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2021.03.31

カワセミが描かれた明時代(16世紀)の絵画が展示されていました。 トーハク2021年3月

トーハク東洋館4階の中国の書画展示室は、トーハクを訪れる毎に必ず観に行きます。
素晴らしい作品に出会えます。

東洋館8室で、
特集「宮廷から地方へ―明時代の絵画と書跡」を観てきました。

会期 2021年3月2日(火) ~ 2021年4月11日(日)

展示作品の中にカワセミが描かれた作品を見つけました。
(以下の画像はクリックで拡大表示になります)
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白鷺芙蓉図軸 簫増筆 絹本着色 明時代・16世紀

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芙蓉は栄華の象徴、
白鷺は高級官僚の寓意、

では、カワセミは何の象徴なのでしょうか?
ちょっと調べましたが、答えは見つかりませんでした。

そもそも「カワセミという名称の由来」は?
Wikipediaからです。
カワセミは「川に棲むセミ」の意で、この「セミ」は古名の「ソニ」が「ソビ」に変化し、それが転じて「セミ」となった。その「ソニ」の「ニ」は土の意味で、ソニ(青土)からきた。また、近縁の「アカショウビン」などのショウビンもこの「ソニ」から来た。 これらとは別に、室町時代から漢名を取り入れ、「ヒスイ(翡翠)」とも呼ばれるようになった。

参考までに、古代日本では玉は「たま」、カワセミは「そび」「そにとり」と呼ばれていた。カワセミに「翡翠」の字があてられ「ヒスイ」とも呼ばれ始めたのは室町時代以降である。したがって「翡翠」の語は中国から輸入されたと推察できる。

「翡翠」は中国では元々カワセミを指す言葉であったが、時代が下ると翡翠が宝石の玉も指すようになった。その経緯は分かっていないが以下の説がある。翡翠のうち白地に緑色と緋色が混じる石はとりわけ美しく、カワセミの羽の色に例えられ翡翠玉と名づけられたという。この「翡翠玉」がいつしか「玉」全体をさす名前になったのではないかと考えられている。


ギリシャ神話にも登場するようです。
「ギリシア神話には、一国の国王でもあった夫ケーユクスを海難事故で失った女性アルキュオネーが、死んだ夫と共に姿をカワセミへと変え、2羽でつがいを組んでその後も仲良く暮らし続けたという話が存在する」


昨年、運よくカワセミの求愛給餌の場面を撮ることができました。
(拙ブログで去年紹介した写真の再掲です)
めでたく成就したかはもちろん不明ですが・・・
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右の嘴が赤いカワセミが雌です。


以下は本展の展示作品と展示風景です。
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四季花鳥図軸 呂紀筆 絹本着色 明時代・15~16世紀

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獅子図軸 周全筆 絹本着色 明時代・15世紀

展示風景
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―HPの解説ー
明時代(1368~1644)の宮廷画壇は、特に15世紀から16世紀はじめにかけて繁栄を誇りました。はじめは南京に、のち、三代永楽(えいらく)帝により北京に移された宮廷には、浙江(せっこう)・福建(ふっけん)地域出身の画家が多く採用されています。これらの地域には、宋時代(960~1279)の文化の遺風が色濃くのこっていたようです。宮廷画家たちは、宋時代をはじめとする古画をよく学び、花鳥、走獣、人物、山水など多彩な主題を描いていきました。

宮廷画風は在野にも広がっていき、15世紀後期ころから、宮廷に所属しない画家の活動も目立つようになります。中でも注目すべきは、筆と墨による表現の展開です。宮廷において、雄渾さ、闊達さを強調する方向に発展してきた筆墨の表現は、各地に拡大する過程でさらに激しく狂騒的になっていきます。蘇州(そしゅう)を中心とした一部の江南文人たちは、この粗放な画風を嫌い、正道からはずれた「狂態邪学(きょうたいじゃがく)」であるとの批判を繰り返しました。また、職業画家を蔑視する価値観が浸透する中で、宮廷絵画の系譜も、「浙派(せっぱ)」、つまり浙江の職業画家に由来する一地方様式にすぎないと低く評価されるようになります。しかし、現在はその力強い筆墨表現が見直されています。

