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2023.12.27

みちのく いとしい仏たち



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みちのく いとしい仏たち

会期 2023年12月2日(土) ~ 2024年2月12日(月)

東京ステーションギャラリー


青森・岩手・秋田の北東北のくらしのなかで、仏師でも造仏僧でもない、大工や木地師の手によって彫られた民間仏。
人々の悩みや祈りに耳をかたむけてきた個性派ぞろいの木像約130点を紹介し、日本の信仰のかたちについて考えます。

円空の仏像をイメージして観に行きました。
北東北に人々の祈り、救いへの思いを刻んだ民間仏は、一点一点が超個性的で、その造形のやさしさに惚れ惚れでした。
しみじみと素敵な企画展です。

円空仏を真似たと思われる(とキャプションにありました)民間仏の展示もありました。

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展覧会の構成は以下の通りです。
(会場の解説、キャプションを参考にしています)

第1章 ホトケとカミ
第2章 山と村のカミ
神像というカミの一般的な表現にみちのくもなじんだ近世になっても、依然としてカミかホトケか迷うような不思議な神像がいくつも生まれました。
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《山神像》江戸時代 兄川山神社岩手県八幡平市 
大きな頭部のとんでもないプロポーション、さらには如来像と男神像を合体した姿はいかなみちのくでもこの一体きりです。背には「長右衛門」と作者らしき刻銘もあります。

第3章 笑みをたたえる
仏像は厳しい表情か、つんとすました無表情かほとんどで、その方がありがたく威厳もありそうです。ところが民間仏はそんな格好つけと無縁です。泣いて怒って生きるつらさをつぶやく人に「いいんだあ、いっぺ泣ないでいけ」とニコニコ語る仏像は宗教造形としてまちがっているでしょうか。

第4章 いのりのかたち 宝積寺六観音像
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《千手観音像(六観音立像のうち)》 江戸時代 宝積寺/岩手県葛巻町 
この観音像は東北の誇りです。良くも悪くも中央の専門仏師には絶対に作りえない造形だからです。静かな顔立ちと対照的に大胆で立体的に衣の表現は江戸時代の仏像全体を見回してもめったに見かけません。

第5章 ブイブイいわせる
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《不動明王二童子立像》江戸時代 洞圓寺 青森県田子町 
こんなになで肩でしなやかな不動明王にはめったにお目にかかれません。剣と羂索を持つ腕がちっちゃい!渦巻く髪は制吒迦童子も一緒で、童子2体はプリプリした童子体型そのものです。

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《達磨像》江戸時代 個人蔵/青森県南部町

第6章 やさしくしかって
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《鬼形像》江戸時代 正福寺/岩手県葛巻町
鬼たちも役者揃いです。女性を左手に引きずる鬼が主役でしょう。巨大な耳に頬かむり、顎髭、胸毛、腹毛やすね毛まで表されています。

第7章 大工 右衛門四良(えもんしろう)
青森県十和田市の洞内に代々長坂屋右衛門四良を名乗る大工の家がありそのうち安永8年(1779)に亡くなった右衛門四良が刻んだ仏像、神像が菩提寺である法蓮寺と、隣の七戸町の青岩寺だけでおよそ100体あります。民間仏の作者が知られるのはきわめてまれで、なおかつこれだけ多数の像が残っているのは奇跡です。
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《童子跪坐像》右衛門四良作 江戸時代(18世紀後半) 法蓮寺/青森県十和田市
鬼や十王の前でごめんなさいごめんなさいと謝る様子を示すため、像底は揺れるしかけになってます。各地の地獄群像に時々亡者像はありますが、これほどにかわいく切ない像はありません。明らかに賽の河原でさいなまれる童子をイメージしています。

第8章 かわいくて かなしくて
なぜみちのくの民間仏はかわいいのか、祈り見つめる根底につらさ切なさ、くやしさがあるからです。
それを「てえしたこだねのさ」と笑ってみせるやさしさが、ニコニコする仏像たちを生んできたのです。老幼男女を問わず、命のはかなさや自然の厳しさを知る人々が手を合わせた仏像は悲しさを秘めているからかわいいのです。
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《子安観音坐像》江戸時代 龍像院 秋田県大仙寺
赤子の姿が簡略なものの光背や蓮華座もあり仏像らしい姿です。でも左前に着た衣裳や強く抱く両手には自ずと造形事情がうかがえます。場所や時期を異にしても、みちのくの祈りを素直に刻満たした子安観音坐像には普遍的な価値がありそうです。

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―HPの解説ー
北東北のくらしが生んだ やさしい祈りのかたち
江戸時代、寺院の本堂の形状や荘厳(しょうごん)が均一化され、上方や江戸で造られた立派な仏像が日本各地の寺院でご本尊として祀られるようになったいっぽうで、地方の村々では小さなお堂や祠などを拠り所として、素朴でユニークな仏像・神像が祀られました。仏師でも造仏僧でもない、大工や木地師(きじし)の手によるこれら民間仏は、端正な顔立ちや姿のご本尊と違って、煌びやかな装飾はありません。
その彫りの拙さやプロポーションのぎこちなさは、単にユニークなだけではなく、厳しい風土を生きるみちのくの人々の心情を映した祈りのかたちそのものといえます。
青森・岩手・秋田の北東北のくらしのなかで、人々の悩みや祈りに耳をかたむけてきた個性派ぞろいの木像約130点を紹介し、日本の信仰のかたちについて考えます。

 

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