特別展 ポンペイ 序章、第1章
特別展 ポンペイ展は東京国立博物館平成館で開催されています。
会期 2022年1月14日(金)~年4月3日(日)
眠りから覚めた都市の輝き。
約2000年前、イタリアのナポリ近郊のヴェスヴィオ山で大規模な噴火が発生、人口1万人ほどの都市ポンペイが姿を消しました。悲劇の街ポンペイは遺跡として当時の暮らしを伝えるタイムカプセルとなりました。本展覧会では、壁画、彫像、工芸品の傑作から、食器、調理具といった日用品にいたる発掘品を展示。2000年前の都市社会と豊かな市民生活をよみがえらせます。
ポンペイ展は過去に何度も開催されてきました。
本展は、決定版の様相です。
(以下の画像はクリックで拡大表示になります)
展覧会の構成は以下の通りです。
序章 ヴェスヴィオ山噴火とポンペイ埋没
第1章 ポンペイの街:公共施設と宗教
第2章 ポンペイの社会と人びとの活躍
第3章 人びとの生活:食と仕事
第4章 ポンペイ繁栄の歴史
第5章 発掘の今むかし
本展は撮影可です(条件あり)
(画像の展示品はすべてナポリ国立考古学博物館所蔵です)
序章 ヴェスヴィオ山噴火とポンペイ埋没
およそ2000年前、79年のある朝、ヴェスヴィオ山の噴火が始まった。ポンペイは火山灰と軽石が降り続け、その重みで次第に家々の屋根が落ち、町に残った人々は、そこに閉じ込められてしまいます。翌朝には高温の火砕サージと火砕流が到達。街は死に絶え、埋没した。(本展パネル解説から)
バックス(ディオニソス)とヴェスヴィオ山
62~79年 フレスコ ナポリ国立考古学博物館
この展示品、過去のポンペイ展で何度か見たような・・・
女性犠牲者の石膏像 ポンペイ出土 79年/1875年 石膏 ナポリ国立考古学博物館
第1章 ポンペイの街:公共施設と宗教
ポンペイは東西1600m、南北800mほどの中規模の都市で、東西に2本、南北に1本の大通りが走っていた。人口は1万人であったと推定される。
1-1フォルム
フォルムは都市活動の中心地。
フォルムの日常風景 62~79年 フレスコ ナポリ国立考古学博物館
アウグストゥスの胸像 後期アウグストゥス時代~ティベリウス時代(1~37年) エルコラーノ出土 ブロンズ
水道のバルブ 1世紀 ポンペイ出土 ブロンズ
1-2体育施設と公共浴場
体育施設(パラエストラ)はギリシャの学校(ギュムナシウム)に由来する。ポンペイでは前2世紀の「サムニウム人のパラエスロラ」にはじまり、アウグストゥス時代(前27~後14年)の大パラエストラでは列柱廊で学校も開かれていた。ポンペイでは最古の「スタビア浴場」をはじめ、今までに5つの公共浴場が発掘されている。(本展パネル解説から)
ライオン頭部形の吐水口 1世紀 エルコナーノ、「パピルス荘」出土か ブロンズ、土製
香油壺、ストリギリス(肌かき器) 1世紀 ポンペイ出土 ブロンズ
1-3信仰と神々
ポンペイでは多くの神々が祀られていた。
ヴェヌス 50~79年 エルコラーノ、モザイクのアトリウムの家」エクセドラ出土 フレスコ
三美神 前15~後50年 ポンペイ、「ティトゥス・デンタティウス・パンテラの家」タブリヌム出土 フレスコ
パピルスの巻物を持つイシス神官 62~79年 ポンペイ、イシス神殿、北の列柱廊出土 フレスコ
1-4劇場と円形競技場
劇場と円形競技場は重要な娯楽施設だった。劇場はギリシャ式からローマ式に改築された大劇場と屋内型の小劇場があった。円形競技場はローマ世界で初めて石造りで建築され、ポンペイの人口を超える2万人を収容した。(本展パネル解説から)
俳優(悲劇の若者役)、俳優(女性役、おそらく遊女) 1世紀後半 ポンペイ、「カロリーナ妃の家」庭園出土 土製
辻音楽師 前1世紀 ポンペイ、「キケロ荘」、エクセドラ出土 モザイク
ポリュクレイトス「槍を持つ人」 前1~後1世紀(オリジナルは苗450~前440年)ポンペイ、「サムニウム人のパラエストラ出土 カッカーラ大理石
パレード用の兜、ユピテルとネプトゥヌスを表した脛あて、ヘラクレスを表した肩当て ポンペイ出土、大劇場の回廊出土 ブロンズ
ーHPの解説ー
紀元後79年、イタリアのナポリ近郊のヴェスヴィオ山で大規模な噴火が発生、ローマ帝国の都市ポンペイが火山噴出物に飲み込まれました。埋没したポンペイの発掘は18世紀に始まり、現在まで続いています。本展覧会では、壁画、彫像、工芸品の傑作から、食器、調理具といった日用品にいたる発掘品を展示。2000年前の都市社会と豊かな市民生活をよみがえらせます。
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