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2024.02.28

開館20周年記念展/帝国ホテル二代目本館100周年 フランク・ロイド・ライト世界を結ぶ建築

開館20周年記念展/帝国ホテル二代目本館100周年
フランク・ロイド・ライト世界を結ぶ建築

会期 2024年1月11日(木)~ 3月10日(日)

パナソニック汐留美術館


私が行った日、大変混んでいました。
入り口の案内の方が、会場内が混んでいるので手荷物のロッカー収納を促していました。
なるほど、会場内に所狭しと大量の展示資料が並べられていました。

2月17日(土)以降、土曜日・日曜日・祝日及び3月1日(金)以降は日時指定予約(当日空きがあれば入場可)だそうです。

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(画像はクリックで拡大表示になります)

 

芸術、建築、デザインから著述、造園、教育、技術革新、都市計画に至るフランク・ロイド・ライトの生涯、仕事を網羅した展覧会です。

展覧会の構成です。
セクション1.モダン誕生 シカゴ-東京、浮世絵的世界観
1 モダン都市シカゴ
・シカゴ万国博覧会と鳳凰殿
2 モダン都市東京
3 キャリアの始まり
・師サリヴァンと自然モチィーフの装飾
・初期の実践
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フランク・ロイド・ライト《第1葉 ウィンズロー邸 透視図》
『フランク・ロイド・ライトの建築と設計』1910年、豊田市美術館蔵
4ユニティ・テンプル:鉄筋コンクリート造の神殿
5日本の発見
・浮世絵的視覚と建築ドローイング
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歌川広重《江戸名所百景 真間の紅葉手古那の社継はし》 安政4(1857)年 神奈川県立歴史博物館
・日本美術愛好家、アートディラー、展覧会プデューサーとして


セクション2 「輝ける眉」からの眺望
6 アメリカ中西部プレイリーの風土と気候
7 ルーツとしてのウェールズ
8 草原植物と『ハウス・ビューティフル
9 住空間の革新
・花の環で世界をめぐる
外と内をつなぐ庭
プレーリー・ハウスの到着店ー有機的建築
・エコロジー住宅の発想 
・在来と外来
10 従来と外来:ジェンス・ジェンセンの庭園思想
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ブース邸計画案(イリノイ州グレンコー)1911年 第1案 透視図  1911年 ニューヨーク近代美術館
11 タリアセン:最初の理想郷
12 地形と建築
13 タリアセン・ウエスト:砂漠の中のもうひとつの理想郷

セクション3.  進歩主義教育の環境を作る
14 ヒルサイド・ホームスクールの実験的教育
15 シカゴ郊外の仕事場
16 クーンリー・プレイハウス幼稚園:風船と紙吹雪のモチーフの展開20240103_20240201162601
オークパーク公園協会への設計競技案「キンダーシンフォニーズ」(№3)(イリノイ州オークパーク)1926年 豊田市美術館
17 リトル・ディパー・スクールと舞台
18 木も花も本来ひとつ:自由学園とローゼンワルド学校計画
19 建築教育の場としてのタリアセン・フェローシップ

セクション4 交差する世界に建つ帝国ホテル
20 写真コレクションにみるデザイン・ソース
21 共鳴するミドウェイ・ガーデンズ
22 帝国ホテル二代目本館クロニクル
23 メガ・プロジェクトの始まり
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フランク・ロイド・ライト《帝国ホテル二代目本館(東京、日比谷)第2案 1915年 横断面図》
コロンビア大学エイヴリー建築美術図書館フランク・ロイド・ライト財団アーカイヴズ蔵
24 宿泊とエンターテイメント
25 総合芸術としての帝国ホテル
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《帝国ホテル2代目本館 椅子「ピーコック・チェア」》デザイン:1913年頃 制作1930年頃 豊田市美術館蔵

26 素材の探求:大理石とすだれレンガ
27 ライト精神の継承

セクション5 ミクロ マクロのダイナミックな振幅
28 フレーベル恩物:ユニットシステムの原点
29 リチャーズ社の通販式プレハブ住宅
30 関東大震災に耐えた構造
31 コンクリート・ブロックの展開
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フランク・ロイド・ライト《ドヘニー・ランチ宅地開発計画案(カリフォルニア州ロサンゼルス)1923年頃 透視図》
コロンビア大学エイヴリー建築美術図書館フランク・ロイド・ライト財団アーカイヴズ蔵
32 ユーソニアン住宅 成長する住宅
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ユーソニアン建築の原寸モデル展示(撮影可)
制作:有限責任事業組合 森の製材リソラ、磯矢建築事務所 2023年 杉赤身材、天神原(南伊豆町)産

