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2022.09.30

小林古径記念美術館 2022年9月


新潟県上越市の高田城址公園内にある、
小林古径記念美術館に行ってきました。

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蓮が植えられた広々とした濠に架かる、
この紅い橋を渡りきると左側に上越市歴史博物館、右側に小林古径記念美術館があります。
一か月前に行っていれば蓮の花に包まれて渡ることができたのに、と思いました。
(別の道順もあります)

美術館の正面全景です。 
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建物正面を通じての雁木?が雪国新潟の風情を想わせてくれます。
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正面入り口です。
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玄関を入り美術館の受付を通って右側に行くと、
古径記念室と企画展示室があります。
古径記念室。
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企画展室では当日『生誕100年 斎藤真一展 瞽女と郷愁、さすらい』が開催されていました。

受けの左側は庭に面した通路になっていて、作品の展示も行われていました。
(受付の反対から撮った画像です)
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廊下を抜けると、講座やワークショップが行われる「二の丸ホール」があります。
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二の丸ホールから外に出ると、東京都大田区南馬込から移築復原した小林古径邸(国の登録有形文化財)と、再現された古径の画室があります。
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小林古径画室 改築:1936(昭和11)年
復原:2001(平成13)年 吉田五十八改築
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古径は1920(大正9)年に農家を改造し、画室として使用していた。その後、1934(昭和9)年に画室の隣に住宅 (古径邸) を建てる。住宅を気に入った古径は、1936(昭和11)年に再び吉田五十八に画室の改造を依頼した。画家にとって、絵を描く際の光の調整することはとても重要である。改造後の画室は、自由に採光できるように大きく窓を取り、障子は上げ下げでき るようになっている。古径はこの広い画室で朝から日が暮れる まで絵を描いたという。なお、古径の死後、画室は取り壊され たため、現在の建物は当時の写真や図面をもとに 2001(平成 13)年に再建されたものである。(解説パネルから)

小林古怪邸
建築:1934(昭和9)年
移築復原:2001(平成13)年
吉田五十八設計 国指定登録有形文化財
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一階の室内 私一人で、暫し椅子の腰かけて庭を眺めていました。
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小林古径は 1934(昭和9)年、画室に隣接して住宅を建て、鏑木清方などの日本画家と親交があった吉田五十八に設計を任せた。注文する時、無口な古径は吉田に対し、ただ一言「私が好きだという家をつくって下さい」と言っただけであった。
吉田は古径の芸術を研究して古径邸を建てたという。古径邸は目に見える部分をなるべく細く、すっきりと見えるようにデザインされている。柱を壁で覆い隠す「大壁」や、一部だけを見せる「はっかけ」などの技法を使い、余計な線や無駄な部分が見えないような作りになっている。屋根は「むくり」という曲線を付け、シャープさの中に柔らかなふくらみを持たせているこの繊細な建物を支えるため、柱の内部にボルトを仕込むなど、近代的な技術で補強されている。また、古径邸は機能面でも優れている。どの部屋も段差のないデザインになっており、収納が豊富で使いやすさを重視した設計になっている。 住宅完成後、古径はすぐに引っ越さず、半年くらいは眺めて楽しむほ どこの住宅を気に入っていた。(解説パネルから)

 

―HPの解説ー 
当館は2020年(令和2年)10月に新たな美術館としてオープンしました。小林古径作品を常設展示する「古径記念室」、上越市ゆかりの作品を中心に多彩な美術作品を紹介する「企画展示室」のほか、講座やワークショップを行う「二ノ丸ホール」などがあります。

敷地内には東京都大田区南馬込から移築復原した小林古径邸(国の登録有形文化財)と、再現された古径の画室があります。庭園には古径が絵にした草花や樹木が植えられ、四季の移り変わりとともに眺めを楽しむことができます。

当館は教育普及活動を重視し、ワークショップや工作教室、講演会など、年間を通してさまざまなイベントを行っています。

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2022.09.26

田中保シアトル→パリ 田中保とその時代

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シアトル→パリ 田中保とその時代は、埼玉県立近代美術館で開催されています。

会期 2022年7月16日(土)~10月2日(日)

岩槻に生まれ旧制浦和中学を卒業した田中保は、1904年末、単身シアトルに渡り、働きながら画家を目指します。
シアトルで画家としての地位を確立した田中は、1920年妻ルイーズと伴ってパリに移住し名声を高めていきますが・・・・
田中の実像を再検証する埼玉近美25年ぶりの回顧展です。

一部の作品などを除き撮影可でした(条件あり)
(画像はクリックで拡大表示になります)