本展では、宮廷絵画とそこから発展した浙派、狂態邪学派の名品を、江南文人書跡とともに紹介します。



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2021.03.28

博物館でお花見を トーハク2021年

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「博物館でお花見を」は、
東京国立博物館で開催されています。

会期 2021年3月16日(火)~4月11日(日)


今年は、コロナ対応のため入場予約制(入場者数の制限) 各イベントの見合わせなどで、静かな観覧となりました。
庭園開放も行われていますが、大規模工事のためほんの一部のみの開放になっていました。



スタンプラリーもアプリをQRコードで読み込んで、スタートです。
館内6か所の指定場所に近ずくと3択問題が表示されて、正解すると「正解スタンプ」が表示されます。

スタンプラリー作品です。(以下の画像はクリックで拡大表示になります)
4室 枝垂桜蒔絵棗
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7室 
源氏物語図屏風(絵合・胡蝶)狩野(晴川院)養信筆 江戸時代・19世紀
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8-1室 
桜花図 広瀬花隠筆 江戸時代・19世紀
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8-2室 
一行書「花開万国春」 池大雅筆 江戸時代・18世紀
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10-1室
小袖 紅綸子地雪持笹桜模様 江戸時代・17世紀
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11室 不動明王立像 平安時代・11世紀 岡野哲策氏寄贈 
桜の木で作られた珍しい仏像。
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本館では、桜が描かれた絵画をはじめ、桜に関連した様々な作品が展示されています。
桜巡り該当作品のキャプションには「桜マーク」が付いていますので、
先ずは「桜マーク」を目当てに館内巡りです。
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色絵桜樹図皿 鍋島 江戸時代・18世紀

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勿来の関図 狩野(伊川院)栄信筆 江戸時代・19世紀

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源氏物語図屏風(若菜上) 伝土佐光則筆 江戸時代・17世紀 個人蔵

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名所江戸百景・上野清水堂不忍ノ池 歌川広重筆 江戸時代。安政3(1856) 三谷てい氏寄贈

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桜花美人図 水野廬朝筆 江戸時代・18世紀



―HPの解説ー
東京国立博物館は、春の恒例企画「博物館でお花見を」を開催します。本館の各展示室では、絵画や陶磁器など、桜をモチーフにした様々な日本美術の名品に出会うことができます。
美しい作品たちがトーハクの春を彩ります。

※本年は、新型コロナウイルス感染症予防のため、例年会場で開催しているワークショップやギャラリートーク等の関連イベントは見合わせることとなりました。

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2021.03.25

没後70年 南薫造 展

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没後70年 南薫造 展は、
東京ステーションギャラリーで開催されています。

会期 2021年2月20日(土)~ 4月11日(日)


東京ステーションギャラリー得意の「知られざる画家発掘シリーズ」でしょうか?
南薫造の作品を観るのは多分はじめてと思って出かけましたが、記憶に残っている作品は数点ありました。
東京美術学校教授を務め、帝室技芸員に任命された画家ですから、知る人ぞ知る存在なのだとは思いますが・・・

チラシのコピーに「派手さはないけど、心に”ぐぐっ”と響きます!とあるように、画家の個性が際立つという作品は少ないようですが、てらいなく自らの周辺の風景を描き続けた作品には説得力がありました。

南薫造(1883~1950)は、明治末から昭和にかけて官展を中心に活躍した画家です。

南は現在の広島県呉市生まれ。
明治の終わりにイギリスに留学しました。
フランスではなくイギリスを選んだのは、イギリスの水彩画への思い入れがあったようです。
南が出版した『水彩畫の描き方』の中に、
「水彩画は誰でもが知る如く瞬間的な現象を捕らへて直ちに描き得る大きな特徴を持っていると同時に此の精緻なる描写の点に至っても油彩を超えたる性能を備えて居ることを知る要がある」と記しています。(本展キャプションから)
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《ロンドンの裏庭》1907年 水彩、紙 広島県立美術館蔵

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《うしろむき》1909年 水彩・紙 広島県立美術館
1909(明治42)年春、南は友人たちとウィンザーで2週間を過ごした。この作品は宿泊先の少女マリーを描いたもの。


1909年からフランスに渡り、伊、独、蘭、米を経由して帰国。
帰国後の南は、印象派に影響を受けた風景画や人物画を描きました。
創作版画運動の先駆けとなるような木版画も制作しています。
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《魚見(自刻)》1911年頃 木版、紙 個人蔵

