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2022.05.31

最期の浮世絵師 月岡芳年展

最期の浮世絵師 月岡芳年展は、
八王子市夢美術館で開催されています。

会期 2022年4月8日(金)〜6月5日(日)

芳年というと所謂残酷絵を思い浮かべるかもしれません。
過去の展覧会においても取り上げられるケースが多くありました。
本展では残酷絵?はほとんど?ありません。

奇抜な発想、スピード感、情感あふれる表情、人気絵師の本質を納得させてくれる作品は「観るものをわくわく」させてくれます。
揃物を中心にした150点の作品には、一点一点に解説が添えられていて鑑賞を助けてくれます。

 

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(この画像(チラシ)はクリックで拡大表示になります)

展覧会の構成は以下の通りです。
(主な揃物作品)
第一章 芳年の壮 芳年の武者絵
(一魁随筆)
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一魁随筆 西塔ノ鬼若丸 大判錦絵 明治5~6年(1872~73)
鬼若丸(弁慶の幼名)が古池の化物鯉を退治したという逸話を描いたもの。
「一魁」は芳年の画号にちなんだもの。

(芳年武者无類)
(大日本名将鑑)

第二章 芳年の想 芳年の歴史画
(新撰東錦絵)
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新撰東錦絵 鬼神於松四郎三朗を害す図 大判錦絵二枚続 明治19年(1886)
美貌の盗賊鬼神のお松が、夫を殺した夏目四郎三朗に復讐する場面である。病をよそおい、四郎三朗に背負われて川を渡るとき背後から襲う、可愛らしい振袖姿だが表情ひとつさえ変えない。(展示解説から)

(新形三十六怪撰) 題は三十六歌仙のもじり
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新形三十六怪撰 地獄大夫 悟道の図 大判錦絵 明治23年(1890)
室町時代に堺に住んだ伝説の遊女地獄大夫。客を迎えるときは念仏をとなえたという。背景には骸骨の花魁道中が広がる。(展示解説から)

第三章 続物の妙
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芳流閣両雄動 大判錦絵二枚続 明治18年(1885)
曲亭馬琴「南総里見八犬伝」の芳流閣の場面。捕り物の名手犬飼見八が犬塚信乃を屋根の上に追い詰める場面。(展示解説から)

第四章 芳年の妖と艶
(東京自慢十二ヶ月)
(風俗三十二相)

第五章 報道
郵便報知新聞
かなよみ新聞

第六章 月百姿
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月百姿 忍岡月 玉渕斎 大判錦絵 明治22年(1889)
風に乱れ散る花びらに袖をかざすのは玉渕斎。浪士の身であった玉渕斎が花の盛りの上野を歩いていると、金持ちの花見客が「そんな粗末な着物では花を振り払うこともあるまい」とからかう。玉渕斎は即興で見事な短歌を詠んで返し酔客らをやり込めたという。(展示解説から)


ーHPの解説ー
幕末から明治時代に活躍し、「最後の浮世絵師」とも呼ばれる月岡芳年(1839〜1892)の画業に焦点を当てる展覧会です。

月岡芳年は天保10(1839)年、江戸の新橋に生まれました。幼い頃から画業を志し、12歳のとき、奇想の絵師と呼ばれる歌川国芳(1798〜1861)に入門し、15歳の若さで画壇にデビューします。その後22歳頃から本格的に浮世絵師として活動をはじめ、54歳で没するまでの間に多くのすぐれた作品を世に送り出し続けました。その生涯で手がけた作品数は、一説には1万点にもおよぶと言われています。

芳年といえば、「英名二十八衆句」などの無惨絵に見られる、残酷な作品を思い浮かべる方も多いかもしれません。しかし、そうした血生臭いものは芳年が若年の頃に発表された、ごくわずかのシリーズに見られる傾向にすぎません。芳年の作品全体をとおして見ると、勇壮でスピード感あふれる武者絵、歴史画や大衆好みの巷の事件を集めた錦絵新聞の挿絵、日本近代美人画の先駆け的な要素を感じさせる美人画など、実に多種多様であることがわかります。近年では、芳年作品が持つ人物の内面性までも表現する的確な描写や、西洋画の写実性を加味し、静謐さと緊張感が高い次元で響き合う稀有な画風など、その魅力が多角的な視点から評価され、人気が再燃しています。

