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2021.11.30

和 田 誠 展

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(画像はクリックで拡大表示になります)

「和田誠展」は、 東京オペラシティ アートギャラリー で開催されています。

会期 2021年10月9日(土)~ 12月19日(日)


膨大な資料展示による和田誠回顧展です。
「あんなことも、こんな仕事も」何をしても、どんな仕事も楽しさが一流。
その交友の幅広さにも注目、感心させられました。
もう、行ってみて実感するしかありません。

この展覧会は、「すきなことをすきなだけ  和田誠をめぐる30のトピック」という構成での展示になってます。
以下、展示風景です。
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83年間の膨大な仕事・交友・出来事を視覚的にたどる「ビジュアル年表」
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 未来を予感させる子どもの頃の絵や映画日記「和田誠になるまで」 20211102_20211125182901

「ハイライト」をデザイン「ライトパブリシティの時代」
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12. 少ない要素で特徴をつかむ職人芸「似顔絵」 20211101_20211128174401

作りたいものは自分で作る。最初の絵本は「私家版絵本」

大胆な発想でのびのびと「谷川俊太郎との仕事」

グラフィカルでアイデア満載、画法もバラエティに富んだ「絵本」

楽しくやさしく「子ども向け挿絵」
 
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 独特の色彩と大胆な構成で映画ファンを夢中にさせた「日活名画座」
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 描いた表紙は約2000点、40年続いた「週刊文春」
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長く続いたシリーズ「ロングランの仕事」
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文化的交流が後の仕事にもつながった「草月アートセンター」の仕事
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 回文、しりとり、数え歌。ことばあそびの魅力「ことばのこばこ」

 挿絵、訳詞も手がけたライフワーク「マザーグースの世界」

「みんなのうた」第一回目は和田誠の「アニメーション」

 音楽、映画、ショービズ、青年期を綴る「エッセイ」
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 一流の映画ファンは一流の「映画監督」
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手がけた書籍は2000冊以上「装丁」
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装丁に見る「和田文字」
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31センチ角の舞台「LPジャケット」
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趣味の域を超えるあたたかなメロディ「作曲」
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革新的雑誌のアートディレクション「話の特集」

真面目に遊ぶ「パロディ」

クスッと笑えるユーモアのひとコマ「漫画」

音楽、劇場、映画、広告など幅広く「ポスター」
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お気に入りのモチーフ「猫」

初めての本は1960年「著書200冊」
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愛情豊かに「家族との仕事」
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シンプルでぬくもりのある「ロゴマーク」
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絵ができるまで「ただいま制作中」
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この展示の横に、作画中の動画が展示されています。 


ーHPの解説ー
知っているようで知らなかった和田誠を紐解く展覧会
和田誠(1936–2019)はイラストレーター、グラフィックデザイナーとして広く知られています。そのほかにも装丁家や映画監督、エッセイスト、作曲家、アニメーション作家、アートディレクターなどさまざまな顔を持ち、その創作の広がりはとどまるところを知りません。本展は、和田誠の膨大で多岐にわたる仕事の全貌に迫る初めての展覧会です。和田誠を知るうえで欠かせないトピックを軸に、83年の生涯で制作した多彩な作品を紹介します。きっとこれまで知らなかった和田誠の新たな一面に出会えることでしょう。


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2021.11.27

散歩しながらスマホで花の写真を撮ってみました。 2021年10月~

紅葉が始まると、わが散歩道に咲く花は少なくなってきます。
公園では椿の花が咲き、我が家では山茶花も咲いています。

以下、10月以降にスマホで撮った花の写真を掲載しておきます。
ピントが甘いです、反省!
(以下の画像はクリックで拡大表示になります)
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サラシナショウマ 金鳳花(きんぽうげ)科
晒菜升麻(さらしなしょうま)季節の花 300

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キツジョウソウ(吉祥草)ゆり科
キチジョウソウ  みんなの花図鑑

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テンニンソウ(天人草)しそ科
テンニンソウ みんなの花図鑑 

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サクラ(品種:アーコレード)バラ科
アーコレード 桜図鑑:公益財団補遺人日本花の会

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タイワンホトトギス (台湾杜鵑草) ユリ科
たいわんほととぎす 四季の山野草
 
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スガルジョウロウホトトギス(駿河上臈杜鵑草) ゆり科
スルガジョウロウホトトギス 季節の花300

