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2023.01.31

「レオポルド美術館 エゴン・シーレ展 ウィーンが生んだ若き天才」 第9章 エゴン・シーレ 風景画

第9章 エゴン・シーレ 風景画
この章の作品は撮影可です。(条件あり)
(以下の画像はクリックで拡大表示になります)

「至高の感性は宗教と芸術である。自然は目的である。しかし、そこには神が存在し、そしてぼくは神を強く、とても強く、もっと強く感じる。」 エゴン・シーレ、詩「芸術家」より、1910年 

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エゴン・シーレ《吹き荒れる風の中の秋の木(冬の木)》1912年 油彩、鉛筆/カンヴァス レオポルド美術館蔵

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エゴン・シーレ《ドナウ河畔の街シュタインⅡ》1913年 油彩/カンヴァス レオポルド美術館蔵

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エゴン・シーレ《モルダウ河畔のクルマウ(小さな街Ⅳ)》1914年 油彩、黒チョーク/カンヴァス レオポルド美術館蔵

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エゴン・シーレ《小さな街Ⅲ》1913年 油彩、鉛筆/カンヴァス レオポルド美術館蔵

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エゴン・シーレ《丘の前の家と壁》1911年 油彩/カンヴァス レオポルド美術館蔵

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エゴン・シーレ《クルマウのクロイツベルク山麓の家々》1911年 鉛筆/紙

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エゴン・シーレ《クルマウの家並み》1914年 レオポルド美術館蔵

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エゴン・シーレ《ランゲン・アム・アールベルク近くの風景》1913年 レオポルド美術館蔵 

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エゴン・シーレ《荷造り部屋》1917年 黒チョーク/紙 レオポルド美術館蔵
1914年の第一次世界大戦勃発後、軍に召集されたシーレが兵役中に描いた作品。


「すぐにでもウイーンを離れたい。ここは何といやなところだろう![・・・]僕は一人になって、ボヘミアの森に行きたい。」
エゴン・シーレ、アントン・ペシュカに宛てた手紙より、1910年

1911年 21歳
シーレは、ウイーンの喧騒から逃れるため、南ボヘミアの小さな街、クルマウへの移住を決意する。しかし戸外でヌードモデルを描いたことや奔放な生活が周囲から非難され、失意のうちに街を去る。

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2023.01.28

レオポルド美術館 エゴン・シーレ展 ウィーンが生んだ若き天才

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「レオポルド美術館 エゴン・シーレ展 ウィーンが生んだ若き天才」は、
東京都美術館で開催されています。

会期 2023年1月26日(木)~4月9日(日)

シーレ17歳の頃
シーレ「僕には才能がありますか」
クリムト「才能がある?それどころか、ありすぎる」

世紀末を経て芸術の爛熟期を迎えたウィーンに生き28歳で夭折した、センセーショナルな画家エゴン・シーレ(1890-1918)その生涯を軸に同時代の画家の作品もあわせて紹介する展覧会。

ウィーンのレオポルド美術館の所蔵作品を中心に、シーレの油彩画、ドローイングなど合わせて50点を通して、画家の生涯と作品を振り返ります。加えて、クリムト、ココシュカ、ゲルストルをはじめとする同時代作家たちの作品もあわせた約120点の作品を紹介します。夭折の天才エゴン・シーレをめぐるウィーン世紀末美術を展観する大規模展です。(HPから)

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(この画像(チラシ)はクリックで拡大表示になります)


展覧会の構成です。
(会場に表示されているシーレの言葉(など)とともに。)

第1章 エゴン・シーレ ウイーンが生んだ若き天才
シーレ16歳 1906年 ウイーン美術アカデミーに史上最年少で入学。
「僕が知っているのは、現代的な芸術が存在するのではなく、一つの芸術が存在し ―それが永続するということである」
エゴン・シーレ、レオポルト・ツィハチェックに宛てた手紙より 1911年

