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2023.10.19

楊洲周延 明治を描き尽くした浮世絵師

楊洲周延 明治を描き尽くした浮世絵師

会期 2023年10月7日(土)〜12月10日(日)
会期中、展示替えがあります。
前期 10月7日(土)〜11月5日(日)
後期 11月8日(水)〜12月10日(日)

町田市立国際版画美術館


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天保9年(1838)、高田藩(現・新潟県上越市)で生まれ楊洲周延は、歌川国芳や三代歌川豊国、豊原国周ら歌川派の絵師に師事しました。
幕末の戊辰戦争では、旧幕府軍に加わり江戸の高田藩士として上野戦争、函館戦争を戦いました。本格的に絵師としての活動を開始したのは40歳となる明治10年頃でした。
大正元年(1912)に亡くなった揚州周延。
約300点の作品で”明治を描きつくした浮世絵師”の全貌に迫ります。


展示構成の構成は以下の通りです。
一部の作品が撮影可です。(条件あり)
(画像はクリックで拡大表示になります)
HPの解説を参考にしています。

1章  高田藩士・橋本直義の時代―幕末~明治初年―
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豊原国周、楊洲周延 今様けんし 宮しま船中遊 明治 2 年(1869)9 月 町田市立国際版画美術館蔵

2章 浮世絵師・楊洲周延として立つ―明治8~10年頃―
明治10年(1877)、鹿児島で西南戦争が起こると、戦場の様子を臨場感あふれる描写で描き出しました。明治10年は、浮世絵師としてさらなる飛躍を遂げる地盤を固めた年となりました。
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楊洲周延 鹿児島記聞 延岡大武村激戦図 御届:明治10 年(1877)8 月13 日 町田市立国際版画美術館蔵

3章 画風の模索―明治11~16年―
周延は、自らの可能性を広げるように東京名所や美人、役者、時事など多様なテーマに取り組んでいきました。20231022
楊洲周延「青山仮皇居御能ノ図」御届:明治11年(1878)7月20日、町田市立国際版画美術館蔵


4章 美人画の絵師へ―明治17~19年―
この時期から周延は“美人画の絵師”としての活躍が顕著になります。

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楊洲周延 東絵昼夜競 伊賀の局 御届:明治 19 年(1886)1 月 国立歴史民俗博物館蔵

 

5章 二大テーマの誕生:開化と懐古―明治20~23年―
明治維新から約20年、女性たちの洋服や西洋風の髪型の導入が奨励されるようになり、周延の主要画題の一つとなったのが洋装の女性像でした。
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楊洲周延「飛鳥園遊覧之図」明治21年(1888)、町田市立国際版画美術館蔵

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揚州周延温故東の花 第七篇 将軍家於吹上而公事情操の図 町田市立国際版画美術館蔵


6章 広がる活動―明治24~26年―
明治20年代中頃の浮世絵界は、刊行数が減少する衰退期とされ、周延も例外ではなく、制作点数はあまり多くはありません。様々な表現上の試みを行ています。
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楊洲周延 二十四孝見立画合 十四 王裒 出版:明治 23 年(1890) 町田市立国際版画美術館蔵 

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楊洲周延 初春少女の戯 出版:[明治24年(1891)12月23日] 町田市立国際版画美術館蔵

 

7章 浮世絵をこえて―明治27~31年―
明治20年代後半以降、江戸城大奥の女性像は周延を象徴する画題となます。
「過去を描く」という姿勢がこの時期を貫く特徴となります。
一方で「今を描く」という視点も失っていません。『真美人(しんびじん)』は、現代に生きるさまざまな女性を描いた揃物です。 20231013
楊洲周延「時代かゞみ 慶長之頃」明治29年(1896)、町田市立国際版画美術館蔵

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楊洲周延 真美人 丗二 発行:明治30 年(1897)12 月25 日 町田市立国際版画美術館蔵

 

8章 浮世絵最後のきらめき―明治30~40年代―
明治37-38年(1904-05)の日露戦争で戦争錦絵に関する仕事を手がけた時期を最後に、周延はほぼ錦絵の制作を終えます。晩年には肉筆画の依頼にも多数応じ、かつて錦絵で得意としていた画題を応用した作例も残されています。
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楊洲周延 千代田之大奥 おたち退 発行:明治29 年(1896)3 月13 日 町田市立国際版画美術館蔵

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通期展示】楊洲周延「流鏑馬之図」明治43年(1910)、紙本金地着色、上越市立歴史博物館蔵


―HPの解説ー
天保9年(1838)、高田藩(現・新潟県上越市)江戸詰の藩士・橋本直恕の嫡男として誕生した楊洲周延は、若き日より歌川国芳や三代歌川豊国、豊原国周(とよはらくにちか)ら歌川派の絵師に師事し、画技を身につけました。しかし幕末の戊辰戦争では、江戸の高田藩士で結成された神木隊(しんぼくたい)として上野戦争に参戦。榎本武揚ら率いる旧幕府軍に加わり箱館戦争を戦うといった激動のときを過ごします。本格的に絵師としての活動を開始したのは40歳となる明治10年頃でした。刀を絵筆に持ち替えた周延は、優美な美人画から躍動感ある役者絵、戦争絵、歴史画、時事画題まで、まさに「明治」という時代を描き尽くします。

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