新・晴れた日 篠山紀信
「新・晴れた日 篠山紀信」は東京都写真美術館で開催されています。
会期 2021年5月15日(火)~8月15日(日)
写真は死んで行く時の記録。 嵐の日も雨の日も 僕が撮る写真は、いつも晴れた日。(篠山紀信)
本展では、1974年に『アサヒグラフ』誌で連載され、後に写真集にまとめられた『晴れた日』の構造を使って「新・晴れた日」と題して篠山紀信が60年にわたって撮り続けた116作品が展示されています。
サービス精神旺盛な篠山氏、この展覧会では22ページに全点写真付き(縮小モノクロ)の自身解説の冊子が準備されています。
会場には、さまざまな分野の「時代のアイコン」を思わせる写真が揃っています。
「全部記憶にある人」、「こんな時代があったんだ」と首を傾げる人、鑑賞者の世代を想像しながらそんなことを考えてました。
篠山さんの「ぶらない」写真は矢張りいいと思いました。
1960年代から1970年代
《 誕生》1968年
銀座ニコンサロンでの初個展出展作品。
東京で生まれ育った作者が沖縄返還前の日本最南端の徳之島に出かけて撮った作品。
「初めて大自然の偉大さと人間の美しさを写真にすることが出来 た、記念すべき作品です。」(本展解説から)
この辺りのいきさつは、ミュージアムショップ前に設置されたモニターで放映されているインタビューの中で語っています。
《晴れた日》1974年 東京都写真美術館蔵
苦小牧東部・勇払原野で行われた大規模開発。
人の気配が全くなくなった原野に点在する廃屋を撮った写真。
晴れた日の悲しみ、何故かこの展覧会のタイトルに相応しい。(本展解説から)
《家》1975年
〈家〉、月刊誌「潮」の1972年1月号から、1975年12月号までの連載。
ぼくの家の特徴は、必ず人が住んでいること。保存や保管、ましてやお金を取って見世物にしているなんて以ての外です。長く人が棲むことによって生まれる臭いや手垢、古傷やたわみ、人間生活の痕跡を撮っているのです。(本展の解説から)
1980年代から2010年代まで
《TOKYO NUDE 1986-92》
《表参道 結晶の色 1990》
この頃 Tokyoでは不思議な建物が続々現れます。ここは高崎正治 の設計による「結晶のいろ」 です。表参道裏に建てられたこのビルは完成後一度も使われることなく取り壊されました。その寸前ぼくはそんな不条理がまかり通る建物に大量の機材やモデルを持ち込んで作者の思いをぼくなりに再現してみました。(本展解説から)
《The Last Show》2010年
写真集「The Last Show」は吉田五十八設計の歌舞伎座の建て替えに伴う2010年の「歌舞 伎座さよなら公演」を追ったドキュメンタリー。このカットは、公演千穐楽、最 後の演目 「助六由縁江戸桜」で幕が閉じる瞬間、玉三郎が演じる花魁揚巻の姿です。(本展解説から)
《ATOKATA》2011年
2011年3月11日東日本大震災が発生、その年の5月から秋まで4回にわたって被災地を訪れ "ATOKATA" という写真集にまとめました。(本展解説より)
ーHPの解説ー
時代の熱量をとらえた写真によって、1960年代から活躍を続ける篠山紀信。数多くの雑誌の表紙やグラビアを手がけ、写真家として時代をつくり出してきました。1974年に『アサヒグラフ』誌で連載され、後に写真集にまとめられた『晴れた日』は、篠山紀信の特徴を凝縮した一冊で、「写真はうまれながらにして大衆性を背負っているメディア」と自身で語るように長嶋茂雄や輪島功一、オノ・ヨーコなど、誰もが知るアイコンをちりばめながら、広範に社会の動きを捉え、昭和という時代の尖鋭な批評となっています。
「新・晴れた日」と題した本展は、この『晴れた日』の構造を使って、二部構成で60年間にわたる篠山紀信の116作品を展覧します。第1部では写真界で注目を集めた1960年代の初期から、『晴れた日』や1976年のヴェネチア・ビエンナーレでも出品された『家』ほか、その後の幅広い活躍の原点となる1970年代までの主要作品で構成。第2部では、1980年代以降の作品を中心に、バブル経済による変貌から、2011年の東日本大震災を経て、2021年に向かい再構築される東京の姿まで、創造と破壊、欲望と不安が相即不離な変化の時代をとらえた作品を紹介します。
「新・晴れた日 篠山紀信」作家インタビュー
TOPMUSEUM 東京都写真美術館
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