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《六月の日》1912年 油彩、カンヴァス 東京国立近代美術館蔵
第6回文展に出品した南の代表作

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《りんご》1911年頃 油彩、カンヴァス 広島県立美術館蔵


晩年には故郷の風景、家族周辺の作品も 多く残しています。 
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南薫造記念館の展覧会チラシ
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《庭先の孫娘たち》1946年頃
この作品は本展では展示されていません。


展覧会の構成は次の通りです。
第1章 初期 美校時代
第2章 留学時代
第3章 帰国後の活躍
第4章 晩年 郷里での活躍   


―HPの解説ー
なぜ 南薫造展か?
日本では毎年数多くの美術展が開催され、多くの観客を集めています。大規模な西洋美術展はもとより、最近では、江戸期を中心とする日本美術や、現代アートの展覧会が大きな話題となることも少なくありません。そうした中で、めっきり数が減っているのが日本近代洋画の展覧会です。東京ステーションギャラリーでは2012年の再開館以来、一貫して近代洋画の展覧会の開催を続けてきました。それは多くの優れた洋画家たちの業績が忘れられるのを恐れるからであり、優れた美術が、たとえいま流行りではなかったとしても、人の心を揺り動かすものであることを信じるからです。
南薫造(1883-1950)、明治末から昭和にかけて官展の中心作家として活躍した洋画家です。若き日にイギリスに留学して清新な水彩画に親しみ、帰国後は印象派の画家として評価される一方で、創作版画運動の先駆けとなるような木版画を制作するなど、油絵以外の分野でも新しい時代の美術を模索した作家ですが、これまで地元・広島以外では大規模な回顧展が開かれたことがなく、その仕事が広く知られているとは言えません。
本展は、文展・帝展・日展の出品作など、現存する南の代表作を網羅するとともに、イギリス留学時代に描かれた水彩画や、朋友の富本憲吉と切磋琢磨した木版画など、南薫造の全貌を伝える決定版の回顧展となります。

 

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2021.03.21

白川義員写真展 永遠の日本/天地創造

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「白川義員写真展 永遠の日本/天地創造」は、
東京都写真美術館で開催されています。

会期 2021年2月27日(土)~5月9日(日)
第一期 永遠の日本 2021年2月27日(土)~4月4日(日)
第二期 天地創造 2021年4月6日(火)~5月9日(日) 


「第一期 永遠の日本」を観てきました。
行ってみたい!
行けたとしても「こんな写真は絶対撮れない!」
そんな、プロがこだわりに拘った写真が130点展示されていました。

「永遠の日本」は日本人の誇りと魂を復興する一助になりたいとい う作家自身の願いが込められた、崇高で美しい日本の自然を紹介します。(HPから)

展覧会の構成は以下の通りです。

第1部 名山・名瀑
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《雌阿寒岳夕照》
北海道雌阿寒岳1499mをほぼ真北から航空撮影した。上部噴煙の向こう側の山が阿寒富士1477m。撮影は12月14日、午後4時少し前。最も日の短い季節のこのあたりは4時頃に日没を迎える。山や噴煙が黄からオレンジ色に色づくのは日没の20分前からで、撮影には絶好の時間となる。そのうち赤みが加わって赤いオレンジ色になる。日没直前、風景は赤く染まって一日が終わる。日没と同時に世界がグレーに暗転して死の世界になる。(本展解説書から)

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《浅間山》
長野県と群馬県の県境、上信越国立公園の南端にある。まだ残雪深い浅間山2568mを東南方向から4月18日午前10時頃空撮した。最高点は写真右上の外輪山の頂上である。(本展解説書から)

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《朝焼けの噴煙と満月 桜島》
撮影は2009年11月3日。日の出の頃に満月沈む月日と時間を調べて桜島に行った。この日はまだうす暗い頃に1回噴煙を上げ、これが2回目だった。噴火直後の写真も撮ったが、この写真を使用した。第一に晴天であること。第二に太陽が水平線から昇って山が赤く染まった時に噴火してくれること。第三の条件はその時、月が理想的な明るさで理想的な高さになくてはならない。総ての条件を満たすのは、ただ運次第という撮影になる。(本展解説書から)