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チャノキ(茶の木)ツバキ科
チャノキ 樹木図鑑

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シマカンギク(島寒菊)きく科
しまかんぎく 四季の山野草

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アキバギク(秋葉菊)きく科

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シュウメイギク キンポウゲ科
シュウメイギク 花と緑の図鑑

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センニチコウ(千日紅)
せんにちこう 季節の花300

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キダチダリア きく科
キダチダリア Wikipedia

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フヨノハナワラビ(冬の花蕨) ハナヤスリ科
ふゆのはなわらび 四季の山野草



秋桜と尾花



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2021.11.24

薬師池の紅葉をスマホで撮ってみました。 2012年11月

薬師池公園の紅葉をスマホ(iPhone11)撮ってみました 。
iPhone13のカメラはさらに進歩しているのかな~?
映りはちょっと微妙。
まだまだ、工夫の余地はあるようですが・・・・
現状の記録として残しておきます。
(以下の画像はクリックで拡大表示になります)

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ライトアップ
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2021.11.22

フォトジャーナリスト W.ユージン・スミスの見たものー写真は真実を語る

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(クリックで拡大表示になります)

「フォトジャーナリスト W.ユージン・スミスの見たものー写真は真実を語る」は、フジフィルム スクエアで開催されています。

会期 2021年11月5日(金)~25日(木)

京都国立近代美術館所蔵のW. ユージン・スミスの写真コレクション「アイリーン・スミス・コレクション」284点より、選りすぐりの名作約60点を展示し、ユージン・スミスの全仕事を凝縮したミニ回顧展になっています。

展覧会の構成は以下の通りです。
1941-1942 初期作品
1943-1945 第二次世界大戦
1948 カントリードクター
1949 アルベルト・シュヴァイツァー
1950 大英帝国
1950-1951 スペインの村
1951 助産婦
1955-1956 ピッツバーグ
1971-1975 水俣

(以下の画像(チラシ)はクリックで拡大表示になります)
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(以下は、本展キャプションからの引用です。)
《楽園への歩み》1946年 
(ユージン・スミスの展覧会によく展示される作品で、私も大好きな作品)
沖縄戦での負傷により入院後も自宅での療養生活を余儀なくなくされ、スミスは肉体的に写真家として復帰できないかもしれないという絶望の中にいた。しかい、それを救ったのが1940年に結婚した当時の妻カルメンとの間に生まれた子どもたちだった。裏庭で遊んでいた二人の子ども、ケヴィンとワニータが明るい場所へ歩みだそうとする瞬間をとらえたこの作品を、スミスは戦後はじめてシャッターを押した写真だと語っている。スミスが戦争での精神的ダメージから立ち直る第一歩、そして写真家としての復帰を記念する一枚となった。

《カントリー・ドクター:無題(負傷した子供とセリアー医師)》1948年 
1947年、スミスは沖縄戦での負傷者により2年近い療養生活を経てようやく「ライフ」に復帰した。しかし肉体的に大きなハンデを負ったスミスはもはや戦場には行けず、新たな報道写真のスタイルを目指すことになる。
1984年、医療社会制度が政府の課題となっていた。アメリカでは、地方の医療環境の改善が求められていた。「ライフ」誌は実態を調査すべく、田舎の医師の日常についてのフォト・エッセイをスミスに依頼した。

《スペインの村:治安警備隊》 1950/51年 
スペインがフランンコ独裁政権下でのファシスト体制であった1949年「ライフ」誌は表向きは、スペイン国内の食料供給を有利に進めるための取材だと申し入れていたが、スミスは「スペインの町に潜り込んで、フランコ体制がもたらす恐怖と貧困をレポートしたい」と考えていた。
フォトエッセイを芸術として完成させ《カントリー・ドクター》と並ぶスミスの名作となった。

《助産婦:無題》1951年
「ライフ」1951年12月3日号に掲載されたフォト・エッセイは大反響を呼び一般の読者からはたくさんの寄付が寄せられた。1953年その資金をもとにモード助産婦が待ち望んだクリニックの開設が実現いている。 

《アルベルト・シュバイツァー》、コロラド州アスペン》1949年
近代的な医療を受けられないアフリカの人々を救おうと献身的に活動するシュバイツァーは世界的な名声を得ていたが、スミスが実際に見たのは、自分の理想を実現しようと苦悶する一人の老人の姿だった。