第四章、第五章から・・・
1920年、田中はアメリカからパリへ移住し、個展の開催やサロンへの出品を通して名声を高めていきますが、そんな中で日本人美術家たちとの間には溝がありました。田中は祖国日本で認められたいという希望を抱きましたが、美術家としての活動をアメリカに渡ってから始めた田中は結局生前に日本画壇から受け入れられることはありませんでした。

パリ・・同時代の 画家たち
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キスリング 1891-1953 《リタ・ヴァン・リアの肖像》 1927年 油彩、カンヴァス  埼玉県立近代美術館
田中保 1886-1941《 黒いドレスの腰かけている女 》1920-30年 油彩、カンヴァス 埼玉県立近代美術館 昭和57年度埼玉銀行寄贈

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マルク・シャガール 1887-1985 《二つの花束 》1925年 油彩、カンヴァス  埼玉県立近代美術館
ジュール・パスキン 1885-1930 《眠る裸女》 1928年 油彩、カンヴァス 埼玉県立近代美術館

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藤田嗣治 1886-1968 《横たわる裸婦と猫》 1931年 油彩、カンヴァス 埼玉県立近代美術館
佐伯祐三 1898-1928 《門と広告》 1925年 油彩、カンヴァス  埼玉県立近代美術館

展覧会の構成は次の通りです。
第1章 田中保、船出する
第2章 シアトルの前衛画家
第3章 肖像画が明かす人間関係
第4章 パリの異邦人、ヤスシ・タナカ
第5章 パリのサロン画家

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田中保《自画像》 1915年頃 木炭、紙  埼玉県立近代美術館

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田中保 《肘掛椅子に座る婦人》 1912年頃 油彩、カンヴァス  埼玉県立近代美術館 令和3年度浅子宏氏寄贈

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田中保 《海の中の裸婦》 1915-20年 油彩、ボード 埼玉県立近代美術館

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田中保 《キュビスムの裸婦》 1915年頃 油彩、ボード 埼玉県立近代美術館

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田中保 《海の風景Ⅲ》 1917-20年 油彩、ボード  埼玉県立近代美術館 昭和57年度埼玉銀行寄贈

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田中保 《豆をむく婦人》 1915-20年 油彩、ボード  埼玉県立近代美術館  平成2年度田中幸子氏寄贈

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田中保 《花 》1917-20年 油彩、ボード  埼玉県立近代美術館  昭和57年度埼玉銀行寄贈

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田中保 背中の裸婦 1920-30年 油彩、ボード  埼玉県立近代美術館

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田中保 《花》 1926年頃 油彩、カンヴァス  埼玉県立近代美術館  令和元年度小川智美氏寄贈

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田中保 花びんのある裸婦 1920-30年 油彩、カンヴァス  埼玉県立近代美術館

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田中保 窓辺の婦人 1925-30年 油彩、カンヴァス  埼玉県立近代美術

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田中保《毛皮のコートをきて腰かけている女》 1925-30年 油彩、カンヴァス  埼玉県立近代美術館 昭和57年度埼玉銀行寄贈

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田中保 能面のある静物 1925-1930年 木炭、紙  埼玉県立近代美術館

 

―HPの解説ー
岩槻生まれの画家、田中保(たなか・やすし、1886-1941)の回顧展を、当館では25年ぶりに開催します。
18歳で移民としてシアトルに渡った田中は、働きながら絵を学び、画家としての地位を確立しました。シアトルで出会った美術批評家、ルイーズ・ゲブハード・カンとは、国籍の違いを乗り越えて1917年に結婚しています。
1920年にパリに移住した後は、サロン・ドートンヌなどの展覧会に出品を重ねて評価を高め、肖像画や裸婦像といった分野で自らの芸術を開花させます。パリで人気画家となってからも、田中の胸中には祖国でこそ認められたいという思いがありました。しかし、日本の美術教育を受けず、アメリカで身を立ててきた田中は、生前に日本の画壇から受け入れられることはありませんでした。1970年代に作品がまとめて紹介されたことで再評価の機を得たものの、その生涯にはなおも多くの謎が残されています。
この展覧会では、埼玉県立近代美術館のコレクションを中心に借用作品を交え、最新の研究成果によって田中の画業を振り返ります。あわせて田中が生活した20世紀初頭のシアトルの状況や、パリで同時期に制作した美術家を紹介します。国際化が進み、人の移動がますます活発になった現在の視点から、海を渡って活動した田中の実像を再検証する試みです。

 

 

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2022.09.22

キース・ヴァン・ドンゲン展 ―フォーヴィスムからレザネフォル

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(この画像(チラシ)はクリックで拡大表示になります)