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《剣岳黄変》
日の出直後雪山は赤色になった後オレンジ色から黄色に変わるが、写真はその赤色が完全に抜ける直前の黄変した剣岳だ。この時間にはコ ントラストも強くなる。その後この色彩も急激に失われて何の変哲もない薄黄になって終わる。(本展解説書から)

第2 湖沼・森林・巨木・渓谷・河川


第3部 高原・湿原
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《日光湯川》
奥日光湯の湖から落下した湯滝の水が、中禅寺湖まで12.4kmをゆったりと流れるのが湯川である。この水は中禅寺湖の近くで、もう一度 有名な竜頭の滝となって落下する。湯川は西の小田代原と東の戦場ヶ原を分けて流れていることでも知られている。上空から見ると川の流れにそって樹林があり、それが常緑樹と秋が来て紅葉した落葉樹が入り乱れて、しかも草原の草紅葉までもが加わって、豪華な色彩絵巻を繰り広げているように見えた。(本展解説書から)

第4部 海浜・島嶼 
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《流氷と知床連山》
網走と知床岬のほゞ中間点の上空から撮影した流氷と知床連山である。画面中央の一番高い山が羅日岳、左へ順に三ッ峰、サシルイ岳、 オッカバケ岳、次の平たい山が硫黄山。画面右端の低い山が天道山、その左方の一番低い所 が知床峠である。日本の風景は驚くほどに多彩である。春の新緑に紅葉があざやかな錦秋もあれば、全山真白い雪におおわれる冬山もある。 それにこの写真のように知床周辺の海が一面に流氷で一変する風景もある。(本展解説書から)

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《天草・龍仙島落日》
熊本県天章は大きく上島と下島に分かれる。 写真になる被写体は、下島の西海岸と南端の海岸や島々に集中している。写真は下島南端の牛深の港の南西8kmにある龍仙島を撮った。 今回4年間にわたって、日の出や日没の太陽を山や高原や海岸で相当量撮ったが、空撮も含 めて落日としてはこの写真の太陽が最も美しく写ったようである。(本展解説書から)



―HPの解説ー
世界的写真家で、山岳写真家としても輝かしい実を残す白川義員は、「地球再発見による人間性回復へ」を創作活動の基本理念として、地球がもつ 美や神秘、荘厳さを追求し続け、1969年出版の「アルプス』以来、『ヒマラヤ」『アメリカ大陸」「聖書の世界」『中国大陸」「神々の原風」「仏 教伝来』『南極大陸」『世界百名山」「世界百名湿」まで、10のシリーズを発表してきました。このたび、東京都写真美術館では白川義員の集大成と なる2つのシリーズを二期構成で紹介します。第一期シリーズ第11作目となる「永遠の日本」は日本人の誇りと魂を復興する一助になりたいとい う作家自身の願いが込められた、崇高で美しい日本の自然を紹介します。第二期シリーズ第12作目となる最新作「天地創造」は、アメリカ西部の砂 で、入域が1日わずか20人に限定されているザウェーブや、中国の湖南省張家界市に位置し「仙境」と呼ぶにふさわしい武検源など、いずれも 近年発見された地域や、「奇跡の絶景」といわれ最近話題の南米ウユニ塩湖などを中心に構成されています。白川が「アルプス」発表以降、50年以上 にわたり撮り続けてきた作品群の中から「天地創造」のイメージに合致する作品を一挙放出し、最新のデジタル技術とかつてないスケール感で再現し ます。地球の環境保全が重要視されている現代、自然が発する壮絶な感動と深遠なれを感じさせる作家身の作品が、東京都写真美術館で一堂に会 します。ぜひご期待ください。

 

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2021.03.19

散歩の途中で野鳥を撮ってみました(アセビとシジュウカラ)2021年3月

花に戯れる野鳥の姿を散見・・・・
そんな季節にワクワクしてます。

満開のアセビに、シジュウカラがやってきました。

(以下の画像はクリックで拡大表示になります)


アセビ
みんなの花図鑑 アセビ
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アセビとシジュウカラ
サントリー愛鳥活動 鳥百科 シジュウカラ
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熱海寒桜の花は散り始めましたが、メジロはまだ立ち寄ってくれます。
みんなの花図鑑 カンザクラ【寒桜】
サントリー愛鳥活動 鳥百科 メジロ
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2021.03.16

