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2019.10.31

特集 焼き締め茶陶の美―備前・信楽・伊賀・丹波―

「特集 焼き締め茶陶の美―備前・信楽・伊賀・丹波―」は、
東京国立博物館本館14室で開催されています。

会期 2019年9月18日(水) ~ 2019年12月8日(日)

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トーハクが所蔵する備前、信楽、伊賀、丹波で焼かれた焼き締め茶陶を紹介する特集展示です。
22点の展示です。

備前
岡山県備前市伊部を中心につくられたやきもの。6世紀以降に始まった須恵器の技術を継承し、平安時代末頃に始まる「六古窯」の一つです。中世には壺、甕、擂鉢といった日用の器が量産され、室町時代後期に侘茶が広まると、信楽と共に最初の和物茶陶として茶席にとりあげられるようになりました。「緋襷(火襷)」「胡麻」「牡丹餅」といった窯の中で起こる様々な変化(窯変)が器に現れるのが特徴で、それらは「景色}と呼ばれ、見どころとして鑑賞されてきました。(本展キャプションからの引用です。以下同じ)
六古窯ー<和>の焼き物

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反鉢(そりばち)炻器(セッキ)備前 高4.8 径33.8×29.3 江戸時代 17世紀

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緋襷一重口水指   備前  安土桃山~江戸時代 16~17世紀  広田松繁氏寄贈  

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花入 備前 安土桃山〜江戸時代 16〜17世紀 松永安左ェ門氏寄贈

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緋襷向付 備前 安土桃山〜江戸時代 16〜17世紀 等々力孝志氏寄贈

信楽 
滋賀県甲賀氏信楽町を中心につくられたやきもの。常滑の技術をとりいれて平安時代末頃に始まる六古窯の一つです。中世には壺、甕、擂鉢といった日用の器が量産され、室町時代後期に備前とともに茶席にいち早く取り上げられるようになります。茶会記に初めて信楽焼が登場する天正11年(1542)4月9日『松屋久政茶会記』は、茶会記における和物茶陶の所見記事であり、ここでは信楽水指が用いられたことが印されています。
長石や石英といった白い粒を多く含んだ土でブツブとした器肌が特徴です。

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一重口水指(ひとえぐちみずさし) 銘 柴庵(しばのいおり)陶器 信楽 高14.7 口径17.3 底径15.5 安土桃山時代 16世紀
広田松繁氏寄贈

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袋形水指 信楽 江戸時代 17世紀 広田松繁氏寄贈

伊賀
三重県伊賀市(旧阿山町)を中心につくられたやきもの。開窯の時期は定かではありませんが、山を挟んで隣接する信楽の技術をもとに、安土桃山時代から茶湯道具を専門に焼く窯であったことが知られます。
信楽と似た赤い焼き上がりに、「ビードロ釉」と呼ばれる透明な緑の自然釉がたっぷりと掛かるのが特徴です。大きく歪みを加えてデフォルメされた形や、窯の中での火の当たり方による違いから生じる、表裏で全く異なる器肌など、「破格の美」と評される水指や花入れの名器が伝わります。

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耳付袋形水指 伊賀  江戸時代 17世紀
 

丹波
兵庫県篠山市今田町を中心にやかれたやきもの。平安時代末頃に、常滑や渥美といった東海諸窯の影響を受けて開窯したと考えられています。六古窯の一つで、中世には壺、甕、擂鉢を主とした日用の器が量産されました。
茶陶は他の窯と比べて総じて少なく、茶会記に登場するのも江戸時代に入ってからと時期が下がります。茶人小堀遠州とのかかわりが知られ、遠州好みの丹波茶入れなどが伝わっています。

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擂座花入(るいざはないれ) 丹波 江戸時代 17世紀

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擂鉢形水指   丹波  江戸時代 17世紀  宮脇真理氏寄贈 

ーHPの解説-
焼き締めとは、釉薬(うわぐすり)を掛けずに高い温度で焼かれるやきものです。平安時代末以来、壺、甕(かめ)、擂鉢(すりばち)といった日用の器が各地の窯で量産されました。室町時代後期からは、備前(びぜん)や信楽(しがらき)で作られた焼き締めが国産の陶器としては初めて茶の湯の器(茶陶)として茶席に取り入れられるようになります。それらはもともと茶陶として作られたものではありません。穀物や種子を貯蔵するための桶や壺などとして作られたものが、建水、水指(みずさし)、花入(はないれ)として取り上げられた、いわゆる「見立ての器」でした。やがて安土桃山時代から江戸時代の初めにかけて侘茶(わびちゃ)の美意識が深まり、各地で茶会が開かれるようになると、焼き締めの器も好まれ、他の窯でも茶陶としての創意性が加えられた多彩な器がつくられました。

焼き締めの最大の魅力は、土の素朴な味わい、豪放的な造形、そして窯の中で土と炎が偶然に生み出す変化にあふれた器肌です。茶陶においても、華やかな装飾が施されたものではなく、あえて麁相(そそう)なものに美が見出されました。こうした鑑賞眼は他の国には例を見ません。そこには技術的な変革によらず、独自の美を醸成させてきた日本陶磁の歴史があり、古くは縄文時代の造形美を見出したのと同じような日本独特の独創性に富んだ審美眼があるといえるでしょう。