「キース・ヴァン・ドンゲン展 ―フォーヴィスムからレザネフォル」は、
パナソニック汐留美術館で開催されています。

会期 2022年7月9日(土)~ 9月25日(日)


オランダで生まれ、パリで活躍した画家キース・ヴァン・ドンゲン(1877-1968)。エコール・ド・パリを代表するこの画家の日本では44年ぶりの展覧会です。(HPから)

展覧会の構成は次の通りです。
第1章 新印象派からフォーヴィスムへ
第2章 フォーヴィスムの余波
第3章 レザネフォル


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《突風》 (『ル・ジュルナル・プール・トゥス』挿絵)1901年 ミクストメディア、コラージュ/紙
ギャラリーバイイー
1903年以降、ヴァン・ドンゲンは新印象派に熱心に傾倒し、モダンに変化していく世の中における彼の冒険的な取り組みを本作で見ることができる。(キャプションから)

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《ムーラン・ルージュ または 遊歩回廊》1904年頃 油彩/カンヴァス
マダム・プロシュ・コレクション(ギャラリー・ド・ラ・プレジデンス協力)

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《パリジェンヌ または 美の小径》1907-09年頃 油彩/カンヴァス
デヴィッド&エズラ・ナーマッド・コレクション
横を向く、彼女たちのドレスやくつろいだ物腰、森の中を散歩する自由な様子を通して20世紀初頭というのんびりとした数年間の時代背景を浮き彫りにしている(キャプションから) 


ヴァン・ドンゲンは友人達、ミュージックホール、舞踏会、パーティーなど親しく出入りした環境の女性たちをモデルとした女性像を描きました。
ヴァン・ドンゲンは色彩への探求を進めていく中、人工的な光が発する力に魅せられ、頻繁に電気照明を用いる様になります。電灯の輝く光は描写対象のフォルムを強調するとともに際立てました。
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《羽飾り帽の婦人》1910年 油彩/カンヴァス
大谷コレクション

第一次世界大戦終了後のフランスでは幸福感と自由の風が吹き、パリ、とりわけモンパルナス地区においては、文化と祝祭の激しい興奮が広がりました。このレザネフォル(狂騒の時代)呼ばれるこの時期に、ヴァン・ドンゲンの名声は頂点に達します。
ヴァン・ドンゲンが扱うテーマは多様であっても、女性の存在は不変です。
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《ラ・ぺ通り または パリのラ・ぺ通り》1918年頃 油彩/カンヴァス
デヴィッド & エズラ・ナーマッド・コレクション

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《女曲馬師(または エドメ・デイヴィス嬢)》1920-25年 油彩/カンヴァス
ディエップ城美術館(ファルー=デハ遺贈)
優美ですらりとした、ショーダンサーであるエドナ・ディウスがソファーに騎手のようにまたがって座っている。
1922年発表のヴィクトール・マルグリットの小説『ラ・ギャルソンヌ』が有名にしたようなモダン・ガールをまさに体現するこの女曲芸師を思わせる開放的な女性にシンボルが組み合わされている。
それは身体の大部分を露出したデザイナー服、ギャルソン風の髪型、左手のタバコ、そして男性の持ち物とされるシルクハットなどである。(キャプションから)

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《ピンク色のドレスの女性》1925年頃 油彩/カンヴァス
パリ市立近代美術館

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《ドゥルイイー指揮官夫人の肖像》1926年 油彩/カンヴァス
プチ・パレ美術館友の会


―HPの解説ー
キース・ヴァン・ドンゲン(1877―1968)はオランダに生まれ、ロッテルダムの美術アカデミーに学びながら、20歳の頃に初めてパリに数か月滞在します。その2年後にモンマルトルに移り住み、アトリエを構えました。オランダ時代から力強い筆致の作品を描いていたヴァン・ドンゲンは、すぐに新印象派に関心を抱き、やがて濃密で表情豊かな強烈ともいえる色彩でフォーヴィスムの画家たちの一員となります。華麗な色調でありながら、内的な表情を感じさせる色を用い、なかでも女性を描く場合の身体の優美さや官能性を訴える画面は、ヴァン・ドンゲンの代名詞になっていきます。
本展は、この稀有な芸術家がフォーヴィスムの画家へと成長する過程を紹介し、その後の第一次世界大戦までの時期に取り組んだ色彩と形態の研究に加え、人物表現というテーマ、そして大戦終結後の狂騒の20年代(レザネフォル)における画家の歩みに焦点をあてるものです。
1920年代に入ると社交界との交流から、肖像画家として多数の注文を受けるようになります。ヴァン・ドンゲンならではのスタイルである、華奢で細長くデフォルメされたしなやかな人物像は、きわめて洗練された色彩で表現され、当時の上流階級の人々から絶大な人気を博しました。
日本の美術館においては44年ぶりの開催となる、ヴァン・ドンゲンの個展である本展では、巧みな人物デッサンと官能的表現という全時代を通じて見られる画家生来の資質と、各時代に特徴的な色彩、形、そしてそれらが調和する姿を、新印象派からフォーヴィスムの時代、フォーヴィスムの余波の時代、そしてレザネフォルの時代と3章に分け、国内外の優れたコレクションを通じてご覧いただきます。



