« 水木しげる生誕100周年記念 水木しげるの妖怪 百鬼夜行展 ~お化けたちはこうして生まれた~ | トップページ | 開館20周年記念展/帝国ホテル二代目本館100周年 フランク・ロイド・ライト世界を結ぶ建築 »

2024.02.23

サムライ、浮世絵師になる!鳥文斎栄之展

サムライ、浮世絵師になる!鳥文斎栄之展

会期 2024年1月6日(土)~ 3月3日(日)
前期 1月6日(土)~ 2月4日(日) 後期 2月6日(火)~ 3月3日(日)

千葉市立美術館


重要な浮世絵師の一人でありながら、明治時代には多くの作品が海外に流出したため、今日国内で栄之の全貌を知ることは難しくなっています。世界初の栄之展となる本展では、ボストン美術館、大英博物館からの里帰り品を含め、錦絵および肉筆画の名品を国内外から集め、初期の様相から晩年に至るまで、栄之の画業を総覧しその魅力をご紹介します。(HPから)

Img_20240219_0001 Img_20240219_0002
Img_20240219_0003 Img_20240219_0004
(画像はクリックで拡大表示になります)

展覧会の構成です。

プロローグ 将軍の絵具方から浮世絵師
202402001
(左)狩野栄川院典信《田沼意次 領内遠望図》
浮世絵師として活躍する以前、栄之は御用絵師狩野栄川院典信の門人でした。典信は、10代将軍徳川家治(1737-86)の寵愛深く老中田沼意次(1719-86)の隣に屋敷を拝領したと伝えられています。本図は田沼が最も信頼した家臣相模藩家老の井上伊織の家に伝えられた作品で、描かれた貴人を田沼そのものの姿と見て伝えられてきたものです。(キャプションから)

(右)鳥文斎栄之《関が原合戦図絵巻》(部分)
上下2巻からなる図巻。上巻は石田三成を中心とした諸大名による大阪城での軍評定の場面から始まり、伏見城の落城が見せ場となています。下巻は関が原合戦が中心となっています。栄之の師であった狩野栄川典信(1730-90)の作品を参考に制作されたもので・・・(キャプションから)


第1章 華々しいデビュー 隅田川の絵師誕生
この章では新人としては異例の扱いを受けた続絵の名品を紹介します。とりわけ晩年までの主要な題材となった隅田川を題材とした続絵は、この章のハイライトです。江戸の人々が愛着を持って眺めた隅田川とその両岸の景観を背景に、上流階級の女性たちが船遊びを楽しむ様子から栄之という浮世絵師の特別な立ち位置が理解されます。(本展解説パネルから)

202402002
鳥文斎栄之《吉野丸船遊び》 大判錦絵5枚組 天明7-8年(1787-88)頃 千葉市美術館蔵
船主に花台を飾り「吉野」の額を掲げた豪華な屋台船を5枚続の長大な画面に描く見応えのある錦絵です。・・・
天明後期頃という比較的早い時期に大判の5枚続を任せられていたことからも栄之が別格の扱いであったことが分かります。(キャプションから)

202402105
川一丸船遊び 寛政8-9年(1796-97)頃 大判錦絵5枚続 版元:西村屋与八 ボストン美術館蔵 ウイリアム・スタージス・ビゲロー旧蔵(撮影可)

 

第2章 歌麿に拮抗 ―もう一人の青楼画家
この章では、歌麿と拮抗して錦絵界で活躍した栄之の遊女絵を中心に錦絵最盛期の代表作を紹介します。(本展解説パネルから)

202402201
鳥文斎栄之《松竹梅三美人》 大判錦絵 寛政4-5年(1792-93)頃 ボストン美術館蔵
江戸の評判娘たちです。中央、浅草髄身門脇の水茶屋難波屋のおきた。右側江戸両国薬研堀(米沢町二丁目)の煎餅屋高島長兵衛の娘おひさ。左側、湯島女坂の立花屋おたつ。

3章 色彩の雅 ―紅嫌い
この章では、紅嫌いを中心に、古典文学に題材を求めた作品をまとめて紹介する。
(紅嫌い:意識的に紅色の使用を控えた錦絵)

202402105_20240222173201
鳥文斎栄之《風流やつし源氏 松風》大判錦絵3枚続 寛政4年(1792)頃 大英博物館蔵

第4章 栄之ならではの世界
栄之の錦絵の購買者が武家や上流階級の人物であれば、その絵に親しみを持つのはもちろのこと、庶民であれば見たことのない裕福な武家の社会を垣間見る憧れの世界となったことでしょう。この章では、栄之だからこそ描くことができた品の良い上流層の女性風俗や、教養を感じさせる個展主題の作品を中心に紹介します。(本展解説パネルから)