第2章 ウイーン1900 グスタフ・クリムトとリングシュトラーセ

第3章 ウイーン分離派の結成
シーレ17歳の頃
シーレ「僕には才能がありますか」
クリムト「才能がある?それどころか、ありすぎる」

第4章 クリムトとウイーンの風景
「山や水・木や花の身体的な動きをとりわけ観察している。すべてが人間の身体と同様の動き、植物の歓喜や苦悩に似た揺さぶりを想起させる」 エゴン・シーレ、フランツバウアーに宛てた手紙より、1913年

第5章 コロマン・モーザー 万能の芸術家

第6章 リヒャルト・ゲストル 表現主義の先駆者

第7章 エゴンシーレ アイデンティーの探求
シーレ20歳 1910年
「この上もなく甘美な生の過剰さに満ちた永遠の夢想は、―休みなく― 内に、魂の中に、不安な痛みを抱えながら ー炎を上げて燃え、闘いへと激しさを増すー心臓の痙攣」 エゴン・シーレ、詩「自画像」より、1910年

「偉大な世界観を獲得するためには、ナイーヴで純粋な目で世界を観察し、経験する必要がある。」エゴン・シーレ、1912年

「すべての芸術家は詩人でなければならない。」 エゴン・シーレ、1918年

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エゴン・シーレ《自分を見つめる人Ⅱ(死と男)》1911年 油彩/カンヴァス レオポルド美術館蔵


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エゴン・シーレ《ほおずき実のある自画像》1912年 油彩、グワッシュ/板 レオポルド美術館蔵
旺盛な創作活動の絶頂期にあった22歳のシーレの自画像

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エゴン・シーレ《背を向けて立つ裸体の男》1910年 グワッシュ、木炭、紙 レオポルド家コレクション

第8章 エゴン・シーレ 女性像
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エゴン・シーレ《哀しみの女》1912年 油彩/板 レオポルド美術館蔵
クローズアップで描かれたのは、シーレのモデルで恋人だったワリ―、背後の人物はシーレ自身。

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エゴン・シーレ《母と子》1912年 油彩/板 レオポルド美術館蔵
シーレは、母と子というモティーフを繰り返し取り上げました。

第9章 エゴン・シーレ 風景画  
この章の作品は撮影可です。(条件あり)

「すぐにでもウイーンを離れたい。ここは何といやなところだろう![・・・]僕は一人になって、ボヘミアの森に行きたい。」
エゴン・シーレ、アントン・ペシュカに宛てた手紙より、1910年

1911年 21歳
シーレは、ウイーンの喧騒から逃れるため、南ボヘミアの小さな街、クルマウへの移住を決意する。しかし戸外でヌードモデルを描いたことや奔放な生活が周囲から非難され、失意のうちに街を去る。

「至高の感性は宗教と芸術である。自然は目的である。しかし、そこには神が存在し、そしてぼくは神を強く、とても強く、もっと強く感じる。」 エゴン・シーレ、詩「芸術家」より、1910年 
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エゴン・シーレ《モルダウ湖畔のクルマウ(小さな街Ⅳ)》1914年 油彩、黒チョーク/カンヴァス レオポルド美術館蔵
シーレは母親の故郷クルマウをたびたび訪れ、その風情ある街並みを油彩や素描で繰り返し描きました。

第10章 オスカー・ココシュカ ”野生の王”

第11章 エゴン・シーレと新芸術集団の仲間たち
「新しい芸術家というのはごくわずかしかいない。それは選ばれし者にほかならない」
シーレによる新芸術集団の宣言、1914年

第12章 ウイーンのサロン文化とパトロン

第13章 エゴン・シーレ 裸体
「僕は、あらゆる肉体から発せられる光を描く。エロティックな芸術作品にも神聖さが宿っている。」
エゴン・シーレ、レオポルト・ツィハチエックに宛てた手紙より、1911年

