高館 義経堂 2022年6月
義経終焉の地「高館 義経堂」に、15~16年ぶりに行って来ました。
私だけでしょうか、高館義経堂からの眺望に「みちのくに来たな~」との感慨を持ちます。
(画像はクリックで拡大表示になります)
義経堂からの眺め、北上川、背景に束稲山。
西からは、かつてその流域が前九年・後三年の役の戦いの場となり、弁慶立往生の故事でも知られる衣川が北上川に合流しています。
ーHPからの引用ですー
高館は北上川に面した丘陵で、判官館(はんがんだて、ほうがんだて)とも呼ばれています。現在では、その半ばを北上川に浸蝕され狭くなっていますが、この一帯は奥州藤原氏初代清衡公の時代から、要害地とされていました。兄・頼朝に追われ、少年期を過ごした平泉に再び落ち延びた源義経公は、藤原氏三代秀衡公の庇護のもと、この高館に居館を与えられました。地元で判官館と呼ばれているのは、義経が判官の位にあったことに由来します。
しかし、文治5年(1189)閏4月30日、頼朝の圧迫に耐えかねた秀衡公の子・泰衡の急襲にあい、この地で妻子とともに自害したと伝えられています。
天和3年(1683)、仙台藩主第四代伊達綱村公が義経を偲んで建てた義経堂。
義経堂内に、本尊として祀られている木造の源義経公像です。
源義経公供養塔
高館は、松尾芭蕉があの名句を詠んだ場所です。
松尾芭蕉が門人・曽良を伴い、平泉を訪れたのは元禄2年(1689)旧暦5月13日(6月29日)のこと。
高館に立ちあの名句を詠みました。
小さな資料館もあり、義経関連資料が展示されています。
素朴な?仁王像が印象的でした。
スマホ動画です。
高館義経堂を出て、中尊寺に向かう道をしばらく歩いたところにあります。
卯の花清水
芭蕉同行の曽良(そら)が、老体に鞭打って義経のために討ち死にした兼房(かねふさ)を称え、「卯の花に 兼房見ゆる 白毛かな」と詠んでいます。かつては、水が湧き、いつしか“卯の花清水”と呼ばれるようになりました。
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コメント
ありがとうございます。
旅は、命の洗濯ですね。
次は何処に、毎日考えてます。
遠くとは限りませんね!近くでも新発見はあると思います。
投稿: 岩城さんへ | 2022.07.18 20:10
のどかで、みちのくの景色素晴らしい写真ですね。楽しみに拝見しています。
投稿: 岩城 | 2022.07.18 19:29