本展では、昨今の芳年芸術への再評価の流れに鑑み、芳年の集大成的作品である「月百姿」をはじめ、「新撰東錦絵」、「新形三十六怪撰」といった円熟期の傑作を中心に、約150点を展示します。柔軟な発想とたくましい絵心で幕末明治の浮世絵界を駆け抜けた芳年芸術の世界を是非お楽しみください。


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2022.05.28

彫刻刀が刻む戦後日本―2つの民衆版画運動 工場で、田んぼで、教室で みんな、かつては版画家だった

彫刻刀が刻む戦後日本―2つの民衆版画運動
工場で、田んぼで、教室で
みんな、かつては版画家だった

会期 2022年4月23日(土)~7月3日(日)

町田市立国際版画美術館

この美術館ならではの企画展といってもいいかもしれません。
民衆版画運動の大きなな流れを、政治・社会との関連も含めて丁寧に検証しています。
それぞれの作家の位置づけも改めて確認できました。

(以下の画像はクリックで拡大表示になります)

ーHPの解説ー
戦後日本で展開した2つの民衆版画運動を紹介します。1つは中国の木版画運動の影響で版画による社会運動と版画の普及を目指した戦後版画運動。もう1つは、全国の小中学校教員が学校教育のなかで版画を広めた教育版画運動です。約400点の豊富な作品と資料を展示し、これまであまり知られることのなかった版画史の一側面に光を当てます。
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展示構成は以下の通りです。
1章 中国木刻のインパクト 1947-
中国美術を範とする戦後版画運動は、近代化以後、西洋美術に学んできた日本美術界の中で特異な美術運動となりました。(展示解説から)
1-1 焼け野原の神戸と東京から
1-2 日本で紹介された中国木刻
1-3 中国木刻の巡回展と版画運動の芽生え

2章 戦後版画運動 時代に即応する美術 1949-
日本版画運動協会は1949年10月に中国文化研究所内で設立されました。
彼らの制作背景には、平和を求めると同時に主権を回復したものの米軍基地が拡張し文化も急激にアメリカ化が進むなど、日本の自主性や独立性が回復しないことへの抗議の思いがありました。(展示解説から)
2-1 日本版画運動協会設立
2-2 プロレタリア美術、漫画から版画へ
2-3 労働運動の中へ、農民運動とともに
2-4 平和を求めて
1952年「血のメーデー事件」
太平洋ビキニ環礁沖水爆実験・第五福竜丸事件

3章 教育版画運動と「生活版画」 1951-
日本版画運動協会の会員も教育版画運動に協力していきます。彼らも社会を揺るがす事件や争議の現場に出かけて製作するだけでなく、生活の中の喜びや身近な場で起こった問題を問う作品を発表していくようになります。(展示解説から)
3-1 作文と版画で描くリアリズム
3-2 2つの民衆版画運動の交差「生活」とリアリズム

4章 ローカルへ グローバルへ 版画がつなぐネットワーク
教育版画は当初はプロの作品に付随して海外に紹介されましたが、日本教育版画協会の活動が軌道に乗ると、独自で国際交流を行っていきます。さらに日本を代表する美術教育団体のひとつとして、国際会議にも参加しました。
また、日中国交正常化後。1980年代に日本と中国を行き来しやすくなると、作家や教育の人的交流が活発化していきます。(展示解説から)
4-11950年代 草の根の文化運動
4-2 海外との交流 中国との交流 1950年代前半
4-3 1952年 ニューヨークとアメリカでのネットワーク
ソ連展
平和を運ぶ「白い鳩」 

5章 ライフワークと表現の追求 
日本版画運動協会に加わっていた作家の多くは、1950年代前半よりも政治と距離を持つようになります。さらに運動体で共通のテーマを持ち事件を追いかけるよりも、作家同士のネットワークを追及していくようになっていくのです。(展示解説から)

