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2019.10.18

士 サムライ―天下太平を支えた人びと―

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「士 サムライ―天下太平を支えた人びと―」は、
江戸東京博物館で開催されています。

会期 2019年09月14日(土)〜11月04日(月)

士業(弁護士、税理士・・・・)という言葉がありますが、由来は「日本の近代国家創成期に、専門資格職業に従事する者が主にサムライと呼ばれる基礎教育を受けた武士に多く、その職能資格を取得したためとも言われる 」そうです。
サムライイメージの一面ですね。

この展覧会では、現代のサムライイメージの原点である江戸時代のサムライ=〝士〟の暮らしや仕事のありさまから、
徳川将軍の居所として、当時、世界有数の大都市であった江戸の風景の中で、サムライがいかに活動していたのか、江戸時代の人びとが見聞きし親しんでいた生のサムライの生活を紹介しています。


展覧会の構成は以下の通りです。(写真は主催者から特別の許可を頂いて撮影しています)
プロローグ ―都市のサムライ―
天下統一を果たした徳川家康が城下町江戸の建築を始めます。
大都市江戸には、将軍や大名の家臣など多様なサムライが役人として活動し、消費生活を支える庶民と入り混じって生活していました。
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上野花見・両国川遊図屏風 江戸時代前期・17世紀〜18世紀初頭頃 江戸東京博物館
上野は満開の桜に、大勢の人々で賑わい、隅田川には涼を求めて多くの船が集まっています。
その中にはサムライも登場します。両刀差しのサムライに脇差しや槍持の人物が伴っています。

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皇朝庶人風俗沿革全図 塚本岩五郎画/東京造画館発行 明治33年(1900)8月25日 江戸東京博物館
小学校などの教材として用いられた掛け図の一種で、武人、庶民、婦人の風俗について上古から明治時代までの変遷をまとめたもの。


第1章 士 変容 ―武人から役人へ―
徳川家康の天下統一から2世紀以上にわたる天下泰平の都が続くことになる。
時代が転換する中で、サムライたちは、戦場で武功を求める武人から政務を執行する役人となっていった。
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諸卒出立図巻 江戸時代18世紀 東京国立博物館
雑兵たちの役割や姿を絵巻にしたもの。雑兵とは一般的には、身分の低い兵卒のことをいう。彼らがまとう陣笠や足軽胴の描写で雑兵の階層差を表しています。

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(左)徳川家康像 江戸時代  (右)江戸城年始登城風景図屏風 佐竹永湖画 明治31年(1898)頃 何れも江戸東京博物館
家康の前に狛犬が配されています。典型的な「東照大権現像」です。
屏風絵は、大名たちの年始登城で大賑わいとなる江戸城の下馬先が描かれています。

第2章 士 日常 ―実生活のあれこれ―
サムライとて同じ人間、功業や事件の狭間では 決まりきった日常生活がありました。
この章では江戸の風景を撮った写真が沢山展示されています。チラシの写真は「薩摩藩士の役人」をフェリーチェ.ベアトが撮ったものです。
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「久留米藩士江戸勤番長屋絵巻」酒宴の図 三谷勝波筆/戸田熊次郎序 明治時代 江戸東京博物館

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(左)薩摩の屋敷   (右)有馬屋敷

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朱房付十手 懐中煙草入れ 煙管・煙管入れ 都築家伝来 江戸時代後期 江戸東京博物館

遠山の金さん(遠山景元)縁の展示品
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遠山金四郎景元 19世紀後半 千葉県立中央博物館 (軸には当山の金さん晩年の姿が描かれています)
紺絲威胴丸 遠山左衛門尉景元所用 江戸時代後期 靖国神社遊就館 (子孫に伝えられた遠山景元の具足)
(右の軸)一行「所宝惟賢」大岡忠相筆 江戸時代中期 浄見寺  (大岡忠相自筆の家訓)


第3章 士 非常 ―変事への対応―
「火事と喧嘩は江戸の華」といわれるほど火事は頻発したのですが、実は水害多発地域でもありました。図らずも、残念なことに。今回の東京都市部での水害で思い返すことになってしまいました。
戦場から遠ざかった江戸のサムライたちは、武人から役人に変わったこともあり、庶民を守るために災害現場での活躍を担う存在にもなっていました。
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(左)山吹絽地桐紋入り火事装束 羽織・胴当・石帯 (右)火事装束 桐紋付兜 対馬宗家伝来 幕末〜明治時代初期 江戸東京博物館


第4章 士 交流 ―諸芸修養と人材交流―
江戸時代のサムライは文武両道が求められました。なかには俳諧、戯作、絵画、文芸、囲碁、将棋などの趣味や娯楽に熱心に取り組み文化人として活躍する者も出てきました。また、同じ学問や趣味を共有できる有能な庶民から取り立てて、サムライとしての処遇を与え、統治業務の一旦を担わせることもありました。
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(上)歌川広重遺言状 九月二日付 安政5年(1858)9月2日 江戸東京博物館
(下)歌川広重遺言状 九月三日付 安政5年(1858)9月3日 江戸東京博物館
辞世の句が記されています「東路へ筆をのこして 旅のそら 西のみ國の 名ところを 見む」

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(左)物類品隲 平賀源内著 宝暦13年(1763) 江戸東京博物館
(右)紅毛雑話 平賀源内著 天明7年(1787) 江戸東京博物館
 紅毛雑話には、エレキテル実験の様子が描かれています。



第5章 士 一新 ―時代はかけめぐる―
ペリー率いる艦隊の浦賀来航、翌年の日米和親条約の締結。五カ国との通商条約締結。諸外国との関係拡大により、交渉のため、また使節としてサムライたちは海をわたることになります。(若き日の福沢諭吉の写真も展示されていました)
国内では激しい政治抗争、そして戊辰戦争により江戸幕府は倒壊します。
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午砲 幕末 江戸東京たてもの園
江戸湾を守るために配備された火砲は皇居内旧本丸に移され、正午を知らせる時報として使われました。

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書額「海舟書屋」 弘化元年(1844)頃 江戸東京博物館
佐久間象山宅に掛けられたものを勝海舟が気に入り、譲り受けたもの。海舟の号はこれにちなむ。
勝海舟の妹は象山の正室。



エピローグ ―サムライ、新たな生き様―
明治維新後、主君に仕えて俸禄を受け、帯刀を許され庶民を支えた江戸のサムライは終わりをとげ、新たな生き様を模索していくことになります。
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和装西洋男女図 明治時代前期 江戸東京博物館

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侯爵大礼服 西郷寅太郎所要 明治35年(1902) 江戸東京博物館

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当時、最大の武家人口を誇っていた都市江戸と、その近郊に暮らしたサムライの姿を絵画、資料、古写真、道具類約200点(展示替えあり) で再現しています。

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