トーハク 特集展示 木挽町狩野家の記録と学習

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木挽町狩野家の記録と学習は、
東京国立博物館本館 特別1室・特別2室で開催されています。

会期 2021年2月9日(火) ~ 2021年3月21日(日)


トーハクならではの、派手さはないものの大変興味深い展示です。

室町時代中期から明治時代初期まで続いた、日本の絵画のもっとも代表的な流派の一つ狩野派・・・・
その狩野派の木挽町狩野派にスポットを当てた特集展示です。

京都を中心に活動していた狩野派でしたが、元和三年(1617)、探幽が江戸幕府に召され、その後、弟の尚信と安信も召喚されたのを機に、活躍の場を江戸へと移します 。 三人は幕府の画事を担う御用絵師に任ぜられ、旗本に匹敵する奥絵師の身分を与えられました。 このうち、尚信に連なるのが木挽町狩野家です。(本展パンフレットから、以下も同じ) 

木挽町狩野派の系図
(以下の画像はクリックすると拡大表示になります)
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四季山水図巻(山水長巻)(摸本)
原本は雪舟の代表作で16mを超える長大な作品。
吉宗は、所有者の萩毛利家に命じて享保10年(1725)「山水長巻」を江戸へ運ばせ、熟覧します。
その際、古信に模写させたのが本図です。


幕命による作画活動のほかに、奥絵師の重要だったのは教育と鑑定です。絵師集団木挽町狩野家の屋敷には門人育成のための画所が設けられ、そこでは模写を通じた画技習得プログラムが組まれました。

木挽町狩野派での門人教育
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また、将軍や大名が所有したり贈答に用いたりする名画には絵師の鑑定書である添状が不可欠でした。
鑑定を円滑に行うためには自分の中に鑑定の物差しをもっておくことが重要です。そこで大きな役割を果たしたのも模写です。

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(左)常信模写    (右)探幽模写
梁楷筆「鷺図」(静岡・MOA美術館蔵)を模写したもの。

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羅漢図 右から第七尊者、第十三尊者、第十二尊者(いずれも摸本)

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(左)魚籃観音図  (右)傅説図(摸本) 


当時、絵の主たる発注者であった幕府や大名家は常に前例を重んじていたため、絵師自身の独創性を発揮できる場は限られていました。
最後の章では、それでも新たな主題(新図)にに取り組む絵師たちの様子と、それらを支えた記録やスケッチを紹介しています。

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長篠合戦図屏風下絵

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雑画 第一帖
榮信や養信が描きためたスケッチを張り込んだもの。

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公用扣(こうようひかえ)
安永5年(1776)から文政5年(1822)までの木挽町狩野派の御用を記した記録。

 

展覧会の構成は次の通りです。

第一章 木挽町狩野家のはじまりと奥絵師の御用

第二章 鑑定と模写

第三章 記録から創造へ


―HPの解説ー
狩野派は室町時代中期から明治時代初期まで続いた、日本の絵画の最も代表的な流派の一つです。江戸幕府の御用絵師のなかでも、将軍への直じきのお目見えがかなう、旗本にも匹敵する身分を「奥絵師(おくえし)」といいますが、その筆頭を務め、画壇の中心的な役割を担ったのが木挽町狩野家です。

歴代当主は、江戸城内の障壁画や贈答用絵画の制作、古画の鑑定、将軍家の子女への絵画教育などに加え、屋敷内に「画所」を設け、全国から5、60人もの弟子たちを集め教育するなど、画壇において絶大な権威を誇りました。またその立場を最大限利用して、全国の大名や社寺が所有する古画・名画を取り寄せ、模写に励み、膨大な絵画情報を集積していたことが知られています。

当館にはこの木挽町狩野家に伝来した5000件近い模本や下絵が収蔵されています。中には、既に原本が失われてしまった貴重な模本のほか、鑑定の際の所感を記したメモや、生き生きとした自由な筆線が残されていて、当時の絵師の息遣いを知ることのできる絶好の資料となっています。本特集では、この膨大な木挽町狩野家伝来資料の一部を「記録と学習」というキーワードからご紹介いたします。本画とは異なる、模本や下絵ならではの魅力を発見いただければ幸いです。

 

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2021.03.13

写真家ドアノー/音楽/パリ

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「写真家ドアノー/音楽/パリ」は、
Bunkamura ザ・ミュージアムで開催されています。

