特別展「日本のたてもの―自然素材を活かす伝統の技と知恵」 塔婆建築、古代の仏堂、中世の仏堂①
特別展「日本のたてもの―自然素材を活かす伝統の技と知恵」は、
東京国立博物館 表慶館で開催されています。
会 期 2020年12月24日(木)~2021年2月21日(日)
建築模型とパネル解説で、古代から近世までの日本建築の成り立ちについて紹介する企画展です。
展覧会の構成は以下の通りです。
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塔婆建築
「塔」は、サンスクリット語の「ストゥーパ」を音訳した「卒塔婆」が略された語である。その原初的な形態はインド中部の仏教遺跡、サンチーの仏塔に残る。わが国には仏教と共に朝鮮半島を経て伝わった。
ストゥーバ本体の形態は、塔の頂部に載る相輪の露盤、伏鉢、九輪に象徴的に残されている。わが国には法隆寺五重塔や法起寺三重塔を最古とし、近世まで各時代の木造多重塔が現存する。
わが国の木造塔はほとんどが五重塔及び三重塔で、外観が一定の規格を保持してきたのに対して、構造の方は時代と共に変化してきた。心柱は掘立柱式から地上式になり、近世には心柱を鎖で吊り下げるような構造が考案された。軸部の構造も、各重を下から一重ずつ順に積み上げる方式から、軸部と組物を組み上げてから軒を付ける方式に変化する。こうした構造の変化は軒の出や平面の逓減率、立面の比例などに大きな影響を及ぼした。
多宝塔は平安時代に入って密教の導入と共に初めて現れる塔の形式で、円筒状平面で頂部が饅頭形をした塔身に方形造の屋根を架けた形式を宝塔と呼び、これに裳階を付けたものが多宝塔と説明される。(本展の解説パネルから)
法隆寺五重塔(1/10模型)1932年制作 制作者 岸熊吉、西岡常一ほか 東京国立博物館所蔵 原建物 飛鳥時代6-7世紀/国宝
一乗寺三重塔(1/10)模型 1975年制作 製作者 京都科学標本 国立歴史民俗博物館所蔵 原建物 平安時代 承安元年(1171)/国宝
石山寺多宝塔(1/10模型) 1963年製作 製作者 伊藤平左ェ門建築事務所 東京国立博物館所蔵 原建物 鎌倉時代(建久5年(1194)/国宝
古代の仏堂
仏教伝来にともなって大陸の建築様式が伝わり、百済の工人による飛烏寺の造営をはじめとして、法隆寺・四天王寺・山田寺などの寺々が建立された。法隆寺では違く北魏に源流があると考えられる要素がみられ、四天王寺では後の禅宗様と共通する扇垂木の使用、山田寺では後の大仏様と共通する手法も確認されており、この時期には大陸各地の様々な様式が流入したことが窺える。
大陸伝来の建築様式は、礎石の上に柱を立て、組物をおき、屋根に瓦を葺き、木部に彩色を施し、要所に飾金具を打つなど内外に莊酸を施こしたものであった。寺院建築は大陸文化を目の当たりに具現したものとして全国各地に伝えられ、7世紀には200近い寺院跡が認められる。
平城京に都が移ると、南都六宗寺院が建立され、唐の様式を基にして唐招提寺金堂に代表されるわが国の寺院建築様式が確立、その後長くわが国の建築様式の基本となる。
平安時代に天台・真言の2宗が伝来すると、三昧堂、灌頂堂、五大堂、護摩堂などの仏堂が現れ、また平安時代末期には浄土信仰の隆盛に伴って平等院鳳凰堂(京都)など華麗な荘厳を施した弥陀堂が各地に建立される。仏堂に床を張り、野屋根を設け、檜皮葺を用いるなど、わが国の風土に合わせた独自の変化が見られる。(本展の解説パネルから)
唐招提寺金堂(1/10模型) 1963年製作 製作者 伊藤平左ェ門事務所 東京国立博物館所蔵 原建物 奈良時代 8世紀/国宝
中世の仏堂①
鎌倉時代には、全国各地に和様の仏堂が建立される一方、新たに宋から伝来した大仏様と禅宗様の仏堂が建立され、その様式は和様にも大きな影響を及ぼした。兵火により焼失した興福寺は伝統的な和様による再建を果たしたのに対して、東大寺は大勧進重源により南宋から移入した模式が用いられた。
大仏様と呼ぶこの様式は、貫を多用して軸部を固め、挿肘木で軒を支え、円形断面の太い虹梁と束で小屋組を受けるものである。重源没後に大仏様は衰えるが、大規模建築に有利なことからその構造手法は近世にも教王護国寺金堂(京都)、東大寺大仏殿(奈良)などに応用された。
禅宗が伝来して新興勢力であった武家の信仰を得たことから、京都・鎌倉の五山をはじめ全国に禅宗寺院が建立された。禅宗仏殿には宋の正統的な建築様式が用いられ、軸部に貫を多用し、装飾的な木鼻を設け、組物は柱位置ばかりでなく中備にも用いた詰組とし、軒は垂木を放射状に配る扇垂木とし、建具は桟唐戸、窓は花頭窓とする。総じて木割が細く、整然とした様式であり、禅宗様と呼ばれた。
伝統的な和様仏堂は、宋の様式の影響を受けて装飾的細部を備えるとともに、軸部を貫で固め、構造的な強化が図られた。また、野小屋には軒の荷重を受けるための天秤の役割を果たす桔木を用いるようになる。小屋組が堂内にそのまま現れる古代以来の化駐屋根裏の構造と異なり、天井裏で梁の架構が自由に行えることから、礼拝空間を広く設けた奥行の深い平面構成が可能となった。(本展の解説パネルから)
東大寺鐘楼(1/10模型) 1966年製作 製作者 尾田組 東京国立博物館所蔵 原建物 鎌倉時代 承元年(1207-1211)/国宝
長寿寺本堂(1/10模型) 1987年製作 製作者 大栄土建工業、和田安弘ほか、 国立歴史民俗博物館所蔵 鎌倉時代前期 12-13世紀/国宝
神社
住宅の歴史
書院と茶室
民家
中世の仏堂②/近世の仏堂
門・舎
城郭・宮殿
(HPの解説)
日本の伝統建築は、日本の自然や社会的条件に適応しながら、変化と多様化を遂げてきました。寺院、神社、住宅、城郭など、日本建築特有の造形を備えたかたちが生まれ、現在までその姿を残すものも数多く存在します。政府・文化庁は2018年より、国連教育科学文化機関(ユネスコ)にて、「伝統建築工匠の技:木造建築物を受け継ぐための伝統技術」を無形文化遺産へ登録するための活動を進めています。
本展は、1964年の東京オリンピックに併せて当館で開催された「日本古美術展」出品模型や、文化庁が国宝・重要文化財建造物を修理する際に、形態、技法などを検討し、その技を伝承するために製作してきた模型を活用し、古代から近世までの日本建築の成り立ちについてご紹介します。
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