田中保シアトル→パリ 田中保とその時代
シアトル→パリ 田中保とその時代は、埼玉県立近代美術館で開催されています。
会期 2022年7月16日(土)~10月2日(日)
岩槻に生まれ旧制浦和中学を卒業した田中保は、1904年末、単身シアトルに渡り、働きながら画家を目指します。
シアトルで画家としての地位を確立した田中は、1920年妻ルイーズと伴ってパリに移住し名声を高めていきますが・・・・
田中の実像を再検証する埼玉近美25年ぶりの回顧展です。
一部の作品などを除き撮影可でした(条件あり)
(画像はクリックで拡大表示になります)
第四章、第五章から・・・
1920年、田中はアメリカからパリへ移住し、個展の開催やサロンへの出品を通して名声を高めていきますが、そんな中で日本人美術家たちとの間には溝がありました。田中は祖国日本で認められたいという希望を抱きましたが、美術家としての活動をアメリカに渡ってから始めた田中は結局生前に日本画壇から受け入れられることはありませんでした。
パリ・・同時代の 画家たち
キスリング 1891-1953 《リタ・ヴァン・リアの肖像》 1927年 油彩、カンヴァス 埼玉県立近代美術館
田中保 1886-1941《 黒いドレスの腰かけている女 》1920-30年 油彩、カンヴァス 埼玉県立近代美術館 昭和57年度埼玉銀行寄贈
マルク・シャガール 1887-1985 《二つの花束 》1925年 油彩、カンヴァス 埼玉県立近代美術館
ジュール・パスキン 1885-1930 《眠る裸女》 1928年 油彩、カンヴァス 埼玉県立近代美術館
藤田嗣治 1886-1968 《横たわる裸婦と猫》 1931年 油彩、カンヴァス 埼玉県立近代美術館
佐伯祐三 1898-1928 《門と広告》 1925年 油彩、カンヴァス 埼玉県立近代美術館
展覧会の構成は次の通りです。
第1章 田中保、船出する
第2章 シアトルの前衛画家
第3章 肖像画が明かす人間関係
第4章 パリの異邦人、ヤスシ・タナカ
第5章 パリのサロン画家
田中保《自画像》 1915年頃 木炭、紙 埼玉県立近代美術館
田中保 《肘掛椅子に座る婦人》 1912年頃 油彩、カンヴァス 埼玉県立近代美術館 令和3年度浅子宏氏寄贈
田中保 《海の中の裸婦》 1915-20年 油彩、ボード 埼玉県立近代美術館
田中保 《キュビスムの裸婦》 1915年頃 油彩、ボード 埼玉県立近代美術館
田中保 《海の風景Ⅲ》 1917-20年 油彩、ボード 埼玉県立近代美術館 昭和57年度埼玉銀行寄贈
田中保 《豆をむく婦人》 1915-20年 油彩、ボード 埼玉県立近代美術館 平成2年度田中幸子氏寄贈
田中保 《花 》1917-20年 油彩、ボード 埼玉県立近代美術館 昭和57年度埼玉銀行寄贈
田中保 背中の裸婦 1920-30年 油彩、ボード 埼玉県立近代美術館
田中保 《花》 1926年頃 油彩、カンヴァス 埼玉県立近代美術館 令和元年度小川智美氏寄贈
田中保 花びんのある裸婦 1920-30年 油彩、カンヴァス 埼玉県立近代美術館
田中保 窓辺の婦人 1925-30年 油彩、カンヴァス 埼玉県立近代美術
田中保《毛皮のコートをきて腰かけている女》 1925-30年 油彩、カンヴァス 埼玉県立近代美術館 昭和57年度埼玉銀行寄贈
田中保 能面のある静物 1925-1930年 木炭、紙 埼玉県立近代美術館
―HPの解説ー
岩槻生まれの画家、田中保(たなか・やすし、1886-1941)の回顧展を、当館では25年ぶりに開催します。
18歳で移民としてシアトルに渡った田中は、働きながら絵を学び、画家としての地位を確立しました。シアトルで出会った美術批評家、ルイーズ・ゲブハード・カンとは、国籍の違いを乗り越えて1917年に結婚しています。
1920年にパリに移住した後は、サロン・ドートンヌなどの展覧会に出品を重ねて評価を高め、肖像画や裸婦像といった分野で自らの芸術を開花させます。パリで人気画家となってからも、田中の胸中には祖国でこそ認められたいという思いがありました。しかし、日本の美術教育を受けず、アメリカで身を立ててきた田中は、生前に日本の画壇から受け入れられることはありませんでした。1970年代に作品がまとめて紹介されたことで再評価の機を得たものの、その生涯にはなおも多くの謎が残されています。
この展覧会では、埼玉県立近代美術館のコレクションを中心に借用作品を交え、最新の研究成果によって田中の画業を振り返ります。あわせて田中が生活した20世紀初頭のシアトルの状況や、パリで同時期に制作した美術家を紹介します。国際化が進み、人の移動がますます活発になった現在の視点から、海を渡って活動した田中の実像を再検証する試みです。
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