第14章 エゴン・シーレ 新たな表現、早すぎる死
シーレ25歳 1915年
約4年間恋人関係にあったワリ―に別れを告げ、中流階級出身の女性エーディトと結婚直後に第一次世界大戦のために召集される。

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エゴン・シーレ《縞模様のドレスを着て座るエーディト・シーレ》 鉛筆、グワッシュ/紙 レオポルド美術館蔵

「いま継続中の争いはもううんざりだ。ぼくら人間はお互い愛し合うべきなんだ。」
エゴン・シーレ、アントン・ペシュカに宛てた手紙より、1917年

シーレ28歳 1918年
「戦争が終わったのだから、僕は行かねばならない。僕の絵は世界中の美術館に展示されるだろう。」
エゴン・シーレ、1918年
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当時大流行したスペイン風邪で亡くなった妻エーディトの後を追うようにシーレも罹患し28歳の人生を終えました。

 

ー本展公式サイトからー
エゴン・シーレ(1890-1918)は、世紀末を経て芸術の爛熟期を迎えたウィーンに生き、28年という短い生涯を駆け抜けました。シーレは最年少でウィーンの美術学校に入学するも、保守的な教育に満足せず退学し、若い仲間たちと新たな芸術集団を立ち上げます。しかし、その当時の常識にとらわれない創作活動により逮捕されるなど、生涯は波乱に満ちたものでした。孤独と苦悩を抱えた画家は、ナイーヴな感受性をもって自己を深く洞察し、ときに暴力的なまでの表現で人間の内面や性を生々しく描き出しました。表現性豊かな線描と不安定なフォルム、鮮烈な色彩は、自分は何者かを問い続けた画家の葛藤にも重なります。

本展は、エゴン・シーレ作品の世界有数のコレクションで知られるウィーンのレオポルド美術館の所蔵作品を中心に、シーレの油彩画、ドローイングなど合わせて50点を通して、画家の生涯と作品を振り返ります。加えて、クリムト、ココシュカ、ゲルストルをはじめとする同時代作家たちの作品もあわせた約120点の作品を紹介します。夭折の天才エゴン・シーレをめぐるウィーン世紀末美術を展観する大規模展です。

 

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2023.01.25

未来の国宝―東京国立博物館 書画の逸品― 玄圃瑤華 伊藤若冲自画自刻

未来の国宝―東京国立博物館 書画の逸品―

玄圃瑤華
伊藤若冲自画自刻
江戸時代・明和5年(1768)

トーハクの本館 2室で展示されています。
展示期間 2023年1月2日(月・休)~ 1月29日(日)


昆虫が描き込まれているのも若冲らしいかもしれません。
「玄圃」は仙人の居どころ、
「瑤華」は玉のように美しい花の意を持つそうです。 

(画像はクリックで拡大表示になります)

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紫陽花・冬葵

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石竹・梅花藻 

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末草・鶏頭

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瓢箪・夾竹桃

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薊・栗

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蕪・鳳仙花


―HPの解説ー
伊藤若冲(1716~1800)は、江戸時代に京都で活躍した画家です。色鮮やかな花鳥画で知られていますが、本作のようなモノクロームの世界にも、そのセンスを遺憾なく発揮しました。

「玄圃瑤華」は全48図、種々の草花と野菜、昆虫などを組み合せた、若冲53歳の時の作品。賛は相国寺の梅荘顕常(大典)によるものです。正面彫りした版木の上に濡らした紙を貼り、紙の上から墨をほどこすと、彫って凹んだ部分が白く残る「拓版画」という特殊な技法で制作されています。若冲自身が版を彫り、版木を管理していたことでも貴重な作品です。漆黒の背景にモチーフが白く浮かび上がる劇的なコントラストにより、若冲特有の大胆な構図がより際立ち、各図ともに植物や虫の特徴を的確に捉えた生き生きとした画面に仕上がっています。「玄圃」は仙人の居どころ、「瑤華」は玉のように美しい花の意を持ちますが、本作はまさに、そうした美しさをそなえた作品といえるでしょう。
江戸時代後期に活躍した琳派の画家酒井抱一(1761~1828)の作品や、現在の当館のポスターにも取り入れられ、時代を越えて人々を魅了し続けている名品です


