サントリー芸術財団50周年 黄瀬戸・瀬戸黒・志野・織部 -美濃の茶陶
「黄瀬戸・瀬戸黒・志野・織部 -美濃の茶陶」は、
サントリー美術館で開催されています。
会期 2019年9月4日(水)~11月10日(日)
「黄瀬戸・瀬戸黒・志野・織部」
とても語呂がいいですね、すぐ覚えられそうです。
志野と織部の名品は、見る機会が多いのですが、この展覧会には、黄瀬戸・瀬戸黒も多く展示されていて、黄瀬戸の渋い色調、景色には魅了されました。
黄瀬戸、瀬戸黒と名付けられたのは、長年、愛知県の瀬戸で焼かれたものと考えられていたからです。美濃焼の窯場から発見されて産地が明確になったのは昭和になってからだそうです。
重要文化財 黄瀬戸大根紋輪花鉢 桃山時代 16-17世紀 桃山時代
瀬戸黒茶碗は、半筒状形で、口造りに変化をつけた作意が見られ、そこに漆黒の釉が掛けられています。同時期に京都で黒楽(楽焼)が作られていますが、趣が違います。
《瀬戸黒筒茶碗 銘 宗潮黒》 桃山時代 16~17世紀 公益財団法人香雪美術館
室町時代末から安土桃山時代にかけて、従来の唐物志向から、和物の茶器を尊ぶ新しい価値観への転換があったことで、美濃焼が盛んにもてはやされるようになりました。(サントリー美術館ニュース(パンフレット)を参照しました)
「志野」は、国内で最初の白釉陶器です。
度々観てきた名物も展示されています。
重要文化財《志野茶碗 銘 広沢》 桃山時代16〜17世紀 湯木美術館
焼成時に表れれた、赤みが美しい景色です。
国宝《志野茶碗 銘 卯花墻》 桃山時代16〜17世紀 三井記念美術館
何度も観てきた名碗です。
日本で焼かれた茶碗で、国宝に指定されているのは2点のみ、その一つです。
《鼠志野茶碗 銘 横雲》 桃山時代17世紀 野村美術館
鉄泥を化粧掛けした上に、長石釉を掛けることで出る色だそうです。
掻き落としで描かれた白色の絵がアクセントになっていて、これも面白いと思いました。
そして「織部」も沢山展示されています。
重要文化財《織部松皮菱形手鉢》 桃山時代17世紀 北村美術館
織部の魅力は、多彩な器形と装飾的な絵柄ですよね。着物の絵柄の応用が指摘されています。
型により成形が行われ、轆轤挽から解放されて作陶しています。
展覧会の構成は次の通りです。
(階段下のフロアに展示されている昭和の陶工、荒川豊蔵、加藤藤九郎の見事な作品も見所になっています)
第一章 美濃における茶陶創造
●姿をかりる
●描く
●歪む
●型から生まれる
第二章 昭和の美濃焼復興
1.荒川豊蔵と加藤藤九郎—美濃焼の美に挑んだ陶芸家
2.近代数寄者と美濃焼-選ばれ、伝えられた名品
—HPの解説ー
桃山時代には、茶の湯のためのやきもの「茶陶」が日本各地の窯で創造されました。岐阜県の美濃(東濃地域)では、力強い姿、鮮やかな色、斬新な意匠をもつ茶陶「黄瀬戸・瀬戸黒・志野・織部」が大量に焼かれ、おおいに流行しました。
しかし実は、「黄瀬戸・瀬戸黒・志野・織部」が美濃で焼かれたと分かるのは昭和のことで、それ以前は瀬戸(愛知県)で焼かれたと考えられていました。昭和5年(1930)、荒川豊蔵(あらかわとよぞう・1894-1985)が岐阜県可児市久々利大萱の古窯跡から志野筍絵筒茶碗の陶片を発掘したことにより、志野が瀬戸ではなく美濃で焼かれたことが明らかになります。この大発見は、美濃焼に人々の関心が集まる契機になりました。また、この頃から近代数寄者、目利き、陶芸家、古陶磁研究家などがそれぞれの立場から活発に古陶磁を蒐集し、研究し、意見を交わし、審美眼を鍛えました。やきものを愛する彼らにとって、美濃焼は憧れの存在になっていきました。
本展覧会では、個性的で生き生きとした美濃焼の造形の魅力をお楽しみいただければと思います。同時に、近代数寄者旧蔵の名品や、近代陶芸家の荒川豊蔵と加藤唐九郎(かとうとうくろう・1897-1985)の代表作を通じて、近代以降の美濃焼の人気や評価の高まりを感じていただけましたら幸いです。
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