この特集では、当館が所蔵する備前、信楽、伊賀(いが)、丹波(たんば)で焼かれた焼き締め茶陶を紹介します。産地ごとの土の色の違いや、器種・器形の多様性など、個性豊かな表現をぜひご堪能ください。

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2019.10.29

特別展 茶の湯の名碗「高麗茶碗」

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特別展 茶の湯の名碗「高麗茶碗」は、
三井記念美術館で開催されています。

会期 2019年9月14日(土)〜12月1日(日)
(展示替えあり)

喫茶の茶碗は、長く唐物に頼っていましたが、室町時代末期、日本独特の侘の茶風が広がるとともに新しく見出されたのが高麗茶碗です。
黄瀬戸・瀬戸黒・志野・織部ー美濃の茶陶」がもてはやされたのも同じ経緯によるものなんですね。
高麗茶碗は日常の器の中から「茶の湯のために見立てられた茶碗」」と「日本向けに焼かれた茶碗」に大別されます。
日本向け焼かれた高麗茶碗の中で、釜山の倭館運営に当たった対馬藩が寛永16年(1639)からおよそ70年間、倭館内で焼いた焼物を「御本」といいます。
この展覧会の解説にありますが「素朴さと大らかさ」その作行き・・観飽きることのない作品が並んでいました。
歴代の数寄者を渡り歩いた経緯なども、とても興味深く、楽しめました。 

第一章 見立てられた高麗茶碗
江戸時代末期に完成し今日に至るまで伝わる、見立てられた茶碗は16種類ほどに分けられます。一般的にに知られる名称は三島、刷毛目、粉引(こひき)、井戸、蕎麦、斗々屋、熊川(こもがい)、割高台(わりこうだい)などですが、さらに井戸茶碗を大井戸、青井戸、小井戸、小貫入(こかんにゅう)というような作行の違いに寄って細かく呼び分けられています。
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三島茶碗 二徳三島(見込) 16世紀 三井記念美術館 
千利休と袋師二徳所持と伝えられる茶碗。北三井家旧蔵(キャプションを参考にしています、以下同じ)

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蕎麦茶碗 銘花曇 16世紀  個人蔵
蕎麦茶碗の特徴は、腰に丸い膨らみが付き口縁に向かって開いた姿である。
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大井戸茶碗 有楽井戸 16世紀 東京国立博物館

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小井戸茶碗 枡屋井戸 16世紀 三井記念美術館
青井戸の優品として知られている。青井戸の特徴がみられるものの、むしろ小井戸の姿であることから本展では小井戸と紹介している。

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紅葉呉器茶碗 16世紀 個人蔵


第二章 日本向けに焼かれた高麗茶碗 Ⅰ
慶長年間には日本各地の窯で和物の茶陶(美濃・備前など)が焼かれるようになり、流行します。この時期に請来した、日本向けに焼かれた高麗茶碗の御所丸、彫三島、伊羅保、金海などは見立てられた高麗茶碗と比べると明らかに趣が異なります。
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御所丸茶碗 古田高麗 16〜17世紀 個人蔵
内蓋表に「古田高麗」とあり古田織部所持と伝えられている。数名の数寄者を経由したのち鴻池家に伝わった。

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狂言袴茶碗 銘浪速筒 17世紀 東京国立博物館

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彫三島茶碗 17世紀 三井記念美術館
彫三島には本手と平茶碗があり、この茶碗は本手に類する。見込みや外側に花文や檜垣文を施し、施釉している。

第二章 日本向けに焼かれた高麗茶碗 Ⅱ 
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御本立鶴茶碗 銘千歳 17世紀 個人蔵

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伊羅保片身替茶碗 千種伊羅保 17世紀 個人蔵
千種伊羅保といわれる茶碗は二碗伝世しており、この茶碗は千種宰相所有とされている茶碗である。茶釉と白釉が片身替りに掛けられているが、作行きは伊羅保に似ている。

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絵半使割高台茶碗 17世紀 藤田美術館
半使茶碗は、朝鮮通信使に同道した通訳が、日本の好む茶碗を対馬藩に持ち渡ったものです。(リーフェレットから引用)

 

—HPの解説ー
茶の湯の茶碗は、産地によって唐物茶碗、高麗茶碗、和物茶碗などと呼び分けられています。唐物茶碗は中国、高麗茶碗は朝鮮半島、和物茶碗は日本で焼かれた茶碗です。日本に中国から喫茶法が伝わって以来、喫茶の茶碗は長く唐物に頼っていましたが、室町時代末期、日本独特な侘びの茶風が広がるとともに新しく見いだされたのが高麗茶碗です。高麗茶碗という名称が記録に初見されるのは、天文6年(1537)のことですが、わずか50年の後、侘茶が大成された天正年間(1573~1591)には、唐物茶碗に替わって高麗茶碗が大いに流行し、和物茶碗とともに茶の湯の茶碗の主流となります。

高麗茶碗と呼ばれてはいますが、この種の茶碗が焼かれたのは高麗時代ではなく、朝鮮時代です。今日に伝わる高麗茶碗の数は和物茶碗におとらず、また作行きも多様です。そうした高麗茶碗を三種類に大別すると、時代を追って次のようになります。

1. 朝鮮半島各地の窯で日常品として焼かれた器が茶の湯のために見立てられた茶碗。多くは16世紀に焼かれた茶碗類です。
2. 16世紀末から17世紀初め頃、日本向けに焼かれたと思われる茶の湯の茶碗。
3. 17世紀から18世紀中頃まで、対馬藩の贈答品として釜山の倭館内で焼かれたもの。「御本」の名称で親しまれています。

