カミーユ・アンロ|蛇を踏む
「カミーユ・アンロ|蛇を踏む」は
東京オペラシティ アートギャラリー[3Fギャラリー1, 2]で開催されています。
会期 2019年10月16日(水)〜 12月15日(日)
彼女の興味の、その広大な領域の一端に触れたのみ・・・というのが正直な感想ですが、
存在感は大いに認識しました。記憶に残る展覧会でした。
熱心に観てきたのは、展覧会場はじめの展示、〈革命家でありながら、花を愛することは可能か〉です。
草月流のいけばなに触発され、2011年から継続的に制作されているシリーズ。シリーズのタイトルは、マルセル・リーブマンによるレーニン伝の一節からとられたものであることをはじめ、作品はそれぞれ一冊の本に由来していて、題名や著者、花材名、本の一節が作品とともに展示されます。「花に翻訳された本の図書館」ともいうべきシリーズです。(HP展覧会についてから)
いけばな制作協力:本江霞庭、中田和子(いけばな草月流)
蛇を踏む
川上弘美
「踏まれたらおしまいですね」と、そのうちに蛇がいい、それからどろりと溶けて形を失った。
美しさと哀しみと
川端康成
大木を思わせる言葉は、数知れずあるだろう。
見るもの聞くものが大木につながるのは、
音子が生きていることにほかならないのであった。
源氏物語
紫式部
似つかわしからぬ扇のさまかな
ゴッホの手紙 テオドル宛
ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ
理想的には八十まで生きるだけの強固な体質と、それとほんとんじい
純良な血をもつ必要がある。もっと幸福な芸術家の世代が来ることを予想できたなら、
おそらくお互いの心のなだめになるだろう
道徳の系譜
フリードリッヒ・ニーチェ
お菊さん
ピエール・ローチェ
心理学と宗教
C.G.ユング
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〈アイデンティティ・クライシス〉展示風景
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《青い狐》展示風景
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《偉大なる疲労》2013年ヴィデオ
国立スミソニアン博物館で特別研究員として行ったアーカイヴ調査にもとづいて制作された作品。
2013年第55回ヴェネチア・ビエンナーレ銀獅子賞受賞作品。
—HPの解説—
1978年フランス生まれのカミーユ・アンロは、映像、彫刻、ドローイング、インスタレーションなどさまざまなメディアを駆使して「知」と「創造」の新しい地平を探求する作家です。作品は旺盛な好奇心に突き動かされた直観とリサーチにもとづき、理性と感覚の間を行き来する自由さにあふれています。アンロの関心は、文学、哲学、人類学、デジタル化された現代の情報化社会をはじめ、世界のあらゆるものに開かれています。しかしそれらを情報としてただ受け取るだけではなく、自分なりに咀嚼し、理解することによって広義の教養(すべてのものから学び、内在化したうえで活かすもの)として、天地万有的(ユニバーサル)ともいえる秩序と混沌の両義性をもった作品へとおおらかに昇華させるのが、アンロの最大の魅力です。
こうした彼女の制作は、2012年のオクウィ・エンヴェゾー芸術監督によるトリエンナーレ「極度の親密性(Intense Proximity)」への参加、また映像作品《偉大なる疲労》で2013年第55回ヴェネチア・ビエンナーレの銀獅子賞を受賞したことで国際的に知られることとなり、2017年にはパレ・ド・トーキョー(パリ)にて、全館を使った"carte blanche"(全権委任・自由裁量)の個展開催の権利を与えられた史上三人目の作家となるなど、現代美術家としておおいに注目を集めています。
日本においてアンロの作品は映像を中心に紹介されてきました。本展は、大型のインスタレーション作品を含めた作家のこれまでと現在を、日本で初めて総合的に展示する機会となります。いけばなに触発された作品は、草月流の全面的な協力によって会場で制作され、日本での個展ならではの試みとなります。
彼女のあくなき知への冒険を共にたどる今回の展示は、私たちの身の回りをはじめとする世界への視点、そして知識・教養とはなにかを考えさせてくれるでしょう。情報化された現代社会において、情報自体を手に入れることは以前よりずっとたやすくなりました。しかしその分、ひとつひとつの情報をその来歴や背景を含めて読み込み、大切に扱う姿勢を失ってしまった部分があるかもしれません。アンロの探究は「知りたい」という素直な欲求にもとづくものですが、その作品からは、人類が築いてきた知の体系と、それに吸収され得ない未知の領域、あるいは言語化し得ない側面があることを、等しく尊ぶ姿勢が見てとれます。ひとつひとつのものごとを問うことにはじまり、さらに異なる視点で見てみようと問い続ける態度は、彼女の世界との向き合い方の特徴です。この終わりのない探求に彼女自身が喜びを感じていて、それが対象への敬意によって裏打ちされていることは、作品の随所で見ることができるでしょう。
アンロの作品の数々を通して、探求の先の答えは一つに収斂されることはなく、さまざまな矛盾や多義性の混沌のなかにこそ世界の理(ことわり)と創造の源があることを体感していただけることでしょう。
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