33 らせん上建築

セクション6 上昇する建築と環境の向上
34 快適さと機能の追及
35 高層建築ー樹状建築
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《ジョンソン・ワックス・ビル(ウィスコンシン州ラシーン本部棟 中央執務室 南を見る《撮影:2015年、写真提供:SCジョンソン社
36 開けた大地に建つ高層建築ー超高層ザ・マイル・ハイ・イリノイ


セクション7 多様な文化との邂逅
37 ライトへ注がれた同時代の眼
38 ライトとイタリア
39 世界に向けたライトの目
40 未来に向けた目:ブロードエーカー・シティー構想
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《フランク・ロイド・ライトのブロードエーカー・シティー構想に基ずくCGアニメーション》
41 フランク・ロイド・ライトとの対話


―HPの解説ー
フランク・ロイド・ライト(1867-1959)は、落水荘やグッゲンハイム美術館の設計で知られるアメリカ近代建築の巨匠です。彼のアーカイヴの近年の研究成果は、芸術、建築、デザインから著述、造園、教育、技術革新、都市計画に至る視野の広さを照らし出し、新たな全体像を結びつつあります。旅の中で世界の風景や文化をつなぐ情熱からデザインを創出したライトは、東京の帝国ホテル(1923年竣工)でグローバル・アーキテクトの地位を確立。その未来への提言を精緻で華麗なドローイングにご覧いただきます。

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2024.02.23

サムライ、浮世絵師になる!鳥文斎栄之展

サムライ、浮世絵師になる!鳥文斎栄之展

会期 2024年1月6日(土)~ 3月3日(日)
前期 1月6日(土)~ 2月4日(日) 後期 2月6日(火)~ 3月3日(日)

千葉市立美術館


重要な浮世絵師の一人でありながら、明治時代には多くの作品が海外に流出したため、今日国内で栄之の全貌を知ることは難しくなっています。世界初の栄之展となる本展では、ボストン美術館、大英博物館からの里帰り品を含め、錦絵および肉筆画の名品を国内外から集め、初期の様相から晩年に至るまで、栄之の画業を総覧しその魅力をご紹介します。(HPから)

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(画像はクリックで拡大表示になります)

展覧会の構成です。

プロローグ 将軍の絵具方から浮世絵師
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(左)狩野栄川院典信《田沼意次 領内遠望図》
浮世絵師として活躍する以前、栄之は御用絵師狩野栄川院典信の門人でした。典信は、10代将軍徳川家治(1737-86)の寵愛深く老中田沼意次(1719-86)の隣に屋敷を拝領したと伝えられています。本図は田沼が最も信頼した家臣相模藩家老の井上伊織の家に伝えられた作品で、描かれた貴人を田沼そのものの姿と見て伝えられてきたものです。(キャプションから)

(右)鳥文斎栄之《関が原合戦図絵巻》(部分)
上下2巻からなる図巻。上巻は石田三成を中心とした諸大名による大阪城での軍評定の場面から始まり、伏見城の落城が見せ場となています。下巻は関が原合戦が中心となっています。栄之の師であった狩野栄川典信(1730-90)の作品を参考に制作されたもので・・・(キャプションから)


第1章 華々しいデビュー 隅田川の絵師誕生
この章では新人としては異例の扱いを受けた続絵の名品を紹介します。とりわけ晩年までの主要な題材となった隅田川を題材とした続絵は、この章のハイライトです。江戸の人々が愛着を持って眺めた隅田川とその両岸の景観を背景に、上流階級の女性たちが船遊びを楽しむ様子から栄之という浮世絵師の特別な立ち位置が理解されます。(本展解説パネルから)

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鳥文斎栄之《吉野丸船遊び》 大判錦絵5枚組 天明7-8年(1787-88)頃 千葉市美術館蔵
船主に花台を飾り「吉野」の額を掲げた豪華な屋台船を5枚続の長大な画面に描く見応えのある錦絵です。・・・
天明後期頃という比較的早い時期に大判の5枚続を任せられていたことからも栄之が別格の扱いであったことが分かります。(キャプションから)