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2023.01.21

面構 片岡球子展  たちむかう絵画

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面構 片岡球子展 たちむかう絵画は、
そごう美術館で開催されています。

会期 2023年1月1日(日・祝)~1月29日(日)

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(画像はクリックで拡大表示になります)


片岡球子の一方の代表作《面構シリーズ》
片岡球子の展覧会は何度か見てますが、《面構》のみで構成された展覧会は、私にとって初めてです。
一点一点に詳しい解説があり、鑑賞を助けてくれます。
とても楽しく拝見してきました。

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《面構 歌川国貞と四世鶴屋南北》1982(昭和57)年 東京国立近代美術館蔵
これまでの浮世絵師と戯作者という歴史上の人物の組み合わせから一歩進んで、彼らと彼らの作品に登場する人物を同じ空間の中に配置した群像表現を試みている。
左端は狂言作者の四世鶴屋南北、右端に座るのが浮世絵師の歌川国貞である。
二人の間には、南北の代表作『浮世柄比翼稲妻』の「鞘当」の場面が展開する。(キャプションから)

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《面構 狂言作者河竹黙阿弥・浮世絵師三代豊国》 1983(昭和58)年 神奈川県立近代美術館蔵
国貞(右端)と、国貞の浮世絵を基に歌舞伎を創作した黙阿弥(左端で煙管を持つ)とが「白波五人男」について熱く論ずる姿を描いた、歌舞伎の舞台を思わせる華やかな作品である。(キャプションから)

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《面構 歌川国芳と浮世絵研究科鈴木重三先生》 1988(昭和63)年 北海道立近代美術館蔵
本作は、落合芳機《歌川国芳死絵》と、国芳《七浦大漁繁昌の図》が出典。
片岡は「鯨のあばれまわる雄渾な自然を描き込み、
現場でこれを見る美女たちと面構えの主人公達もこの場に居合わせたとして国芳のチョンマゲ姿と現代の洋服姿の鈴木先生が同じ場所で、
この捕鯨を見学し、それぞれの思いをほりさげて描いたつもりである」と摸べ綴る。
鈴木は、片岡の浮世絵研究に助言、支援した先生。(キャプションから)

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《面構 安藤広重》1973(昭和18)年 神奈川県立近代美術館蔵
歌川(安藤)広重が、自身の代表作を見つめる。
片岡は弟子の二代広重による肖像をモデルに、若き日は定火消同心であった広重に思いを馳せ、江戸小紋を着こなす粋な姿で描いている。(キャプションから)

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左から《面構 足利尊氏》《面構 足利義政》《面構 足利義満》1966(昭和11)年 神奈川県立近代美術館蔵
京足利家の菩提寺である京都等持院を訪れた際・・
尊氏が「衣冠束帯をまとったエビス様のようなお顔で、風格があり、包容力のある腹の大きそうな男性」に見えた歴史の中の尊氏像とまるで違うと片岡は感じた。
片岡は、「義政公は、文学的で顔が高貴でなんとも言えない人間の潤いというものを感じる。ほれぼれとするような好男子なんです」と印象のままに綴っている。
義満は、「尊氏とは見るからに風格がちがいます。生まれながらの将軍といったところがありました。赤ら顔で髭が濃くて、堂々としている。いかにも金閣寺をつくってという感じがする」と片岡が等持院の廟所で初めて木彫像を見た印象をこう表現している。(キャプションから)