パナソニック汐留美術館「キース・ヴァン・ドンゲン展」
アイエム[インターネットミュージアム]Internet Museum

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2022.09.18

三沢厚彦 ANIMALS IN NAGAOKA

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『三沢厚彦 ANIMALS IN NAGAOKA』は、
新潟県立近代美術館で開催されています。

会期 2022年7月16日(土)~9月25日(日)

新潟には「ゆかり」があって、度々訪れてきたのですが、考えて見れば美術館には行っていないな~
行ってみようか・・・三沢厚彦の作品も好きだし、ということで訪問してきました。

三沢厚彦の初期作品から新作まで約100点の展示で、大変楽しく拝見してきました。

展示エリア(展示構成)は次の通りです。
(画像はクリックで拡大表示になります)

エントランス~企画展示室前ロビー
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A2017-02 スプリットベア 2017 樟、油彩

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Animal 2013B ヒョウ 2018 ブロンズ、塗料、油彩

過去、現在、アニマルズへ
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コロイドトンプ(ヒトウマ)1998 ミクストメディア
 
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Fish 2015-01 サメ 2015 樟、油彩

アニマルズ(動物大行進)
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(展示風景)

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Animal2013-05 チーター 2013 樟、油彩
Animal2010-01 シロサイ 2010/22  樟、油彩

クマ
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クマ1,2,3 2016 パネル、アクリル、色鉛筆

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(展示風景)

ホワイトアニマルズ
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Animal 2010-03 ペガサス 2010 樟、油彩

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Aanimal 2020-03 キメラ 2020 樟、油彩

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Animal 2021-03 狛犬 2021/22 樟、油彩


アニマルハウスと三沢コレクション(このエリアのみ撮影不可)
コレクション展とのコラボレーション展示(コレクションでの展示室)


スマホで撮った画像を纏めて見ました。


―HPの解説ー
 現代を代表する彫刻家・三沢厚彦(みさわあつひこ)(1961-)が2000年から手がけている代表的シリーズ「ANIMALS(アニマルズ)」。樟(クスノキ)を素材に様々な動物の姿を等身大に彫り出し油絵具で彩色を施した木彫は、圧倒的な存在感を放ち、幅広い鑑賞者の心を捉えてきました。そのモチーフは、イヌやネコといった身近な動物から、近年では麒麟やキメラといった空想上の生き物まで挑戦の域を広げ、写実とは異なる独特のリアリティを追求し続けています。本展では、代表作アニマルズを中心に、最新作を含む彫刻と絵画およそ100点を紹介します。同時開催するコレクション展では、三沢展開催期間中だけのコラボレーションをご覧いただけます。
 新型コロナウイルス感染拡大の影響で、2020年本展は開催中止となりましたが、いよいよ2年越しでの開催となります。新潟県立近代美術館で展開する、魅力あふれる三沢厚彦の作品世界に、ぜひご期待ください。


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2022.09.15

生誕100年 斎藤真一展 瞽女と郷愁、さすらい(小林古径記念美術館)

新潟に遠征してきました。
主目的は小林古径記念美術館訪問です。

当日は、高田市ゆかりの画家
「生誕100年 斎藤真一展 瞽女と郷愁、さすらい」が開催されていました。

会期 2022年7月2日(土)~9月25日(日)

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この展覧会は、生誕100年を記念して斎藤真一作品の代名詞となった「瞽女シリーズ」を中心に、初期から晩年までの作品を展示し、その画業を振り返ります。

”見覚えのある絵”と感じる方も多いのではないでしょうか?
どことなく懐かしいという感覚を持ちながら拝見してきました。

(画像はクリックで拡大表示になります)