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鈴木賢二《母と子》1961 木版・紙   《署名》1960 木版・紙

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小口一郎《鉱毒に追われて》1974 木版・ポスターカラー・紙 小口一郎研究会
1 治水か破水か 2 移住民の出発 3 股を没する雪の中を 4 馬鈴薯を植えつけたが

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小野忠重《工場》1950 木版・紙 町田市立国際版画美術館蔵

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油井正次《日本人は日本のコメで》1992 木版・紙 個人蔵

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小林貴巳子 私たちの先生を返してー実践女子学園の斗いー 1964 木版・紙 大嶋裕子氏蔵

6章 教育版画運動の開花 1950年代-90年代
これまで顧みられることの少なかった教育版画に刻まれた光景は、時代と社会を写す鏡であり、教師と子どもたち両者の視点が合わさった集合体が見た「もう一つの戦後日本」といえるでしょう。(展示解説から)
6-1 日本の子どもたちに版画を
6-2 全国の版画文集・民話版画集・絵本・紙芝居
6-3 共同制作に描かれた地域と子どものこころ

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東京都府中市立府中第八小学校6年生20名《新宿西口駅前》1970 木版・紙
府中市立府中第八小学校

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神奈川県川崎市東大島小学校 版画クラブ5年生6名 石田彰一 《日本民家園》
1974 木版・紙 川崎市立東大島小学校
 
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東京都東久留米市神宝小学校卒業生有志23寧(指導:細田和子) {『は生きている(キッズゲルニカ国際子ども平和壁画)』1999木版・ロール紙 細田和子氏蔵 

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8点組作品のうち、
《天馬と牛と鳥が夜空をかけていく》
《大きな花の太陽から花が降る》
宮崎駿監督作品『魔女の宅急便』の劇中画にインスピレーションを与えた作品だそうです。(画像の上)

青森県八戸市湊中学校養護学級約15名(指導:坂本小九郎) 『虹の上を飛ぶ船・総集編(2)

※5章、6章は一部の作品を除いて撮影可です。(条件あり)


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2022.05.25

未来の国宝―東京国立博物館 書画の逸品― 焔

未来の国宝―東京国立博物館 書画の逸品― 
展示2作品目は 上村松園筆 焔 です。

トーハク本館2室で展示しています。
展示期間 2022年5月10日(火)~6月5日(日)
 
『源氏物語』に登場する六条御息所が、光源氏に思いを寄せるあまり、生霊となったさまをモティーフにして描かれたと言います。(展示会場の解説から)

上村松園の作品の中では異質な感じがしないでもないですが、とても人気のある作品で私も何度か拝見しています。
「一点の卑俗なところもなく、清澄な感じのする香高い珠玉のような絵」その通りの作品です。
(画像はクリックで拡大表示になります)
非常灯の映り込みを避けて、斜めからスマホで撮りました)
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上村松園筆 絹本着色 大正7年(1918) 東京国立博物館


創立150年記念事業
未来の国宝―東京国立博物館 書画の逸品―

年間展示予定はこちらから
ほぼ、一か月に1作品のペースで展示替えが行われるようです。


ーHPからー
東京国立博物館は、令和4年(2022)に創立150年を迎えました。この150年の歴史のなかで収集された文化財のなかには、国指定の国宝や重要文化財となっていなくとも素晴らしい作品が数多く収蔵されています。
「150年後、もしくはその先の未来、この国宝室にはどのような作品が展示されているのだろう」。
こういった問いかけから、今年度は「未来の国宝―東京国立博物館 書画の逸品―」というテーマで展示を行なうことにしました。私たち研究員が選び抜いたイチ押しの作品を「未来の国宝」と銘打って、年間を通じてご紹介していくという試みです。
数万件に及ぶ絵画、書跡、歴史資料のなかから選び抜いた、東京国立博物館コレクションの「逸品」をどうぞご堪能下さい。

 

