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2022.03.30

本城直季 (un)real utopia

「本城直季 (un)real utopia」は
東京都写真美術館で開催されています。

会期 2022年3月19日(土)~5月15日(日)


私、大判カメラの「アオリ」ってなんだろう?から入らねばなりませんでした。

「本城直季は、大判カメラの「アオリ」を利用して、都市の姿をジオラマのように撮影する独特の表現で知られる写真家です」(HPから)
昨年同美術館で観た「松江泰治 マキエタCC」
同じ鳥瞰的写真でもこの表現の違い面白いと思いました。
プロの仕事は凄いですね。

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この展覧会は撮影可です(条件あり)私はスマホで撮りました。
(画像はクリックで拡大表示になります)

展覧会の構成は以下の通りです。
1 introduction

2 small planet
展示風景 
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Nakayama Racecourse,Chiba,Japan/2005

3 kenya
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giraffe 2008

4 small garden
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youth baseball,cherry blossoms 2007

5 treasure box
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6 kyoto
展示風景
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20220307
Ginkakuji 2007

7 tokyo
展示風景
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Minato-ku,Tokyo 2008

8 daily photos
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9 LIGHT HOUSE
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Nakano-ku,Tokyo

10 scripted Las Vegas
展示風景
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11 tohoku 311
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Rikuzentakata,Iwate 2011      Kmaishi,Iwate 2011
Rikuzentakata,Iwate 2021      Kmaishi,Iwate 2021

12 industry
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steel mill,Kanagawa 2014

13 plastic nature
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forest,Fukushima 2017      

14 play room
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beech 2005


ーHPの解説ー
本城直季は、大判カメラの「アオリ」を利用して、都市の姿をジオラマのように撮影する独特の表現で知られる写真家です。生まれ育った場所や世界に不思議な違和感を覚え、この世界を知りたい、俯瞰したいという思いを原動力に、制作を続けてきたという本城。その作品はまるでミニチュアの世界のようで、私たちにこの世界の実在と虚構を問いかけると同時に、被写体である「まち」や「ひと」に対する、作家のあたたかく愛おしげなまなざしを感じさせます。
初の大規模個展となる本展では、木村伊兵衛賞を受賞した「small planet」シリーズをはじめ、独自の技法を生み出すまでの試行期の作品や、アフリカのサバンナを切り取った初公開シリーズ「kenya」、そして東日本大震災発生から3ヶ月後の東北を写した「tohoku 311」シリーズ、さらにはオリンピックイヤーの東京を被写体とした本展のための撮り下ろし作品など、未公開作を含む約200点を展示します。これまでの仕事を一挙にご紹介するこの機会に、写真家・本城直季の目を通して見る自らの“まち”の不思議をぜひご堪能ください。

 

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2022.03.28

dマガジントラブル改善?作業顛末記

iPadで長年dマガジンを読んでいたのですが・・・・

暫くdマガジンつかわず、数週間置いてアクセスし、

雑誌のページ送りをすると「続きを読む」との表示が現れました。

この表示面を、タップするとdアカウントID、パスワードの入力画面になりました。

予め記録しておいたIDとパスワードを入力しログインをタップすると、

「パスワードが誤っています」
あれ?

考えられる数種のパスワードを入力していたらロックがかかってしまいました。

そもそも「なんで急にパスワードを要求してくるのか?不明です。

ー--------------------------------

仕方なく「総合お問い合わせ」に電話しましたが・・・

皆さん経験済みと思いますが、10分程度つながらず。

繋がった後の担当の方は丁寧にパスワード再設定手順を誘導してくれて、「パスワードの再設定が完了しました」と表示されて電話を切ったのですが・・・・

念のためipadの電源をoff・onしてdマガジンを読んでみたのですがページ送りの途中で「続きを読む」の表示画面になってしまいます。
この繰り返し・・・・

3度電話して、3人の方が丁寧に対応してくれましたが解決せず。
「これ以上対応できません、ドコモショップ店頭で、解約して、ご希望であれば再契約していただきたい」で終了。

私の脳内は飽和状態。

冷静になるための期間を・・・・
次の日近くのドコモショップに電話して、事情を説明すると「dマガジンは、ネットで解約できます」ということでした。

私も迂闊、パスワードがロックし状態では解約なんかできるはずない!

ー--------------------------------


ということで別のドコモショップに電話しました。

当日は予約できず、翌日予約。

予約時間10分前に入店しましたが、ここでも30分程度待たされました。

担当の方、
「登録dアカウントIDを調べて再設定継続利用する方法と」「解約」どちらでも可能ですと。

結局、どちらの方法でも来月分まで課金されるとのことで、継続利用でお願いしました。
(手続きに2~3週間かかるといわれました)

2,3枚の書類に記入サインしました。

身分を証明するもの(私は免許証)とクレジットカード番号が必要でした。

ー----------------------------

その日の夕方になって、ドコモショップから電話がかかってきました。

「手続きに2~3週間かかる」と申し上げましたが、「1.5か月から2か月時間をいただきたい」という連絡でした。
調査中なのでその間は継続課金されるそうです。

手続きが遅れる理由は「担当の人員不足」と「システムの不備」だそうです。
そんなに大変な作業なんですね。

結局解約することにしました。

「今回のことはフィードバックをかけて改善していただければ」とお願いしましたが?

私にもPW管理の不備?があったのかもしれませんが・・・・・

 

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2022.03.26

特別展「空也上人と六波羅蜜寺」

特別展「空也上人と六波羅蜜寺」は、
東京国立博物館 本館 特別5室で開催されています。

会期 2022年3月1日(火) ~5月8日(日)

(以下の画像はクリックで拡大表示になります)

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天暦5年(951)、京都に流行り病が蔓延したため、空也上人は、疫病がおさまり世の中が穏やかになるように祈り
十一面観音菩薩立像を造像し、西光寺を創建しました。これが現在の六波羅蜜寺にあたります。

草鞋を履き、首から下げた鉦鼓を打ち鳴らしながら念仏をとなえて歩く空也上人。
鹿の角をつけた杖は、空也が可愛がっていた鹿が漁師に射られてしまったため、鹿の冥福を祈って、その角と皮を身に着けたという伝記に基づいているそうです。

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重要文化財 空也上人立像 康勝作 鎌倉時代・13世紀 京都・六波羅蜜寺
口から出る小さな仏像は「ナミアミブダブツ」の六文字を意味し、空也上人が念仏を称えて歩く姿を表したもの。像内に「僧康勝」と書かれており、運慶の四男康勝の作と考えられている。鎌倉時代の念仏聖を観察して写実的な像を作り上げたのであろう(キャプションから)

表情、草履、手脚に浮かぶ血管、天才運慶の写実表現・技術を見事に受ついだ作品を360度全周堪能できる展示です。

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空也上人立像の他にも見ごたえのある作品が展示されています。