会期 2021年2月5日(金)~3月31日(水)

「特に作品を作ろうとは思っていなかった。
私が愛するこの小さな世界を思い出を単純に残したかっただけだった」
                   ロベルト・ドアノー

代表作《パリ市庁舎前のキス》はあまりにも有名で、一度は見たことがあると言う人も多いはず。

「ドアノーの写真展ちょっとマンネリ感ありかな?」なんて思いながらでかけましたが・・・
思いに反して大変楽しい時間を過ごすことができました。

本展は、ドアノーが写真で切り取ったパリの音楽シーンをテーマごとに8章に分けて構成、
日本初公開作品を含む約200点を展示しています。

美術館の学芸員や図書館の司書といった真面目な人たちが、私の危ない橋を渡りながら撮り集めたこれらの写真を高評価する様子を見る時、年老いた不良少年のような私の中に得も言われぬ喜びが湧きおこるのを感じる。
                     ロベルト・ドアノー

 

展覧会の構成は次のとおりです。
第1章 街角
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《音楽好きの肉屋》1953年
アコーディオンを持つのは流しのヒエレッド・ドリオン 

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《パリ祭のラストワルツ》1949年
祭りの熱気の包まれたパリの写真を撮りつづけたドアノーが、この日一枚だけ残っていた最後のフィルムに収めたのがこの写真だった。


第2章歌手
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《レクリューズのバルバラ》1957年12月
レクリューズは1951年創業のビストロで、バルバラはレクリューズと契約を交わし、夜の公演を飾る「真夜中の歌手」として活躍した。
写真はスターになる前夜である27歳のバルバラ。翌年レクリューズと契約を交わした。

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《ポン・ド・クリメのジャック・プレヴェール》
夢、驚き、これらすべてはプレヴェールのおかげだ。
            ロベルト・ドアノー
シャンソン「枯葉」の作詞家で映画「天井桟敷の人々」の脚本家として知られる詩人ジャック・プレヴェールとロベルト・ドアノーが初めてあったのは1947年のこと。以来2人は生涯の友人となった。


第三章ビストロ、キャバレー
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《ル・プティ・サン=ブノアのマルグリット・デュラス》1955年
マルグリット・デュラスは、20世紀フランス文学を代表する女流作家。
デュラスが住むアパルトマンの前にあるビストロ、ル・プティ・サン=ブノアで毎日のように食事をしていたそう。


第4章ジャズとロマ音楽
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《アーサ・キット、サン=ジェルマン=デ=プレ》1950年
アーサ・キットは米国の歌手、女優。
4言語に堪能で、7つの言葉で歌った。

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《ジャンゴ・ラインハルト》1950年
ベルギー出身のジャズギタリスト。
両親は、ロマ音楽とスウィング・ジャズを融合させたジプシー・スウィングの創始者として有名。


第5章スタジオ
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《「トスカ」録音中のマリア・カラス、パテ・マルコーニレコードのスタジオにて》1963年
マリア・カラスはギリシャ系米国人のオペラ歌手。
20世紀最高のソプラノ歌手であるカラスの、パリのスタジオでの姿をとらえたポートレート。

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《イブ・モンタン》1949年 


第6章オペラ
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《バレー「カルメン」の衣装合わせ、ジジ・ジャンメールとイブ・サンローラン》1959年


第7章モーリ・バケ
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《雨の中のチェロ》1957年
パリ音楽院を主席で卒業したチェリスト、スキーヤー、登山家、俳優・・文字通りマルチな才能に溢れたモーリス・パケとドアノーが出会ったのは1944年秋、パリ開放直後のことだった。ドアノーと生涯の友人でした。
1981年に写真集「チェロと暗室のためのバラード」を発表。


第8章80-90年代
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《レ・リタ・ミツコ》1988年10月13日
ギタリストであるフレッド・シシャンと歌手のカトリーヌ・ランジェによるフランスのポップ・ミュージック・デュオ。

 

―HPの解説ー
パリを愛し、パリに愛された写真家の
音楽をテーマにした約200点を紹介!

