バスキア展 メイド・イン・ジャパン
「バスキア展 メイド・イン・ジャパン」は、
森アーツセンターギャラリーで開催されています。
会期 2019年9月21日(土)~ 11月17日(日)
バスキアを知ったのは、作品からというより、映画が先と記憶しています。
バスキア作品、単品では何度か見てきましたが、大規模展ということで楽しみにしていました・・・と言うものの会期末の参戦ですが。
タイトルの通り、日本との関係を意識しての企画展です。
日本に訪れたときに立ち寄ったレストランに描かれたもの(1点)もあったり、ひらがな、YEN、仏塔の図像が描き込まれた作品もなかにはあります。
この展覧会
会場に出展目録は置かれていません。
章立てにもなっていません。
作品ごとのキャプションもなしです。
その代わりなのでしょうか、音声ガイドが全員に配られます。
会場内は基本的に撮影不可ですが、撮影可の作品もあります。
以下にその作品のなかから紹介します。
ジャン=ミシェル・バスキア
オニオンガム 1983年 カンバスにアクリル、オイルスティック
Courtesy Van de Weghe Fine Art, New York
1970〜80年代、家電、電子機器、おもちゃなど、アメリカの生活のさまざまなシーンにMADE IN JAPANが入り込み、若者の生活、ポップ・カルチャーにも大きな影響を与えました。「オニオンガムを噛んであなたの口はオニオン風」(英文)と書いてあり、青白い顔の男?が舌を出しています。
バスキアは「何を言いたかったのでしょう?」
バスキアは作品の多くに、画像の他に文字を書き入れる手法をとっています。
文字も画像も直接的でなく、その抽象表現に、観る側は立ち止まって思考を巡らせます。(何が言いたいの?)
作品そのものに、人の視線を引き付ける力があるのは勿論ですが・・・
「山水画の魅力の一つは、鑑賞者がその景色に入り込める」ということにあるようですが、この展覧会の作品については、街中の壁面やガレージに描かれていることをイメージして観てきました。
27歳で早世したバスキア、ヘロインの過剰摂取によるものということです。
常に意識の中にあったウオーホルが亡くなった翌年のことでした。
ウォーホルとバスキア共同制作作品も1点展示されています。
1980年という時代感覚を思い起こしての観賞でもありました。
ジャン=ミシェル・バスキア
無題 1982年 カンバスにオイルスティック、アクリル、スプレー
Yusaku Maezawa Collection, Chiba
チラシに使われた作品。ZOZOの創業者前沢さんが、1987年サザビーズのオークションで約123億円でで落札した、そのことで注目された?作品ですね。
ジャン=ミシェル・バスキア
フーイー 1982年 カンバスにアクリル、オイルスティック
高知県立美術館
バスキアの作品には王冠も度々登場します。
ジャン=ミシェル・バスキア
自画像 1985年 木製パネルにアクリル、オイルスティック、瓶の蓋
個人蔵
バスキアは、自画像をほとんど描いていません。瓶キャップの羅列の隙間に着色、白い文字が・・・
ジャン=ミシェル・バスキア
ナポレオン 1982年 木枠にマウントしたキャンバスに悪」アクリル、オイルスティック
個人蔵
100万円、対豚肉・・・???
ジャン=ミシェル・バスキア
メイド・イン・ジャパン1 メイド・イン・ジャパン2
1982年 カンバスに貼った紙にアクリル、オイルスティック
個人蔵
携帯電話?ヘッドホン?
ジャン=ミシェル・バスキア
消防士 1983年 カンバスにアクリル「、オイルスティック
北九州市立美術館
北九州市美術館は、この作品を1984年に375万円で購入したそうです。この展覧会の中で比べても、いい作品だと思いますが。
絵画(アート作品)の価値、評価ってこうなんですね、改めて実感。
高知県立美術館、大阪中之島美術館、福岡市美術館、世田谷美術館も大作を出品しています。ちなみに福岡市美作品は、2600万円だったそうです。今だとどのくらいに?
ジャン=ミシェル・バスキア
炭素/酸素 1984年 カンバスにシルクスクリーン、アクリル、オイルスティック
Hall Collection
ジャン=ミシェル・バスキア
プラスティックのサックス 1984年 キャンバスにアクリル、オイルスティック、コピー
agnès b. collection
「トーヨーのおりがみ」「安心してこ」などの文字が書き込まれて・・・
ジャン=ミシェル・バスキア
無題(ドローイング) カンバスに紙、アクリル、コラージュ、オイルスティック
Collection of Laryy Warsh
—HPの解説—
バスキアの作品を注意深く見ると、その多くが中心となるものを真ん中に置くという感覚が薄く、画面上でどの部分もわりと平等に取り扱われていることに気づく。また、イメージや文字が自由に散りばめられているのは、サイ・トゥオンブリーやフランツ・クラインから強い影響を受けていたと言われるバスキアが、ストリートのグラフィティ・アート的なアクションをキャンバス上に持ち込んでいたと考えていいのかもしれない。
1980年代のアートシーンに、彗星のごとく現れたジャン=ミシェル・バスキア。
わずか10年の活動期間に、新たな具象表現的な要素を採り入れた3,000点を超すドローイン グと1,000点以上の絵画作品を残しました。その作品は、彼自身の短い人生を物語るかのように、非常に強烈なエネルギーであふれているだけでなく、20世紀のモダニズム美術の流れを踏まえ、ジャズやヒップホップ、アフリカの民俗や人種問題など、黒人画家ならではの主題を扱っています。そのため、没後ますます名声が上昇し、今や20世紀美術最大の巨匠の一人として確固たる地位を占めるにいたりました。
本展では、バスキア研究の世界的権威ディーター・ブッフハート氏が、こうしたバスキアと日本との多方面にわたる絆、そして日本の豊かな歴史や文化がその創作に及ぼした知られざる影響を明らかにします。世界各地から集めた約130点の絵画やオブジェ、ドローイングで構成された、日本オリジナルで、日本初となる本格的な展覧会です。
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