華やかな彩色が優美な平安彫刻
重要文化財 地蔵菩薩立像 平安時代・11世紀
六道の辻
六波羅蜜寺の東には鳥野辺という埋葬地があり、そこを地獄ないし冥界とみて六波羅の地は六道の辻と呼ばれていました。六波羅蜜寺の閻魔大王像や地蔵菩薩像には、多くのひとびとの祈りが捧げられてきました。

空也上人時代に作られた四天王
重要文化財 四天王立像のうち持国天立像 廃案時代・10世紀

巨匠運慶の瑞々しい写実性
重要文化財 地蔵菩薩坐像 運慶作 鎌倉時代・12世紀

平清盛と伝えられる僧形像
重要文化財 伝平清盛坐像 鎌倉時代・13世紀
12世紀後半、六波羅には平家の邸宅が建ち並んでいた「平家物語」によるとその数は170あまりという。寿永2年(1183)源氏の勢力に圧された平家は六波羅に火を放って西に向かった。この像は江戸時代以来、清盛像として伝えられる。 

展覧会の構成は次の通りです。
一 空也上人と六波羅蜜寺の創建
二 六波羅とゆかりの人々

 

東京国立博物館 特別展「空也上人と六波羅蜜寺」
アイエム[インターネットミュージアム]Internet Museum

 

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2022.03.22

吉例浮世絵大公開! 江戸の滑稽 ―幕末風刺画と大津絵― ~田河水泡コレクションを中心に~

吉例浮世絵大公開!
江戸の滑稽 ―幕末風刺画と大津絵―
~田河水泡コレクションを中心に~

町田市立国際版画美術館

会期 2022年3月12日(土)~4月10日(日)

浮世絵には屈託のない笑いから福徳への願い、世の中への不安や不満まで、人々の感情がユーモラスに描き表されたものが数多くあります。本展では、漫画『のらくろ』の作者・田河水泡(たがわ・すいほう)が収集したコレクションを中心に、当館が収蔵する浮世絵の戯画や風刺画、大津絵など約140点を展示します。(HPから)

会場の解説「田川水泡とそのコレクション」 から後段一部を書き写しました。
戦後は「のらくろ」シリーズや落語の執筆を再開するとともに、“滑稽研究”を開始します。 紫綬褒章 を受賞した昭和44年(1969) には、晩年の20年間を過ごすこととなる町田市玉川学園へと移住し ました。 玉川学園では滑稽研究を続ける傍ら、 資料として多数の風刺画や戯画を収集、 昭和56年 (1981) に 「滑稽の構造」 を、 昭和62年(1987) には 「滑稽の研究」を出版します。 そして執筆後、 町田市立博物館が大津絵を収集していることに注目し、 「大津絵も私が集めた戯画も共に民衆を 楽しませることに共通することから」、 研究のために集めた風刺画や戯画、そして自身の著作を含む 貴重な資料約700点を寄贈しました。
一田河水泡氏寄贈コレクションを 中心に―」展をはじめ、市立博物館における数々の展覧会で紹介されてきました。令和元年(2019) に市立博物館が自館での展示活動を終えたことを受け、現在コレクションは当館へ移管され、 展示 保存活動が引き継がれています。


市立博物館での「大津絵」の展覧会が大津絵の楽しさを教えてくれたような気がします。
本展でも楽しませてくれました。

(以下の画像はクリックで拡大表示になります)
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「大津絵」展示風景

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展覧会の構成は以下の通りです。
(各章の冒頭解説は、上のチラシの画像をクリックすると読むことができます)
1章 戯画の流行
ニャロメのような猫? 20220301_20220322111301
歌川国芳 荷宝区蔵壁のむだ書 月もといなばの助 寛永元年 田川水泡コレクション
  
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歌川広重 お菊・芋蛸 天保(1830~1858)末頃 田川水泡コレクション

2章 大鯰(おおなまず)暴れる
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鯰の切腹 安政2年 田川水泡コレクション

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鯰大尽の遊び 安政2年(1855) 田川水泡コレクション


3章 流行り病
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歌川広重 青物魚軍勢大合戦之図 安政6年

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一交斎幾丸 うさぎのはしか退治 明治6年(1873)


4章 大津絵
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頼光 江戸時代

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鬼の行水 江戸時代

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雷と太鼓 江戸時代


5章  大津絵と江戸の戯画
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歌川国芳 流行逢都絵希代稀物 嘉永元年(1848)頃

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河鍋暁斎 浮世絵大津之連中睡眠の図 慶応4年(1868)か 田川水泡コレクション


6章 幕末動乱と戊辰戦争
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どきやうのはらの上、あわてという手 文久3年(1863)田川水泡コレクション

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三代歌川広重 幼童遊び子をとろ子とろ 慶応4年2月 田川水泡コレクション 


7章 明治の戯画
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小林清親 清親放痴 東京隅田川牛嶌 明治14年(1881)頃 田川水泡コレクション

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昇斎一景 東京名所三十六戯撰 新吉原 明治5年(1872)

作品一点一点に解説がなされていて、とても丁寧に作られた展覧会です。
「よく出る読解の手掛かり」という浮世絵の深読みができる解説も随所に掲示されていて、皆さん熱心に鑑賞していました。どなたにでもお勧めできる展覧会です。
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この展覧会は一部を除いて撮影可です。(条件あり)

ミニ企画展
「奈良美智と版画の中の子どもたち」
も忘れずに・・・・
楽しい作品が展示されています。
こちらは撮影不可です。


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2022.03.18

57577展 - 訪れてくれたあなたの足跡と共に続いてゆく物語

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「57577展 - 訪れてくれたあなたの足跡と共に続いてゆく物語」は、
町田市文学館ことばらんどで開催されています。

会期 2022年1月29日(土)~3月27日(日)


なんとも楽しい展覧会です。
私も、俳句、短歌を時に作ってみますが、出来栄えは恥じ入るものばかり。
かつての作家の言葉「俳句は下手でかまわない」が頼りです。

短歌に纏わる、さまざまな表現を楽しんできました。

何人もの若い方が、熱心に字面を追っていました。


展覧会の構成は次の通りです。
(以下の画像はクリックで拡大表示になります)


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日本人に馴染みの深い5音、7音の言葉と57577のリズム。初句は、この音とリズムにインスピレーションを受けた様々な分野のアーティストが「57577」を表現する試みです。
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現代短歌のいま
二句では、伊藤紺さん、岡野大嗣さん、木下龍也さんの作品を通して、現代短歌のいまとその魅力に迫ります。
伊藤紺さん展示コーナー(部分)
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岡野大嗣さん展示コーナー(部分)
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木下龍也さん展示コーナー(部分)
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57577展では、本展出展歌人の伊藤紺さん、岡野大嗣さん、木下龍也さんを選者に、会期中一般の方から短歌作品を募集し、展示することにしました。幅広い開創の愛好家が存在し、それぞれがそれぞれの時代、世代に即した言葉を用いて短歌を詠み続けている。そんな短歌の魅力を感じてください。(会場解説から)
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Let's try 57577
57577の31音で構成されている短歌、でもいきなり「短歌を作ってみましょう」と言われても、短歌に親しみの無い人にはハードルが高い。そこで、5音と7音の言葉を並べて自分だけのオリジナル短歌を作ることができるゲームや体験コーナーを作りました。 (会場解説から)
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新しい単価の世界
鈴木真さん、秋山智憲さんなどの歌人は、文字だけで表現される従来の短歌とは異なる新たな魅力を提案し続けています。いずれの創作活動も・短歌をいかにして多くの人々に届けられるかを主眼に行われていますが、こうした挑戦が新しい短歌の世界を創り出しています。(会場解説から)