高麗茶碗は時代によって、あるいは焼かれた経緯によって作行きは多様ですが、一貫して和物茶碗とは異なる特質をそなえています。素朴さと大らかさです。次頁に各種の特質を少し詳しく紹介いたします。この特別展を介して高麗茶碗ならではの魅力をお楽しみいただけたらと思います。(なお展示期間が制限されている作品が多く、会期中に展示替えをいたします。)

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2019.10.25

サントリー芸術財団50周年 黄瀬戸・瀬戸黒・志野・織部 -美濃の茶陶

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「黄瀬戸・瀬戸黒・志野・織部 -美濃の茶陶」は、
サントリー美術館で開催されています。

会期  2019年9月4日(水)~11月10日(日)

「黄瀬戸・瀬戸黒・志野・織部」
とても語呂がいいですね、すぐ覚えられそうです。
志野と織部の名品は、見る機会が多いのですが、この展覧会には、黄瀬戸・瀬戸黒も多く展示されていて、黄瀬戸の渋い色調、景色には魅了されました。
黄瀬戸、瀬戸黒と名付けられたのは、長年、愛知県の瀬戸で焼かれたものと考えられていたからです。美濃焼の窯場から発見されて産地が明確になったのは昭和になってからだそうです。
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重要文化財 黄瀬戸大根紋輪花鉢 桃山時代 16-17世紀 桃山時代

瀬戸黒茶碗は、半筒状形で、口造りに変化をつけた作意が見られ、そこに漆黒の釉が掛けられています。同時期に京都で黒楽(楽焼)が作られていますが、趣が違います。
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《瀬戸黒筒茶碗 銘 宗潮黒》 桃山時代 16~17世紀 公益財団法人香雪美術館 

室町時代末から安土桃山時代にかけて、従来の唐物志向から、和物の茶器を尊ぶ新しい価値観への転換があったことで、美濃焼が盛んにもてはやされるようになりました。(サントリー美術館ニュース(パンフレット)を参照しました)

「志野」は、国内で最初の白釉陶器です。
度々観てきた名物も展示されています。
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重要文化財《志野茶碗 銘 広沢》 桃山時代16〜17世紀 湯木美術館
焼成時に表れれた、赤みが美しい景色です。

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国宝《志野茶碗 銘 卯花墻》 桃山時代16〜17世紀 三井記念美術館
何度も観てきた名碗です。
日本で焼かれた茶碗で、国宝に指定されているのは2点のみ、その一つです。 

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《鼠志野茶碗 銘 横雲》 桃山時代17世紀 野村美術館
鉄泥を化粧掛けした上に、長石釉を掛けることで出る色だそうです。
掻き落としで描かれた白色の絵がアクセントになっていて、これも面白いと思いました。

そして「織部」も沢山展示されています。
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重要文化財《織部松皮菱形手鉢》 桃山時代17世紀 北村美術館
織部の魅力は、多彩な器形と装飾的な絵柄ですよね。着物の絵柄の応用が指摘されています。
型により成形が行われ、轆轤挽から解放されて作陶しています。 


展覧会の構成は次の通りです。
(階段下のフロアに展示されている昭和の陶工、荒川豊蔵、加藤藤九郎の見事な作品も見所になっています)
第一章 美濃における茶陶創造
●姿をかりる
●描く
●歪む
●型から生まれる
第二章  昭和の美濃焼復興
1.荒川豊蔵と加藤藤九郎—美濃焼の美に挑んだ陶芸家
2.近代数寄者と美濃焼-選ばれ、伝えられた名品


—HPの解説ー
桃山時代には、茶の湯のためのやきもの「茶陶」が日本各地の窯で創造されました。岐阜県の美濃(東濃地域)では、力強い姿、鮮やかな色、斬新な意匠をもつ茶陶「黄瀬戸・瀬戸黒・志野・織部」が大量に焼かれ、おおいに流行しました。
しかし実は、「黄瀬戸・瀬戸黒・志野・織部」が美濃で焼かれたと分かるのは昭和のことで、それ以前は瀬戸(愛知県)で焼かれたと考えられていました。昭和5年(1930)、荒川豊蔵(あらかわとよぞう・1894-1985)が岐阜県可児市久々利大萱の古窯跡から志野筍絵筒茶碗の陶片を発掘したことにより、志野が瀬戸ではなく美濃で焼かれたことが明らかになります。この大発見は、美濃焼に人々の関心が集まる契機になりました。また、この頃から近代数寄者、目利き、陶芸家、古陶磁研究家などがそれぞれの立場から活発に古陶磁を蒐集し、研究し、意見を交わし、審美眼を鍛えました。やきものを愛する彼らにとって、美濃焼は憧れの存在になっていきました。
本展覧会では、個性的で生き生きとした美濃焼の造形の魅力をお楽しみいただければと思います。同時に、近代数寄者旧蔵の名品や、近代陶芸家の荒川豊蔵と加藤唐九郎(かとうとうくろう・1897-1985)の代表作を通じて、近代以降の美濃焼の人気や評価の高まりを感じていただけましたら幸いです。

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2019.10.21

コートールド美術館展 魅惑の印象派

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「コートールド美術館展 魅惑の印象派」は、
東京都美術館で開催されています。

