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2021.09.24

生誕130年記念 高島野十郎展/同時開催 特集展示 秋山泉

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「生誕130年記念 高島野十郎展/同時開催 特集展示 秋山泉」は、
高崎市美術館で開催されています。

会期 2021年9月5日(日)~11月7日(日)


花一つを、砂一粒を人間と同物に見る事、神と見る事
高島野十郎「遺稿ノート」から

高島野十郎(1890-1975)は福岡県久留米市で酒造業を営む家の五男として生まれました。
絵を描くことが好きだった野十郎にその影響を与えたのが長兄の宇郎とされています。
宇郎は、青木繁との交友でも知られる詩人です。
野十郎は、親の希望もあって、実業の道を進むべく東京帝国大学(農学部・水産学科)に進み、主席卒業を果たすものの、画家への道を選ぶことになります。

展覧会の構成は次の通りです。
第1章 青年期
第2章 渡欧期
第3章 戦前期
第4章 戦後期
第5章 光と闇

野十郎は大学を卒業すると独学で、絵の修練を積みました。
卓上の静物や風景を丁寧に緻密に描く写実というスタイルは生涯変わることはなかった。
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《リンゴを手にする自画像》大正12年(1923)油彩 福岡県立美術館蔵
袈裟を着て、好んで描いたリンゴを異形の相で手に持つ野十郎33歳の自画像。絵を描くことは仏教の教えに適うことであり、その困難な使命を果たす決意を示した作品だと解釈することができる。不敵なまなざしには野十郎の強い覚悟が見て取れる。(キャプションを参考)
青年期の野十郎を象徴するような作品に思えました。 

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《ユリとヴァイオリン》大正10年代頃(1921~26)油彩・画布 目黒区美術館蔵
テーブルの上にヴァイオリン、そしてその上に一輪の白百合の花が置かれている作品。この作品を見るのは初めてだと思います。野十郎が楽器をモチーフに描いた作品は記憶になかったのですが・・・ 

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《早春》大正10年(1921)油彩・画布 福岡県立美術館蔵
この頃の作品には、当時注目の画家であった岸田劉生や草土社の画家の影響がみられ、ゴッホ影響も見られると・・・リンゴを描いた一連の作品にも顕著です。


昭和5年に野十郎は渡欧しました。
野十郎は、当地の画家、渡欧した日本人画家と交わることもなく、ひたすら美術館や教会を回って古典絵画を見たり、パリやその近郊を中心に風景の写生に取り組みました。
本展で、欧州で描いた作品10数点展示されていました。

昭和8年帰国すると久留米の実家に身を寄せ、小さなアトリエ「椿柑竹工房」を築き、制作を続け、滞欧作品を郷土の人々に公開するなどしました。
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《からすうり》昭和10年(1935)油彩・画布 福岡県立美術館蔵
野十郎の代表作とされる作品。


昭和11年に再び上京、青山に棲み隔年で個展を開くなどして作品を発表し充実した生活を送っていました。
昭和20年空襲で青山を焼け出され、福岡の姉を頼り、裏山の作業場をアトリエにしました。
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《渓流》昭和21年(1946)油彩・画布 福岡県立美術館蔵
渓流を描くために奥秩父に赴いた時など、旅館に泊り込んで何日も同じ流れを視つづけたという。
そのため水流が止まり、両岸の岩が流れ始めるような錯覚に陥ったそうである。


戦後、昭和23年再度状況し青山に住み着く。
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《ぶどうとりんんご》昭和29年(1954)油彩・画布 久留米市美術館蔵



昭和35年、青山に棲んでいた野十郎は東京オリンピックのための道路拡張工事のあおりで立ち退き余儀なくされ、柏市に住むことになります。
当時の柏市増尾は雑木林が点在する田園地帯、電気・ガス・水道もないその中にアトリエを建て井戸を掘り、野菜を育て睡蓮の池も自作しました。
「ここは俺のパラダイスだ」
野十郎は「晴耕雨読」ならぬ「晴耕雨描」の生活を続け多くの作品を描きます。
やがて、この地にも住宅開発の波が押し寄せ、野十郎は近くの元剣道場を改造した家に移り住む。
その後、体の弱った野十郎は、周囲の人の勧めで千葉県野田市の老人ホームに入居、その2か月後に死を迎えた。
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《月》昭和37年(1962)油彩 福岡県立美術館蔵 
古今東西月夜の風景は数多く描かれてきたが、月だけを描いた画家は野十郎だけだろう。
「月ではなく闇を描きたかった。闇を描くために月を描いた、月は闇を覗くために開けた穴です」

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《睡蓮》昭和50年(1975) 油彩 福岡県立美術館蔵
野十郎の絶筆とされる作品。
生涯独身であった野十郎は千葉県野田市の老人ホームで生涯を終えたのでした。

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《蝋燭》大正時代(1912~26)油彩 福岡県立美術館蔵
野十郎の最も特徴的な蠟燭の作品は、ほとんどがサムホールという小さな画面に描かれている。個展で発表されることもなく、親しい友人や知人に感謝の気持ちとともに手渡された贈り物であったという。



ーHPの解説ー
独学の油彩による写実を追求した孤高の画家、高島野十郎(たかしま・やじゅうろう/1890-1975)。東京帝国大学農学部水産学科を首席卒業するものの画家を志し、世界の美術動向や同時代の画壇とも交渉を持たず、果実や花などをみつめ、日本各地の自然や社寺風景を描き続けました。生涯描き続けた一本の蝋燭の火や、最晩年に描いた太陽、夜空に浮かぶ月の光など、ただ一つの対象に独自の「写実」への執念を込めた連作には、光と闇をみつめた画家の魂がゆらめいています。昨年の生誕130年を記念して、群馬県利根郡や埼玉県秩父市など高崎市近隣に取材した作品や、生まれ故郷の福岡県久留米市で新発見された作品を含む90点によって旅路をたどり、近年評価が高まる画業の全貌を回顧し、新たな高島野十郎像に迫ります。併せて鉛筆による精緻な描写で、高島と同じく蝋燭などをみつめる現代の画家、秋山泉(あきやま・いずみ/1982-)を特集展示します。


特別展示 秋山泉 ろうそくを見つめて描く
「野十郎のろうそくを描く行為を祈りのようなものだと表現することがあるが、
モチーフと自分にひたすら向き合うという意味において、まさにそのようなものだったのではないかと想像する。」
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秋山泉《静物Ⅳ》(2021年)小林画廊蔵



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