鈴木真さん 刺繍短歌
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秋山智憲さん デザイン短歌(部分)
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ーHPの解説ー
お友だちと展覧会を観に出かける。文化施設主催のプログラムに参加する。こうした何気ない日常が2020年の新型コロナウィルス流行を契機に大きく変わりました。マスクをし、密集を避け、お互いが一定の距離を保ち続ける生活は、私たちの行動様式に変化をもたらし、日常の中でアートに触れる機会や互いに共感する場を奪ってしまいました。そして、今後も感染症の脅威が続く限り、社会が完全な形で元に戻ることはないでしょう。

57577展はポストコロナ時代に向けて、ことばらんどが提案する新しい体験型の文学展です。そこでは、若手歌人の作品を鑑賞するだけではなく、みなさんが手を動かし、頭をひねることで、短歌の世界をより一層楽しむことができるようになっています。
ことばらんどで現代短歌にチャレンジしてみませんか。ルールは57577の31文字であること。そして、自分の作品を写真に撮りSNSをつかって発信してみましょう。それは、きっと誰かに響き、誰かを笑顔にさせますから。さあ、”ことば”でコロナを越えていきましょう。
この展覧会を完成させるのは、会場を訪れるあなたです。


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2022.03.15

全巻修理完了記念 日本最古の医学書・国宝「医心方」の世界

全巻修理完了記念 日本最古の医学書・国宝「医心方」の世界は、
東京国立博物館 本館 特別1室・特別2室で開催されています。

会期 2022年2月8日(火) ~ 2022年3月21日(月)

永観2年(984)、針博士・丹波康頼(912~995)によって編纂され成立した「医心方(いしんぽう)」は、古代東洋医学に関する知識の宝庫であり、また日本に現存する最古の医学書です。東京国立博物館が所蔵する「医心方」は、諸写本の中で最も古く、かつ全巻が揃っており、国宝に指定されています。(HPから)

今から約1000年前の医療・風俗・習慣・社会が垣間見られるような気がしてキャプションを読んできました。このような貴重な展示はトーハクならではでないでしょうか。

キャプションを書き写してみました。
(以下の画像はクリックで拡大表示になります)

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国宝 医心方 巻第一 治病大体部(部分) 丹波康頼撰 平安時代・12世紀

医心方 巻第一 治病大体部
巻第一は「医心方」のいわば総論にあたり、医師として心得るべき倫理的条項を医学書や経典から引用した撰者丹波康頼の博学ぶりと考え方がうかがえる巻です。薬の調合方法、使用方法、また本草内薬 850種、本草外薬70種の諸薬の和名等が記されています。

医心方 巻第ニ 忌鍼灸部
巻第二は鍼灸に関する巻です。 針博士である丹波康頼の専門分野といえます。そのため 「医心方」で唯一、自序が掲げられています。前段には孔穴の説明と対処法、 後段には様々な禁止事項 (陰陽道 に基づく天文、日時の吉凶等) が書かれてています。

医心方 巻第三 中風部
巻第三は風病についての巻です。風病は風邪のことではなく、目にみえない外界の影響により引き起こされると考えられた症状に対して使われた語です。感染症や脳疾患、けいれん、心の病気等、多くの病気を指しています。原因は不明でも症状に対する分析は詳細です。

医心方 巻第四 鬢髪部 
巻第四は、前段は毛髪に関すること、後段は皮膚に関する病気(ニキビ、シミ、ソバカス、ホクロ、イボ、ウオノメ等)と対処法について記しています。古代でも外面に関する悩みは人々の関心事でした。女性の豊かな黒髪は宮廷等に出仕する際の判断材料にもなりました。

医心方 巻第五 頭面部巻
第五は、耳・目・鼻・口・歯・咽喉に関する病気と対処法について記しています。主に頭部に現れる症状から表題を「頭面部」としており、中でも目に関することが18章と最も多く、当時の栄養・衛生状態の悪さ、採光や照明の暗さ等から、眼病が多発したことがうかがえます。

医心方 巻第六 胸腹痛部
巻第六は、胸や腹だけでなく、いわゆる五臓六腑や、骨・筋・皮等、人体の広範囲にわたる病気について、痛む部位ごとに、その種類と対処法を記しています。当然ながら臓器についての考え方は現代と全異なり、癌や結核等の進行性の病気であっても部位ごとに対処しました。

医心方 巻第七 陰瘡幷穀道部
巻第七は、性器に生じた瘡(かさぶた・できもの)や肛門(穀道)周辺の病気と対処法、またそこから発展し、寄生虫症についても記しています。古代の医学では潜伏期間のある性病についてはわかっておらず、発症した部位ごとに別の病気とみなされていました。

医心方 巻第八 手足部
巻第八は、その大半を脚気の様々な症状と対処法について割いています。「医心方」でいう脚気とは、現在にいう脚気を含む、中風、リュウマチ、痛風、浮腫や冷え性、歩行困難、けいれん等、脚に関わる多様な病状の総称を指しています。

医心方 巻第九 咳嗽部
巻第九は、風邪が引き起こす諸症状について対処法が記されています。古代では風邪と風病を区別していたことは巻第三からもわかりますが、本巻は現在にいう風邪とは無関係の、喘息、心気亢進痰、食欲不振、嘔吐、消化不良、シャックリまで含めています。

医心方 巻第十 積聚幷水腫部
巻第十には、現代ではあまりなじみのない病名が多く出てきます。症状からみると、激痛、むくみ、腹水、栄養価のないものを食す異食症、黄疸等があげられ、それらの対処法が記されています。古代の医学では原因が特定できない痛みを、本巻にまとめているかのようです。i

医心方 巻第十一 霍乱幷下痢部
巻第十一は、嘔吐や下痢に関する症状と対処法について記しています。霍乱は日射病や熱中症等によって引き起こされる吐瀉や下痢、めまい、悪寒、しびれ等をいいます。原因の特定はできていまませんが、誰でも罹るものなので、対処法も多様です。

医心方 巻第十二 消渇幷大小便部
巻第十二は、糖尿病、腎臓病、前立腺肥大、性病、泌尿器結石、大小便の失禁や便秘等、排便、排尿に関する症状と対処法が記されています。冒頭にある消渇は喉の渇きのことで、糖尿病の第一の自覚症状が激しい喉の渇きであることから、その別名と考えられます。

