レオポルド美術館 エゴン・シーレ展 ウィーンが生んだ若き天才
「レオポルド美術館 エゴン・シーレ展 ウィーンが生んだ若き天才」は、
東京都美術館で開催されています。
会期 2023年1月26日(木)~4月9日(日)
シーレ17歳の頃
シーレ「僕には才能がありますか」
クリムト「才能がある?それどころか、ありすぎる」
世紀末を経て芸術の爛熟期を迎えたウィーンに生き28歳で夭折した、センセーショナルな画家エゴン・シーレ(1890-1918)その生涯を軸に同時代の画家の作品もあわせて紹介する展覧会。
ウィーンのレオポルド美術館の所蔵作品を中心に、シーレの油彩画、ドローイングなど合わせて50点を通して、画家の生涯と作品を振り返ります。加えて、クリムト、ココシュカ、ゲルストルをはじめとする同時代作家たちの作品もあわせた約120点の作品を紹介します。夭折の天才エゴン・シーレをめぐるウィーン世紀末美術を展観する大規模展です。(HPから)
(この画像(チラシ)はクリックで拡大表示になります)
展覧会の構成です。
(会場に表示されているシーレの言葉(など)とともに。)
第1章 エゴン・シーレ ウイーンが生んだ若き天才
シーレ16歳 1906年 ウイーン美術アカデミーに史上最年少で入学。
「僕が知っているのは、現代的な芸術が存在するのではなく、一つの芸術が存在し ―それが永続するということである」
エゴン・シーレ、レオポルト・ツィハチェックに宛てた手紙より 1911年
第2章 ウイーン1900 グスタフ・クリムトとリングシュトラーセ
第3章 ウイーン分離派の結成
シーレ17歳の頃
シーレ「僕には才能がありますか」
クリムト「才能がある?それどころか、ありすぎる」
第4章 クリムトとウイーンの風景
「山や水・木や花の身体的な動きをとりわけ観察している。すべてが人間の身体と同様の動き、植物の歓喜や苦悩に似た揺さぶりを想起させる」 エゴン・シーレ、フランツバウアーに宛てた手紙より、1913年
第5章 コロマン・モーザー 万能の芸術家
第6章 リヒャルト・ゲストル 表現主義の先駆者
第7章 エゴンシーレ アイデンティーの探求
シーレ20歳 1910年
「この上もなく甘美な生の過剰さに満ちた永遠の夢想は、―休みなく― 内に、魂の中に、不安な痛みを抱えながら ー炎を上げて燃え、闘いへと激しさを増すー心臓の痙攣」 エゴン・シーレ、詩「自画像」より、1910年
「偉大な世界観を獲得するためには、ナイーヴで純粋な目で世界を観察し、経験する必要がある。」エゴン・シーレ、1912年
「すべての芸術家は詩人でなければならない。」 エゴン・シーレ、1918年
エゴン・シーレ《自分を見つめる人Ⅱ(死と男)》1911年 油彩/カンヴァス レオポルド美術館蔵
エゴン・シーレ《ほおずき実のある自画像》1912年 油彩、グワッシュ/板 レオポルド美術館蔵
旺盛な創作活動の絶頂期にあった22歳のシーレの自画像
エゴン・シーレ《背を向けて立つ裸体の男》1910年 グワッシュ、木炭、紙 レオポルド家コレクション
第8章 エゴン・シーレ 女性像
エゴン・シーレ《哀しみの女》1912年 油彩/板 レオポルド美術館蔵
クローズアップで描かれたのは、シーレのモデルで恋人だったワリ―、背後の人物はシーレ自身。
エゴン・シーレ《母と子》1912年 油彩/板 レオポルド美術館蔵
シーレは、母と子というモティーフを繰り返し取り上げました。
第9章 エゴン・シーレ 風景画
この章の作品は撮影可です。(条件あり)
「すぐにでもウイーンを離れたい。ここは何といやなところだろう![・・・]僕は一人になって、ボヘミアの森に行きたい。」
エゴン・シーレ、アントン・ペシュカに宛てた手紙より、1910年
シーレは、ウイーンの喧騒から逃れるため、南ボヘミアの小さな街、クルマウへの移住を決意する。しかし戸外でヌードモデルを描いたことや奔放な生活が周囲から非難され、失意のうちに街を去る。
「至高の感性は宗教と芸術である。自然は目的である。しかし、そこには神が存在し、そしてぼくは神を強く、とても強く、もっと強く感じる。」 エゴン・シーレ、詩「芸術家」より、1910年
エゴン・シーレ《モルダウ湖畔のクルマウ(小さな街Ⅳ)》1914年 油彩、黒チョーク/カンヴァス レオポルド美術館蔵
シーレは母親の故郷クルマウをたびたび訪れ、その風情ある街並みを油彩や素描で繰り返し描きました。
第10章 オスカー・ココシュカ ”野生の王”
第11章 エゴン・シーレと新芸術集団の仲間たち
「新しい芸術家というのはごくわずかしかいない。それは選ばれし者にほかならない」
シーレによる新芸術集団の宣言、1914年
第12章 ウイーンのサロン文化とパトロン
第13章 エゴン・シーレ 裸体
「僕は、あらゆる肉体から発せられる光を描く。エロティックな芸術作品にも神聖さが宿っている。」
エゴン・シーレ、レオポルト・ツィハチエックに宛てた手紙より、1911年
第14章 エゴン・シーレ 新たな表現、早すぎる死
シーレ25歳 1915年
約4年間恋人関係にあったワリ―に別れを告げ、中流階級出身の女性エーディトと結婚直後に第一次世界大戦のために召集される。
エゴン・シーレ《縞模様のドレスを着て座るエーディト・シーレ》 鉛筆、グワッシュ/紙 レオポルド美術館蔵
「いま継続中の争いはもううんざりだ。ぼくら人間はお互い愛し合うべきなんだ。」
エゴン・シーレ、アントン・ペシュカに宛てた手紙より、1917年
シーレ28歳 1918年
「戦争が終わったのだから、僕は行かねばならない。僕の絵は世界中の美術館に展示されるだろう。」
エゴン・シーレ、1918年
当時大流行したスペイン風邪で亡くなった妻エーディトの後を追うようにシーレも罹患し28歳の人生を終えました。
ー本展公式サイトからー
エゴン・シーレ(1890-1918)は、世紀末を経て芸術の爛熟期を迎えたウィーンに生き、28年という短い生涯を駆け抜けました。シーレは最年少でウィーンの美術学校に入学するも、保守的な教育に満足せず退学し、若い仲間たちと新たな芸術集団を立ち上げます。しかし、その当時の常識にとらわれない創作活動により逮捕されるなど、生涯は波乱に満ちたものでした。孤独と苦悩を抱えた画家は、ナイーヴな感受性をもって自己を深く洞察し、ときに暴力的なまでの表現で人間の内面や性を生々しく描き出しました。表現性豊かな線描と不安定なフォルム、鮮烈な色彩は、自分は何者かを問い続けた画家の葛藤にも重なります。
本展は、エゴン・シーレ作品の世界有数のコレクションで知られるウィーンのレオポルド美術館の所蔵作品を中心に、シーレの油彩画、ドローイングなど合わせて50点を通して、画家の生涯と作品を振り返ります。加えて、クリムト、ココシュカ、ゲルストルをはじめとする同時代作家たちの作品もあわせた約120点の作品を紹介します。夭折の天才エゴン・シーレをめぐるウィーン世紀末美術を展観する大規模展です。
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