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川一丸船遊び 寛政8-9年(1796-97)頃 大判錦絵5枚続 版元:西村屋与八 ボストン美術館蔵 ウイリアム・スタージス・ビゲロー旧蔵(撮影可)

 

第2章 歌麿に拮抗 ―もう一人の青楼画家
この章では、歌麿と拮抗して錦絵界で活躍した栄之の遊女絵を中心に錦絵最盛期の代表作を紹介します。(本展解説パネルから)

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鳥文斎栄之《松竹梅三美人》 大判錦絵 寛政4-5年(1792-93)頃 ボストン美術館蔵
江戸の評判娘たちです。中央、浅草髄身門脇の水茶屋難波屋のおきた。右側江戸両国薬研堀(米沢町二丁目)の煎餅屋高島長兵衛の娘おひさ。左側、湯島女坂の立花屋おたつ。

3章 色彩の雅 ―紅嫌い
この章では、紅嫌いを中心に、古典文学に題材を求めた作品をまとめて紹介する。
(紅嫌い:意識的に紅色の使用を控えた錦絵)

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鳥文斎栄之《風流やつし源氏 松風》大判錦絵3枚続 寛政4年(1792)頃 大英博物館蔵

第4章 栄之ならではの世界
栄之の錦絵の購買者が武家や上流階級の人物であれば、その絵に親しみを持つのはもちろのこと、庶民であれば見たことのない裕福な武家の社会を垣間見る憧れの世界となったことでしょう。この章では、栄之だからこそ描くことができた品の良い上流層の女性風俗や、教養を感じさせる個展主題の作品を中心に紹介します。(本展解説パネルから)

第5章 門人たちの活躍
栄之には多くの門人がいました。・・・天明7年(1787)頃の時点で早々に錦絵の分野で門人がいたことが分かります。
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鳥高斎栄昌(生没年不詳)《郭中美人競 大文字屋内本津枝》 寛政9年(1797)頃 大判錦絵 版元:山口屋忠助 ボストン美術館蔵 ウイリアム・スタージス・ビゲロー旧蔵(撮影可)


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鳥橋斎栄里《近江三百景 石山秋月 丁字 屋内 雛鶴 つるし つるの》 大判錦絵 寛政7-9年(1795-979頃ボストン美術館蔵
寛政2-7年まで『吉原細見』に名の載る丁子屋長十郎お抱えの遊女雛鶴です。石山寺は、紫式部が「源氏物語」を執筆した場所と伝えられています。本図は雛鶴を紫式部になぞらえて、文机に片肘をついて思案するようすを描いています。

第6章 栄之をめぐる文化人
この章では、栄之をめぐる文化サークルを想定しながら、揃物や狂歌、絵本を紹介します(本展解説パネルから)

 

第7章 美の極み ―肉筆浮世絵
寛政10(1798)年頃から栄之は、錦絵の版下絵描くことを止め、肉筆画に集中するようになります。いわゆる「寛政の改革」として知られる、幕府の出版規制が影響したものと思われます。(本展解説パネルから)
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鳥文斎栄之《和漢美人図屏風》 絹本着色6曲1隻 文化(1804-18)後期・文政(1818-30)前期頃 個人蔵
中国と日本の伝説の美人を3人ずる配した屏風です。向かって右から小野小町、王昭君、清少納言、楊貴妃、紫式部、趙飛燕でしょうか。(キャプションから)

エピローグ 外国人から愛された栄之
栄之の浮世絵は、ジャポニズムの
なかで、早々に注目され、多くの作品が海外に渡り、愛好されました。エピログでは、錦絵や肉筆浮世絵を集めていたコレクターらの売立目録を紹介します。・・・・
こうして栄之による清麗な美人像は遠く海外で評価を受け作品の大部分は海外にわたり、そのまま留まることになったのです。(本展解説パネルから)

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川一丸船遊び 寛政8-9年(1796-97)頃 大判錦絵5枚続 版元:西村屋与八 ボストン美術館蔵 ウイリアム・スタージス・ビゲロー旧蔵(撮影可)