フランスの国民的写真家ロベール・ドアノーは、パリを舞台に多くの傑作を生みだし、世界で最も愛され続けている写真家のひとりです。本展は、パリの街角にあふれるシャンソンやジャズなど様々な音楽シーンを題材に1930年代から90年代にかけて撮影された、ドアノー独自の音楽的感覚に富んだ作品約200点で構成されます。2018年末から2019年春にかけて、フランス・パリ19区にある“フィルハーモニー・ド・パリ”内の音楽博物館で開催され大好評を博した展覧会を基に、日本向けに再構成した巡回展がやってきます。


 

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2021.03.10

散歩の途中で野鳥を撮ってみました(メジロ) 2021年3月上旬

満開の熱海寒桜の枝に数羽のメジロが来てくれました。

落ち着きのない鳥で、視力、動体視力の衰えを感じる私にとっては望遠レンズで追うのが大変でした。

なんとか撮ることができました。

(以下の画像はクリックで拡大表示になります)
トリミングしています。

メジロ
サントリー愛鳥活動 日本の鳥百科 メジロ 
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ヒヨドリも来てくれました。
サントリー愛鳥活動 日本の鳥百科 ヒヨドリ 
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2021.03.08

散歩の途中で野鳥を撮ってみました(ツグミ) 2021年3月 

ツグミも、そろそろ今期は見納めなのでしょうか?

10月ごろシベリアから大群で渡ってくる冬鳥で、3月半ばごろになると再び群れて北に帰るそうです。

私は、散歩道の公園、川沿いの草むらで撮ることができました。

以下の写真は公園の梅林で夕方見つけて撮ったものです。

サントリー愛鳥活動 日本の鳥百科 ツグミ

(以下の画像はクリックで拡大表示になります)

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このツグミの写真を撮った、散歩道にある公園の梅林です。
上の写真とは別の日に撮影しています。

動画差し替えました(ピントがあまかったため)


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2021.03.06

テート美術館所蔵 コンスタンブル展

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テート美術館所蔵 コンスタンブル展は、
三菱一号館美術館で開催されています。

会期 2021年2月20日(土)~5月30日(日)

イギリスの風景画家というとターナーを思い浮かべる人が多いと思います。
展覧会には
たびたび海景を描いたダイナミックな作品が展示されてきました。

コンスタンブルは、ターナーの一歳年下の風景画家で、ともに自国の風景画を刷新し、その評価を引き上げたことで知られます。
コンスタブルは、
故郷サフォーク州の田園風景をはじめとして、家族や友人と過ごしたソールズベリー、ハムステッド、ブライトンなどの光景を描き続けました。(HPから)
本展には
両親、妻、親友、知人家族の肖像画も展示されていて、近年コンスタンブルの肖像画を再評価する向きもあるようです。

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ジョン・コンスタブル《自画像》1806年、グラファイト/紙 テート美術館蔵 ©Tate
コンスタンブルがロンドンで画家修業を始めてから7年後の1806年に制作された。

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《マライア・ビックネル、ジョン・コンスタブル夫人》1816年、油彩/カンヴァス テート美術館蔵 ©Tate
本作を描きサフォークに携えていったコンスタブルは彼女宛の手紙に「何があっても決してあなたの肖像画を手放したくありません。この絵を見ればあらゆる苦悩を負った私の心もすぐに落ち着きます」と書いています。(本展キャプションから)

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《雲の習作》1822年、油彩/厚紙に貼った紙 テート美術館蔵 ©Tate
コンスタンブルは1821年から1822年にかけて空の研究に精力を注ぎました。
コンスタンブルにとって、ハイステッドは理想的な場所となった。
コンスタンブルが描いた雲の習作の多くには、主だった天候状態に加えて、制作した日と時間の詳細が裏面に記されていました。

1821年に親友フィッシャー大執事に宛てた手紙の中で「空は自然界の『光の源』で、ありとあらゆるものを統べている」と記しています。


本展の目玉展示は以下の2点ですね。素晴らしい作品です。
二作品がそろうのは1832年の展示を除くと本展が3回目で、ロンドン以外では初めての展示だそうです。

二人の作品は、ロイヤル・アカデミー展において、並んで展示されました 。
ターナーは、コンスタブルの大型作品の隣に配されたことを知り、「ヴァーニシング・デー[最終仕上げの日]」と呼ばれる手直しの期間に、《ヘレヴーツリュイス》の右下方に鮮やかな赤色の塊を描き加えてブイの形に仕立て上げたそうです。一気に観客の視線を自作に引きつけようと画策したのです。(本展キャプションから)
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ジョン・コンスタブル《ウォータールー橋の開通式(ホワイトホールの階段、1817年6月18日)》
1832年発表、油彩/カンヴァス テート美術館蔵 ©Tate
1817年の夏、ロンドンのヴォータールー橋の開通式を見た画家は、現地で数点の簡略な鉛筆デッサンを残した。
しかし完成までには更に15年の歳月を要しました。