会期 2019年9月10日(火)~12月15日(日)

印象派、後期印象派の優品を揃えた、コートールド美術館改修を機会に素晴らしい作品が来日しました。
展覧会の構成を見てもわかるように、コートールド美術館の美術史や保存修復の研究機関としての側面に注目した展覧会です。
以下の作品には展示会場に詳しく解説した大きなパネルが用意されています。
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ポール・セザンヌ《カード遊びをする人々》 1892-96年頃 油彩/カンヴァス
この展覧会には、セザンヌの作品が多く展示されています。
この作品の隣に、この絵の左の人物を描いた作品も展示されています。タイトルは《パイプを加えた男》

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ピエール=オーギュスト・ルノワール《桟敷席》 1874年油彩/カンヴァス
コートールドはこの絵が大好きでした。やっと手に入れて部屋に飾った時は嬉しかったそうです。
劇場観覧席の一場面です。綺麗に着飾った女性と、双眼鏡を除く男性の視線の向こうには?

そしてこの展覧会の目玉作品《フォーリー=ベルジェ―ルのバー》
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エドゥアール・マネ《フォーリー=ベルジェールのバー》 1882年 油彩/カンヴァス
マネ最後の傑作です。死(51歳没)の一年前に重い病をおして数ヶ月かけて描かれました。
この絵の主人公は娼婦も兼ねていたであろう、バーカウンターのメイドです。うつろな目は視線が定まらず何を思っているのでしょう。
背景の大きな鏡に映る構図は理屈に合いません。
男と対面するメイドの後ろ姿は、ありえない角度で描かれています、
酒瓶の位置、本数は合わず、観覧席の位置(高さ)も不自然。
そして、左上に空中ブランコに乗る足だけが描かれたいます。
マネはこの絵で、画家としての集大成として、何を訴えたかったのでしょうか?

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エミリオ・モディリアーニ《裸婦》 1916年頃 油彩/カンヴァス
✕線調査の結果の解説があり、
顔と身体では全く筆触(筆遣い)が違うことが解明されていて、モディリアニの創作における工夫が分かります。


ジョルジュ・スーラ《クールブヴォワの橋》、ポール・ゴーガン《ネヴァーモア》にも大型パネルでの解説があります。

そして多くの関連資料が展示されています。
例えば「エミール・ベルナールに宛てたセザンヌの手紙」他、コートールド関連資料(絵画購入領収書など)

展覧会の構成は以下の通りです。
1画家の言葉から読み解く
2時代背景から読み解く
3素材、技法から読み解く

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ポール・セザンヌ《大きな松のあるサントヴィクトアール山》 1887年 油彩/カンヴァス
セザンヌといえば描き続けた「サントヴィクトアール山」
松の木を前景に大きく描く、このような構図のセザンヌ作品は珍しいのでは?と思いました。

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フィンセント・ファン・ゴッホ《花咲く桃の木々》
浮世絵に魅了されて、憧れを抱いていた日本「光に満ちた素晴らしい国日本を」その光を南フランスのアルルに求めて・・・
背景の連山には富士山のような?シルエットが。

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エドガー・ドガ《舞台上の二人の踊り子》 1874年 油彩/カンヴァス
舞台を俯瞰している構図、左にわずかに描かれたもう一人の踊り子が舞台の拡がりを効果的に表現していると・・
ドガは、主人公に何か付け加えることで、物語を想像させますね。

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エドワール・マネ《草上の昼食》 1863年 油彩/カンヴァス
初めて、パリで展示した時に物議を醸した作品。

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クロード・モネ《アンティーブ》 1888年 油彩/カンヴァス
南仏アンティーブに滞在した時の作品。遠景に霞むのはエステレル連山。
浮世絵によくある構図?(の遠近表現)

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ポール・ゴーガン《テ・レリオア》 1897年 油彩/カンヴァス
「テ・レリオア」とはタヒチの言葉で「夢」という意味だそうです。
うつ伏せに寝ている子供、子犬・・・夢の中身は?

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アンリ・ド・トゥールズ・ロートレック《ジャンヌ・アヴィリル・ムーランルージュの入口にて》 1892年頃 油彩、パステル、板に貼られた厚紙
モデルは1890年代にムーランルージュで活躍したダンサーのジャヌ・アヴィル。年齢不相応の姿描写はロートレックの内面描写(心理表現)の特徴なのかと。

—HPの解説—
ロンドンにあるコートールド美術館のコレクションから、印象派・ポスト印象派の作品を紹介します。実業家サミュエル・コートールドが収集したコレクションを核に1932年に設立された同館は、美術史や保存修復において世界有数の研究機関であるコートールド美術研究所の展示施設です。本展覧会では、その研究機関としての側面にも注目し、画家の語った言葉や同時代の状況、制作の背景、科学調査により明らかになった制作の過程なども紹介し、作品を読み解いていきます。
日本の風景のようだと語られたファン・ゴッホによるアルルの風景《花咲く桃の木々》、19世紀後半の近代都市パリの風俗を映すルノワールの《桟敷席》やマネの《フォリー=ベルジェールのバー》、科学調査が作品の秘密を解き明かしたゴーガンの《ネヴァーモア》やモディリアーニの《裸婦》などをはじめ、選りすぐりの絵画・彫刻約60点を展示します。