展覧会の構成は以下の通りです。
第1章 初期作品から
第2章 「越後瞽女日」の誕生
第3章 吉原遊女と昭和ロマン、さすらい

展示作品リスト 
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杉本キクエさんは、私を変えた。
人は一体、一生のあいだで
自分を変えてしまうような人何人に逢えるのだろうか。
斎藤真一「瞽女さんと私」『新潟県人』257号(1975年)より
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瞽女杉本キクエ『越後瞽女日記』 1969年(昭和44)頃 板・油彩 小林古径記念美術館蔵(池田コレクション)
杉本キクエ旅姿杉本家瞽女 『越後瞽女日記』 1971年(昭和46) カンバス・油彩  小林古径記念美術館蔵(池田コレクション)

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瞽女 キクエと桜『越後瞽女日記』 1959年(昭和44) カンヴァス・油彩 小林古径記念美術館蔵(池田コレクション)

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瞽女唄 『越後瞽女日記』 1972年(昭和47年)カンヴァス・油彩 小林古径記念美術館蔵(池田コレクション)

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西頸城の瞽女 『越後瞽女日記』 1976年(昭和51) カンヴァス・油彩 小林古径記念美術館蔵
西頸城能生の駅・待合室にて 『越後瞽女日記』 1969年(昭和46) カンヴァス・油彩 小林古径記念美術館蔵

 

「津軽じょんから節」 は青森県津軽地方に伝わる語り物風の口説の一種です。 津軽三味線による演奏を伴い、「津軽よされ節」「津軽おはら節」とともに“津軽三つ物” の一つとして知られています。 越後瞽女らによって唄われた 「新保広大寺くずし」を元唄とし、津軽に伝わって発展したものです。
1973年(昭和48)、 斎藤耕一監督によって同名の映画 が上映され、斎藤真一は映画の挿画と考証を担当しました。(キャプションから)20220935
十三の砂山 『津軽じょんがら瞽女日記』 1974年(昭和49) 板・油彩 小林古径記念美術館蔵(池田コレクション)

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青い昇天 『津軽じょんがら瞽女日記』 1976年(昭和51) カンヴァス・油彩 小林古径記念美術館蔵(池田コレクション)


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チェロの音 1987年(昭和62) カンヴァス・油彩 個人蔵
雪の花 1990年(平成2) カンヴァス・油彩 個人蔵
チューリップの少女1991年(平成3) カンヴァス・油彩 個人蔵

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さすらいの楽師 1979年(昭和54) カンヴァス・油彩 個人蔵
紅いヴィオロン 1985年(昭和60) カンヴァス・油彩 個人蔵

この「吉原炎上」は、私の母の聞き書きによって始めた。
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馬道七丁目(明治吉原細見記) 1978年(昭和53) カンヴァス・油彩 個人蔵
籠の鳥達(明治吉原細見記) 1985年(昭和609 カンヴァス・油彩 個人蔵


『お春瞽女物語』
お春瞽女物語は 越後・出雲崎に伝わるお春瞽女の悲恋物語がもととなっています。
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太郎の曲 『お春瞽女物語』 1975年(昭和50) 板・油彩 古径記念美術館蔵(池田コレクション)

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雪の日の別れ『お春瞽女物語』 1976年(昭和51) 板・油彩 小林古径記念美術館蔵 (池田コレクション)

『お春瞽女物語』は美術館の庭に面した廊下に展示されています。
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―HPの解説ー
岡山県味野町(現在の倉敷市)に生まれた斎藤真一(1922年~1994年)は、東京美術学校(現・東京藝術大学)卒業後に静岡県伊東市で教師として働く傍ら、日展で「鶏小屋」が初入選して画壇デビューを果たします。

1959年、斎藤は西洋への憧れを胸に抱きながらヨーロッパ各地をバイクで巡ります。渡欧中にパリで親交を深めた藤田嗣治から「帰国後は東北を旅するといい」というアドバイスを受けて帰国後に東北各地を訪れると、津軽旅行中に「瞽女」の存在を知り、瞽女に強く心を惹かれました。そして、1964年から斎藤は瞽女を求めて新潟を旅します。約10年間にわたる高田瞽女の取材を経て「越後瞽女日記シリーズ」を発表し、数々の賞を受賞しました。斎藤は瞽女シリーズの後にも吉原遊女をテーマとした作品や郷愁を誘う人物画を描くなど、甘美で叙情的、ロマンティシズムあふれる作品を描いて多くの人々を魅了しました。

今回の展覧会では、斎藤の代名詞となった「瞽女シリーズ」を中心としながら、初期から晩年までの作品を展示し、画業を振り返ります。


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2022.09.11

ゲルハルト・リヒター展

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ゲルハルト・リヒター展は、
東京国立近代美術館で開催されています。

会期 2022年6月7日(火)~ 10月2日(日)