《水俣:無題(水俣湾の魚》1972年
本作は、スミスと当時の妻であるアイリーン・美緒子・スミスの共同プロジェクトである。二人は水俣に住み込み、地元の住民から受け入れられ、3年間にわたる取材を行う。水俣についてのフォト・エッセイ「排水管からの死の流れ」はライフ誌1972年6月2日号に掲載され、大きな反響を呼んだ。

 

ーHPの解説ー
FUJIFILM SQUARE(フジフイルム スクエア)では、京都国立近代美術館所蔵の写真コレクション「アイリーン・スミス・コレクション」より、フォト・ジャーナリズムの歴史に大きな足跡を残したアメリカ人写真家 W. ユージン・スミスの作品展を開催いたします。

W. ユージン・スミス(1918-1978)は、1930年代から50年代、フォト・ジャーナリズム全盛の時代に『ライフ』誌をはじめとする数々のグラフ雑誌を舞台に活躍した伝説のフォトジャーナリストです。常に被写体の側に自分を置き、ヒューマニズムの視点で撮影された情熱的な写真は、報道写真のあり方を問い直し、多くの人々の心を揺さぶり続けてきました。「フォト・エッセイ」と呼ばれる、複数の写真と短い解説文によって誌面を構成する表現形式は、スミスの卓越した撮影技術やプリント技術、高い美意識によって芸術として完成され、《カントリー・ドクター》(1948年)、《スペインの村》(1950-1951年)、《慈悲の人シュヴァイツァー》(1954年)、《ピッツバーグ》(1955-1956年)など、多数の記念碑的な傑作が世に送り出されました。

スミスは日本とも縁が深い写真家です。取材パートナーであり伴侶でもあったアイリーン・美緒子・スミス氏とともに、1971年から3年にわたり熊本・水俣に移住し、有機水銀による公害の実情を取材した写真集『水俣』は、2020年に製作された映画『MINAMATA(原題)』(監督:アンドリュー・レヴィタス/主演:ジョニー・デップ/アメリカ/2020年、日本では2021年9月公開)の原話として、近年再び注目を集めています。

本展は、京都国立近代美術館の協力を得て、同館所蔵のW. ユージン・スミスの写真コレクション「アイリーン・スミス・コレクション」より、選りすぐりの名作約60点を展示するものです。同コレクションは、アイリーン・美緒子・スミス氏が厳選し、長年にわたり手元に保管してきた作品群で、全284点で構成されています。スミスの写真家としての活動の全容をほぼ網羅し、そのプリントの大部分が、スミス自身が手がけた貴重なもので、写真家ユージン・スミスの真の姿を伝える、内容、質ともに最高水準のコレクションとなっています。

スミス自身の手がけた重厚で美しいオリジナルプリントは、写真の原点を見つめ、写真の本質を改めて考えるきっかけを与えてくれることでしょう。京都国立近代美術館所蔵の「アイリーン・スミス・コレクション」が東京で公開されるこの希少な機会に、W. ユージン・スミスの真の姿をどうぞご覧ください。

 

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2021.11.18

ポーラ美術館コレクション展 甘美なるフランス

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「ポーラ美術館コレクション展 甘美なるフランス」は、Bunkamura ザ・ミュージアム
で開催されています。

会期 2021年9月18(土)~ 11月23日(火・祝)


箱根のポーラ美術館には御無沙汰なので・・・・
渋谷で再会できるとあって行ってきました。

本展では、ポーラ美術館のコレクションより印象派からエコール・ド・パリの時代にフランスで活躍した人気画家の絵画74点を厳選し、当時のパリジェンヌたちが愛用したアール・ヌーヴォーとアール・デコの化粧道具12件と併せてご紹介します。(HPから)

展覧会の構成は以下の通りです。
第1章 都市と自然―モネ、ルノワールと印象派
第2章 日常の輝き―セザンヌ、ゴッホとポスト印象派
第3章 新しさを求めて―マティス、ピカソと20世紀の画家たち
第4章 芸術の都―ユトリロ、シャガールとエコール・ド・パリ

チラシ画像はクリックで拡大表示になります。
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ラウル・デュフィー《パリ》1937年 油彩・キャンヴァス
エッフェル塔、凱旋門、サクレにクール寺院などパリの名所を網羅した風景画を4枚のカンヴァスにを用いて屏風風の仕立てた作品。