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2019.10.18

士 サムライ―天下太平を支えた人びと―

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「士 サムライ―天下太平を支えた人びと―」は、
江戸東京博物館で開催されています。

会期 2019年09月14日(土)〜11月04日(月)

士業(弁護士、税理士・・・・)という言葉がありますが、由来は「日本の近代国家創成期に、専門資格職業に従事する者が主にサムライと呼ばれる基礎教育を受けた武士に多く、その職能資格を取得したためとも言われる 」そうです。
サムライイメージの一面ですね。

この展覧会では、現代のサムライイメージの原点である江戸時代のサムライ=〝士〟の暮らしや仕事のありさまから、
徳川将軍の居所として、当時、世界有数の大都市であった江戸の風景の中で、サムライがいかに活動していたのか、江戸時代の人びとが見聞きし親しんでいた生のサムライの生活を紹介しています。


展覧会の構成は以下の通りです。(写真は主催者から特別の許可を頂いて撮影しています)
プロローグ ―都市のサムライ―
天下統一を果たした徳川家康が城下町江戸の建築を始めます。
大都市江戸には、将軍や大名の家臣など多様なサムライが役人として活動し、消費生活を支える庶民と入り混じって生活していました。
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上野花見・両国川遊図屏風 江戸時代前期・17世紀〜18世紀初頭頃 江戸東京博物館
上野は満開の桜に、大勢の人々で賑わい、隅田川には涼を求めて多くの船が集まっています。
その中にはサムライも登場します。両刀差しのサムライに脇差しや槍持の人物が伴っています。

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皇朝庶人風俗沿革全図 塚本岩五郎画/東京造画館発行 明治33年(1900)8月25日 江戸東京博物館
小学校などの教材として用いられた掛け図の一種で、武人、庶民、婦人の風俗について上古から明治時代までの変遷をまとめたもの。


第1章 士 変容 ―武人から役人へ―
徳川家康の天下統一から2世紀以上にわたる天下泰平の都が続くことになる。
時代が転換する中で、サムライたちは、戦場で武功を求める武人から政務を執行する役人となっていった。
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諸卒出立図巻 江戸時代18世紀 東京国立博物館
雑兵たちの役割や姿を絵巻にしたもの。雑兵とは一般的には、身分の低い兵卒のことをいう。彼らがまとう陣笠や足軽胴の描写で雑兵の階層差を表しています。

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(左)徳川家康像 江戸時代  (右)江戸城年始登城風景図屏風 佐竹永湖画 明治31年(1898)頃 何れも江戸東京博物館
家康の前に狛犬が配されています。典型的な「東照大権現像」です。
屏風絵は、大名たちの年始登城で大賑わいとなる江戸城の下馬先が描かれています。

第2章 士 日常 ―実生活のあれこれ―
サムライとて同じ人間、功業や事件の狭間では 決まりきった日常生活がありました。
この章では江戸の風景を撮った写真が沢山展示されています。チラシの写真は「薩摩藩士の役人」をフェリーチェ.ベアトが撮ったものです。
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「久留米藩士江戸勤番長屋絵巻」酒宴の図 三谷勝波筆/戸田熊次郎序 明治時代 江戸東京博物館

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(左)薩摩の屋敷   (右)有馬屋敷

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朱房付十手 懐中煙草入れ 煙管・煙管入れ 都築家伝来 江戸時代後期 江戸東京博物館

遠山の金さん(遠山景元)縁の展示品
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遠山金四郎景元 19世紀後半 千葉県立中央博物館 (軸には当山の金さん晩年の姿が描かれています)
紺絲威胴丸 遠山左衛門尉景元所用 江戸時代後期 靖国神社遊就館 (子孫に伝えられた遠山景元の具足)
(右の軸)一行「所宝惟賢」大岡忠相筆 江戸時代中期 浄見寺  (大岡忠相自筆の家訓)


第3章 士 非常 ―変事への対応―
「火事と喧嘩は江戸の華」といわれるほど火事は頻発したのですが、実は水害多発地域でもありました。図らずも、残念なことに。今回の東京都市部での水害で思い返すことになってしまいました。
戦場から遠ざかった江戸のサムライたちは、武人から役人に変わったこともあり、庶民を守るために災害現場での活躍を担う存在にもなっていました。
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(左)山吹絽地桐紋入り火事装束 羽織・胴当・石帯 (右)火事装束 桐紋付兜 対馬宗家伝来 幕末〜明治時代初期 江戸東京博物館


第4章 士 交流 ―諸芸修養と人材交流―
江戸時代のサムライは文武両道が求められました。なかには俳諧、戯作、絵画、文芸、囲碁、将棋などの趣味や娯楽に熱心に取り組み文化人として活躍する者も出てきました。また、同じ学問や趣味を共有できる有能な庶民から取り立てて、サムライとしての処遇を与え、統治業務の一旦を担わせることもありました。
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(上)歌川広重遺言状 九月二日付 安政5年(1858)9月2日 江戸東京博物館
(下)歌川広重遺言状 九月三日付 安政5年(1858)9月3日 江戸東京博物館
辞世の句が記されています「東路へ筆をのこして 旅のそら 西のみ國の 名ところを 見む」

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(左)物類品隲 平賀源内著 宝暦13年(1763) 江戸東京博物館
(右)紅毛雑話 平賀源内著 天明7年(1787) 江戸東京博物館
 紅毛雑話には、エレキテル実験の様子が描かれています。