会場入り口に置いてある配布冊子に”会場マップ、リヒター作品を読み解くためのキーワード、作品リスト”が載っています。

”本展覧会には章構成などにもとづいた展示順序はありません。 ここに掲載された会場マップやキーワードを手掛かりに、関心の赴くままに自由にご鑑賞く ださい。”と記されています。

一部を除いて撮影可です。

リヒター作品を読み解くためのキーワード
1 フォト・ペインティング
2 グレイ・ペインティング
3 ガラスと鏡
4 アブストラクト・ペインティング
5 頭蓋骨、花、風景
6 肖像画
7 オイル・オン・フォト
8 カラーチャートと公共空間
9 《アラジン》
10 《ストリップ》
11 《ビルケナウ》
12 ドローイング
13 フォト・エディション 

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《ビルケナウ》 油彩、キャンバス 2014年
この作品の右にアウシュビッツ・ビルゲナウ強制収容所で隠し撮りされた写真4点が展示されています(この写真は撮影不可です) 
リヒターは、それらの写真を描きうつしましたが、その上に、覆い隠すようにスキージで何層も絵の具を重ね、削り取り、さらにキッチンナイフで絵の具をのせたり引っかいたりしています。
2014年にこの作品を完成させ、自らの芸術的課題から「自分が自由になった」とリヒターは語っています。リヒターにとっての到達点であり転換点にもなった作品。

展示会場には大きな鏡《グレイの鏡》を挟んで、反対側に複製写真が展示されています。
何度でも再生可能な写真は、歴史は繰り返すという(繰り返されているという)暗喩でしょうか?
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アブストラクト・ペインティング 2017年 油彩、キャンバス 作家蔵
積年の課題《ビルゲナウ》を実現させたリヒター。
従来のスキージを用いた制作を続けながら、さらにキッチンナイフでこそぎ取る手法で手の動きを形象化し、あざやかな色彩も現れています。
この作品を描き終えて、もう(油)絵を描かないとリヒターは宣言しました。

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アブストラクト・ペインティング 1992年 油彩、アルミニューム
《アブストラクト・ペインティング》の到達点のひとつとして、リヒターが手元に置き続けてきた作品。


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《モーターボート(第一ヴァージョン)(79a)》 油彩、キャンバス ゲルハルト・リヒター財団
フィルム会社の広告写真を、プロジェクターでキャンバスに投影して描かれた作品。
絵画を否定する、つまり写真をもとに、できるだけ写真であるかのように描くという営為が、かえって絵画というものの特徴をを浮き彫りにしています。(キャプションより)

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《4900の色彩(901)》 エナメル、アルディボンド 2007年 ゲルハルト・リヒター財団
リヒターは2007年に手がけたケルン大聖堂のステンドグラスのために、具体的ななにものにも結び付かず、同時に最も美しくあるような色彩の並びをもとめて、ランダムな色彩の組み合わせの実験を数年にわたって続けました。《4900の色彩》はその作業の中から生まれた作品です。(キャプションより)

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8人の女性見習い看護師(写真バージョン) 1966/1971 8枚の写真 ゲルハルト・リヒター
アメリカのシカゴで起こった殺人事件の報道写真をもとに、1966年に描いた同名の絵画作品を写真パネルとして再制作した作品。リヒターは1960年代にこのような無名の被害者をたびたび描きました。(キャプションより)


展示風景です。
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《アラジン》 ラッカー、ガラス、アルディボンド ゲルハルトリヒター財団
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《フォトエディション》 油彩、写真 ゲルハルト・リヒター財団
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《ドローイング》

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スマホで撮った画像を纏めて見ました。


―HPの解説ー
ドイツ・ドレスデン出身の現代アートの巨匠、ゲルハルト・リヒター(1932-)。リヒターは油彩画、写真、デジタルプリント、ガラス、鏡など多岐にわたる素材を用い、具象表現と抽象表現を行き来しながら、人がものを見て認識するという原理に、一貫して取り組み続けてきました。

画家が90歳を迎えた今年2022年、本展では画家が手元に置いてきた初期作から最新のドローイングまでを含む約120点によって、一貫しつつも多岐にわたる60年の画業を紐解きます。

日本では16年ぶり、東京では初となる美術館での個展です。 

 

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2022.09.07

ボストン美術館 芸術×力(げいじゅつとちから)

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(この画像(チラシ)はクリックで拡大表示になります)


ボストン美術館 芸術×力(げいじゅつとちから)は、
東京都美術館で開催されています。

会期 2022年7月23日(土)~10月2日(日)