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2022.05.22

神代植物公園 春のバラフェスタ 2022年5月

何年かぶり(十数年ぶり?)で、神代植物公園の「春のバラフェスタ」に行ってきました。

5月にしては日差しが強く、スマホのモニター画面がほぼ見えない状態で、難しい撮影になりました。 急に思いついて出かけたので準備不足でした。

以下の静止画は、イチデジ+中望遠レンズでとりました。

(画像はクリックで拡大表示になります)


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スマホ動画です。
iMovieのマジックムービを使いました。



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2022.05.19

ボテロ展 ふくよかな魔法

「ボテオ展 ふくよかな魔法」は、Bunkamura ザ・ミュージアムで開催されています。

会期 2022年4月29日(金・祝)~7月3日(日)

ボテロによれば「アートの主たる目的は喜びをもたらすことである」
「偉大な絵画は人生に対し肯定的な態度を示している」

日本国内では26年ぶりに開催となるボテロ展。
生誕90年の記念すべき年にボテロ本人の監修のもと、初期から近年までの油彩ならびに水彩・素描などの70点の作品で構成されています。

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(画像(チラシ)はクリックで拡大表示になります)


展覧会の構成は以下の通りです(ボテロの言葉とともに)

第1章 初期作品
”アートにおける真実は常に相対的である。大切なのはアーティストの信念なのだ。”
ボテロのボリュームへの関心は17歳の時の作品《泣く女》(1949年)にすでに見出せます。

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《泣く女》 1949年 水彩/紙

第2章 静物
”芸術家の様式というものは、最も単純な形のなかにさえ、はっきり認識できるものであるべきだ。”
1956年のある晩、ボテロはアトリエでマンドリンを描いていました。マンドリンの穴をとても小さく描くと、大きな輪郭と細部とのコントラストが生じ、楽器がふくらんで見えました。この時、彼は自分の仕事にとって、重要で決定的なことが起こったと感じたのです。

「ゴッホjの描いたオレンジはピカソの描いたオレンジともセザンヌのオレンジとも違う。そしてボテロのオレンジに表現されているのは、誰が見てもボテロだと分かる非凡な様式に結実した、美の革新と熟考の重みなのである」(作品《果物のある静物》のキャプションから)

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《黄色い花》《青い花》《赤い花》(3点組) 2006年 油彩/カンヴァス

第3章 信仰の世界
”私は魔術的リアリズムを描いているのではない。私が描いているのは、ありそうにないことではあるが、あり得ないことではない”
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《コロンビアの聖母》(部分) 1992年 油彩/カンヴァス
涙を流す聖母と、小さな国旗を手にする現代的な服装の幼子イエスは、自国の現状を象徴しているのだろうか。(キャプションから)

第4章 ラテンアメリカの世界
4-1 ラテンアメリカ
”アートが普遍的であるためには、まず、ローカルでなければならないと私は信じている。”
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《バーレッスン中のバレリーナ》 2001年 油彩/カンヴァス
皮肉を含むこのようなぎこちなさは、ボテロ芸術の中核である。それは、軽く扱いながらも共感を持ち、常に好意的なまなざしで現実を見るように私たちを誘うのである(キャプションから)

4-2 ドローイング
”描くということは驚くべき体験である。私は絵を描いているとき、存在することを止める。一日8時間立ったまま制作しても、疲れることは決してない。それはあたかも自分の身体を離れるかのようで、恍惚とした気持ちになるのだ。”
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《踊る人たち》 2019年 鉛筆、水彩/カンヴァス

第5章 サーカス
”絵画は、芸術の素晴らしさについての考察から生まれる。”
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《像》 2007年油彩/カンヴァス

第6章 変容する名画
”芸術の豊かさとは人生と仕事に痕跡を残した影響の融合からなる。”
「芸術とは、同じことであっても、異なる方法で表す可能性である」
6章には撮影可のエリアがあります。
(以下の画像はクリックで拡大表示になります)
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《ピエロ・フランチェスカにならって(2点組)》 1998年 油彩/カンヴァス

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《ホルバインにならって》 2016年 油彩/カンヴァス

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《アングルによるモワテシエ夫人にならって》 2010年 油彩/カンヴァス

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《フォルナリーナ(ラファエロにならって)》 2008年 油彩/カンヴァス 
《モナ・リザの横顔》 2020年 油彩/カンヴァス