医心方 巻第十三 五労七傷部
巻第十三は、結核を指す伝屍病を除けば、比較的軽症かつ身近な病状と対処法が記されています。男性の精力減退、不眠症や嗜眠症といった睡眠障害、多汗症等です。伝屍病が本巻にあるのも、慢性的な疲労・消耗によるものとの考えがあったためと思われます。

医心方 巻第十四 治卒死幷傷寒部
巻第十四は、死者の蘇生方、憑き物とその祓い方を記し、古代社会を震撼させた「傷寒」をまとめています。「傷寒」はマラリヤやチフス天然痘などの伝染病ですが、古代では悪寒発熱を伴う熱病の総称でした。それらを邪気や鬼に仕業としてその予防を考えたのです。

医心方 巻第十五 癕疽部
巻第十五は擁疸、つまり腫瘍、壊疽、頭部・体部の瘡、傷の化膿等の症状と対処法を記しています。体表の外瘍と体内の瘍とを嗜好品や生活習慣等と関連付け説明していま。腎臓、肝臓の異変、癌や性病等、体内の変異との関わりを体表観察から考えていました。

医心方 巻第十六 腫物部
巻巻第十六は、皮膚に現れる様々な症状と対処法が記されています。投薬の一つに、医学書「千金方」で「外国の神方」とされる茴香があります。南欧または西アジアを原産とする茴香は、芳香、健胃、去痰、駆風、鎮痛剤の配合薬として、現代漢方でも用いられています。

医心方 巻第十七 丹毒瘡部
巻第十七は、十六と同様に皮膚病に関するものです。同じ病状でも部位により異なる病名がつけられました。皮膚病は一目で識別できることから、人類史とともにある最古の病気といえます。本巻では感染症から虫刺され、あせも、漆かぶれまで記されています。

医心方 巻第十八 湯火幷灸不愈部
巻第十八は、火傷、金属による裂傷、捻挫・骨折・脱臼、動物に噛まれた傷、それらが原因の寄生虫症等の症状と対処法が記されています。金属による傷に記述を多く割いているのは、戦闘や狩猟等に金属器を用いることが普及したことに由来します。

医心方 巻第十九 服石部
巻第十九は、二十と並び様々な鉱物を原料とする薬の処方と効能について記しています。古代では、枯れてしまう草木より、不変の鉱物の方に神秘性、希少性を見出しました。その代表が硫化水銀の結晶である丹ですが、その服用は薬害と直結していました。

医心方 巻第二十 服石諸病部
巻第二十には、十九で示された服石によって生じた薬害症状とその対処法が記されています。「薬石効なし」という諺は、服石・服食を試しても効果がなかったことに由来します。服石は高価で、有力者に限られて処方されていたのは皮肉な出来事でした。

医心方 巻第二十一 婦人部
巻第二十一は女性の病状と対処法が記されています。女性の病気に注目し、巻第二十一以下三巻が用意されたことは驚きです。前段には急性乳腺炎の対処法、中断には陰部の腫痛・肉腫、後段には月経にかかわる症状と対処法、また妊娠・出産中の薬物の投与への注意等が記されます。

医心方 巻第二十二 婦人部
巻第二十二は妊娠月数別の諸注意灸の禁忌、胎教、妊婦と胎児の養生法、習慣性流産の予防と治療、つわり、むくみほか、妊娠中の諸病の対処法などを記し、また「医心方」で唯一の挿絵である妊娠図図を収めます。本巻は江戸時代初期の写本です。

医心方 巻第二十三 産婦部
巻第二十三は、出産に関する症状と対処法が記されています。出生と死は人生の大事であり、それだけに様々な禁忌や儀礼が整えられてきました。天文暦学により妊婦の座る方向や産湯を沸かす位置が決められており、胞衣胎盤の納め方まで記されています。

 医心方 巻第二十四 治無子部
巻第二十四は子供の成長を扱います。不妊の原因と対処法から始まり、妊娠の確認方法胎児の性別の当て方、女児を男児に変える方法、新生児の健康・寿命・禍福等の占い方に及びます。乳幼児死亡率の高い古代で、生まれた子を成人させたいという願いがうかがえます。

 医心方 巻第二十五の一 小児部
巻第二十五の一は「医心方」の中で最も章数、紙数が多く、その四分の一が新生児を対象とした内容です。巻第二十四が子供の生育を占い頼みとしていたのに対し、本巻は具体的な病状と対処法を記したいわば育児書です。感染症の記載が多いことが当時の状況を反映しています。

医心方 巻第二十五の二 小児部別巻
巻第二十五の二は、二十五の一の「治小児腹痛方 第七十」から「治小児誤呑竹木方 第百六十三」までを書写した抄本で、江戸時代作成のものです。書写の元とした写本は半井家伝来本と思われ、巻第二十五のーとは異同がみられます。

医心方 巻第二十六 延年部
巻第二十六は不老長寿と若返り(延年方)に始まり、およそ人が抱く願望に応える巻となっています。美しくある方法、芳香を発する方法、頭を良くする方法、相思相愛になる方法、金持ちになる方法、寒暑を避ける方法、兵刃の災いを避ける方法、毒虫・毒蛇を避ける方法等です。

医心方 第二十七 大体養生部
巻第二十七は病気にならないための健康法について記しています。養生は、知識ではなく何度も繰り返して体で覚えるものだとし、精神と身体の調和を訴えています。発汗したときの対処、排泄の心得、睡眠・起居の動作、眼・髪・歯・爪の手入れなど細かく解説しています。

医心方 巻第二十八 房内部
巻第二十八は男女の性愛について記しています。原本は流出し、江戸時代初期の写本です。本巻は「医心方」が猥褻な指南書であると誤解されてきた原因ともなりましたが、時代の制約として男性中心の視点があるものの、生きとし生けるものにとって普遍の原理を述べています。

医心方 巻第二十九 飲食部
巻第二十九は食に関する事柄を記しています。水や食物の安全性の見分け方と摂取法、誤飲・誤食による疾患とその対処法、飲酒による病気とその対処法、キノコやフグ等の種類別の中毒対処法等51項目が、豊富な事例を交え記されています。

医心方 巻第三十 証類部
巻第三十は、五穀部24種、五菓部41種、五肉部45種、五菜部52種の4章からなる古代の食物とその効用、食する場合の注意点について記しています。同じものを別名で解説する等の混乱はありますが、古代人が食していたものの豊富さが本巻からうかがえます。

平安時代12世紀の写本27巻、
年代の異なる写本は下記の通りです。
医心方 巻第四 鬢髪部 1巻 丹波康頼撰 鎌倉時代・13世紀
医心方 巻第二十二 婦人部 1巻 丹波康頼撰 江戸時代・17世紀
医心方 巻第二十五の二 小児部別巻 1巻 丹波康頼撰 江戸時代・17世紀
医心方 巻第二十八 房内部 1冊 丹波康頼撰 江戸時代・17世紀