モーリス・ユトリロ《シャップ通り》1910年頃 油彩・厚紙
パリの北部、18区にあるモンマルトルは19世紀末から20世紀初頭のかけて、国内外の芸術家たちが活動の拠点とした場所であった。モンマルトルの丘のふもとで生まれたユトリロは、アルコール依存症の治療の一環として絵筆をとり、画業を通してパリの、特にモンパルナスの風景を多く描いている。

ポール・セザンヌ《プロバンスの風景》1879-1882年 油彩・カンヴァス
本作品では、セザンヌの故郷である自然豊かな南仏プロバンスの陽光に満ちた青い空、その斜面に建つ家、緑の木々があざやかな色彩で描かれている。

ピエール・オーギュスト・ルノワール《髪飾り》1888年 油彩・カンヴァス
19世紀半ばのフランスでは、産業革命によってファッションも産業化された。そして流通の変化やジャーナリズムの発展により、スタイルの流行が生まれた。

パブロ・ピカソ《母子像》1921年 油彩・カンヴァス
第一次世界大戦の終結とともにヨーロッパに流れた古典、古代への芸術を称揚する「秩序へ回帰」の機運に促されピカソは古典的な表現を取り入れ始めた。

フィンセント・ファン・ゴッホ《ヴィゲラ運河にかかるグレーズ橋》1888年 油彩・カンヴァス
1888年2月ゴッホはローヌ河畔のアルルに到着した。ローマ時代以来の歴史を有するこの街を理想郷とみなした画家は、陽光の降り注ぐアルルで新たに発見した色彩の効果を探求する日々を過ごした。

クロード・モネ《サン=らザイル駅の線路》1877年 油彩・カンヴァス
本作でモネは、近代社会を象徴する鉄道を描いている。パリで最も古いサン=ラザール駅は、ノルマンディーなどの行楽地に向かう際に利用されていた。

 

ーHPの解説ー
渋谷で出会う珠玉のコレクション―
フランス絵画の巨匠28名が一堂集結!
「甘美なるフランス(ラ・ドゥース・フランス)」とは、美しく、穏やかで、稔り豊かなフランスとその文化を賛美するため、古くから親しまれてきた表現です。19世紀後半に出現した印象派の画家たちは、日常生活や余暇の愉しみなど、あるがままのフランスを画題とし、新たな「甘美なるフランス」の世界を描き出しました。その後20世紀のピカソら外国出身の画家についても、作品から伝わってくるのは、彼らの祖国と共にパリのエスプリであり、パリで展開していた芸術活動のまれにみる豊かさです。
本展では、ポーラ美術館のコレクションより印象派からエコール・ド・パリの時代にフランスで活躍した人気画家の絵画74点を厳選し、当時のパリジェンヌたちが愛用したアール・ヌーヴォーとアール・デコの化粧道具12件と併せてご紹介します。Bunkamuraザ・ミュージアムでは2006年に開催し大好評を博した『渋谷で出会う ポーラ美術館の印象派コレクション』展より15年ぶり、2回目の開催となります。
時代や様式を超えて受け継がれる「甘美なるフランス」の美意識をぜひご堪能ください。

 

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2021.11.14

伝教大師1200年大遠忌記念 特別展「最澄と天台宗のすべて」

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伝教大師1200年大遠忌記念 特別展「最澄と天台宗のすべて」は、
東京国立博物館 平成館 特別展示室で開催されています。

会期 2021年10月12日(火) ~ 11月21日(日)

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(クリックで拡大表示になります)
根本中堂再現
延暦寺の根本中堂では、厨子扉の前に御前立、向かって右に梵天、向かって左に帝釈天がならび、厨子の側面を取り囲むように十二神将が左右に6軀ずつ配置されています。本展では、梵天・帝釈天十二神将のうちの子神・丑神をご覧いただきます。3基並ぶ不滅の法灯は、現役を退いた先代の法灯と伝えられているものです。(解説パネルから)

延暦寺不滅の法灯
比叡山延暦寺の根本中堂内陣にある不滅の法灯は、西暦788年(延暦7年)に最澄が根本中堂の前身である一乗止観院を建立した時に本尊の薬師瑠璃光如来の宝前に灯明をかかげて以来、1200年間一度も消えることなく輝き続けていると伝わっていいます。