―HPの解説ー
鳥文斎栄之(ちょうぶんさい・えいし1756−1829)は、旗本出身という異色の出自をもち、美人画のみならず幅広い画題で人気を得た浮世絵師です。浮世絵の黄金期とも称される天明〜寛政期(1781-1801)に、同時代の喜多川歌麿(?−1806)と拮抗して活躍しました。
当初栄之は、将軍徳川家治(1737-86)の御小納戸役として「絵具方」という役目を務め、御用絵師狩野栄川院典信(1730-90)に絵を学びましたが、天明6年(1786)に家治が逝去、田沼意次(1719-88)が老中を辞した時代の変わり目の頃、本格的に浮世絵師として活躍するようになり、やがて武士の身分を離れます。
当時錦絵(浮世絵版画)は、一層華やかな展開期にありましたが、栄之もまた浮世絵師として数多くの錦絵を制作、長身で楚々とした独自の美人画様式を確立、豪華な続絵を多く手がけたことは注目されます。さらに寛政10年(1798)頃からは、肉筆画を専らとし、その確かな画技により精力的に活躍しました。寛政12年(1800)頃には、後桜町上皇の御文庫に隅田川の図を描いた作品が納められたというエピソードも伝わっており、栄之自身の家柄ゆえか、特に上流階級や知識人などから愛され、名声を得ていたことが知られています。

重要な浮世絵師の一人でありながら、明治時代には多くの作品が海外に流出したため、今日国内で栄之の全貌を知ることは難しくなっています。世界初の栄之展となる本展では、ボストン美術館、大英博物館からの里帰り品を含め、錦絵および肉筆画の名品を国内外から集め、初期の様相から晩年に至るまで、栄之の画業を総覧しその魅力をご紹介します。

 

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2024.02.18

水木しげる生誕100周年記念 水木しげるの妖怪 百鬼夜行展 ~お化けたちはこうして生まれた~

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水木しげる生誕100周年記念
水木しげるの妖怪 百鬼夜行展 ~お化けたちはこうして生まれた~

会期 2024年1月20日(土)~3月10日(日)

そごう美術館


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妖怪文化の最大の継承者としての水木しげるを紹介する展覧会・・だと思いました。
”妖怪はほんらい怪獣なんかのように創作されるべきではないと思う。妖怪は昔のひとの残した遺産だから、その型を尊重し、後世に伝えるのが良い”(小学館)

展覧会の構成です。
第一章 水木しげるの妖怪人生
境港時代
南方最前線
南方最前線での生活は、地獄そのもの、水木は”塗壁”や”天狗倒し”といった日本の妖怪とよく似た不思議な現象を体験した。
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おかしいと思って手でさわってみると、コールタールの固まりかけたようなものが、右にも左にも上にも下にもあって動きが取れない。しばらく休んで手を出してみるとなにもなかった。
「妖怪になりたい」「南方の妖怪」河出書房新社


第二章 古書店妖怪探訪
水木しげるの古書コレクション
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柳田国男 《妖怪談義》修道社 1958年5版(初版1956年) 水木しげる蔵

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鳥山石燕《画図百鬼夜行》 1776年 水木しげる蔵

妖怪文化人年表
水木しげると妖怪文化年表


第三章 水木しげるの妖怪工房
絵師たちからの継承
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《あかなめ》
風呂桶の垢をなめる妖怪。その姿は『画図百鬼夜行』の「垢嘗」を踏襲する。『画図百鬼夜行』に「垢嘗」はなく、風呂桶の垢を嘗めるという解釈は藤沢衛彦の『妖怪画図全集』日本篇上に拠っている。(キャプションから)

様々な資料からの創作
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《がしゃどくろ》
戦死者や野垂死にした者の骸骨や怨念が凝り固まり、巨大な骸骨の姿となってガシャガシャと野をさまようという。その姿は『別冊少女フレンド』(1966年11月号/講談社)の妖怪特集の文章と、歌川国芳の『相馬の古内裏』を参考にして創作したと推察される。(キャプションから)

文字情報からの創作
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《一反木綿》
長い布のようなものが空を飛び、時には人を襲うという鹿児島の妖怪。その姿は『妖怪談義』『妖怪名彙』に記された文章を参考に創作した。(キャプションから)

水木しげるの妖怪の本
外国語版
その他

第四章 水木しげるの百鬼夜行
山に棲む妖怪
里に棲む妖怪
水に棲む妖怪
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《海坊主》

家に棲む妖怪

エピローグ 妖怪は永遠に
”日本には電気が普及して、日本中明るくなりすぎたのに加え、世の中全体が百鬼夜行の様相になったのに怯え、本物の妖怪が姿を消しつつある” 水木しげる


妖怪カメラ ARコーナー
QRコ-ドを読込んでアプリをダウンロードしてスマホカメラを向けると、妖怪が動き出します。
(写真に収めることができます)
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《がしゃどくろ》 

