壁に世界をみるー吉田穂高展
壁に世界をみるー吉田穂高展は、
三鷹市美術館ギャラリーで開催されています。
会期 2019年12月7日(土)〜2020年2月16日(日)
どこかで見たことのある、記憶に残っている版画・・・
そして吉田博の次男であることを知ったことがきっかけで見に行きました。
「穂高」は、山を愛した画家、版画家であった博のこだわりの命名なのでしょうね。
本展には、スケッチブック(吉田博、兄の遠志、穂高)や吉田博手製のカードゲーム、漢詩かるたの展示もありました。
両親と兄も画家という家庭に育った穂高は、学生の頃は現代短歌に傾倒しますが、やがて独学で油彩を始めます。1950年前半には短歌を離れ、版画製作へと軸足を移します。
55年に兄と共に訪れたアメリカ、・中南米への旅行をきっかけに、45以上の国を訪れた旅の画家でもありました。
そこで、見た何気ない風景を収めた写真を元に作り始めた作品が、木版に写真製版を併用した独自の手法による作品です。
まさに、吉田穂高の個性が現れた作品・・・本展には、大判の作品が多数展示されていて、充実した鑑賞となりました。
《サンミゲル旧一番通り》1987年 亜鉛凸版・木版、紙
展覧会の構成は、次の通りです。
Ⅰ.誕生から形成期
《秋》1948年 油彩、カンヴァス
《Old City Mud Wall》1954年木版、紙
Ⅱ.メキシコとの出会い(1950年代中頃-60年代前半)
《地佑(黒い輪 No.3)》1961年 木版、紙
《呪術者》1956年 モノタイプ木版、紙 東京国立近代美術館蔵
Ⅲ.コラージュと写真製版(1960年代後半-70年代)
《湖畔の神話 A)1970年 シルクスクリーン、紙 町田市立国際版画美術館蔵
《町外れの神話、昼》1977年 亜鉛凸版、木版、紙 町田市立国際版画美術館蔵
Ⅳ.私のコレクション(1970年代末-没年・1995年)
《新しい壁の中の古い壁》1982年 亜鉛凸版、木版・紙
《赤の壁》1992年 亜鉛凸版・木版、紙 三鷹市美術ギャラリー蔵
《赭の壁、B》1995年 亜鉛凸版・木版、紙
ーHPの解説ー
𠮷田穂高(1926-1995)は旅を愛し、45カ国以上の地を訪れた版画家です。旅先で彼の心をとらえたのは名所風景ではなく、その土地に息づく無名の壁や塀、柱、標識、家といった身近な対象物でした。穂高の画風は時代ごとに大きく変化していますが、こうした対象物への偏愛は創作活動と並行して継続し、彼が旅先で撮影した膨大な写真のコレクションはやがて穂高の作品世界を創る際に欠くことのできない要素となっていきます。
穂高の創作活動に大きな影響を与えたのは、「𠮷田家」という家族の存在です。父は太平洋画会の創立に関わった洋画家で後年は版画家となった𠮷田博、母は女流画家の𠮷田ふじを、15歳年上の兄・遠志も画家への道を歩み、世界を旅する「美術一家」のなかで成長しました。中学時代に開戦となり、徴兵猶予のため1944年旧制第一高等学校理系に進学。そこで現代短歌へ傾倒し、家族に習うことなく独学で油彩を始めます。
戦後は短歌活動のほか日本アンデパンダン展などに油彩画を出品し、画家としての一歩を踏み出しますが、50年代前半には短歌から離れて活動の軸足を版画に移します。
55年兄とともにアメリカ・中米を旅行した際、古代マヤ文明に強い衝撃を受け、この後は生命感をテーマにした力強い抽象木版画へと作風を変化させていきます。
63年に再び渡米した際には、当時全盛であったポップアートに触発され、木版に写真製版を併用した独自の技法を開拓します。
72年にはオーストラリアで撮影したスナップ写真を素材にした作品を制作し、『私のコレクション』シリーズを開始します。それまで撮り溜めた各地の写真を素材にしたこのシリーズには、アトリエがある三鷹市井の頭で取材した題材も描かれています。
本展では、穂高の没後25年を機にこれまで紹介されていなかった油彩画や初期版画作品にも注目し、その原点から晩年にいたる作品をご紹介します。もの云わぬ〈壁〉と語り、無限に広がる世界をみた𠮷田穂高の感性は、今なお新鮮な輝きを放っています。
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