平成27年(2015)から令和2年(2020)にかけて修理が行なわれました。調査から室町時代後期より後に大掛かりな修理は行なわれていないことがわかりましたので、今回の修理はおよそ450年ぶりの事業となりました。(HPから)


 

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2022.03.12

金沢文庫と称名寺

金沢文庫で展覧会を観た後に称名寺境内を歩いてみました。

金沢文庫は鎌倉時代のなかごろ、北条氏の一族(金沢北条氏)の北条実時が武蔵国久良岐郡六浦荘金沢(現、横浜市金沢区)の邸宅内に造った武家の文庫です。
金沢北条氏は元弘3年(1333)、鎌倉幕府滅亡と運命をともにしましたが、以後、文庫は隣接する菩提寺の称名寺によって管理され近代に至りました。

称名寺
本尊:弥勒菩薩(国指定重要文化財)
開山:審海上人
開基:北条実時 
創建:13世紀中頃

(以下の画像はクリックで拡大表示になります)

仁王門
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浄土庭園(阿字ヶ池・反橋・平橋) 金堂
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金堂前を通り日向山に向かう細い道を数分歩くと、そこに「北条実時公御廟」があります。
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以下、御廟横にある解説からの引用です。

 〔金沢北条一門の墓〕
 北条実時の墓
北条実時(一二二四~一二七六)は、鎌倉幕府の第二代執権であった義時の孫で、貞応三年に実泰の子として生まれました。
実時は、引付衆や評定衆など幕府の要職を歴任し、丈永三年(一二七五)には越訴奉行をつとめています。
政治面で活躍する一方、広範な分野の学問にも力をつくし、文 武ともにすぐれた知識人で、現在の称名寺がある地に別業を開き、 金沢文庫の礎を築きました。

墓地内中央の宝篋印塔は、実時の墓と伝えられ、さらに左右の五輪塔は一門の墓といわれています。
また、江戸時代この墓地を修理したときは、素焼きの壺の類が出土したといいます。

平成七年三月三十一日 横浜市教育委員会

 

称名寺境内の端にあるトンネルの向こうに金沢文庫があります。
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金沢文庫へは、称名寺境内を経由せずに行ける近道があります。
こちらから訪れる人が多いと思います。
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現在の金沢文庫は昭和5年(1930)に神奈川県の施設として復興したもので、平成2年(1990)から装いも新たに中世の歴史博物館として活動を行っています。

県立金沢文庫は、鎌倉時代の諸相を今日に伝える貴重な文化財を後世に伝えるとともに、その調査・研究の成果を展示や講座を通じて公開し、また、皆様の生涯学習の一拠点としてその役割を果たすべく活動を行っています。(HPから)

横浜金沢観光協会 称名寺

神奈川県立 金沢文庫

 

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2022.03.10

特別展 春日神霊の旅 -杉本博司 常陸から大和へ

今私は、私の遺作と位置付ける「小田原文化財団 江の浦測候所」に春日社を招魂をするにあたり、神護景雲二年、常陸から大和への旅の途次、心霊がこの地をお通りになった故事に思いを馳せ、この展覧会を企画することで、私の心の旅路をもたどれるのではないかと思う。この展覧会は私がいちばん見てみたい展覧会なのだ。(本展のチラシの「春日心霊の旅に寄せて」最終部分から)

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春日神鹿像 鎌倉時代 公益財団法人小田原文化財団
春日若宮社伝来とされる木彫の春日神鹿像。発見時には本体部分のみが残存しており、杉本博司の発案により、現代美術家の須田悦弘氏が角、鞍、榊を補作し、すでに入手していた春日の宮の本地仏である可能性が高い文殊菩薩縣仏を取り付けている。杉本による立体鹿曼荼羅と言えよう。(本展解説より)
会場では、春日神鹿像の上に春日若宮曼荼羅(軸)が掛けられています。
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春日若宮曼荼羅 鎌倉時代 小田原文化財団
春日神社のみを描く異例の春日曼荼羅。

(画像はクリックで拡大表示になります)

『特別展 春日神霊の旅 -杉本博司 常陸から大和へ』は、
中世歴史博物館 神奈川県立 金沢文庫で開催されています。

会期 令和4年1月29日(土)~3月21日(月・祝)

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展覧会の構成は次の通りです。
序章 神々のすがたー杉本博司『華厳滝』と『那智滝』
第一章 春日社景・鹿曼荼羅と古神宝ー春日信仰の世界
第二章 鹿島立ちー常陸から大和へ
第三章 春日の神と仏ー貞慶・信円・明恵ー
第四章 春日若宮ー新たな神の出現ー

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十一面観音立像 1躯 (前田青邨、白洲正子旧蔵)平安時代 小田原文化財団
十一面観音を本地仏とする祭神として代表的なものに白山神社と春日四宮売神があげられる。本像を白山神社または、春日神社の本地仏と想定するのも一案であろう(本展の解説から)
十一面観音の周囲に角柱の上に乗せた8基の『海景五輪塔』(杉本博司)が添えられています。

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地蔵菩薩立像・春日神鹿像 鎌倉時代 個人蔵
白の春日神鹿像の背に地蔵菩薩が立ち、春日三宮天児屋根命の本地仏として造立されたもの(本展解説から)

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春日権現記絵 巻十六解脱上人事 鎌倉時代 宮内庁三の丸尚蔵館 国宝
春日権現記絵は制作にあたり解脱上人貞慶による鎌倉時代前期の「御社験記」「笠置上人之旧記」を参考にしているとされることから収録される貞慶生前の説話の多くが、その記録を参考にした可能性が高い。一方、巻十六は「解脱上人事」として貞慶と春日信仰をめぐる説話が収録される。(本展解説から)

・須田悦弘作品『朝顔』が油注(竹製)にいけられていました。
その景色が素晴らしかったです。
油注;春日大社に多数奉納された燈籠に燈油を差すために使われた道具。


ーHPの解説ー     
 春日大社は神護景雲二年(768)に、奈良盆地の東に位置する御蓋山の麓に造営されました。その祭神は第一殿が武甕槌命、第二殿が経津主命で、それぞれ常陸国(現茨城県)鹿島神宮、下総国(現千葉県)香取神宮から降臨されたとされます(いわゆる「鹿島立ち」)。すなわち春日大社は平城宮鎮護の守護神ながら、東国とも大変所縁があります。また春日大社は藤原氏の氏神とされ、氏寺である興福寺と密接な関係を持ちながら、我が国の神仏への信仰の中核を成してきました。一方、鎌倉時代以降、東国仏教の拠点となった称名寺・金沢文庫には、膨大な仏教書である聖教が伝来しますが、その中には奈良ゆかり、とりわけ春日大社・興福寺に関するものが多数含まれており、両社寺の信仰を考えるうえで見逃せないものであることが知られています。 このたび神奈川県立金沢文庫では、小田原市に「江之浦測候所」を平成二十九年に開館した、公益財団法人小田原文化財団と共催し、東国所縁ともいえる春日信仰を紹介する展覧会を開催いたします。同財団は、世界的に著名な現代美術作家である杉本博司氏(文化功労者、高松宮殿下記念世界文化賞受賞)の文化活動を広く紹介する財団です。杉本氏は日本の歴史・文化にも造詣が深く、同財団には杉本氏によって収集された春日信仰を中心とする神道美術作品も多数所蔵されます。 本展覧会では、春日大社やゆかりの社寺のご宝物に加え、称名寺・金沢文庫、小田原文化財団の史料や作品も紹介することにより、実は東国所縁でもある春日大社への信仰を広くご紹介いたします。