2022年、日本の宝里帰り。
日本にあれば国宝級といわれる絵巻《吉備大臣入唐絵巻》と《平治物語絵巻 三条殿夜討巻》ともに保存状態がよく発色が素晴らしいし、平治物語絵巻は迫力満点、吉備大臣入唐絵巻は、奇想天外の物語が楽しいです。
素晴らしい作品がゆっくり鑑賞できたのは幸せでした。
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《平治物語絵巻 三条殿夜討巻》 鎌倉時代、13世紀後半
本作品は、平治元年(1159)に起こった「平治の乱」に取材した絵巻きで、乱から1世紀ほど経過した鎌倉時代に制作された。乱のきっかけとなった後白河院の御所である三条殿が襲撃された事件を描いており、燃え盛る炎や略奪を行う獣のような顔つきの兵士たちなどが戦いの残虐性を伝えている。(キャプションから)

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《吉備大臣入唐絵巻》 平安時代後期 鎌倉時代初期 12世紀末
遣唐使として海を渡った吉備真備が唐の地で様々な難題に直面するも、鬼の姿になった阿部仲麻呂の助けも借りながら次々に解決していくという内容を描いた絵巻き。平安期の宮廷絵師常盤光長の作風とよく似ていることから絵巻き愛好者として知られる後白河院の周辺で制作されたという説が有力視されている。(キャプションから)


古今東西の権力者たちは、その力を示し、維持するために芸術の力を利用してきました。
権力の象徴として、外交の場で・・・
また、力を持つ人々は自らも芸術をたしなみ、パトロンとして芸術家を支援し、その結果素晴らしい芸術作品が生み出されました。それらの作品のコレクションは今日の美術館の礎になっています。
本展では、エジプト、ヨーロッパ、インド、中国、日本などさまざまな地域で生み出されたおよそ60点の作品が展示されています。

展示構成は次の通りです。
第1章 姿を見せる、力を示す
第2章 聖なる世界
第3章 宮廷のくらし
第4章 貢ぐ、与える
第5章 たしなむ、はぐくむ 

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《メアリー王女、チャールズ1世の娘》 アンソニー・ヴァン・ダイク 1637年頃
イングランド王チャーチル1世の長女メアリー王女(1631-1660)の6歳の頃の姿。銀の縁取りが施されたサテンの青いドレスをまとったメアリーは、年齢よりずっと歳上に見える。王族の結婚は、国内の安定と、一族の繁栄にきわめて重要で、本作品のような肖像画は多くの場合結婚の記念や婚姻を進めるために制作された。(キャプションから)

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《マージョリー・メリウェザー・ポストのブローチ》 オスカー・ハイマン社 、マーカス社のために製作 アメリカ、1929年
ポスト(1887-1973)がイギリス王ジョージ5世とその妻メアリー王妃との謁見に際し購入したジュエリーのひとつ。謁見に用いられることはなかったが、大切にされ、このブローチを身に着けた肖像画や写真も残されている。60カラットのエメラルドは17世紀にインドで彫刻が施されたもので、1920年代のアメリカでブローチに加工された。(キャプションから)

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《ギター(キタラ・バッテンテ)》 ヤコポ・モスカ・カヴェッリ イタリア、1725年
この時代には珍しく金属の弦が張られ、ときにピックを用いて打つように弾かれていたギター。ヘッドにはキージ家とパンフリー家のふたつのローマ貴族の紋章が施されている。もともとは両家のいずれかが楽器を所有していたか、注文主であったかもしれない。音楽は王侯貴族の暮らしに不可欠な要素であった。(キャプションから)

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《厚板 萌黄地牡丹立涌模様》 江戸時代 17世紀末 18世紀初頭
能楽は武家から人気を博したため、江戸時代には大名家が自ら能舞台を建造し装束を作るなど、その上演を支援した。「厚板」は主に若い男役着るのに適したもので、本作品は力強い線と牡丹文で彩られている。この装束は江戸時代に福岡藩を収めていた黒田家に伝来したものであるという。(キャプションから)

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《孔雀図》(左幅) 増山雪斎 江戸時代 享和元年(1801)
伊勢長島藩5代藩主増山雪斎は多くの画家、知識人らを庇護し自らも書画を制作した当代きっての文人大名。左幅には白孔雀と真孔雀、海棠、牡丹、鳥。
右幅には2羽の真孔雀と木蓮、薔薇などが描かれている。モティーフの組み合わせから一家の反映や永続を願う吉祥画とわかる。ボストン美術館に収蔵されてから日本初公開となる。(キャプションから)

