ミロ展―日本を夢みて
ミロが魅せられた日本の美とは―?
「ミロ展―日本を夢みて」は、Bunkamura ザ・ミュージアムで開催されています。
会期 2022年2月11日(金・祝)~4月17日(日)
(この画像(チラシ)はクリックで拡大表示になります。
展覧会の構成は以下の通りです。
Ⅰ 日本好きのミロ
若き日の日本へのあこがれ
《アンリ・クリストフェル・リカルの肖像》 1917年 油彩・コラージュ、キャンバス ニューヨーク近代美術館
友人ミカルを描いた作品。
実物の浮世絵を切り取って、コラージュしている。
アトリエをシェアしていたリカルは独学で木版画を手がけ浮世絵をコレクションしていた。縦書きのサインは、落款や版元の印を意識したのだろう。(キャプションから)
《焼けた森の中の人物たちによる構成》 1931年 油彩、キャンバス ジュアン・ミロ財団、バルセロナ
日本で最初に展示された記念すべきミロの作品が再来日。
「巴里新興美術展」で展示されたミロの2点の絵画のうちの一つ。不穏なタイトルと色使いにもかかわらず、描かれた人物は皆どこかとぼけたような表情で佇んでいる。(キャプションから)
Ⅱ 画家ミロの歩み
《絵画(パイプを吸う男)》 1925年 油彩、キャンバス 富山県美術館
単色の背景に線や記号のような形を配する(夢の絵画)と呼ばれるシリーズの一点(キャプションから)
ⅲ 描くこと書くこと
「私は絵画と詩を区別しません」という言葉通りに、ミロにとっては絵と文字は入れ替え可能だった。中でも画中の文字が詩になっているものをミロは自ら<絵画=詩>と呼んでいる。
戦禍を避けてマジョルカでひっそりと制作を続けていたミロの心を慰めたのは、近所の大聖堂でステンドグラスの窓から降り注ぐ光の中、教会音楽を聴きながら空想にふけるひと時だった。本作はその印象に基づいた一点。まるで文字のように黒く太い線で描かれたオルガンと星を、細い線でかたどられたオルガン奏者や踊り子たちが取り囲んでいる。(キャプションから)
《絵画(カタツムリ、女、花、星)》 1934年 国立ソフィア王妃芸術センター
フランス語で「カタツムリ」「女」「花」「星」の4語が流れるように連なって描かれている。本作は、フランスの実業家マリー・キュットリの依頼で制作したタペストリーのための下絵の一つ。下絵といってもタペストリーの原寸大のサイズとその入念な出来栄えから、1930年代のミロの代表作に一つに数えられてきた。(キャプションから)
Ⅳ 日本を夢みて
ミロと陶芸家アルティガスを繋げた「日本への愛」2人の対話から生まれた陶器を出店。
日本文化に造詣が深い陶芸家ジュゼップ・リュレンス・イ・アルティガスとともに、戦後ミロは積極的に陶器の制作を始めました。
Ⅴ 2度の来日
日本の書画が与えた影響
《絵画》 1966年 油彩・アクリル・木炭、キャンバス ピラール&ジュアン・ミロ財団、マジョルカ
初の日本滞在から帰国してひと月のうちに描かれた本作には、ミロが目の当たりにした書家たちの筆捌きから得た刺激が素直に反映されているように見える。ミロはすでに1940年代から墨と和紙を使った実験をしているが、絵の具の「にじみ」や「はね」「かすれ」などを利用した作品は日本滞在を経てますます増え、画面に占める黒の比重も目に見えて大きくなっていく。(キャプションから)
Ⅵ ミロの中の日本
ミロの来日時のスナップ写真のほか、日本の文化人たちとの交流を示す作品や資料を展示しています。
1962年国立西洋美術館等での版画展開催、1966年に国立近代美術館でも回顧展が開催され、この時ミロは念願の初来日を果たしました。
ミロは二週間ほどの滞在で、瀧口修造、作家の佐野繁次郎、勅使河原蒼風、岡本太郎らと交流。更に信楽や瀬戸等の窯元も訪ねています。
ーHPの解説ー
スペインのバルセロナで生まれた大芸術家、ジュアン・ミロ(1893-1983)。ピカソと並ぶ現代スペインの巨匠として日本でも広くその名は知られていますが、ミロの創作活動の裏側には日本文化への深い造詣があったことは意外なほど知られていません。一方日本では1930年代からミロの作品が紹介され、世界に先駆けて1940年にモノグラフ(単行書)が出版されるなど、日本は早くからその活動に注目をしてきました。そして現在も日本各地の美術館が数々のミロの名品を収蔵しており、今なおミロの人気は衰えません。
本展では、若き日の日本への憧れを象徴する初期作品から代表作、そして日本で初めて展示されたミロ作品を通し、相思相愛であったこの画家と日本の関係に迫ります。さらに本人のアトリエにあった日本の民芸品や批評家の瀧口修造との交流を示す多彩な資料を通してミロと日本の深いつながりを紐解き、ミロというよく知られた画家を約130点の作品と資料で新たな角度からご紹介します。
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