「明らけく後の 仏の御世までも 光りつたへよ法のともしび(仏の光であり、法華経の教えを表すこの光を、末法の世を乗り越えて弥勒如来がお出ましになるまで消えることなくこの比叡山でお守りし、すべての世の中を照らすように)」との願いを込めたと伝わります。

元亀2年(1571年)9月の織田信長の比叡山焼き討ちの際には「不滅の法灯」は消え去っているが、法灯は立石寺(山形県山形市)の天文12年(1543年)の再建の際に分灯されたものから、再度延暦寺に再分灯で戻されました。 

 

本展は、伝教大師最澄の1200年の大遠忌にあたり、延暦寺における日本天台宗の開宗から、東叡山寛永寺を創建して太平の世を支えた江戸時代に至るまでの天台宗の歴史をご紹介しています。

展覧会の構成は以下の通りです。
第1章 最澄と天台宗の始まり―祖師ゆかりの名宝
第2章 教えのつらなり―最澄の弟子たち
第3章 全国への広まり―各地に伝わる天台の至宝
第4章 信仰の高まり―天台美術の精華
第5章 教学の深まり―天台思想が生んだ多様な文化
第6章 現代へのつながり―江戸時代の天台宗

(以下の画像はクリックで拡大表示になります)
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天台ゆかりの秘仏終結!

薬師如来像 平安時代・9~10世紀 東京・寛永寺蔵
薬師如来及び両脇侍立像のうち薬師如来立像
寛永2年(1625)、関東の宗教的権威とすべく、比叡山の再現を意図して開創された東叡山寛永寺の秘仏本尊。

慈眼大師(天海)坐像  康音作 江戸時代寛永17年(1640) 栃木・輪王寺蔵
慈眼大師天海(1536-1643)は、織田信長焼き討ちで壊滅的な被害を受けた比叡山延暦寺を復興し、徳川家康、秀忠、家光三代の絶大な信頼を得て関東における天台宗の隆盛を導いた。

不動明王坐像 平安時代10世紀 滋賀・伊崎寺蔵
千日回峰行を始めた相応和尚ゆかりの像。
相応和尚が創建したと伝える、伊崎寺の本尊。

阿弥陀如来立像 平安時代10世紀 京都・真正極楽寺(真如堂)蔵
真如堂縁起によると、永観2年(984)、一条天皇の母藤原栓子(962-1002)の離宮に慈覚大師円仁作の阿弥陀如来立像を安置したことに始まり、その後正暦3年(992)に戒算上人(936-1053)が本堂を創建したという。
 
十一面観音菩薩立像 平安時代10世紀 兵庫・能福寺蔵
能福寺の創建は、平安時代前期に遡り、中国から帰朝に際して、この地に立ち寄った最澄が、薬師如来像を安置したことに始まると伝えられている。

慈恵大師(良源)坐像 鎌倉時代・13-14世紀 東京・深大寺蔵
像高2メートル近くをほこる日本最大の肖像彫刻。厄除け大師として篤い信仰を集め、50年に一度開扉される秘仏。
滋恵大師(元三大師)良源(912-985)は、火災で甚大な被害を受けた比叡山延暦寺を復興した第18世天台座主。


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国宝 聖徳太子及び天台高僧像
最澄
伝教大師最澄(767-822)は、中国に渡って天台の教えを学び、新しい平安仏教を一翼を担った名僧です。
延暦寺を創建、日本天台宗の開祖。 

円仁
慈覚大師円仁(794-864)は、円澄の後を受けて第三世座主となります。承和5年(838)6月より9年3か月間遣唐請益宗として入唐禱求法し、多くの法門や仏典を日本に伝えました。

龍樹善無畏(インド)

智顗慧文灌頂慧思湛然(中国)
智顗(538-597)は智者大師とも称され、中国隋時代に活躍して天台宗を確立した。日本の天台宗においても宗祖として尊崇される。
天台三大部といわれる「法華原義」「法華文句」「摩訶止観」を著わす。


光定戒牒 嵯峨天皇宸筆 平安時代 引仁14年(823) 滋賀・延暦寺
最澄の高弟、別当大師光定(779-858)が延暦寺一乗止観院(根本中堂)で大乗菩薩戒を受けた際の戒牒。