ーチラシのからー 
再興第51回院展より開始した「面構」シリーズは、1966年から2004(平成16)年までの38年間で44点を出品、片岡球子のライフワークとなりました。『面構は 顔だけを描いているだけでなく、その人間が現代に生きていたらどんな風に役立つかなどと思いながら描いています。』片岡球子の言葉にあるように、「面構」は単に歴史上の人物の肖像ではありません。人間の「魂」を描きたいと考えた片岡球子が取り組み続けた作品です。綿密に取材・推敲を重ね確信をもって血肉のある人間に仕立てあげています。

本展は、迫力ある「面構」シリーズ42点と初公開の小下図、「面構」の出発点となる作品などを展示する大変貴重な機会となります。片岡球子が生涯をかけて挑んだ「面構」―「たちむかう絵画」から、日本画の持つ力と新たな可能性をぜひ感じてください。


展示リストです。
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2023.01.17

若林奮 地下のデイジー

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《地下のデイジー》は、府中美術館の前庭に恒久設置されている若林奮の彫刻作品です。

府中市美術館に行くたびに、実見と思いながら何年も過ぎましたが・・・・

(画像はクリックで拡大表示になります)

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《地下のデイジー》は、厚さ2.5センチの鉄板が123枚重なってできており、高さは3メートルを超えます。ただし、地表に出ているのは3枚分だけ、残りは全て地下に埋められています。 
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デイジーの花弁を思わせる穴から、雨水は地中に流れ込みます。
時を経て酸化する鉄は、呼吸していると捉えることもできます。
《地下のデイジー》も、植物のデイジーのように、雨水を吸い、大気を吸って、生きているかのようです。

《地下のディジー》は、私たちの想像力 に働きかけて、 植物と大気、土地のエネル ギーや記憶を引き出す、ひとつの装置とも 見えてこないでしょうか。(美術館の屋外彫刻ガイドから)


若林奮の構想による「セゾン現代美術館」庭園を思い出します。(軽井沢)
2019年に撮った動画です。



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2023.01.13

諏訪敦「眼窩裏の火事」

諏訪敦「眼窩裏の火事」は、府中美術館で開催されています。

会期 2022年12月17日(土)~2月26日(日)

 

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(チラシはクリックで拡大表示になります)

展覧会の構成です。
第1章 棄民
死を悟った父が残した手記を手掛かりに・・・
敗戦直後、旧満州の日本人難民収容所で母と弟を失った、少年時代の父が見たものとは。
父を描いた《father》シリーズ
祖母をテーマにした《棄民》シリーズ

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father  1966 パネルに油彩、テンペラ 佐藤美術館寄託
1996年、スペインに留学中だった諏訪は、父が脳腫瘍で倒れたとの報を受けて一時帰国します。

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HARUBIN 1945 AUTUMN 2015/2021 パネルに鉛筆、顔料、水彩 個人蔵


第2章 静物画について
静物画にまつわる歴史を遡行し制作された作品の数々を展示。
作品の中には、陽炎のような揺らめきや輝くような光点が描かれたものがあります。これは諏訪が近年悩まされている、閃輝暗点という症状を写したものです。モチーフを凝視しキャンパスを熟視し眼を酷使すると、血流異常によってこうした視覚像が引き起こされるそうです。(解説から)

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目の中の火事 2020 白亜地パネルに油彩 東屋蔵
2019年に諏訪は東屋から、現代の自社のガラス器を17-18世紀のヨーロッパ製のガラス器とともに描いてほしい、との依頼を受けます。


第3章 わたしたちはふたたびあう
人間を描くとはいかなることか?絵画にできることは何か?
諏訪は、歴史的な出来事や今は亡き人の肖像といった不可視な事象を描こうとします。
制作には長大な時間を必要とします。それは視覚と認識を深めるために必要な時間です。

描こうとする人物の取材が困難にさらされることもあります。
たどり着いたのは「描き続ける限り、その人が立ち去ることはない」という確信にも似た感覚であり「絵画を経由して対象との再会を果たす」ということでした。(解説から)