第5章 士 一新 ―時代はかけめぐる―
ペリー率いる艦隊の浦賀来航、翌年の日米和親条約の締結。五カ国との通商条約締結。諸外国との関係拡大により、交渉のため、また使節としてサムライたちは海をわたることになります。(若き日の福沢諭吉の写真も展示されていました)
国内では激しい政治抗争、そして戊辰戦争により江戸幕府は倒壊します。
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午砲 幕末 江戸東京たてもの園
江戸湾を守るために配備された火砲は皇居内旧本丸に移され、正午を知らせる時報として使われました。

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書額「海舟書屋」 弘化元年(1844)頃 江戸東京博物館
佐久間象山宅に掛けられたものを勝海舟が気に入り、譲り受けたもの。海舟の号はこれにちなむ。
勝海舟の妹は象山の正室。



エピローグ ―サムライ、新たな生き様―
明治維新後、主君に仕えて俸禄を受け、帯刀を許され庶民を支えた江戸のサムライは終わりをとげ、新たな生き様を模索していくことになります。
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和装西洋男女図 明治時代前期 江戸東京博物館

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侯爵大礼服 西郷寅太郎所要 明治35年(1902) 江戸東京博物館

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当時、最大の武家人口を誇っていた都市江戸と、その近郊に暮らしたサムライの姿を絵画、資料、古写真、道具類約200点(展示替えあり) で再現しています。

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2019.10.13

塩田千春展:魂がふるえる

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「塩田千春展:魂がふるえる」は、
森美術館で開催されています。

会期 2019年6月20日(木)~ 10月27日(日)

塩田千春さんは、絵画塾に通うくらい、子供の頃から絵を描くのが大好きで芸術家に憧れていました。
東京の美大に進学したかったのですが、両親の反対もあって京都の大学に進学します。
ところが入学してすぐ絵を描くことができなくなってしまいます。「絵の中に自分の存在が感じられず、描く絵の軽さに耐えられなくなった」そうです。
在学中に交換留学生として、キャンベラのオーストラリア国立大学スクールオブアートで1年間学びます。
この経験で「自分のやっていることに自信が持てたこと」「海外に出るだけで、物事がこんなに自由で面白くなるのか」と実感します。
塩田さんはインスタレーション作品に活路を求め、制作に励みます。
大学を出たら海外に行くと決めていた塩田さん。曲折はあったものの、ハンブルク造形美術大学、ブラウンシュバイツ美術大学、ベルリン芸術大学で指導教授に教わります。
ドイツで暮らし始めて何度もの引っ越しを繰り返したのち、ベルリンに定住して、そのアトリエから代表作となる幾つもの作品が生まれます。
2000年頃からヨーロッパのあちこちの美術館やグループ展から声がかかるようになりました。
私が塩田さんの作品を初めて見たのはいつごろだっただろう?一度見たら忘れられない作品でした。
そしてこの最大規模の展覧会は、韓国、オーストラリア、インドネシア、台湾を巡回する予定だそうです。
現場での制作を伴う作品、今、一年の半分は、ベルリンの自宅を離れての生活だそうです。

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クロノジー 展示風景


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塩田千春 《内と外》 2008/2019年 古い木製の窓
Cc_20191013070801 この写真/動画は「クリエイティブ・コモンズ表示 - 非営利 - 改変禁止 4.0 国際」ライセンスでライセンスされています。
ベルリンの工事現場で捨てられている窓を見ていると、人為的に28年にもの間、東西に別れ、同じ国籍の同じ言葉の人々が、どういう思いでこのベルリンの生活を見ていたのだろうと、その人々の生活を思い浮かべてしまう。(キャプションの部分引用です)


糸はもつれ、絡まり、切れ、解ける。
それは、まるで人間関係を表すように、私の心をいつも映し出す。ー塩田千春
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塩田千春《不確かな旅》展示風景 2019年 鉄枠、赤毛糸

塩田千春《不確かな旅》展示風景 2019年 鉄枠、赤毛糸
Ccこの写真/動画は「クリエイティブ・コモンズ表示 - 非営利 - 改変禁止 4.0 国際」ライセンスでライセンスされています。

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塩田千春《静けさの中で》展示風景 2019年 焼けたピアノ、焼けた椅子、鉄、黒毛糸

塩田千春《静けさの中で》展示風景 2019年 焼けたピアノ、焼けた椅子、鉄、黒毛糸
Ccこの写真/動画は「クリエイティブ・コモンズ表示 - 非営利 - 改変禁止 4.0 国際」ライセンスでライセンスされています。


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塩田千春《集積-目的地を求めて》展示風景 2019年 スーツケース、モーター、赤いロープ
Cc_20191013070801この写真/動画は「クリエイティブ・コモンズ表示 - 非営利 - 改変禁止 4.0 国際」ライセンスでライセンスされています。
スーツケースの山を見ると、その数だけの人の生を見てしまう。
故郷を離れどこか目的地を求め、どうして旅に出たのか。
出発の日の朝の人々の気持ちを思い起こしてしまう。(キャプションの部分引用です)


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塩田千春《行くべき場所、あるべきものー写真》 2010年 スーツケース、写真、糸、ほか
Cc_20191013070801この写真/動画は「クリエイティブ・コモンズ表示 - 非営利 - 改変禁止 4.0 国際」ライセンスでライセンスされています。

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がんが再発して、2回目の手術を受けたのが、本展の開催打診が来た直後だったそうです。その為この個展の準備は、今までよりはるかに死と言うものを身近に感じながら進めたと仰っています。

展覧会の最後に掲げられたパネルの内容です。
ドイツで娘と同じ歳の小学生に聞いてみた。
魂(ゼーレ)ってなに?どこにあると思う?どんな色?
動物にも魂はあるのかな?植物にも魂はあるのかな?
そして、もし人が亡くなったらその魂もいなくなっちゃうのかな?