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2022.03.07

特別展 ポンペイ 序章、第1章

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特別展 ポンペイ展は東京国立博物館平成館で開催されています。 

会期 2022年1月14日(金)~年4月3日(日)

眠りから覚めた都市の輝き。
約2000年前、イタリアのナポリ近郊のヴェスヴィオ山で大規模な噴火が発生、人口1万人ほどの都市ポンペイが姿を消しました。悲劇の街ポンペイは遺跡として当時の暮らしを伝えるタイムカプセルとなりました。本展覧会では、壁画、彫像、工芸品の傑作から、食器、調理具といった日用品にいたる発掘品を展示。2000年前の都市社会と豊かな市民生活をよみがえらせます。

ポンペイ展は過去に何度も開催されてきました。
本展は、決定版の様相です。

(以下の画像はクリックで拡大表示になります)

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展覧会の構成は以下の通りです。 
序章 ヴェスヴィオ山噴火とポンペイ埋没
第1章 ポンペイの街:公共施設と宗教
第2章 ポンペイの社会と人びとの活躍
第3章 人びとの生活:食と仕事
第4章 ポンペイ繁栄の歴史
第5章 発掘の今むかし

本展は撮影可です(条件あり)

(画像の展示品はすべてナポリ国立考古学博物館所蔵です)

序章 ヴェスヴィオ山噴火とポンペイ埋没
およそ2000年前、79年のある朝、ヴェスヴィオ山の噴火が始まった。ポンペイは火山灰と軽石が降り続け、その重みで次第に家々の屋根が落ち、町に残った人々は、そこに閉じ込められてしまいます。翌朝には高温の火砕サージと火砕流が到達。街は死に絶え、埋没した。(本展パネル解説から)
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バックス(ディオニソス)とヴェスヴィオ山
62~79年 フレスコ ナポリ国立考古学博物館

この展示品、過去のポンペイ展で何度か見たような・・・
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女性犠牲者の石膏像 ポンペイ出土 79年/1875年 石膏 ナポリ国立考古学博物館

第1章 ポンペイの街:公共施設と宗教
ポンペイは東西1600m、南北800mほどの中規模の都市で、東西に2本、南北に1本の大通りが走っていた。人口は1万人であったと推定される。
1-1フォルム
フォルムは都市活動の中心地。
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フォルムの日常風景 62~79年 フレスコ ナポリ国立考古学博物館

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アウグストゥスの胸像 後期アウグストゥス時代~ティベリウス時代(1~37年) エルコラーノ出土 ブロンズ

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水道のバルブ 1世紀 ポンペイ出土 ブロンズ

1-2体育施設と公共浴場
体育施設(パラエストラ)はギリシャの学校(ギュムナシウム)に由来する。ポンペイでは前2世紀の「サムニウム人のパラエスロラ」にはじまり、アウグストゥス時代(前27~後14年)の大パラエストラでは列柱廊で学校も開かれていた。ポンペイでは最古の「スタビア浴場」をはじめ、今までに5つの公共浴場が発掘されている。(本展パネル解説から)
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ライオン頭部形の吐水口 1世紀 エルコナーノ、「パピルス荘」出土か ブロンズ、土製

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香油壺、ストリギリス(肌かき器) 1世紀 ポンペイ出土 ブロンズ

1-3信仰と神々
ポンペイでは多くの神々が祀られていた。
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ヴェヌス 50~79年 エルコラーノ、モザイクのアトリウムの家」エクセドラ出土 フレスコ

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三美神 前15~後50年 ポンペイ、「ティトゥス・デンタティウス・パンテラの家」タブリヌム出土 フレスコ

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パピルスの巻物を持つイシス神官 62~79年 ポンペイ、イシス神殿、北の列柱廊出土 フレスコ

1-4劇場と円形競技場
劇場と円形競技場は重要な娯楽施設だった。劇場はギリシャ式からローマ式に改築された大劇場と屋内型の小劇場があった。円形競技場はローマ世界で初めて石造りで建築され、ポンペイの人口を超える2万人を収容した。(本展パネル解説から)
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俳優(悲劇の若者役)、俳優(女性役、おそらく遊女) 1世紀後半 ポンペイ、「カロリーナ妃の家」庭園出土 土製

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辻音楽師 前1世紀 ポンペイ、「キケロ荘」、エクセドラ出土 モザイク

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ポリュクレイトス「槍を持つ人」 前1~後1世紀(オリジナルは苗450~前440年)ポンペイ、「サムニウム人のパラエストラ出土 カッカーラ大理石 

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パレード用の兜、ユピテルとネプトゥヌスを表した脛あて、ヘラクレスを表した肩当て ポンペイ出土、大劇場の回廊出土 ブロンズ

ーHPの解説ー
紀元後79年、イタリアのナポリ近郊のヴェスヴィオ山で大規模な噴火が発生、ローマ帝国の都市ポンペイが火山噴出物に飲み込まれました。埋没したポンペイの発掘は18世紀に始まり、現在まで続いています。本展覧会では、壁画、彫像、工芸品の傑作から、食器、調理具といった日用品にいたる発掘品を展示。2000年前の都市社会と豊かな市民生活をよみがえらせます。


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2022.03.05

特別展ポンペイ 第2章 第3章

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特別展 ポンペイ展は東京国立博物館平成館で開催されています。 

会期 2022年1月14日(金)~年4月3日(日)

眠りから覚めた都市の輝き。
約2000年前、イタリアのナポリ近郊のヴェスヴィオ山で大規模な噴火が発生、人口1万人ほどの都市ポンペイが姿を消しました。悲劇の街ポンペイは遺跡として当時の暮らしを伝えるタイムカプセルとなりました。本展覧会では、壁画、彫像、工芸品の傑作から、食器、調理具といった日用品にいたる発掘品を展示。2000年前の都市社会と豊かな市民生活をよみがえらせます。

ポンペイ展は過去に何度も開催されてきました。
本展は、決定版の様相です。

(以下の画像はクリックで拡大表示になります)

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展覧会の構成は以下の通りです。 
序章 ヴェスヴィオ山噴火とポンペイ埋没
第1章 ポンペイの街:公共施設と宗教
第2章 ポンペイの社会と人びとの活躍
第3章 人びとの生活:食と仕事
第4章 ポンペイ繁栄の歴史
第5章 発掘の今むかし

