ベルギーと日本 光をえがき、命をかたどる 目黒区美術館
ベルギーと日本 光をえがき、命をかたどる
会期:2023年4月29日(土)〜6月18日(日)
この展覧会は一部の作品を除いて撮影可でした。(条件あり)
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戦前の日本人画家の欧米への留学中の作品を収集方針に掲げる目黒区美術館は、ベルギーに留学した太田喜二郎の作品を収蔵しています。
太田と同様にベルギー留学した芸術家、画家の児島虎次郎、彫刻家の武石弘三郎。
この3人の作家と、彼らに関連するベルギーや日本の作家、そして当時の印刷物による紹介や展示などにも着目し、戦前の日本におけるベルギー美術の受容について探ります。
展覧会の構成は次の通りです。
第1章 光を描く:ベルギーの印象派絵画と日本
1 白馬会とウイッツマン
2 太田喜二郎と児島虎次郎のベルギー留学
(1)ベルギーの画家たち
(2)太田喜二郎のベルギー留学
(3)児島虎次郎のベルギー留学
3 日本の印象派
(1)外光派と印象派
(2)帰国後の児島虎次郎
(3)帰国後の太田喜二郎
第2章 命をかたどる:ベルギーの彫刻と日本
1 武石弘三郎のベルギー留学
2 コンスタンタン・ムーニエの衝撃
(1)コンスタンタン・ムーニエ
(2)ムーニエに影響を受けた日本の彫刻家
第3章 伝える・もたらす:ベルギー美術の紹介
1 児島虎次郎によるベルギー美術の紹介
2 ベルギーと日本の友好の証:戦災と震災のチャリティー展
(1)第一次世界大戦の戦禍のベルギーを救え 「恤兵美術展覧会」
(2)第一次世界大戦の戦禍のベルギーを救え 「欧州大家絵画展覧会」
(3)関東大震災とベルギー大使ド・バッソンピエール
3 フェリシアン・ロップス:官能と諧謔
4 滝口修三とルネ・マグリッド
(左)ジャン=ジョセフ・デルヴァン 連馬 制作年不詳 油彩・キャンバス 大原美術館
(右)エミール・クラウス フランドル地方の収穫 1904(明治37)年頃 油彩・キャンバス 姫路市立美術館
太田喜二郎 赤い日傘 1912(大正元)年 油彩・キャンバス 新潟大学
(左)児島虎次郎 和服を着たベルギーの少女 1910(明治43)年 油彩・キャンバス 高梁市成羽美術館
(右)児島虎次郎 和服を着たベルギーの婦人 1909(明治42)年 油彩・キャンバス 高梁市成羽美術館
吉田 苞 初 秋 1926(大正15)年 油彩・キャンバス 株式会社天満屋
(上)コンスタンタン・ムーニエ 坑夫(平櫛田中旧蔵) 制作年不詳 ブロンズ 東京藝術大学
(下)コンスタンタン・ムーニエ 坑夫(太田喜二郎旧蔵) 制作年不詳 ブロンズ 個人蔵
(右)コンスタンタン・ムーニエ 攪錬工 制作年不詳 石膏着色 個人蔵
吉田三郎 老坑夫 1919(大正8)年 ブロンズ 東京国立近代美術館
武石弘三郎 裸婦浮彫 1939(昭和14)年 大理石 新潟県立近代美術館・
万代島美術館
ジュール・ヴァン・ド・レーヌ 牡丹 制作年不詳 油彩・板 姫路市立美術館
ギュギュっと解説_ベルギーと日本 光をえがき、命をかたどる
目黒区美術館Meguro Museum of Art
―HPの解説ー
展覧会の概要
戦前の日本人画家の欧米への留学中の作品を収集方針に掲げる目黒区美術館は、ベルギーに留学した太田喜二郎の作品を収蔵しています。当時、パリ留学が主流であった中で、少数ですが、太田と同様にベルギー留学した芸術家がいました。画家の児島虎次郎と、彫刻家の武石弘三郎です。太田と児島は、ともにゲントの王立美術学校に通い、ベルギーの印象派の画家、エミール・クラウスからも学びます。武石は、ブリュッセル王立美術学校を優秀な成績で卒業し、帰国後は肖像彫刻家として人気を博しました。戦前の日本で「炭坑夫の彫刻家」として人気のあったベルギーの彫刻家、コンスタンタン・ムーニエの日本への紹介でも知られています。この度は、この3人の作家と彼らに関連するベルギーや日本の作家以外に、当時の印刷物による紹介や展示などにも着目し、戦前の日本におけるベルギー美術の受容について探ります。
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