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《すなこすり》

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《ぬらりひょん》

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《輪入道》

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《アマビエ》

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《一反木綿》

 ARコーナーの妖怪集合
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2024.02.13

ガラスの器と静物画 山野アンダーソン陽子と18人の画家

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(画像はクリックで拡大表示になります)


ガラスの器と静物画 山野アンダーソン陽子と18人の画家

会期 2024年1月17日(水)~ 3月24日(日) 

東京オペラシティ アートギャラリー


山野さんのガラス作品を本にしてみたらどうでしょう」この一言がきっかけとなって、「Glasss Tableware in Still Life」(静物画の中のガラス食器)というプロジェクトが始まりました。
自分で描いてみたいガラス食器について、画家がガラス作家・山野アンダーソン陽子に言葉で伝える。
その言葉に応答して山野がガラスを吹き、出来上がったガラス食器を見ながら画家が絵を描く。
その後、写真家・三部正博が画家たちのアトリエを訪れて写真を撮り、デザイナー・須山悠里が本をデザインする。
そうして生まれたガラス食器と絵画、写真を目にしてもらう機会を作りたいと、本展の実現に繋がりました。(本展チラシから)

 

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木村さんからの言葉で印象に残っているのは、
「花が開く寸前の蕾」「ふっくり」「まっすぐには伸びていない茎」「ゆるやかな動きのある脚」です。
春のような、爽やかで温かみのあるものをイメージしました。
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山野アンダーソン陽子 Stem for Pink for Saiko Kimura 2021 吹きガラス 木村彩子蔵

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木村彩子 Stem for Pink/7 May 2021 綿布に油彩、蜜蝋 作家蔵

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三部正博 木村彩子のアトリエに佇むガラス食器 2021 ゼラチン・シルバー・プリント 作家蔵

 

「背の低めな丸みのあるピッチャー」「柔らかな自然光」「透明感」と言う言葉が、
石田さんからのリクエストの中で印象に残りました。
石田さんの作品にある、人の痕跡のような深みを意識して、
なぜか左から入る自然光を想像をしながら制作しました。
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山野アンダーソン陽子 Jug with Handle for Junichi Ishida 2021 吹きガラス 石田淳一蔵

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石田淳一 アトリエの陽光ー山野アンダーソン陽子のガラス器と私ー 2021 板に油彩 一番星画廊蔵


田幡さんからのリクエストは、丁寧な文章とともに届きました。
中でも、「牛乳のための器」「日常」「歴史的意味」
「差のある二つ以上のもの」「下地の色をほぼそのまま使う」が印象に残りました。
リクエストのメールを読んだとき、ルーブル美術館で観た
アンリ=オラース・ロラン・ド・ラ・ポルトを思い出しました。
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Tall Bottle and Drinking Glass for Kouichi Tabara 2021 吹きガラス 田幡浩一蔵

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田幡浩一 one way or another (glass of milk and tall bottle)#1、#2(2022)#3、#4(2023) 木製パネルに油彩 作家蔵

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三部正博 田幡浩一のアトリエに佇むガラス食器 2022 ゼラチン・シルバー・プリント 作家蔵


本展は撮影可です。(条件あり)
撮ってきた写真をまとめてみました。

 

 

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2024.02.09

四百年遠忌記念特別展 大名茶人 織田有楽斎

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四百年遠忌記念特別展
大名茶人 織田有楽斎

会期 2024年1月31日(水)~3月24日(日)

サントリー美術館


織田長益(有楽斎 1547~1622)は、 織田信秀の十一男で、信長の13歳下の弟です。幼名を源吾(あるいは源五郎)と言いました。織田家の有力な武将として重要な儀礼に参加していました。
本能寺の変で信長が自刃すると、長益は信長の長男織田信忠とともに二条御所に移るも敵襲をうけ、信忠が親王を逃走させて自害するも長益は難を逃れます。
その後、信長の次男の信雄、豊臣秀吉に仕え、秀吉死後は徳川家康とのかかわりを深くしていきます。

大坂夏の陣を前に京都・二条へ移り、建仁寺塔頭・正伝院を再興し、ここを隠棲の地とします。
有楽斎は、利休十哲の一人にも数えられ、高僧や古田織部、細川三斎、伊達政宗などの武将と結びながら茶会を開いています。多くの文化人とも交流し、これらの活動を示す書状は今も正伝院に残されています。茶室如庵は現在、国宝に指定されています。