(画像の展示品は、すべてナポリ国立考古学博物館所蔵です)

第2章 ポンペイの社会と人びとの活躍
2-1 上流の豪奢な暮らし
上流階級の富裕ぶりは、何よりもその邸宅に見ることができる。豪華な部屋や貴重品は、家の主人が客人たちに自分の社会的立場を印象づけるための舞台装置でもあった。(本展パネル解説から)
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金のランプ、青い水差し、浮き彫り付きグラス、千華文ガラス杯

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饗宴場面 ポンペイ「ラオコーンの家」寝室出土、北壁 1世紀 フレスコ 
ヘタイラ(遊女)のいる饗宴 エルコラーノ出土 1世紀 フレスコ 

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ブドウ摘みを表した小アンフォラ(通称「青の壺」) ポンペイ、エルコラーノ門のネクロポリス出土か
1世紀前半 カメオ・ガラス 

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ライオン形3本脚付きモザイク天板テーブル エルコラーノ出土 モザイク・脚部:前1~後1世紀
テーブルとしての再構成:18~19世紀 

2-2 上流男性の知的生活
政治的地位や金銭的な富裕さだけでなく、ギリシャ文化に関する教養もまた上流階級の証だった。(本展パネル解説から)
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マケドニアの王子と哲学者 ポスコレアーレ「プブリウス・ファンニウス・シュニストル荘」オクニス出土、西壁 

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エピクロスの胸像 前1~後1世紀 エルコラーノ「パピルス荘」タブリヌ出土 ブロンズ
筆記具 1世紀 ポンペイ出土 フレスコ
蓋と鎖付きインク壺 1世紀 ポンペイ出土 ブロンズ

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哲学者たち 前1世紀 ポンペイ、ティトゥス・シミニウス・ステファヌスの別荘」出土 モザイク

2-3 女性の活躍
家父長制のローマと同様、ポンペイでも女性の地位は高くなかったが、 家の女主人であるマトローナ (既婚女性) は敬意をもって遇された。女性としての最高の名誉は、市の公的神官になることだ。 フォルム東側に巨大な回廊を建造し、毛織物業者から肖像を捧げられたエウマキアがこれにあたる。一方、ユリア・フェリクスは、出自が低かったためか公的地位には就かなかったが、実業家として活躍した。(本展パネル解説から) 
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エウマキア像 ポンペイ「エウマキア建物」クリュプタ出土 1世紀初頭 大理石 

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書地板と尖筆を持つ女性(通称「サッフォー」) ポンペイ、第Ⅳ区、西のインスラ出土 50~59年 フレスコ 

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賃貸広告文 ポンペイ「ユリア・フエリクス家」出土 62~79年 ストゥッコ 

2-4 解放奴隷と社会的流動性
奴隷は主人の遺言などの意思により、あるいは金を支払い、奴隷身分から解放された。解放奴隷は自由民ではあるが、元主人の保護下にあり、高位公職には就けず、最高の栄達は皇帝祭司になることだった。しかし解放されてから生まれた子には、十全の市民権が与えられた。(本展パネル解説から)
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ヘルマ柱型肖像(通称「ルキウス・カエキリウス・ユクンドゥスのヘルマ柱」) 前1世紀~後1世紀 ポンペイ、ルキウス・カエキリウス・ユクンドゥスの家」アトリウム出土 大理石 ブロンズ

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ヘルマフロディトスとシレノス 50~79年 ポンペイ、「ルキウス・カエキリウス・ユクンドの家」 フレスコ

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テーブル天板(通称「メメント・モリ」 前1世紀 ポンペイ、革なめし工房 列柱廊の夏用トリクリニウム出土 モザイク

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奴隷の拘束具 1世紀 ポンペイ、大劇場の回廊出土 鉄

第3章 人びとの生活:食と仕事
3-1 調理具と食器類
富裕層の家には台所があり、奴隷が調理し、折にふれて客人を招待して饗宴 が開かれた。 招待客は友人たちのこともあれば、庇護民たち (クリエンテス) のこともあった。食堂 (トリクリニウム)に配された臥台に寝そべり、奴隷たちからの給仕で、ワインを飲みながら、手摘みでコース料理を楽しんだ。(本展パネル解説から)
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ワイン用のアンフォラ 1世紀後半 ヴェスヴィオ山周辺出土 土器

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調理器具、食器の展示風景

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パン屋の店先 50~79年 ポンペイ、タブリヌム 出土 フレスコ

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炭化したパン、キビ、イチジク、干しブドウ 79年 ポンペイ出土 食品

3-2 仕事と道具類
現在にもみられる職業の道具は往々にして現代と変わらない。労働力としては基本的に奴隷が使役されていたが、雇われの自由民もいたことが知られている。(本展パネル解説から)
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職人仕事をするクビトたち 50~79年「シカの家」(Ⅳ21)、クリュプトポルティックス出土 フレスコ

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コンパス、曲尺、下げ振り 1世紀 ポンペイ出土 ブロンズ

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ユピテル=アンモン形の錘付竿秤 1世紀 ポンペイ出土 ブロンズ

ーHPの解説ー
紀元後79年、イタリアのナポリ近郊のヴェスヴィオ山で大規模な噴火が発生、ローマ帝国の都市ポンペイが火山噴出物に飲み込まれました。埋没したポンペイの発掘は18世紀に始まり、現在まで続いています。本展覧会では、壁画、彫像、工芸品の傑作から、食器、調理具といった日用品にいたる発掘品を展示。2000年前の都市社会と豊かな市民生活をよみがえらせます。


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2022.03.03

特別展 ポンペイ 第4章(4-1)

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特別展 ポンペイ展は東京国立博物館平成館で開催されています。 

会期 2022年1月14日(金)~年4月3日(日)

眠りから覚めた都市の輝き。
約2000年前、イタリアのナポリ近郊のヴェスヴィオ山で大規模な噴火が発生、人口1万人ほどの都市ポンペイが姿を消しました。悲劇の街ポンペイは遺跡として当時の暮らしを伝えるタイムカプセルとなりました。本展覧会では、壁画、彫像、工芸品の傑作から、食器、調理具といった日用品にいたる発掘品を展示。2000年前の都市社会と豊かな市民生活をよみがえらせます。

ポンペイ展は過去に何度も開催されてきました。
本展は、決定版の様相です。

(以下の画像はクリックで拡大表示になります)

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展覧会の構成は以下の通りです。 
序章 ヴェスヴィオ山噴火とポンペイ埋没
第1章 ポンペイの街:公共施設と宗教
第2章 ポンペイの社会と人びとの活躍
第3章 人びとの生活:食と仕事
第4章 ポンペイ繁栄の歴史
第5章 発掘の今むかし