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Mimesis 2022 キャンバス、パネルに油彩 作家蔵
Mimesis(模倣の意)舞踏家大野に触発され諏訪は絵画を、川口はパフォーマンスを展開しました。画中では川口の姿が幾重にも描かれています。(解説から)


―HPの解説ー
緻密で再現性の高い画風で知られる諏訪敦は、しばしば写実絵画のトップランナーと目されてきました。
しかしその作品を紐解いていくと彼は、「実在する対象を、目に映るとおりに写す」という膠着した写実のジャンル性から脱却し、認識の質を問い直す意欲的な取り組みをしていることが解ります。
諏訪は、亡き人の肖像や過去の歴史的な出来事など、不在の対象を描いた経験値が高い画家です。丹念な調査の実践と過剰ともいえる取材量が特徴で、画家としては珍しい制作スタイルといえるでしょう。彼は眼では捉えきれない題材に肉薄し、新たな視覚像として提示しています。
今回の展覧会では、終戦直後の満州で病死した祖母をテーマにしたプロジェクト《棄民》、コロナ禍のなかで取り組んだ静物画の探究、そして絵画制作を通した像主との関係の永続性を示す作品群を紹介します。
それらの作品からは、「視ること、そして現すこと」を問い続け、絵画制作における認識の意味を拡張しようとする画家の姿が立ち上がってきます。


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2023.01.09

トーハク 特別企画「大安寺の仏像」 奈良の大寺一木彫の祈り

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特別企画「大安寺の仏像」奈良の大寺一木彫の祈りは、
東京国立博物館本館 11室で開催されています。

会期 2023年1月2日(月・休)~3月19日(日)

(画像はクリックで拡大表示になります)

奈良の大安寺は、聖徳太子が平群郡額田部に熊凝精舎を創建したことに始まる我が国最初の官立寺院です。
やがて百済大寺、高市大寺、大官大寺と名と所を変え、平城京に移って大安寺となりました。(大安寺HPから)
 
大安寺には奈良時代につくられた木彫(一木彫)の仏像群が伝わります。
従来の仏像展示室、本館11室が今回の特別企画展示会場になっています。
撮影可(撮影条件あり)でしたのでスマホで撮りました。

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展示風景

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大安寺伽藍縁起井流記資材帳(複製)
原品:紙本墨書、奈良時代・8世紀 千葉・国立歴史民俗博物館蔵
明治時代・明治44年(1911)東京国立博物館

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複弁蓮華文軒丸瓦 奈良市 大安寺出土 瓦製 奈良時代・8世紀 東京国立博物館

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弘法大師坐像 1躯 木造、彩色、玉眼 江戸時代・18世紀

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重要文化財 多聞天立像(四天王立像のうち) 1躯 木造 奈良時代・8世紀 大安寺 

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重要文化財 広目天立像(四天王立像のうち) 1躯 木造 奈良時代・8世紀 大安寺

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重要文化財 持国天立像(四天王立像のうち) 1躯 木造 奈良時代・8世紀 大安寺

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重要文化財 増長天立像(四天王立像のうち) 1躯 木造 奈良時代・8世紀 大安寺

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重要文化財 楊柳観音菩薩立像 1躯 木造・彩色 奈良時代・8世紀 大安寺

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重要文化財 聖観音菩薩立像 1躯 木造、彩色 奈良時代・8世紀

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重要文化財 不空羂索観音菩薩立像 1躯 奈良時代・8世紀 大安寺

 

―HPの解説ー
奈良市に位置する大安寺は、国家によって造営された日本最初の国立寺院です。前身寺院は、国家の寺院のなかでも最も重要であることを意味する大官大寺という名で、その後、8世紀初めの平城京遷都に伴って現在の地に移され、やがて大安寺と呼ばれるようになりました。中国、インド、ベトナムなどから来日した著名な僧侶たちが住んで教えを伝えるなど、国際色豊かな環境で多くの優秀な僧侶たちを育てた仏教研究の中心拠点として栄え、日本仏教の興隆に重要な役割を果たしました。

