パリ世紀末ベル・エポックに咲いた華 サラ・ベルナールの世界展
パリ世紀末ベル・エポックに咲いた華
サラ・ベルナールの世界展は、
渋谷区立松濤美術館で開催されています。
会期 2019年12月7日(土)~2020年1月31日(金)
ロートレックの元恋人?
サラ主演の『ジスモンダ』のポスターで一躍時の人となったミュシャ。
ルネ・ラリックとサラ・・・などなど、過去の展覧会などから、
断片的に覚えていたサラ・ベルナール、
その全貌を紹介する展覧会です。
《大女優サラ・べルナール》
W. & D. ダウニー《『テオドラ』でのサラ・ベルナール》1884 年 写真 ダニエル・ラドゥイユ・コレクション
1862年に国立劇場コメディ=フランセーズでデビュー、その後はオデオン座に移籍し、女優としてのキャリアを積みました。
1872年に出演したヴィクトール・ユゴーによる戯曲『リュイ・ブラース』での演技が高く評価され彼女は国民的人気を獲得します。
1880年に自らの名を冠した「サラ・ベルナール劇団」を立ち上げ、1899年にはパリ市立劇場を借り上げて「サラ・ベルナール座」とします。
そして、サラ・ベルナールは、興行主であり監督兼俳優としての地位を不動のものとしていきました。
さらには精力的に海外公演を行い、国際的な大女優のさきがけとなったとされます。
ジャック・ドゥーセ《イブニングドレス》19世紀末 個人蔵
サラが活動した当時のフランスは「ベル・エポック(良き時代/美しき時代)」と呼ばれる華やかな時代でした。それはポスター芸術の黄金期でもありました。
《サラ・ベルナールとアルフォンス・ミュシャ》
サラ・ベルナールの舞台「ジスモンダ」は好評で、年明けの再演が決まっていました。
再演告知のポスターを作らなくてはなりませんでしたが、クリスマス休暇で主だったデザイナーはいません。
パリ中を探したサラは、仕方なく、休暇をとったデザイナーの代わりに出社していた無名のミュシャにポスターの依頼をします。
ミュシャは年末の数日間でポスター「ジスモンダ」を完成させます。
出来上がったポスターを見たサラは、その素晴らし出来栄えに興奮を抑えられなかったそうです。
街に貼られたポスターは、すぐに持ち去られ、ミュシャは一躍時の人になりました。
サラと6年間の専属契約を結んだミュシャは、その後も次々とサラ主演の公演ポスターを制作しました。
アルフォンス・ミュシャ《ロレンザッチオ》1896年 堺アルフォンス・ミュシャ館蔵
1891年もしくは1894年にラリックはサラと知り合います。
サラがプライベートや舞台上でルネ・ラリックの装飾品を身に付けたことで、ラリックは世間の注目を集めることになりました。
デザイン:アルフォンス・ミュシャ/制作:ルネ・ラリック《舞台用冠 ユリ》1895年 箱根ラリック美術館蔵
サラ・ベルナールは、画家たちにインスピレーションを与えるミューズでもあるとともに、自ら著作の出版や、芸術家として彫刻を制作するなど多様な分野で活躍しました。
アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック《サラ・ベルナール(H・アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックによる俳優13人の肖像画〉連作から)》1898年 個人蔵
サラ・ベルナール《キメラとしてのサラ・ベルナール》1880年頃 エタンプ市美術館蔵
展覧会の構成は次の通りです。
第1章 サラ・ベルナールの肖像 ―女優、時代の寵児として
第2章 パトロンとしてのサラ・ベルナール ―ミュシャ、ラリックとの関係
第3章 サラ・ベルナールとその時代-ベル・エポック
第4章 サラ・ベルナール伝説
—HPの解説ー
フランス出身の女優、サラ・ベルナール(1844*‐1923)は、19世紀半ばから20世紀初頭にかけて活動しました。パリで女優として成功を収めた後は、ヨーロッパ諸国やアメリカなどフランス国外にも活躍の場を広げました。また、自らの一座を立ち上げ劇場経営にも携わったほか、アーティストとして彫刻作品の制作を行うなど、生涯にわたって幅広い活躍を続けます。
サラは画家アルフォンス・ミュシャ(1860‐1939)や宝飾デザイナーのルネ・ラリック(1860‐1945)など、若き芸術家たちの才能をいち早く見出し、パトロンとしてその活動を庇護したことでも知られています。このようにサラはのちにアール・ヌーヴォーの旗手となる芸術家たちが大成する素地を作っただけでなく、そのデザインの成立にも深く関わった人物であったことがわかります。
本展は、サラの人生を当時の貴重な写真や肖像画、舞台衣装や装飾品のほか、ミュシャやラリックによる作品をもとに通覧する、日本初の展覧会です。また、彼女が生きたベル・エポックの時代に制作された華やかなポスター作品なども展示し、サラ・ベルナールの世界を多面的にご紹介します。
*サラの生年については諸説ありますが、本展では1844年に生まれたとする説を採用しています。
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