私の魂は肉体とともにある。肉体が無くなると魂も一緒に無くなるのか。
心にはいつまでも寄り添っていられるのか。
病気の再発を宣告されての2年間、個展構想をしながら、
私自身、生きることで精一杯だった。 

 

—HPの解説—
ベルリンを拠点にグローバルな活躍をする塩田千春は、記憶、不安、夢、沈黙など、かたちの無いものを表現したパフォーマンスやインスタレーションで知られています。個人的な体験を出発点にしながらも、その作品はアイデンティティ、境界、存在といった普遍的な概念を問うことで世界の幅広い人々を惹きつけてきました。なかでも黒や赤の糸を空間全体に張り巡らせたダイナミックなインスタレーションは、彼女の代表的なシリーズとなっています。

本展は、塩田千春の過去最大規模の個展です。副題の「魂がふるえる」には、言葉にならない感情によって震えている心の動きを伝えたいという作家の思いが込められています。大型インスタレーションを中心に、立体作品、パフォーマンス映像、写真、ドローイング、舞台美術の関連資料などを加え、25年にわたる活動を網羅的に体験できる初めての機会になります。「不在のなかの存在」を一貫して追究してきた塩田の集大成となる本展を通して、生きることの意味や人生の旅路、魂の機微を実感していただけることでしょう。

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2019.10.11

マルク・シャガール — 夢を綴る

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「マルク・シャガール — 夢を綴る」は、
ポーラ ミュージアム アネックスで開催されています。

会期 2019年10月4日(金)〜11月4日(月・祝)

「ポーラ銀座ビル10周年記念展」ということで、ポーラ美術館所蔵のシャガールの秀品が揃いました。
警備員さんも一人常駐のようで、写真撮影も不可です。

シャガール版画作品の傑作といわれる「ダフニスとクロエ」
この展覧会で扉絵を含む20点(42場面の中から)が展示されています。

『ダフニスとクロエ』はエーゲ海に浮かぶ神々の島のひとつ、自然豊かなレスボス島を舞台に繰り広げられる少年ダフニスと少女クロエの恋の物語です。幼いころに捨てられたダフニスとクロエは、それぞれ島の羊飼いと山羊飼いの夫婦に育てられ、楽しく暮らしていました。やがて二人はお互いを意識するようになり、惹かれ合っていきますが、「恋」という感情を理解できずにいました。その後、妖精や牧神のパンたちの導きにより、様々な困難を一緒に乗り越えていくことで、お互いの想いを実感していきます。本当の両親との再会を果たした二人は、最後には皆から祝福を受けながら結婚します。純真な初恋が成就していく様子が叙情豊かに描かれている物語です。

シャガールは、この物語の挿絵を制作するにあたり、物語の舞台であるギリシャに2度取材に行きました。1952年、最初の取材後にグワッシュで下絵を制作し、2度目の1954年からリトグラフの制作に取り組みました。リトグラフとしては例外的に、20色以上もの色彩が用いられたこともあり、完成には4年以上の歳月が費やされました。挿絵本は全42図から構成され、本展ではその中から20点を抜粋して展示します。(パンフレットからの引用です)
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マルク・シャガール『ダフニスとクロエ』扉絵 ロンゴス著/テリア―ド社1961年刊 リトグラフ/紙

その他7点の油彩画が展示されています。
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マルク・シャガール《恋人たちとマーガレットの恋》1949-1950年 油彩/カンヴァス

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マルク・シャガール《私と村》1923-1924年頃 油彩/カンヴァス

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マルク・シャガール《町の上で、ヴィテブスク》1915年 油彩/厚紙(カンヴァスに貼付)
 
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マルク・シャガール《オペラ座の人々》」1968-1971年 油彩/カンヴァス

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2019.10.08

風景の科学展 芸術と科学の融合

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企画展「風景の科学展 芸術と科学の融合」は、
国立科学博物館 日本館1階企画展示室で開催されています。

会期  9月10日(火)~12月1日(日)

写真家上田義彦氏の世界各地の風景写真に、研究者が解説文をつけ標本とともに展示。グラフィックデザイナー佐藤卓氏の企画による美しい展示空間もみどころ。(HPより)

写真の構図とか、光の表現とか、色彩表現とか・・・を科学者が定量的に検証し解明するという企画展ではありません。

先日旅行した時にも、この展覧会とか、北海道に取材した画家の展覧会のことが脳裏に浮かびました。

例えば、先日撮ってきた青い池。

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この写真から・・・
「透き通るような青い水面に映る木立と朽ち果てようとする池の白樺。遊歩道には活き活きとした白樺の木」という感想もあるでしょう。
この展覧会の解説では、こうなるのかもしれません。
「この付近の湧水には水酸化アルミニウムなど、主に白色系の微粒子が含まれており、美瑛川本流の水と混ざることによって分散され一種のコロイドが生成される。水中に差し込んだ太陽光がコロイドの粒子と衝突散乱して水の吸収による青色の透過光が加わり、美しい青色に見える」(Wikipediaを参考にしました)