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《サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂、サン・マルコ沖から望む》 カナレット(ジョヴァンニ・アントニオ・カナル) 1726-1730年頃
リヒテンシュタイン侯爵家のウイーンコレクションに由来する絵画。17世紀から19世紀にかけて北ヨーロッパの貴族たちはイタリアの諸都市をこぞって訪れた。こうした旅行者の間で自国に持ち帰る記念品として都市景観図が好まれた。本作に見られるように特徴的な景観をもつヴェネツィアは特に人気の画題となった。(キャプションから)

 

―HPの解説ー
本展のテーマ
古今東西の権力者たちは、その力を示し、維持するために芸術の力を利用してきました。威厳に満ちた肖像画は権力を強め、精緻に描写された物語はその力の正統性を示します。また、美しい工芸品は彼らの宮廷を彩り、ときに外交の場で活用されてきました。時の一流の画家や職人につくらせた芸術品は、今も見る人々を圧倒する荘厳な輝きを放っています。また、力をもつ人々は、自らも芸術をたしなんだほか、パトロンとして優れた芸術家を支援しました。その惜しみない支援によって、数多くのすばらしい芸術作品が生み出されたのです。さらに、多くの権力者たちは、貴重な作品を収集し手元におきました。彼らが築いたコレクションは、今日の美術館の礎ともなっています。本展では、エジプト、ヨーロッパ、インド、中国、日本などさまざまな地域で生み出されたおよそ60点の作品をご紹介します。私たちが鑑賞する芸術作品が本来担っていた役割に焦点を当て、力とともにあった芸術の歴史を振り返ります。
新型コロナウイルス感染拡大の影響で2020年に中止となった本展。いよいよ待望の開幕です。

 

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2022.09.03

北条義時下文(朽木家古文書)展示 国立公文書館

国立公文書館に行ってきました。

大河ドラマ鎌倉殿の13人では、実朝が第3代鎌倉殿に就き、頼家は幽閉先修善寺で殺害されるというところまで話が進んでいます。
北条義時の専恣?が目立つ状況になって来ました。

国立公文書館で重要文化財 原本特別公開中として『北条義時下文(朽木家古文書)』の展示が行われていました。(~9月11日)
久しぶりに大河ドラマを観ている自分、ちょっと嬉しい気分になりました。 

この下文は、承久の乱の直後に発せられたものだそうです。
以下キャプションの書き写しです。

北条義時下文 ( 朽木家古文書) 
北条義時 (1163~1224) の下文(上意下達の文書)。
平保業 (生没年未詳)を播磨国在田道山荘の所職 (荘園領主に代 わり、荘園経営実務を担当する役職) にするという内容で、署名の「陸奥 が時を指しています。 日付によれば承久3年(1221)8月25日に発せられたもので、これは義時らが後鳥羽上皇 (1180~1239)と対立した承久の乱 (1221)の直後に相当します。
重要文化財 「朽木家古文書」のうち最古の資料。
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(画像はクリックで拡大表示になります)


国立公文書館では、令和4年度第一回企画展 江戸城の事件簿が開催されています。(~9月11日)
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プロローグ 江戸城の空間と構造
Ⅰ江戸城の事件簿
1刃傷
2窃盗
3珍事件
Ⅱ江戸城の災害
1火災と自信
2幕末の江戸城
エピローグ 江戸城から皇居へ

展示資料の一覧です。
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柳営日次記(りゅうえいひなみき)
展示個所は、松の廊下刃傷事件を記した部分。
(画像拡大表示でキャプションが読めると思います) 

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寛永以来刃傷記 展示個所は田沼意知殺害事件を記した部分

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江州彦根城主井伊銕三郎直弼分限
井伊直弼の明細短冊 明細短冊とは、今でいう履歴書のようなもの。

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殿中御沙汰書留
江戸城内 (「殿中」)において廻状等の形で日々回覧される儀礼・任免・面謁・賞罰等に関する情報 (「御沙汰」)を、各部署や坊主等が実務上の必要から書き 留めたもの。

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柳営御白書院虎之間院御殿御休息伺下絵

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御本丸炎上の留

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勝海舟日記抄

ーHPの解説ー
 江戸城は将軍とその家族をはじめとした生活空間であり、老中や若年寄ほか諸役人の政務空間でもありました。 多くの人が生活し、出入りする江戸城では、盗みから刃傷沙汰(にんじょうざた)まで数多くの事件が起こり、また、地震や火災などの災害にも見舞われました。 本展示では、江戸城内で起きた事件、災害に注目して、当館所蔵資料の中から、事件の顛末(てんまつ)やその後の対応、災害時の江戸城の被害状況や、復興・復旧に向けた取り組みなどをご紹介します。



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