マティスは1952年頃、アメリカ人コレクターからロサンゼルスのヴィラのパティオ(中庭)のための大型装飾の注文を受けます。これに応じたマティスはその構想を練り、切り紙絵によるマケットを4点制作しました。そのうちの一つが《花と果実》です。本作は5枚のカンヴァスが繋げられた巨大な切り紙絵です。4枚の花びらないし3つの果実による形態が基本単位となり、各々が反復されて画面が構成されています。画面の左右それぞれには、柱頭を備えた縦縞模様のある青い柱が認められ、また画面の中央右寄りには、5枚の花びらを持つ花の基本単位が縦に 4つ並んでいます。(キャプションから)
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《花と果実》1952-1953年 切り紙絵 ニース市マティス美術館蔵

・《ブルーヌードⅣ》と切り紙絵
マティスは1952年に、切り紙絵による4点の連作《ブルーヌード》を制作しました。
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《ブルーヌードⅣ》 1952年 切り紙絵 オルセー美術館蔵(ニース市マティス美術館寄託)

・日本

Section4の一部の展示作品は撮影可です(条件ンあり)
撮った写真をまとめてみました。 



Section5 ヴァンスのロザリオ礼拝堂 
《ヴァンスのロザリオ礼拝堂》
《カズラ(上祭服)》
《ヴァンスのロザリオ礼拝堂(内部空間の再現》

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展示風景

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2024.03.04

マティス 自由なフォルム Section5 ヴァンスのロザリオ礼拝堂 

マティス 自由なフォルム

会期 2024年2月14日(水) ~ 5月27日(月)

国立新美術館

マティス 自由なフォルム Section5 ヴァンスのロザリオ礼拝堂
1948年から51年にかけて、マティスは南仏のヴァンスのロザリオ修道院に暮らすドミニコ会修道女たちのための礼拝堂の制作を指揮します。彼はこの礼拝堂を、芸術家としての自らの生涯の到達点にして精神的達成とみなしました。 礼拝堂制作のプロジェクトには、実際、建築家、ガラス工、陶工など、様々な職能集団が動員されました。マティスは建築全体から図像プログラム、典礼用調度のごく細かなディテールにまで心血を注ぎ、礼拝堂を綜合芸術作品としてデザインしました。(展覧会場の解説パネルから)

Section5 ヴァンスのロザリオ礼拝堂 
《ヴァンスのロザリオ礼拝堂》
《カズラ(上祭服)》
《ヴァンスのロザリオ礼拝堂(内部空間の再現》

(画像はクリックで拡大表示になります)

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ヴァンス礼拝堂お外観のマケット(1/20)1948年アンリ・マティスのデッサン 制作:Les Waquettes EPI ニース市マティス美術館

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ステンドグラス、「生命の樹」のための習作 ニース、1950年 ガラス工:ポール・ボニ 鉛で接合された色付き透明すろガラス ニース市マティス美術館

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十字架降下 ニース、1950年 陶工:オバーニュ・ブルディヨン 筆による釉/白色のファイアンス板 ニース市マティス美術館

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祭壇のキリスト磔刑像 ニース、1949年 鋳造:ヴァルスアーニ ブロンズ ニース市マティス美術館
聖ドミニクス ニース、1949年 筆と墨、白色のグワッシュと張り紙で修正/べラム紙(カンヴァスで裏打ち)ニース市マティス美術館

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星形のある背景の聖母子 ニース、1949年 筆と墨/クラフト紙に糊付けしたべラム紙(カンヴァスで裏打ち) ニース市マティス美術館


カズラ(上祭服)などのマケット展示風景
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薔薇色のカズラ(上祭服)のためのマケット(背面)(正面)(背面) 1950-1952 グアッシュで彩色、裁断した紙/紙に張り付け(カンヴァスで裏打ち ニース市マティス美術館

ヴァンスのロザリオ礼拝堂(内部空間の再現)展示風景
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撮影可(条件あり)でしたので・・・画像をまとめてみました。

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