尺牘(久隔帖)最澄筆 平安時代・引仁4年(813)奈良国立博物館蔵
現存する唯一の最澄自筆の手紙。 
最澄が高雄山寺(神護寺)のもとで修行していた弟子の泰範に宛てた書状。

 

ーHPの解説ー
2021年は、伝教大師最澄の1200年の大遠忌にあたります。最澄は平等思想を説いた『法華経』に心惹かれ、この教えを礎とする天台宗を日本でひろめました。最澄が創建した延暦寺は多くの高僧を輩出し、彼らが説いた多様な教えは日本文化に大きな影響を及ぼしてきました。本展では、延暦寺における日本天台宗の開宗から、東叡山寛永寺を創建して太平の世を支えた江戸時代に至るまでの天台宗の歴史をご紹介します。日本各地で守り伝えられてきた貴重な宝物や、『法華経』の説く万民救済の精神をあらわす文化財を、地域的な特色を示しながらご覧いただきます。秘仏をはじめ、天台の名宝が集う貴重な機会です。


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2021.11.09

ゴッホ展──響きあう魂 ヘレーネとフィンセント

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「ゴッホ展──響きあう魂 ヘレーネとフィンセント」は、東京都美術館 で開催されています。

会期 2021年9月18日(土)~12月12日(日)

ヘレーネ・クレラー=ミュラーは、ゴッホがまだ評価途上にあった1908年からおよそ20年にわたって、夫アントンとともに90点を超える油彩画と約180点の素描・版画を収集しました。
本展はクレラー=ミュラー美術館からゴッホの絵画28点と素描・版画20点を展示、
他に、ミレー、ルノワール、スーラ、ルドン、モンドリアンなどの作品、
さらに、ファン・ゴッホ美術館から4点(黄色い家(通り)含む)も紹介しています。

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フィンセント・ファン・ゴッホ《レモンの籠と瓶》1888年5月 油彩、カンヴァス クレラー=ミュラー美術館 (画像は本展のチラシから)
1888年5月、色彩の実験をするようにファン・ゴッホは数点の静物画を描いた。大部分を黄色と緑黄色が占める本作品では近似色による調和が作り出されている。さらに大胆にもレモンと籠に赤い輪郭線を加えている。1909年に本作品を入手したばかりの頃、
ヘレーネが親しい友人に宛てた手紙が残されている。「これはまるで天国のようだ」というブレマーの言葉に私は心を打たれました。」そして、この絵をみれば見るほど、この説明がしっくりくるのです。「・・・」
ファン・ゴッホが描いたレモンを理解しようとするとき、私は頭の中に数個のレモンを隣に置いてみます。そうするとこの絵が現実にどれほど異なっているかを感じるのです。(本展のキャプションから)
(ヘレーネは、美術教師のヘンク・ブレ―マーの講義を受けたことで美術の世界への扉を部開きました)

展示構成は以下の通りです。
1 芸術に魅せられて:ヘレーネ・クレラー=ミュラー、収集家、クレラー=ミュラー美術館の創立者
2 ヘレーネの愛した芸術家たち:写実主義からキュビスムまで3 ファン・ゴッホを収集する
3-1 素描家ファン・ゴッホ、オランダ時代
製作年1881~1885の素描を20点展示。
3-2 画家ファン・ゴッホ、オランダ時代
製作年1881~1885の油彩画8点を展示
3-3 画家ファン・ゴッホ、フランス時代
3-3-1 パリ
製作年1886~1887の5点の油彩画を展示

特別出品ファン・ゴッホ美術館のファン・ゴッホ家コレクション:オランダにあるもう一つの素晴らしいコレクション
黄色い家(通り)含む4点を展示

3-3-2 アルル
1888年に描かれた油彩画6点を展示
3-3-3 サン=レミとオーヴェール=シュル=オワーズ
1889年と1890年に描かれた油彩画8点を展示

本展のチラシ(クリックで拡大画像になります)
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展示作品のまえに多くの人が集まっているのが、《黄色い家》と《夜のプロバンスの田舎道》です。(以下の画像は本展のチラシから)
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フィンセント・ファン・ゴッホ《黄色い家(通り)》 1888年9月 油彩・カンヴァス ファン・ゴッホ美術館(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)