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・織田有楽斎坐像 一軀 江戸時代
17世紀 正伝永源院
・大井戸茶碗 有楽井戸 一口 朝鮮王朝時代
16世紀 東京国立博物館

展覧会の構成です。
第1章 織田長益の活躍と逸話―“逃げた男”と呼んだのは誰か
本章では、武将・織田長益の実像を、歴史資料を通して見つめなおします。長益は実際に何を思い、何を為したのでしょうか。

第2章 有楽斎の交友関係
本章では、有楽斎が残した書状を通して、茶人としてまた、文化人として活躍する彼の姿に光を当てます。
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織田有楽斎書状 小出信濃守宛 一幅 江戸時代・17世紀 正伝永源院 【通期展示】
有楽斎から小出信濃守への書状。有楽斎は小出信濃守から12月11日朝の茶会に招待されていた。しかし、その直前に急きょ小出が別れの挨拶をよこして上洛し、そのまま会えずじまいとなり残念だと記す。そして、来春京都で会いましょうと結んでいる。小出信濃守とは、かつて豊臣秀吉に仕えた尾張出身の大名小出吉政(1565~1613)または吉政の次男小出吉親(1590~1668)と推定される。(キャプションから)

第3章 数寄者としての有楽斎
今日各地に伝わる、かつて有楽斎が所持した、あるいは好んだと伝わる茶道具の名品から、数寄者としての有楽斎の姿に触れることができます。本章では有楽斎旧蔵の伝来を持つ茶道具、また「有楽好み」をうかがい知ることのできる品々をご紹介します。(本展解説から)
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唐物文琳茶入 銘 玉垣 一口 南宋時代 12~13世紀 遠山記念館 【通期展示】
底面に見えている胎土が神社の朱塗りの垣根(緋の玉垣)を思わせたことから「玉垣文琳」の銘が付いたという。慶長17年(1612)、豊臣秀頼が有楽斎邸に御成りの際、有楽斎から、豊臣家へ献上された。大坂夏の陣で大阪城が落城すると玉垣文琳は蔵の崩壊に巻き込まれて割れてしまうが、焼跡から欠片が発掘され漆で見事に修復された。(キャプションから)

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重文 緑釉四足壷 一口 平安時代・9世紀 慈照院【通期展示】
猿投窯(現在の愛知県)で平安時代に焼かれた高級施釉陶器。中国・越州窯系の青磁四足小壺をモデルに、その形を大型化したと考えられている。本作は有楽斎から京都・相国寺の塔頭である慈照院の僧昕叔顕啅が茶の湯を通じて親しく交流していたことがうかがえる。(キャプションから)

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呼続茶碗 一口 桃山時代 16~17世紀 永青文庫 【通期展示】
呼続とは、茶碗などの欠けた部分を別の陶磁器の破片で継ぎ合わすことで、一般には同系統の陶片を組み合わせる。本作のように濃い茶系色の釉薬のかかった瀬戸と染付陶片は互いに質感も異なり意表を突く組み合わせであるものの濃茶色と染付の青色がよく調和し大いに茶味を増している。細川三斎(忠興)所用の伝来を持つ。(キャプションから)

 

第4章 正伝永源院の寺宝
現在の正伝永源院に伝わる寺宝は、必ずしもすべてが織田有楽斎の生きた時代から所蔵されていたものと断定はできません。しかしながら《織田有楽斎像》をはじめとする絵画、墨蹟類、そして寺内に残る狩野山楽の襖絵など、貴重な寺宝が現在も脈々と継承されています。本章では有楽斎没後の正伝院に納められた寺宝を中心にご紹介します。(本展解説から)
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蓮鷺図襖(部分) 狩野山楽 十六面 江戸時代 17世紀 正伝永源院 【通期展示】
正伝永源院客殿の室中には、有楽斎が再興した正伝院から移された蓮鷺ず襖がある。金地を背景に緑鮮やかな蓮の葉を白く正常な蓮の花が連続して描かれる。空には鷺や燕が軽やかに飛びかう。東側には咲き始めの蓮の花、北側には満開の蓮の花、西側には散りかけた蓮の花や枯葉が描かれ、一部屋全体で季節の移ろいが意識されている。同じく正伝院にあったとされる「禅宗始祖図」と同じように筆者は狩野山楽(1559~1635)と推測されている。(キャプションから)