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《アルノルフィーニ夫妻(ファン・エイクにならって)》 2006年 油彩/カンヴァス
《ルーベンスと妻》 2005年 油彩/カンヴァス


Bunkamura地下1階テラスに展示されています。
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フェルナンド・ボテロ《小さな鳥》 1988年 ブロンズ 広島市現代美術館所蔵 

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2022.05.16

トーハクの一品(その9) 為家本時代不同合絵

為家本時代不同合絵はトーハク本館総合文化展、日本美術、宮廷の美術ー平安~鎌倉 に展示されています。
展示期間 2022年4月26日(火)~6月5日(日)

(画像はクリックで拡大表示になります)

為家本時代不同歌合絵
鎌倉時代・14世紀 紙本墨画
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後鳥羽天皇と和歌と美術
承久3年(1221) 、承久の乱に敗れた後鳥羽天皇は隠岐に配流されます。この地で作られたのが『時代不同歌合』で、過去と現在の歌人の和歌を組み合わせた架空の歌合です。どうやらこの歌合はさっそく都に送られ、歌人の姿を添えて楽しまれていたようです。「時代不同歌合絵」は多くの歌仙絵が作られるきっかけとなった作例と考えられます。 政治的には敗北した後鳥羽天皇ですが、 文化史上に果たした役割は計り知れないものがあります。(作品解説パネルから)


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2022.05.13

トーハク本館前の「ユリノキ」 2022年5月

今年もトウハク本館前の「ユリノキ」に花が咲きました。
毎年楽しみにしています。
(画像はクリックで拡大表示になります)
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以下、この木の近くにある「ユリノキの解説プレート」の内容です。
ユリノキの由来
明治8、9年頃渡来した30粒の種子から育った1本の苗木が明治14年に現在地に植えられたといわれ、以来博物館の歴史を見守り続けている。 東京国立博物館は、時に「ユリノキの博物館」「ゆり木の館」などといわれる。

スマホ動画です。


百合の木(ユリノキ)-季節の花300



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2022.05.11

東京国立博物館の近世仏画ー伝統と変奏ー

東京国立博物館の近世仏画―伝統と変奏ーは、
本館 特別1室・特別2室で開催されています。

会期 2022年4月5日(火) ~ 5月29日(日)


ーHPの解説ー
当館には絵仏師、画僧、狩野派や琳派の絵師が描いた作品だけでなく、土産物として庶民に親しまれた大津絵なども所蔵されます。これらには、古い伝統の継承に加え、当時流行した思想や信仰を背景とした独自の改変、最新の絵画表現の反映など、江戸時代らしい要素も見られます。江戸時代の仏画の豊かな世界と、仏画が本来持つ華やかさ、造形の魅力をお楽しみください。

(以下の画像はクリックで拡大表示になります)

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第1章 絵仏師・画僧の仏画
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不動明王二童子像 勝山琢舟筆 江戸時代・18世紀 絹本着色
円仁の弟子・相応が開いた天台修験の古刹、滋賀・明王院に伝わる、鎌倉時代の仏画を写した作 例です。原本では失われてしまった鮮やかな彩色が美しく、制作当初の姿がうかがえます。金地の背景は本図の特徴です。勝山琢舟 は、江戸時代中期の京都で活躍した絵仏師です。(キャプションから)

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当麻曼荼羅 神田宗庭隆信筆 江戸時代・天保7年(1836) 絹本着色、描表装 喜多川儀久氏寄贈

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観音変相図 卓峰道秀筆 江戸時代・延宝6年(1678) 絹本着色
上方に白衣観音を、下方に観音が衆生を救うために33の姿に変化すると説く『法華経』普門品の場面を表わします。筆者の卓峰 道秀は、京都・西本願寺に仕える絵師の家に生まれ、萬福寺5世高泉性激 (1633~95)に師事した黄檗画僧です。本図の賛は高泉によります。(キャプションから)大津絵屏風 筆者不詳 江戸時代・18~19世紀 紙本木版着色 松永安左エ門氏寄贈