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J.M.W.ターナー《ヘレヴーツリュイスから出航するユトレヒトシティ64号》1832年、油彩/カンヴァス
東京富士美術館蔵©東京富士美術館イメージアーカイブ/DNPartcom

この作品のみ撮影可能です。(クリックで拡大表示になります)
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《虹が立つハムステッド・ヒース》1836年、油彩/カンヴァス テート美術館蔵 ©Tate
1820年代に、コンスタブルはハムステッド・ヒースでたびたびスケッチを描いた。
ハロウに向かって西の方向を見はるかすブランチ・ヒル池の眺めは、収集家の間できわめて人気の高い主題となったため、この構図を土台にした作品を何点も制作している。
本作品はこの主題を扱った最後の1点である。
初期のように自然主義にしたがって忠実に描くことはなく、本作品ではハムステッド・ヒースには存在したことのない風車が加えられている。虹もまた、コンスタブルの後期作品において際立った特徴となっている。(本展のキャプションから)


展覧会の構成は次の通りです。
1 イースト・バーゴルトのコンスタブル家
1.1 初期の影響と同時代の画家たち

2 自然にもとづく絵画制作
2.1 同時代の画家たちによる戸外制作

3 ロイヤル・アカデミーでの成功
3.1 ハムステッド、およびコンスタブルと同時代の画家による空の研究

4 ブライトンとソールズベリー

5 後期のピクチャレスクな風景画と没後の名声
5.1 ロイヤル・アカデミーでの競合

5.2 イングランドの風景

5.3 晩年


―HPの解説ー
19世紀イギリスの画家ジョン・コンスタブル(1776-1837年)は、一歳年長のJ. M. W. ターナーとともに自国の風景画を刷新し、その評価を引き上げたことで知られます。 ターナーが絶えず各地を旅して、国内外の景観を膨大な数の素描に収めたのとは対照的に、コンスタブルは、ひたすら自身の生活や家庭環境と密接に結びつく場所を描きました。 故郷サフォーク州の田園風景をはじめとして、家族や友人と過ごしたソールズベリー、ハムステッド、ブライトンなどの光景を写した生気あふれる作品の数々は、この画家が何を慈しみ、大切に育んだのかを雄弁に物語ってやみません。
日本では35年ぶりとなる本回顧展では、世界有数の良質なコンスタブルの作品群を収蔵するテート美術館から、ロイヤル・アカデミー展で発表された大型の風景画や再評価の進む肖像画などの油彩画、水彩画、素描およそ40点にくわえて、同時代の画家の作品約20点をご紹介します。 国内で所蔵される秀作を含む全85点を通じて、ひたむきな探求の末にコンスタブルが豊かに実らせた瑞々しい風景画の世界を展覧します。


寒桜でしょうか、コロナ禍の中、春の気配が・・・・
(クリックで拡大表示になります)
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2021.03.02

散歩の途中で野鳥を撮ってみました 2021年2月

散歩の途中で2月に出会った野鳥のまとめです。
(メンバー(野鳥の)あまり変わらいですが・・・)
今年いっぱいは継続してみるつもりです。

この散歩道での野鳥の生態系がある程度分かるかもしれません。 

(以下の画像はクリックで拡大表示になります)

ムクドリ
サントリー愛鳥活動 日本の鳥百科 ムクドリ
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ツグミ
サントリー愛鳥活動 日本の鳥百科 ツグミ
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セグロセキレイ
日本の鳥百科 日本の鳥百科 セグロセキレイ
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ハクセキレイ
サントリー愛鳥活動 日本の鳥百科 ハクセキレイ
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チュウサギ
サントリー愛鳥活動 日本の鳥百科 チュウサギ
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アオサギ
サントリー愛鳥活動 日本の鳥百科 アオサギ
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モズ
サントリー愛鳥活動 日本の鳥百科 モズ
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カワセミ
サントリー愛鳥活動 日本の鳥百科 カワセミ
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