第5章 門人たちの活躍
栄之には多くの門人がいました。・・・天明7年(1787)頃の時点で早々に錦絵の分野で門人がいたことが分かります。
202402107
鳥高斎栄昌(生没年不詳)《郭中美人競 大文字屋内本津枝》 寛政9年(1797)頃 大判錦絵 版元:山口屋忠助 ボストン美術館蔵 ウイリアム・スタージス・ビゲロー旧蔵(撮影可)


202402202
鳥橋斎栄里《近江三百景 石山秋月 丁字 屋内 雛鶴 つるし つるの》 大判錦絵 寛政7-9年(1795-979頃ボストン美術館蔵
寛政2-7年まで『吉原細見』に名の載る丁子屋長十郎お抱えの遊女雛鶴です。石山寺は、紫式部が「源氏物語」を執筆した場所と伝えられています。本図は雛鶴を紫式部になぞらえて、文机に片肘をついて思案するようすを描いています。

第6章 栄之をめぐる文化人
この章では、栄之をめぐる文化サークルを想定しながら、揃物や狂歌、絵本を紹介します(本展解説パネルから)

 

第7章 美の極み ―肉筆浮世絵
寛政10(1798)年頃から栄之は、錦絵の版下絵描くことを止め、肉筆画に集中するようになります。いわゆる「寛政の改革」として知られる、幕府の出版規制が影響したものと思われます。(本展解説パネルから)
202402003
鳥文斎栄之《和漢美人図屏風》 絹本着色6曲1隻 文化(1804-18)後期・文政(1818-30)前期頃 個人蔵
中国と日本の伝説の美人を3人ずる配した屏風です。向かって右から小野小町、王昭君、清少納言、楊貴妃、紫式部、趙飛燕でしょうか。(キャプションから)

エピローグ 外国人から愛された栄之
栄之の浮世絵は、ジャポニズムの
なかで、早々に注目され、多くの作品が海外に渡り、愛好されました。エピログでは、錦絵や肉筆浮世絵を集めていたコレクターらの売立目録を紹介します。・・・・
こうして栄之による清麗な美人像は遠く海外で評価を受け作品の大部分は海外にわたり、そのまま留まることになったのです。(本展解説パネルから)

202402106_20240222165701
川一丸船遊び 寛政8-9年(1796-97)頃 大判錦絵5枚続 版元:西村屋与八 ボストン美術館蔵 ウイリアム・スタージス・ビゲロー旧蔵(撮影可)

―HPの解説ー
鳥文斎栄之(ちょうぶんさい・えいし1756−1829)は、旗本出身という異色の出自をもち、美人画のみならず幅広い画題で人気を得た浮世絵師です。浮世絵の黄金期とも称される天明〜寛政期(1781-1801)に、同時代の喜多川歌麿(?−1806)と拮抗して活躍しました。
当初栄之は、将軍徳川家治(1737-86)の御小納戸役として「絵具方」という役目を務め、御用絵師狩野栄川院典信(1730-90)に絵を学びましたが、天明6年(1786)に家治が逝去、田沼意次(1719-88)が老中を辞した時代の変わり目の頃、本格的に浮世絵師として活躍するようになり、やがて武士の身分を離れます。
当時錦絵(浮世絵版画)は、一層華やかな展開期にありましたが、栄之もまた浮世絵師として数多くの錦絵を制作、長身で楚々とした独自の美人画様式を確立、豪華な続絵を多く手がけたことは注目されます。さらに寛政10年(1798)頃からは、肉筆画を専らとし、その確かな画技により精力的に活躍しました。寛政12年(1800)頃には、後桜町上皇の御文庫に隅田川の図を描いた作品が納められたというエピソードも伝わっており、栄之自身の家柄ゆえか、特に上流階級や知識人などから愛され、名声を得ていたことが知られています。

重要な浮世絵師の一人でありながら、明治時代には多くの作品が海外に流出したため、今日国内で栄之の全貌を知ることは難しくなっています。世界初の栄之展となる本展では、ボストン美術館、大英博物館からの里帰り品を含め、錦絵および肉筆画の名品を国内外から集め、初期の様相から晩年に至るまで、栄之の画業を総覧しその魅力をご紹介します。

 

|

« 水木しげる生誕100周年記念 水木しげるの妖怪 百鬼夜行展 ~お化けたちはこうして生まれた~ | トップページ | 開館20周年記念展/帝国ホテル二代目本館100周年 フランク・ロイド・ライト世界を結ぶ建築 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 水木しげる生誕100周年記念 水木しげるの妖怪 百鬼夜行展 ~お化けたちはこうして生まれた~ | トップページ | 開館20周年記念展/帝国ホテル二代目本館100周年 フランク・ロイド・ライト世界を結ぶ建築 »