企画展「大・タイガー立石展 世界を描きつくせ!」 埼玉県立近代美術館
企画展「大・タイガー立石展 世界を描きつくせ!」は、
埼玉県立近代美術館 うらわ美術館の2館同時開催です。
会期 2021年11月16日(火)~ 2022年1月16(日)
千葉市美術館を皮切りに3会場を巡回してきた本展も埼玉県立近代美術館(うらわ美術館と同時開催)が最終会場となります。
千葉市美術館での本展を見逃したので、会期末ぎりぎりですが観てきました。
本展では一部の作品が撮影出来ます。
(以下の画像はクリックで拡大表示になります)
展覧会の構成は以下の通りです。
1 prologue 田川ー大地の記憶
タイガー立石(立石紘一/1941-98)は太平洋戦争の始まった1941年に、筑豊の炭鉱町、田川で生まれました。戦後は漫画や映画を愛する少年として育ち、1961年に大学進学のため上京します。
2 虎は大地を駆け廻る 1961-1969年
1963年に前衛芸術の牙城であった読売アンデパンダン展で、玩具や流木などを大画面に貼り付けた作品を発表し、その後、時代や社会のアイコンを大胆に引用した絵画を制作し、和製ポップ・アートの先駆けとして高く評価されます。1965年からは漫画も描きはじめ、「タイガー立石」の筆名を用いて漫画の連載を手がけます。(HPから)
「どうせポップアートをやっていくんだったら、いっそポップスのほうをやろうというので、マンガを始めようと(美術手帳1995年8月号)考え、自身の制作を美術作品から漫画へとシフト、さらに自身の名前「立石紘一」から「タイガー立石と変えました。(キャプションから)
チラシ中央の作品
《立石紘一のような》1964年 グワッシュ、紙 高松市美術館
s1《汝、多くの他者たち》1964年 千葉市美術館蔵
s2《 Cubic Worlds>》1973年 うらわ美術館、埼玉県立近代像司祭としての惑星
s3《司祭としての惑星:瞑想にふけるための建物》エットレ・ソットサス/原画:タイガー立石 1972年 埼玉県立近代美術館
s4《大正伍萬浪漫》1990年 田川市美術館蔵
s5《百虎奇行》1989年 田川市美術館蔵
3 ミラノの虎 1969-1982年
「これ以上やると深みにはまる」と思い1969年立石は突如イタリアに移住。1969年から13年間にわたりミラノを中心に活動します。
イタリアでは漫画を応用し、画面をコマ割りにした絵画を精力的に描きます。そのSF的な世界や独特の画風はイタリアの美術界だけでなく、建築・デザインの世界からも注目されます。当時、ラジカルな建築・デザイン運動を先導していたエットレ・ソットサスやアレッサンドロ・メンディーニらと協働し、卓越したイラストレーションの仕事を残しました。(キャプション、HPから)
(左)《約束の時間》1970年 油彩・キャンバス 豊田市美術館蔵
(右)《車内富士》1991年 油彩・キャンバス 高松市美術館蔵
シルクスクリーン作品(展示風景)
コマ割り絵画は、もともと大画面の油彩画として制作されました。一方、立石は油彩画を描いたコマ割り絵画を自薦し、シルクスクリーンの版画に再構成する制作も行いました。
4 漫画と絵本の仕事
同時開催のうらわ美術館で沢山の作品が展示されています。
5 再びの日本ーこっちにタイガー、あっちに大河亞 1982-1998年
1982年に帰国。
自作の漫画を編纂した『虎の巻』を刊行する一方、絵本の制作にも着手し、視覚的な遊びを盛り込んだ絵本を多数手がけます。絵画では、大衆的なイメージや、明治・大正・昭和といった歴史を振り返るモチーフをとりあげ、パロディにみちた大作も描きました。
明治青雲高雲 1990(平成2)年 油彩・キャンバス 田川市美術館
大正伍萬浪漫 1990(平成2)年 油彩・キャンバス 田川市美術館
昭和素敵大敵 1990(平成2)年 油彩・キャンバス 田川市美術館
《RYUSEI》 1996年 陶 個人蔵(青森県立美術館寄託)
6 epilogue 水の巻
作品《水の巻》の一部と、
映像展示《水の巻》9/制作 映像:中川陽介:西原尚 2021年 動画(30分)
56歳の若さで亡くなったタイガー立石のこの回顧展で、あらためて、のちの美術家に与えた(与え続ける)刺激を体感しました。
絵画、漫画、イラストレーション、絵本など、さまざまなジャンルで発揮された立石の発想を楽しみました。
| 固定リンク
コメント