第5章 織田有楽斎と正伝永源院―いま、そしてこれから―
本章では、正伝永源院と寺号を改めた後に納められた寺宝を中心にご紹介します。
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黒樂「正傳院」字茶碗 伝 仁阿弥道八 二口 江戸時代・19世紀 正伝永源院 【通期展示】
正伝院のために作られた黒茶碗。口縁がやや内に抱えこみ、胴には小さな鋏あと(焼成後、釉が冷える前に窯ないから茶碗を取り出すのに用いる鋏の跡が認められる。黒釉の中に「正傳院」の三文字が白く鮮明に浮かび上がる。共箱や印・銘はないものの、江戸時代後期の京都の投稿仁阿弥道八(1783~1855)の作とつたわる。(キャプションから)


―HPの解説ー
有楽斎(うらくさい)こと織田長益は天文16年(1547)に織田信秀の子、織田信長の弟として生まれました。武将として活躍し、晩年には京都・建仁寺の塔頭「正伝院」を再興、隠棲します。正伝院内に有楽斎が建てた茶室「如庵」は国宝に指定され、現在は愛知県犬山市の有楽苑内にあり、各地に如庵の写しが造られています。正伝院は明治時代に「正伝永源院」と寺名を改め、いまに至るまで有楽斎ゆかりの貴重な文化財を伝えています。
しかし茶人・有楽斎として名高い一方、武士・長益には悲観的なイメージも伴います。天正10年(1582)に起きた本能寺の変では、二条御所に籠る長益の主君・信忠(信長の長男)が自害したにもかかわらず、長益は御所を脱出したことから、京の人々には「逃げた(男)」と揶揄されました。さらにその後、信雄(信長の次男)に仕え、徳川家康と豊臣秀吉の講和を調整するなど存在感を示したものの、信雄が改易されると今度は秀吉の御伽衆に加わります。関ヶ原の戦いでは東軍として参戦し、戦後も豊臣家に仕えましたが、大坂夏の陣の前には家康の許可を得て主君から離れました。
信長、秀吉、家康の三天下人に仕えて時流を乗り切り、晩年を京で過ごした織田有楽斎の心中には、どのような思いがあったのでしょうか。本展覧会は、2021年に400年遠忌を迎えた織田有楽斎という人物を、いま一度総合的に捉えなおそうと構成したものです。

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2024.02.04

本阿弥光悦の大宇宙

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本阿弥光悦の大宇宙

会期 2024年1月16日(火) ~ 2024年3月10日(日)

東京国立博物館


本阿弥光悦は、1558年に刀剣三事(研磨、浄拭〈ぬぐい〉、鑑定)を家職とする室町以来の名門に生まれました。
桶狭間の戦い(1560年)の二年前です。
戦乱の時代を生きた光悦・・・
大坂夏の陣(1615年)の後に家康から高峯の地を拝領しました。(1616年家康没)
光悦が亡くなったのは1637年、島原の乱が始まった年です。

光悦は、熱心な日蓮法華宗の信者でもありました。

「一生涯へつらい候事至てきらひの人」で「異風者」(『本阿弥行状記』)

(画像はクリックで拡大表示になります)
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国宝 舟橋蒔絵硯箱 本阿弥光悦作 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵
張りきった袋のように膨らむ甲盛りの形状において、本作は他とか区別した位置にある。格の高い金地の器面を横断する厚めの鉛板、光悦の書風を示す銀文字とともに「光悦蒔絵」を代表する、圧倒的な存在感を示している。(キャプションから)

本阿弥光悦坐像 伝本阿弥光甫作 江戸時代・17世紀
光悦の顔は、とりわけ耳朶が大きく、目を細め笑顔のように見える。本像の裏面には「似相州星降梅造之光悦像」とあり、日蓮聖人(1222~82)の伝承で知られる「星降梅」の木によって本像が造られたという。(キャプションから)

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展覧会の構成です。
第一章 本阿弥家の家職と法華信仰ー光悦芸術の源泉
・本阿弥家と名物刀剣
・「花形美」と「忍ぶ草」の意味
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重要美術品 短刀 銘 兼氏 金象嵌 花形美 志津兼氏 鎌倉~南北時代・14世紀
光悦の指料と伝わる唯一の刀剣。兼氏は正宗の高弟といわれる美濃国(岐阜県)の名工。希少な在銘作で精美な地鉄に躍動的な刀文を焼きいれる。金象嵌の花形見は、能の花筐に由来すると考えられる。(キャプションから)