大安寺には奈良時代につくられた木彫の仏像群が伝わります。奈良時代の木彫像は現存作例が少なく、平安時代以降に仏像の素材として主流となる木でつくられた先駆的な存在として貴重です。いずれも一木造で、優れた身体表現や細やかな彫りに奈良時代の木彫像の特色が表われています。

大安寺に伝わるこれらの仏像のほか、大安寺出土の瓦(当館所蔵)などもあわせて展示し、日本仏教の源流ともいうべき大安寺の歴史を紹介します。


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2023.01.05

博物館に初もうで

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毎年恒例、
トーハクの「博物館に初もうで」に行ってきました。
会期 2023年1月2日(月・休)~1月29日(日)

(画像はクリックで拡大表示になります)

人気の正月企画も今年で20年を迎えたそうです。 
コロナ禍での開催なので、以前行われていた獅子舞、和太鼓などのイベントは無く、静かなトーハクのお正月です。

こちらも恒例、等伯の《松林図屏風》(15日まで展示)
「創立150年記念特集 戦後初のコレクション 国宝「松林図屛風」としての展示です。
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国宝展示室?には、
創立150年記念特集 未来の国宝―東京国立博物館 書画の逸品―
《玄圃瑤華》伊藤若冲自画自刻 江戸時代・明和5年(1768)が展示されています。
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玄圃瑤華のうち《紫陽花・冬葵》


特集「兎にも角にもうさぎ年」は、平成館 企画展示室で開催されています。
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(HPの解説から)
2023年の干支は癸卯(みずのとう)、うさぎ年に当たります。うさぎと人との関係は古く、愛玩用あるいは狩猟の対象として長い年月をともに過ごしてきました。そうしたうさぎは文学や美術にも表現され、人々の暮らしを豊かに彩りました。
本特集では、「兎に角うさぎ」、「月のうさぎ」、「波に乗るうさぎ」、「うさぎはどこだ」、「うさぎと人と」の5つの切り口から、東アジアの造形作品に表されたうさぎの魅力に迫ります。
さまざまな姿、しぐさのうさぎ達をご覧いただき、よい1年のスタートを切っていただければ幸いです。
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展示構成です。
第1章 兎に角うさぎ
第2章 月のうさぎ
第3章 波に乗るうさぎ
第4章 うさぎはどこだ
第5章 うさぎと人と

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染付水葵にうさぎ大皿 伊万里 江戸時代・19世紀 平野耕輔氏寄贈

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兎蒔絵印籠 江戸時代・19世紀 木製漆塗 蒔絵 クイーシー・A・ショー氏寄贈

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波兎蒔絵旅櫛笥 江戸時代・17世紀 木製漆塗 蒔絵

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火事装束 紺麻地波兎雨龍模様 江戸時代・19世紀 麻、刺繍、切付、白上げ アンリー夫人寄贈

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金茶糸素懸威波頭形兜 江戸時代・17世紀 鉄製漆塗 張懸 個人蔵

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吉例 兎の年礼噺 蓮池堂画 明治5年(1872) 錦絵


 特別企画「大安寺の仏像」も始まりました。
2023年1月2日(月・休) ~3月19日(日)
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そのほかにも、特別企画・特集展示が盛りだくさん。
休憩をはさんで、ゆっくり一日かけて楽しむのも良いかと・・・・

 

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2023.01.01

新年のご挨拶

2023
明けましておめでとうございます。
皆様にとって素晴らしい一年になりますように。

今年はどのような展覧会に出会えるのでしょうか、楽しみです。
閑な折にでも、拙ブログにお付き合いください
本年もよろしくお願いいたします。

 

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