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2023.11.04

生誕100年 遠藤周作展 ミライを灯すことば

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生誕100年 遠藤周作展 ミライを灯すことば

会期 2023年10月21日(土)~12月24日(日)

町田市文学館ことばらんど


(以下、展示会場に掲示されている文章を参照しています)

私が洗礼を受けたのは先にも書いたように、自分の意思からでははなかったが、
その後、私にとってあの林にいた犬の眼が人間を見るイエスの眼に重なることがある。小鳥だってそうだ。私は十姉妹を飼ったことがあるが、その一羽が病気になり、私の手の中で息を引きとったことがあった。うすい白い膜が彼の眼を覆いはじめる時ーーそれは十字架で息を引きとったイエスの眼を私に連想させた。犬や小鳥はたんに犬や小鳥ではない。それは我々を包み我々を遠くから見守っていてくれる小さな投影なのだーー「犬と小鳥と」

展示会場には、さまざまな関連資料とともに”遠藤周作のこのような文章”が所狭しと並んでいます。

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チラシの表紙の絵は©横尾忠則
(この画像はクリックで拡大表示になります)

 

展示構成は次の通りです。

・小説家遠藤周作
【影に対して】
2020年、長崎市遠藤周作文学館で発見された小説「影にたいして」。
用いられた原稿用紙から町田市在住時代に執筆されたことが推察される。
「むかし幾度、彼は父と母のことを小説に書こうとしただろう。だが原稿用紙に筆を走らせながら、勝呂は父に対しては意地悪な、母に対しては甘い自分の眼からどうしても抜けきれぬのを感じて書き続けるのをあきらめた」


・テーマ 差別
【白い人】
フランス留学体験が元となり、留学から帰国後2年をかけて「白い人」を執筆。
「白い人」は、ナチス占領下のフランス、リヨンでゲシュタポの一員となった「私」が自らの生い立ち、容姿へのコンプレックス、加虐への目覚めを綴った手記。
芥川賞を受賞し、作家としての第一歩となった。


・テーマ 良心
【海と毒薬】ーー良心とは何か
「仕方がないからねえ。
あの時だってどうにも仕方がなかったのだが、これからだって自信がない。これからもおなじような境遇におかれたら、僕はやはり、アレをやっていまうかもしれない・・アレをね」


・テーマ 弱さ
【沈黙】
「私は戦争中から自分が弱いせいで、何度も踏絵を踏んできました。戦争が終わった後も、ずいぶん踏絵を踏んでいます。自分の人生の踏絵をいくつも踏み続けながら生きてきた。これからも踏絵を前に出されたら、踏んでしまうでしょう。私は自分が強者だとはとても思えない。いつだって弱者ですーー「人生にも踏絵があるのだから」


・神・時代
【侍】ーー王に会いに行った男
藩主の命によりローマ法王への親書を携えて、「侍」は海を渡った。
「あまたの国を歩いた。大きな海も横切った。それなのに結局、自分が戻ってきたのは土地が瘦せ、貧しい村しかないここだという実感が今更のように胸にこみあげてくる。それでいいのだと侍は思う。ひろい世界、あまたの国、大きな海。だが人間はどこでも変わりなかった。どこにも争いがあり、駆引きや術策が働いていた。(略)侍は自分が見たのは、あまたの土地、あまたの国、あまた町ではなく、結局は人間のどうにもならぬ宿業だと思った。そしてその人間の宿業の上にあのやせこけた醜い男が手足を釘づけにされて首を垂れていた」


・理想のひとーーガストン・森田ミツ
日本にやってきたフランス人のガストン。彼はナポレオンの末裔と称する青年です。弱虫でドジだけど、お人好しな〝おバカさん〟は、行く先々で珍事を巻き起こしていきます。
「沈黙」や「侍」に先立って発表された二つの中間小説「オバカさん」と「わたしが捨てた女」
ガストン、森田ミツ両者は、遠藤が理想とする人間像、イエス像となって後の作品にも登場する。


・遠藤周作と町田
町田市玉川学園の自宅を「狐狸庵」と名付け、1964年から過ごした20余年の間にテレビのインタビュー番組やCMにも出演してユーモアに富む言動で幅広い人々に親しまれました。(HPから)


・テーマ 怪物
【スキャンダル】ーーほほえむ怪物
「長年のあいだ勝呂は小説を書きながら、どんな人間の陋劣のなかにも救いの徴を見ることが出来ると思ってきた。どんな罪にも再生のエネルギーがひそかに鼓動をうっていると信じてきた。だからこそ照れながらも自分をクリスチャンだと信じることができた。だが今日からはこの醜悪を自分のものと認めざるをえない。醜悪のなかにも救いの徴を見つけなけらばならない」


・テーマ 人生
【深い河】
人生の悲哀や問を抱えてインドツアーに参加した美津子ら4人と、カトリック司祭でありながらヒンズー教徒のために生きる大津の人生が、母なる河ガンジスを舞台に交錯し、それぞれが自分なりの答えを見出していく。  
[磯部]一人ぼっちになった今、磯部は生活と人生とが根本的に違うことがやっとわかってきた。そして自分には生活のために交わった他人は多かったが、人生の中で本当にふれあった人間はたった二人、母と妻しいなかったことを認めざるをえなかった。(略)河は彼の叫びを受けとめたまま黙々と流れていく、だがその銀色の沈黙にはある力があった。


―HPの解説ー
生誕100年を迎えた作家・遠藤周作(1923-1996)。新資料の発見が相次ぎ、再注目されている日本を代表する作家の一人です。「日本人にとってのキリスト教」を文学テーマの基底に据え、重厚な純文学作品から歴史小説、エンターテインメント小説、戯曲まで多彩なジャンルの作品を生み出しました。そして、これらの作品において差別、罪の意識、個と権力、人間の弱さなどの心の暗部を描き出し、本当の自分とは何か、悪に救いはあるのか、人生とは、神、信仰とは何かを問い続けました。教え諭すのではなく共に悩み苦しみ、弱者に寄り添うことで多様性への寛容を示した遠藤文学は多くの読者を慰め、勇気づけています。また、もう一つの名・狐狸庵先生としてエッセイを次々と発表。町田市玉川学園の自宅を「狐狸庵」と名付け、1964年から過ごした20余年の間にテレビのインタビュー番組やCMにも出演してユーモアに富む言動で幅広い人々に親しまれました。遠藤は後年、二つの名を持ったことにより「人一倍、生きた」という充足感を得られたと語っています。
本展では、次世代に語り継ぐ文学として遠藤文学の再評価を試みます。代表作『白い人』『海と毒薬』『沈黙』『侍』『スキャンダル』『深い河』を、現代作家 山崎ナオコーラ、夏川草介、朝井まかて、阿部暁子氏らが新たな視点で読み解き、いま読むべき文学としての意義を提示します。社会的不安が蔓延し、孤立や孤独、生きづらさ感じる現代。遠藤文学の新たな地平から、生きることの意味、未来を灯すメッセージを読みとっていただければ幸いです。

  

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