第2章 異色の仏画 幕末の絵師・狩野一信筆「五百羅漢図」 (展示替えがあります)
五百羅漢図 狩野一信筆 江戸時代・19世紀 絹本着色 

五人の羅漢を描いた図を二図合わせて一幅とし、 合計五十幅からなる作品です。一幅に五人ずつ百幅に描いた、 狩野一信の代表作である 「五百羅漢図」 (増上寺蔵) の半数で、大きさもおよそ半分です。東博の作例 (東博本) は、増上寺の作例 (増上寺本) の下絵または習作として作られたものなのか、あるいはまったく別の理由で制作されたのか、詳細は明らかではありません。東博本の各幅には白文方印「法眼一信」が捺され第一・十一二十一三十一・四十一五十幅には「法眼一信筆」との 落款があり、一信が法眼に叙された文久二年(一八六二) 以降の制作と分かります。(本展解説パネルの一部)
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《第15幅 六道(畜生)《第23幅 十二頭陀》(中後不飲じょう・一坐食) 《第25幅 十二頭陀(塚間坐・露地坐)

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《第6福 授戒》  《第7幅 布薩》  《第9幅 剃度》


第3章 庶民の仏画 大津絵
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大津絵屏風 筆者不詳 江戸時代・18~19世紀 紙本木版着色 松永安左エ門氏寄贈

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大津絵鍾馗図 筆者不詳 江戸時代・19世紀 紙本木版着色 

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大津絵鬼図 筆者不詳 江戸時代・19世紀 紙本木版着色


総合窓口で本特集展示のパンフレットを頂けますのでお忘れなく。
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2022.05.08

散歩の途中、スマホで花を撮ってみました「フタリシズカ」 2022年5月

今年も「フタリシズカ」が咲きました。
「ヒトリシズカ」はまだ咲いていませんでした。

(画像はクリックで拡大表示になります) 

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「フタリシズカ」「ヒトリシズカ」というの名の由来は「世にも麗しき静御前の舞姿」を野の花にたとえたということです。

下記クリックで、解説サイトにジャンプします。

きごさい歳時記 二人静

能の謡曲「二人静」


鎌倉祭りは2年連続で縮小開催となり、流鏑馬や行列巡行などは中止となりました。
「開催日非公表で、静の舞を実施して、その模様をを5月13日(金)から観光協会ユーチューブチャンネルで配信する。」
そうです。

静の舞は、静御前が源義経との別れの悲しみを訴えた舞。

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2022.05.06

トーハクの一品(その8) 蹄斎北馬(1771~1844)筆 出陣図

鎌倉殿つながりです。
4月中旬にスマホで撮りました。
(画像はクリックで拡大表示になります)

浮世絵と衣装―江戸(浮世絵)
トーハク本館 10室
2022年4月12日(火) ~ 2022年5月8日(日)

義経のイメージはそれぞれ違うのでしょうが・・・・
この義経はいかがでしょうか?

浮世絵になるとこうなるのかなぁ~

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出陣図 蹄斎北馬(1771~1844)筆 江戸時代・19世紀 絹本着色

源頼朝の命令で土佐坊昌俊が京六条堀川の源義経の屋敷を襲った「堀 川夜討」の場面。黒い背景が夜の闇をあらわしています。静御前から兜を渡された義経は、これから門を開き馬に乗って敵の中に向かっていきます。 愛妾との別れが妖しい雰囲気で描かれています。(キャプションンから)

 

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2022.05.03

「鎌倉幕府と執権政治」ー國學院大學図書館の名品ー

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「鎌倉幕府と執権政治」ー國學院大學図書館の名品ーは、
國學院大學博物館で開催されています。

会期:令和4(2022)年4月2日(土)~5月14日(土)
開館時間は、水・木・金・土曜日の12:00~17:00(最終入館16:30)HPのカレンダーでご確認を・・・


ーHPの解説からー
本展では、反平家勢力の庇護者であった鳥羽天皇皇女八条院周辺の文書史料、久我家文書の源頼朝・北条義時・北条泰時発給文書、鎌倉幕府の歴史書『吾妻鏡』に題材を取った奈良絵本『あさいな』など、初公開を含む本学所蔵資料から、頼朝や義時の時代をみていきます。


