没後190年 木米
会場のバナー
風門の中に王義之が満面の笑みを浮かべ風門の下の鵞鳥を眺めている。
没後190年 木米は、
サントリー美術館で開催されています。
会期 2023年2月20日(水)~3月26日(日)
(この画像(チラシ)はクリックで拡大表示になります)
江戸時代後期の京都を代表する陶工で画家、そして文人の木米の展覧会です。
展覧会の構成は次の通りです。(展示会場の解説、キャプションを引用しています)
第一章 文人・木米、やきものに遊ぶ
木米は十代の頃から偉大な文人高芙蓉のもとで篆刻などを習い、また古器物の鑑賞を好み文人としての修行を積みました。
・文人とは
木米が生きた時代の日本における文人とは、中国の文人の「詩書画三絶(詩と書と画が共に優れていること)」の世界に憧れを持ち、中国の学問や芸術の素養を身に着けた人たちです。彼らは独自の文人ネットワークを作り、全国規模で活発に交流しました。そして、お互いの個性を尊重しながら、思い思いに文人としての生き方を追求したのです。
《三彩鉢》 木米 一口 文化4~5年(1807~1808) サントリー美術館
黄・緑・紫で塗り分けられ、中国、清時代の景徳鎮窯の素三彩が手本と思われる。
《染付名花十友図三段重箱》 木米 一合 江戸時代19世紀 京都国立博物館
文人画の画題としても好まれた「名花十夜」という主題に基づき、重箱の表面に黒ずんだ染付で十種類の花を描く。
・木米金沢へ
・茶の湯のやきき物と木米
・木米の師、奥田潁川(1753-1811)
・潁川門下、仁阿弥道八(1785-1855)
・潁川門下、欽古堂亀佑(1765-1837)
・木米の轆轤の師岡田久太(?-1832)
・同時代の名工、永楽保全(1795-1854)
第二章 文人・木米、煎茶を愛す
煎茶流行の時代、木米は涼炉(湯を沸かす焜炉)や急須、煎茶碗などを作り、三十代の頃からすでに好評を得ていました。中国陶器を中心にいろいろな古陶磁器の要素うを自由に換骨奪胎する木米の「遊び」は、煎茶器にも遺憾なく発揮されました。
《金襴手花鳥文煎茶碗》 木米 五口の内 江戸時代19世紀 早稲田大学會津八一記念博物館(富岡重憲コレクション)
赤地金襴手の蓮池水禽文の煎茶碗とひとくちに言っても、木米は一揃えごとに茶碗の形を少しずつ変えながら制作しています。
《南蛮急須》 木米 一合 江戸時代19世紀 個人蔵
木米のいう「南蛮」とは、「茶碗における南蛮物と同様に焼締めの肌をもつ海外製のやきもの」であろうか。
・上田秋成
・文字を纏う煎茶器
木米は、表面にたくさんの文字を彫ったり描いたりした煎茶器を制作しました。文字の内容は、お茶を主題とした中国の詩、あるいは中国茶の名産地や歴史や茶器の伝記などです。こうした作品には、陶工であると同時に煎茶を愛好し若いころ篆刻を学び、そして読者を愛した木米という文人の個性が強く表れています。
《白泥詩文涼炉》 木米 一基 文政7年(1824) 個人蔵
涼炉の側面に茶詩を丁寧に彫刻している。
第三章 文人・木米と愉快な仲間たち
親友で画家の田能村竹田(1777-1835)のほか、儒学者の頼山陽(1780-1832)僧の雲華(1773-1850)蘭方医の小石元端(1784-1849)といった人々は、木米が晩年に親交した当代一流の文人でした。年若い彼らの中にあって、文字に通じた「識字陶工」として、博識で知的ユーモアにあふれた木米は、あたたかな尊敬の眼差しを向けられていたようです。
《木米喫茶図》 田能村竹田 文政6年(1823) 一幅 個人蔵
本作は、竹田が初めて木米に出会った時の様子を描いた木米の肖像画である。木米は急須をかけた涼炉を傍らに置き、小さな煎茶碗を両手に抱えほっと一息ついたような姿をしている。
・木米の交友関係
第四章 文人・木米、絵にも遊ぶ
木米の絵画の特徴は、主題の大半を山水図で占めること、そして何より「為書」すなわち誰かのために書いた作品が多いことが挙げられます。為書のある作品は、いわば、その人物に宛てた木米の私信のようなものです。
・絵の中に遊ぶ
重要美術品 《化物山水図》 木米 一幅 文政12年(1829) 個人蔵
文政12年10月、木米63歳の作。牡蠣の殻のような異様な山頂を、滝壺付近に座した高士が見つめている。木米自身が本作を「化物山水」と命名した。
ーHPの解説ー
江戸時代後期の京都を代表する陶工にして画家である文人・木米(もくべい・1767~1833)は、京都祇園の茶屋「木屋」に生まれ、俗称を「八十八」と言います。木屋あるいは氏の「青木」の「木」と、八十八を縮めた「米」に因んで「木米」と名乗りました。また、中年に耳を聾したことに由来する「聾米」のほか、「龍米」「九々鱗」「青來」「百六山人」「古器觀」などの号があります。
木米は、30代で中国の陶磁専門書『陶説』に出会い、これを翻刻しつつ本格的に陶業に打ち込みました。その作品は、優れた煎茶器から茶陶まで、多岐にわたります。熱心な古陶磁研究を土台に広い視野をもち、古今東西の古陶磁の美と美を、因習を越えて結びつけ新しい美をひらいていく創造性が木米のやきものにはあらわれています。
一方、木米がとりわけ50代後半から精力的に描いた絵画は、清らかで自由奔放な作風が魅力的です。その多くは友人への贈り物とした山水図であり、交友関係や木米自身の人柄を想像しながら鑑賞すると、より一層味わい深く感じられます。
さて、文人・木米を知る上で欠かせないものは、その壮大な遺言でしょう。「これまでに集めた各地の陶土をこね合わせ、その中に私の亡骸を入れて窯で焼き、山中に埋めて欲しい。長い年月の後、私を理解してくれる者が、それを掘り起こしてくれるのを待つ」と言ったと伝わります(田能村竹田『竹田荘師友画録』)。
本展では、当時の文人たちが憧れた木米の個性あふれる屈指の名品を一堂にご紹介いたします。木米の陶磁、絵画、交友を通して、その稀有な生涯と木米芸術の全貌に触れる貴重な機会となります。
| 固定リンク
コメント