日本に憧れ、光を、色彩を求めて南欧のアルルにやって来たゴッホが借りた「黄色い家」
彼はこの家で仲間の画家たちと共同生活をしながら制作活動を送る計画を立てました。
友人たちを歓迎するために、一人で
部屋の改装を始め、室内を自分が描いたひまわりの絵で飾る計画を立てました。キリストの使徒の数脚の椅子も買い揃えました。
でも、
この家にやってきたのはゴーギャンただ1人だけでした。

そのゴーギャンも、ゴッホとの生活には耐えきれず、2ヶ月足らずで黄色い家を出てしまいます。
そしてゴッホは耳切り事件を起こします。
この耳切り事件によって、ゴッホは周りの人から精神病者とみなされ病院に収容。そして次にはサン・レミの療養所に隔離されることになりました。

《夜のプロバンスの田舎道》は南仏滞在のおそらく最後に描かれた作品。
記憶と想像を駆使して描かれた南仏滞在の集大成。
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フィンセント・ファン・ゴッホ《夜のプロヴァンスの田舎道》1890年5月12〜15日頃 油彩・カンヴァス  クレラー=ミュラー美術館 

この展覧会には、オランダ時代の素描が20点展示されています。
修行時代のゴッホ目指した画家の姿、その努力が偲ばれます。
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フィンセント・ファン・ゴッホ《砂地の木の根》1882年4-5月 クレラー=ミュラー美術館 

ゴッホは自ら命を絶ったとされていますが、違った見方をする向きもあって・・・
2019年公開映画「永遠の門 ゴッホの見た未来」はゴッホの最期に違った見方をしています。
BBC制作「ゴッホ 真実の手紙」はオランダ時代のゴッホからフランスでの最期まで、作品を交えて回顧していて、お勧めです。(こちらは自らに手で・・・)
これらの映画は今であれば?Amazon primevideoで観ることができます。

原田マハ氏は、展覧会とコラボでしょうか?
「たゆたえども沈まず」は2017年これも都美開催の「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」開催と同時期発行。
そして、本展前に最新刊『リボルバー』が刊行されました。
帯には「誰が引き金を引いたのか?」とあります。
(まだ読んでませんが・・・)


ーHPの解説ー
フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)の芸術に魅了され、その世界最大の個人収集家となったヘレーネ・クレラー=ミュラー(1869-1939)。ヘレーネは、画家がまだ評価の途上にあった1908年からおよそ20年で、鉄鉱業と海運業で財をなした夫アントンとともに90点を超える油彩画と約180点の素描・版画を収集しました。ファン・ゴッホの芸術に深い精神性を見出したヘレーネは、その感動を多くの人々と分かち合うべく、生涯にわたり美術館の設立に情熱を注ぎました。

本展では、クレラー=ミュラー美術館からファン・ゴッホの絵画28点と素描・版画20点を展示します。また、ミレー、ルノワール、スーラ、ルドン、モンドリアンらの絵画20点もあわせて展示し、ファン・ゴッホ作品を軸に近代絵画の展開をたどる、ヘレーネの類まれなコレクションをご紹介します。
さらに、ファン・ゴッホ美術館から《黄色い家(通り)》を含む4点を展示し、20世紀初頭からファン・ゴッホの人気と評価が飛躍的に高まっていく背景にも注目します。

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2021.11.06

コラボレーション企画展 「川端龍子vs.高橋龍太郎コレクション ―会田誠・鴻池朋子・天明屋尚・山口晃―」

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コラボレーション企画展 「川端龍子vs.高橋龍太郎コレクション ―会田誠・鴻池朋子・天明屋尚・山口晃―」は、
大田区立龍子記念館で開催されています。

会期 令和3年9月4日(土)~ 11月7日(日)


川端龍子と人気の美術家4氏のコラボ企画ということで、楽しく観てきました。
私に、こびりついていた龍子の作品というと《草の実》なのですが・・・・
初めて訪れてみた龍子記念館で、龍子の多様な作品を観ることができて(できたのも)大きな収穫でした。

画像は展覧会のチラシからです。

《草の実》と鴻池朋子《ラ・プリマヴェーラ》が並べて展示されていました。
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鴻池朋子《ラ・プリマヴェーラ》2002年 アクリル、鉛筆、キャンバス、木パネル  高橋龍太郎コレクション 