ポンペイ3つの邸宅めぐり、2000年前にタイムスリップ!
本展では代表的な3つの邸宅の一部を再現展示、会場内を歩きながら、当時の生活空間を体感いただきます。
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第4章 ポンペイ繁栄の歴史
ポンペイが都市として大きく発展したのは、前2世紀のサムにウム人の時代である。東地中海世界との交流が活発になり、ポンペイにもヘレニズム文化が根付いた。前1世紀にローマが台頭すると、ポンペイは、前80年のローマの植民地となった。以後、ポンペイの社会や文化は、ローマ化の波に洗われていく。「ファウヌスの家」「竪琴奏者の家」「悲劇詩人の家」の出土品は、ポンペイの重層的な歴史を伝えている。(本展パネル解説から)
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猛犬注意 ポンペイ出土 1世紀 モザイク ナポリ国立考古学博物館

4-1「ファウヌスの家」―ローマ化以前の栄華
ポンペイで最大の邸宅。
前2世紀末~前1世紀初頭の改築から大きな手は加わっておらず、ローマ化以前のポンペイの豊かさを現代に伝えている。(本展解説パネルから)
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アレクサンドロス大王のモザイク
「ファウヌスの家」の談話室(エクセドラ)のモザイク床

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踊るファウヌス 前2世紀ブロンズ ナポリ国立考古学博物館

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ナイル川風景 ポンペイ出土 前2世紀末 モザイク ナポリ国立考古学博物館 

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シュトラ(バケツ)、小アンフォラ、三葉形注口水差し、介殻形カップ 1世紀
イタリア製テッラ・ジッラータの皿 60~79年
ナポリ国立考古学博物館

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イヤリング、指輪、指輪、ヘビ形ブレスレッド ナポリ国立考古学博物館

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笛、オスキ語の銘文のある小祭壇 ナポリ国立考古学博物館

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イセエビとタコの戦い 前2世紀末 モザイク ナポリ国立考古学博物館

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ネコとカモ 前1世紀 モザイク ナポリ国立考古学博物館

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葉綱と悲劇の仮面 前2世紀 モザイク ナポリ国立考古学博物館

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スフィンクスのテーブル脚 ペンテリコン大理石 アウグストゥス時代(前27~後14年頃)

ーHPの解説ー
紀元後79年、イタリアのナポリ近郊のヴェスヴィオ山で大規模な噴火が発生、ローマ帝国の都市ポンペイが火山噴出物に飲み込まれました。埋没したポンペイの発掘は18世紀に始まり、現在まで続いています。本展覧会では、壁画、彫像、工芸品の傑作から、食器、調理具といった日用品にいたる発掘品を展示。2000年前の都市社会と豊かな市民生活をよみがえらせます。


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特別展 ポンペイ 4章(4-2)5章(5-1、2、3)

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特別展 ポンペイ展は東京国立博物館平成館で開催されています。 

会期 2022年1月14日(金)~年4月3日(日)

眠りから覚めた都市の輝き。
約2000年前、イタリアのナポリ近郊のヴェスヴィオ山で大規模な噴火が発生、人口1万人ほどの都市ポンペイが姿を消しました。悲劇の街ポンペイは遺跡として当時の暮らしを伝えるタイムカプセルとなりました。本展覧会では、壁画、彫像、工芸品の傑作から、食器、調理具といった日用品にいたる発掘品を展示。2000年前の都市社会と豊かな市民生活をよみがえらせます。

ポンペイ展は過去に何度も開催されてきました。
本展は、決定版の様相です。

(以下の画像はクリックで拡大表示になります)

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展覧会の構成は以下の通りです。 
序章 ヴェスヴィオ山噴火とポンペイ埋没
第1章 ポンペイの街:公共施設と宗教
第2章 ポンペイの社会と人びとの活躍
第3章 人びとの生活:食と仕事
第4章 ポンペイ繁栄の歴史
第5章 発掘の今むかし


ポンペイ3つの邸宅めぐり、2000年前にタイムスリップ!
本展では代表的な3つの邸宅の一部を再現展示、会場内を歩きながら、当時の生活空間を体感いただきます。
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第4章 ポンペイ繁栄の歴史
4-1「ファウヌスの家」―ローマ化以前の栄華

4-2「竪琴奏者の家」―ローマのもとでの繫栄
前2世紀にさかのぼる家で、前1世紀に増改築が重ねられポンペイでも指折りの有力な家族であったポピディウス家が所有していたと考えられる。
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竪琴奏者の家再現展示

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竪琴を弾くアポロ 前1世紀後半 ブロンズ ナポリ国立考古学博物館
この像にちなんで、出土地の邸宅が「竪琴奏者の家」と呼ばれている。

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シカ 1世紀 ブロンズ ナポリ国立考古学博物館
ライオン 1世紀 ブロンズ ナポリ国立考古学博物館

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円形火鉢 1世紀 ブロンズ ナポリ国立考古学博物館

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詩人 50~79年 フレスコ ナポリ国立考古学博物館

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男性胸像 前1世紀末~後1世紀初頭 ブロンズ、目:練ガラス ナポリ国立考古学博物館


4-3「悲劇の詩人の家」―噴火前の輝き
天窓のある広間(アトリュウ)を中心とした伝統的な住宅。家の名の由来となった家父長の部屋(タブリヌム)の床の「劇の準備」のモザイクは、この家が建てられた前1世紀に敷かれた。
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展示風景

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ユピテルとユノの聖婚 50~79年 フレスコ ナポリ国立考古学博物館

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プリセウスの引き渡し フレスコ ナポリ国立考古学博物館

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イフェゲネイアの犠牲 50~79年 フレスコ ナポリ国立考古学博物館

第5章 発掘の今むかし
ヴェスヴィオ山の噴火で埋没したエルコラーノ(ヘルクラネイム)、ポンペイ、ヴェスヴィアーナの3遺跡をとりあげ、18世紀から現在に至る発掘の歴史を振り返る。

5-1エルコラーノ(ヘラクラネウム)
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ペプロスを着た女性(通称「踊り子」 アウグストゥス時代(前27~後14年) ブロンズ(象嵌:銀、銅)、目:骨、石 ナポリ国立考古学博物館

5-2ポンペイ
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キケロ荘
キケロ荘はエルコラーノに向かう道沿いに位置し、ポンペイで最初に発掘された建築物の一つである。
祝宴を行った大トリクリンイウム(食堂)の壁面をはじめて実物大で復元。

5-3ソンマ・ヴェスヴィアーナ
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ヒョウを抱くバックス(デュオニッソス) 前27~後14年頃 パロス大理石 ノーラ歴史考古学博物館

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ペプロスを着た女性(ペプロフォロス) 2世紀 パロス大理石 ノーラ歴史考古学博物館

 
ーHPの解説ー
紀元後79年、イタリアのナポリ近郊のヴェスヴィオ山で大規模な噴火が発生、ローマ帝国の都市ポンペイが火山噴出物に飲み込まれました。埋没したポンペイの発掘は18世紀に始まり、現在まで続いています。本展覧会では、壁画、彫像、工芸品の傑作から、食器、調理具といった日用品にいたる発掘品を展示。2000年前の都市社会と豊かな市民生活をよみがえらせます。


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