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(刀装)刻鞘変り塗り忍ぶ草 蒔絵合口腰刀 江戸時代・17世紀 
「短刀銘兼氏金象嵌花形美」の拵。刻鞘を朱漆で刷毛目塗とし、さらに金蒔絵で忍ぶ草を全体に飾る。この華やかで印象的な意匠は、刀身に金象嵌された花形美の意味と関連していると考えられる。(キャプションから)

・本阿弥光悦ゆかりの地
・鷹峯と本阿弥家の位置関係

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『法華経』 第8巻・巻首 
開経「無量義経」結経「観普賢経」とあわせて10巻一具が完備する。本経を光悦が寄進した経緯を記した寄進状によれば「三蹟」で知られる小野道風(894~966)による写経という。(キャプションから)


第二章 謡本と光悦蒔絵-炸裂する言葉とかたち
謡や和歌、連歌などを含む文芸を通じて培われた言葉と図像は、当時の人々にどのようにして受け止められたのか。斬新な形態にいたる造形の流れと、謎めいた図像を読み解く豊饒な文学世界からあらためて「光悦蒔絵」の姿を照射する。(本展解説パネルから)
・謡本の絵
・嵯峨本
・光悦と漆芸
・蜂須賀家の旧蔵品
・五十嵐家


第三章 光悦の筆線と字姿ー二次元空間の妙技
多彩な表情をみせる筆線と字姿を通じて能書とうたわれた光悦の生身の表現力をご覧いただきたい。
飛び渡る鶴を金銀泥で描いた料紙に、平安時代に選ばれた三十六歌仙の和歌を書写した一巻。鶴の動きや群れの密度にあわせて巧みな散らし書きを見せ、俵屋宗達筆とされる下絵とともに光悦の書を代表する名品。(展示会場パネル解説から)

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重要文化財 鶴下絵三十六歌仙和歌巻 本阿弥光悦筆/俵屋宗達下絵 江戸時代・17世紀 京都国立博物館蔵

・蓮の下絵と光悦の法華信仰
・光悦の書状にみる書風の変遷
・平安古筆と唐紙
・光悦の筆遣いと墨の表現

第四章 光悦茶碗ー土の刀剣
光悦の作陶は、元和元年(1615)に徳川家康から鷹峯を拝領して以来、本格化したと考えられている。一碗一碗かたちや釉調が異なり、それぞれに際立った個性を放つが、緩急の効いた削りや土の質感を活かした独特の施釉に、刀の世界に生きてきた光悦ならではの、鋭敏な意識をうかがうことができる。(本展解説パネルから)
・茶碗の革新 樂家初代長次郎
・今を映す茶碗ー三代道入と光悦 

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重要文化財 銘 時雨 本阿弥光悦作 江戸時代・17世紀 愛知・名古屋市博物館蔵
抑制された形で引き締まって見える。総体に漂う静けさと緊張感を初冬特有の時雨模様にたとえたのであろう。数寄者として知られる森川如春庵(1887~1980)はこれをわずか16歳で手にした。光悦茶碗を代表する名品である。(キャプションから)

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重要文化財 赤樂茶碗 銘 加賀 本阿弥光悦作 江戸時代・17世紀 京都・相国寺蔵

―HPの解説ー
本阿弥光悦(ほんあみこうえつ・1558〜1637)は戦乱の時代に生き、さまざまな造形にかかわり、革新的で傑出した品々を生み出しました。それらは後代の日本文化に大きな影響を与えています。しかし光悦の世界は大宇宙(マクロコスモス)のごとく深淵で、その全体像をたどることは容易ではありません。

そこでこの展覧会では、光悦自身の手による書や作陶にあらわれた内面世界と、同じ信仰のもとに参集した工匠たちがかかわった蒔絵など同時代の社会状況に応答した造形とを結び付ける糸として、本阿弥家の信仰とともに、当時の法華町衆の社会についても注目します。造形の世界の最新研究と信仰のあり様とを照らしあわせることで、総合的に光悦を見通そうとするものです。

「一生涯へつらい候事至てきらひの人」で「異風者」(『本阿弥行状記』)といわれた光悦が、篤い信仰のもと確固とした精神に裏打ちされた美意識によって作り上げた諸芸の優品の数々は、現代において私たちの目にどのように映るのか。本展を通じて紹介いたします。

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