龍子に寄せられた作家コメントが、其々の「らしい」表現で面白かったので、
以下に、会場の画家紹介パネルに記された、龍子に対しての3人のコメントを紹介します。
『会田誠』
龍子さんの絵から僕が長年抱いていたイメージは、最近の流儀でいえば「漢」と書いて「おとこ」と読ませる、アレでした。筆致も作品コンセプトも潔い。中でも敗戦の年に描かれた《爆弾散華》は、日本近代絵画史上の一大傑作だと思います。最近ご本人の写真を初めて見たら、決して巨漢という感じではなかったので、少し意外に思いつつ納得しました。
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川端龍子《香炉峰》1939年 紙本彩色 額装・六枚一面  大田区立龍子記念館
《香炉峰》と以下の《紐育空爆之図(戦争画RETURNS)》は撮影可能でした。
(クリックで拡大表示になります)

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会田誠《紐育空爆之図(戦争画RETURNS)》1996年、高橋龍太郎コレクション 零戦CG制作:松橋睦生 高橋龍太郎コレクション

『山口晃』
龍子翁の経歴に洋画から日本画はの転向を見た時には、勝手な親近感を抱いたものだった。翁の頃には洋画日本画どちらの建前も輝きを見出されなかったろうが、私の頃には洋画も日本画も明治生まれの出来の悪い双子のように思われていたので転校先探しには苦労でした。いや、今だに苦労してるし、自覚あるなしに関わらず日本の絵描きはみな苦労している最中だろう。
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川端龍子《源義経(ジンギスカン)》1938年 紙本彩色 額装一面 大田区立龍子記念館

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山口晃《五武人圖》2003 年 墨・紙 高橋龍太郎コレクション

『天明屋尚』
「日本美術院脱退」「青龍会旗揚げ」「会場芸術」「逆説・生々流転」、その全てが従来の日本画と横山大観に対しての反骨精神なのですね。川端龍子さん、真っ直ぐでかたくなな態度がカッコイイです!
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天明屋尚《ネオ千手観音》2002年 アクリル絵の具、ブラックジェッソ・木  高橋龍太郎コレクション


ーHPの解説ー
 日本屈指の現代アートのコレクター・高橋龍太郎氏のコレクションを、龍子記念館で日本画家・川端龍子(かわばたりゅうし)の作品とともに展示します。
 高橋氏が収集した2,000点以上にもおよぶという日本の現代アートのコレクションは、国内外の様々な展覧会で紹介されてきました。コラボレーション企画と題した本展においては、日本の現代アートを代表する4人の作家の作品と龍子の代表作を一堂に会し、龍子ファンが現代アートの世界に触れ、現代アートファンが龍子の作品の魅力を再発見できる展覧会を試みました。
 会田誠《紐育空爆之図(にゅうようくくうばくのず)(戦争画RETURNS)》と龍子が戦闘機を大画面に描いた《香炉峰》、鴻池朋子《ラ・プリマヴェーラ》と龍子が金彩のみで草むらを表した《草の実》、天明屋尚《ネオ千手観音》と龍子の自宅の一室に納められていた仏像「十一面観音菩薩立像」、そして、山口晃《五武人圖》と龍子の武者絵《源義経(ジンギスカン)》など、時代を超え共鳴し合う作家のイマジネーションの世界を存分にお楽しみください。


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2021.11.04

散歩の途中で野鳥を撮ってみました 2021年10月

少しずつですが、散歩路に野鳥が戻ってきています。
撮った写真を久しぶりに載せてみます。

撮影時期は10月を前後しているものもあります、数日ですが・・・・

(以下の画像はクリックで拡大表示になります)

シジュウカラ
シジュウカラ サントリー愛鳥活動 日本の鳥百科
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キセキレイ
キセキレイ サントリー愛鳥活動 日本の鳥百科
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コサギ
コサギ サントリー愛鳥活動 日本の鳥百科
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カルガモ
カルガモ サントリー愛鳥活動 日本の鳥百科
202110008

キンクロハジロ(メス)
キンクロハジロ サントリー愛鳥活動 日本の鳥百科
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キンクロハジロ(オス) 
キンクロハジロ サントリー愛鳥活動 日本の鳥百科 
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カイツブリ(夏羽)
カイツブリ サントリー愛鳥活動 日本の鳥百科
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カワセミ
カワセミ サントリー愛鳥活動 日本の鳥百科
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20211012

20211013


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