私のような「歴史に疎い」者には、予習として本展の解説動画視聴は必須と思いました。
春の特別列品「鎌倉幕府と執権政治」を特別解説!
國學院大學博物館 Online Museum

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展覧会の構成は以下の通りです。

序章 源頼朝の挙兵と平家の滅亡
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奈良絵本『平家物語』巻九「敦盛最期のこと」 江戸時代前期

第1章 武家政権成立期の八条院
鳥羽天皇の皇女八条院暲子内親王(1137~1211)は、父と母美福門院から愛され、近衛天皇の没後には女帝に推されたという。
彼女が好むと好まざるとに関わらず、八条院は反清盛勢力の庇護者となっていた。
その八条院の家政機関職員のもとにあった文書が廃棄され、高山寺で聖教書写に再利用された。「八条院関係紙背文書群」と称される文書の一部が本学(國學院)にも所蔵されている。
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重文「八条院庁下文」久我家文書 寿永2(1183)年9月25日
國學院大學デジタルミュージアム 八條院廰下文【眞清田社重書】


第2章 源氏将軍の時代
頼朝が亡くなり、子息の頼家、次いで実朝が将軍になると、外祖父北条時政が幕府政治を支えた。
以仁王による平家追討命令を起源とする「関東」(鎌倉幕府)の歴史は、鎌倉時代末期に歴史書として編纂された。後世、この『吾妻鏡』に取材した文学作品・絵画作品がいくつも作られている。
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『吾妻鏡』伏見版 巻二十一「朝夷名の門破り」 建保元(1213)年5月2日条
國學院大學デジタルミュージアム「吾妻鏡 巻第二十一」

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『あさいな』下巻「朝夷名の門破り」寛文・延宝頃写

第3章 承久の乱と執権政治
承久の乱により、高倉天皇の孫(後堀川)が新たな天皇に立てられ、後鳥羽院は隠岐に流された。時房・泰時らによる戦後処理の中で、謀判人跡の所領には新たに地頭が任命され、幕府の支配領域は広がった。
その一方で、貴族や寺社の荘園に守護使が乱入することを禁じ、先例を超えた税を取る地頭や領主への年貢を未進する地頭を許さないなど、幕府は貴族や寺社の権利を尊重する対応に努めた。久我家文書の中の執権北条義時や、六波羅蜜探題北条泰時の発給文書からは、そうした幕府の姿勢が読み取れる。

久我(こが)家文書;
旧華族の久我家に伝来した平安末期から明治初期までの文書約2,800点を差します。

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重文「関東下知状」久我家文書 承久3(1221)年8月24日
國學院大學デジタルミュージアム「関東下知状」


終章 中世史研究と八代国治
八代国治(1873~1924)は、大正時代を代表する日本中世史研究者で、國學院大學教授でもあった。
業績紹介と著書の展示です。

ーHPの解説ー
平治の乱(一一五九年)ののち、伊豆国に流されていた源頼朝は反平家の兵を挙げ(一一八〇年)、やがて鎌倉に武士の政権を打ち立てました。この政権は鎌倉幕府と呼ばれています。三代将軍実朝の時代からは外戚の北条氏が主導する執権政治が行われました。承久の乱(一二二一年)で北条義時を倒そうとした後鳥羽上皇に勝利すると、幕府の支配は西国にも広がりました。  しかし、本来、幕府は朝廷と対立する存在でありませんでした。承久の乱後も、上皇を頂点とする国家のなかで、朝廷を武力で守り、経済力で支える役割を果たしつづけ、貴族たちの権利を尊重しました。  本展では、反平家勢力の庇護者であった鳥羽天皇皇女八条院周辺の文書史料、久我家文書の源頼朝・北条義時・北条泰時発給文書、鎌倉幕府の歴史書『吾妻鏡』に題材を取った奈良絵本『あさいな』など、初公開を含む本学所蔵資料から、頼朝や義時の時代をみていきます。


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