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2021.11.14

伝教大師1200年大遠忌記念 特別展「最澄と天台宗のすべて」

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伝教大師1200年大遠忌記念 特別展「最澄と天台宗のすべて」は、
東京国立博物館 平成館 特別展示室で開催されています。

会期 2021年10月12日(火) ~ 11月21日(日)

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(クリックで拡大表示になります)
根本中堂再現
延暦寺の根本中堂では、厨子扉の前に御前立、向かって右に梵天、向かって左に帝釈天がならび、厨子の側面を取り囲むように十二神将が左右に6軀ずつ配置されています。本展では、梵天・帝釈天十二神将のうちの子神・丑神をご覧いただきます。3基並ぶ不滅の法灯は、現役を退いた先代の法灯と伝えられているものです。(解説パネルから)

延暦寺不滅の法灯
比叡山延暦寺の根本中堂内陣にある不滅の法灯は、西暦788年(延暦7年)に最澄が根本中堂の前身である一乗止観院を建立した時に本尊の薬師瑠璃光如来の宝前に灯明をかかげて以来、1200年間一度も消えることなく輝き続けていると伝わっていいます。

「明らけく後の 仏の御世までも 光りつたへよ法のともしび(仏の光であり、法華経の教えを表すこの光を、末法の世を乗り越えて弥勒如来がお出ましになるまで消えることなくこの比叡山でお守りし、すべての世の中を照らすように)」との願いを込めたと伝わります。

元亀2年(1571年)9月の織田信長の比叡山焼き討ちの際には「不滅の法灯」は消え去っているが、法灯は立石寺(山形県山形市)の天文12年(1543年)の再建の際に分灯されたものから、再度延暦寺に再分灯で戻されました。 

 

本展は、伝教大師最澄の1200年の大遠忌にあたり、延暦寺における日本天台宗の開宗から、東叡山寛永寺を創建して太平の世を支えた江戸時代に至るまでの天台宗の歴史をご紹介しています。

展覧会の構成は以下の通りです。
第1章 最澄と天台宗の始まり―祖師ゆかりの名宝
第2章 教えのつらなり―最澄の弟子たち
第3章 全国への広まり―各地に伝わる天台の至宝
第4章 信仰の高まり―天台美術の精華
第5章 教学の深まり―天台思想が生んだ多様な文化
第6章 現代へのつながり―江戸時代の天台宗

(以下の画像はクリックで拡大表示になります)
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天台ゆかりの秘仏終結!

薬師如来像 平安時代・9~10世紀 東京・寛永寺蔵
薬師如来及び両脇侍立像のうち薬師如来立像
寛永2年(1625)、関東の宗教的権威とすべく、比叡山の再現を意図して開創された東叡山寛永寺の秘仏本尊。

慈眼大師(天海)坐像  康音作 江戸時代寛永17年(1640) 栃木・輪王寺蔵
慈眼大師天海(1536-1643)は、織田信長焼き討ちで壊滅的な被害を受けた比叡山延暦寺を復興し、徳川家康、秀忠、家光三代の絶大な信頼を得て関東における天台宗の隆盛を導いた。

不動明王坐像 平安時代10世紀 滋賀・伊崎寺蔵
千日回峰行を始めた相応和尚ゆかりの像。
相応和尚が創建したと伝える、伊崎寺の本尊。

阿弥陀如来立像 平安時代10世紀 京都・真正極楽寺(真如堂)蔵
真如堂縁起によると、永観2年(984)、一条天皇の母藤原栓子(962-1002)の離宮に慈覚大師円仁作の阿弥陀如来立像を安置したことに始まり、その後正暦3年(992)に戒算上人(936-1053)が本堂を創建したという。
 
十一面観音菩薩立像 平安時代10世紀 兵庫・能福寺蔵
能福寺の創建は、平安時代前期に遡り、中国から帰朝に際して、この地に立ち寄った最澄が、薬師如来像を安置したことに始まると伝えられている。

慈恵大師(良源)坐像 鎌倉時代・13-14世紀 東京・深大寺蔵
像高2メートル近くをほこる日本最大の肖像彫刻。厄除け大師として篤い信仰を集め、50年に一度開扉される秘仏。
滋恵大師(元三大師)良源(912-985)は、火災で甚大な被害を受けた比叡山延暦寺を復興した第18世天台座主。


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国宝 聖徳太子及び天台高僧像
最澄
伝教大師最澄(767-822)は、中国に渡って天台の教えを学び、新しい平安仏教を一翼を担った名僧です。
延暦寺を創建、日本天台宗の開祖。 

円仁
慈覚大師円仁(794-864)は、円澄の後を受けて第三世座主となります。承和5年(838)6月より9年3か月間遣唐請益宗として入唐禱求法し、多くの法門や仏典を日本に伝えました。

龍樹善無畏(インド)

智顗慧文灌頂慧思湛然(中国)
智顗(538-597)は智者大師とも称され、中国隋時代に活躍して天台宗を確立した。日本の天台宗においても宗祖として尊崇される。
天台三大部といわれる「法華原義」「法華文句」「摩訶止観」を著わす。


光定戒牒 嵯峨天皇宸筆 平安時代 引仁14年(823) 滋賀・延暦寺
最澄の高弟、別当大師光定(779-858)が延暦寺一乗止観院(根本中堂)で大乗菩薩戒を受けた際の戒牒。

尺牘(久隔帖)最澄筆 平安時代・引仁4年(813)奈良国立博物館蔵
現存する唯一の最澄自筆の手紙。 
最澄が高雄山寺(神護寺)のもとで修行していた弟子の泰範に宛てた書状。

 

ーHPの解説ー
2021年は、伝教大師最澄の1200年の大遠忌にあたります。最澄は平等思想を説いた『法華経』に心惹かれ、この教えを礎とする天台宗を日本でひろめました。最澄が創建した延暦寺は多くの高僧を輩出し、彼らが説いた多様な教えは日本文化に大きな影響を及ぼしてきました。本展では、延暦寺における日本天台宗の開宗から、東叡山寛永寺を創建して太平の世を支えた江戸時代に至るまでの天台宗の歴史をご紹介します。日本各地で守り伝えられてきた貴重な宝物や、『法華経』の説く万民救済の精神をあらわす文化財を、地域的な特色を示しながらご覧いただきます。秘仏をはじめ、天台の名宝が集う貴重な機会です。


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