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この写真から、専門知識をもった科学者はこの様な連想をするのだな~
科学博物館ならではの楽しい展覧会だと思いました。全文を読んでいくとチョット疲れるかな~

以下の解説文は、展覧会場の解説パネルの内容の一部を、書き写したものです。
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グレンコー(スコットランド)
深淵たるバイソンの群れ
最終氷期である約2万年前、日本の本州北部では、この写真で見られるような環境があったはずで、そこには寒冷地域の草原や森林ステップに適応したステップバイソンが棲息していた。岩手県一関市花泉から保存状態の良いステップバイソンの化石が見つかっている。
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ステップバイソン肩甲骨


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ガンジス川(インド)多様な人類の集団の混合
アフリカで生まれた人類は、およそ6万年前に世界に旅立った。インドはアジアへの進出の起点となる地域だったので、その後、東南アジアや東アジア、オセアニアや南北アメリが大陸に進出した人々はみな、この地を通過したことになる。

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ガンジスガワイルカの頭骨
世界には本来は海に住む海棲哺乳類の仲間が棲息する大河がある。ガンジス川もそのひとつで、体長2.6m淡褐色のカワイルカであるガンジスガワイルカが棲息している。


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屋久島(日本)
屋久島の付着藻類被膜
日本のきれいな河川に見られる珪藻の多くは日本固有種である。日本国内でそれぞれの地域に固有の種が存在するかどうかは、まだまだ研究途上だが、屋久島の付着性藻類マットからは今のところ他の地域からの報告はない珪藻の固有種が見つかっている。



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東尋坊(日本)東尋坊風景
この写真で激しい波を打ち浴びている黒い岩石は「安山岩」という、日本にもっとも多く分布する火山岩である。東尋坊の安山岩は約1500万年まえに日本海が開いて日本列島がユーラシア大陸から分断されたとき地下が割れて噴出したマグマが固化したものである。

一例を記しましたが・・このような作品とその解説が続きます。

—HPの解説—
芸術家の目が切り取った風景に、自然科学の研究者は何を見るのだろうか。
本展では、写真家・上田義彦が撮影した写真を、国立科学博物館の研究者が解説し、対象物とともに展示する。
解説の多くは風景の背後にある時間の流れを意識したもので、瞬間を切り取った写真に
重層的な意味を付け加えている。風景に地球の歴史を感じることは、私たちの認識をより深いものにするはずで、
そこに「芸術と科学の融合」の目指す地平がある。 ―国立科学博物館 篠田 謙一

 

自由な芸術と、事実の科学。芸術と科学はまったく違うベクトルのように思える。
いつの間にか、そんな概念が我々に刷り込まれてはいないだろうか。しかし人は、意識と感覚を分けて
生きているわけではない。見るという意識の直後に、好き嫌い、気持ちいい気持ち悪い
という感覚が沸き起こる。その後に初めて、その感覚がどこから来ているのかを知りたいと思う。
「何だこれは?」という感覚的な興味が、「もっと知りたい」と事実を欲求するのである。
写真という芸術を入口に、科学の世界に誘う展示を、さてあなたはどう見るだろうか。 ―グラフィックデザイナー 佐藤 卓

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2019.10.05

北海道東部2泊3日の旅(2019年9月)まとめ

バスの走行距離にして約1000㎞、15か所超の観光地を巡る大忙しの旅でした。
北海道らしい景色・・・
直線道路、花畑、草原、そこに現れる動物(タンチョウ、牛、馬、キツネ、鹿)と生活。
網走の海岸、知床の海岸、知床連山、オシンコシンの滝、湖(知床一湖、摩周湖)国後島。
人気の博物館網走監獄、旭山動物園。
曇天の日が多かったのですが、雨が降り続くということもなく、天気はまあまあの3日間でした。
風が強い日(波が荒い日)があって知床半島クルーズが中止になったのは残念でした。
食事も美味しく頂きました。

3日間の行程です。
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1日目 2日目 3日目


以下、既投稿記事を日付順にまとめてみました。 

北海道東部観光初日 富良野・ファーム富田  美瑛・青い池 (2019年9月)

北海道東部観光初日 美瑛・四季彩の丘 旭山動物園 2019年9月

北海道東部観光2日目 メルヘンの丘 博物館網走監獄 網走の海岸 2019年9月

北海道東部観光2日目  オシンコシンの滝 道の駅うとろ・シリエトク 知床一湖 知床ナイトサファリ 2019年9月

北海道東部観光3日目(最終日)知床峠 開陽台 摩周湖 塘路駅から釧路駅(ノロッコ号) 釧路湿原・北斗展望台

 

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北海道東部観光3日目(最終日)知床峠 開陽台 摩周湖 塘路駅から釧路駅(ノロッコ号) 釧路湿原・北斗展望台

北海道北部観光3日目の日程
知床ウトロ温泉のホテル🚌知床峠🚌開陽台🚌摩周湖🚌塘路駅🚋(釧路湿原を電車ノロッコ号で)釧路駅🚌釧路湿原・北斗展望台🚌とかち帯広空港✈羽田空港
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ホテルを出てバスは、斜里町ウトロと羅臼町を結ぶ知床横断道路の頂上知床峠に向かいました。途中で山の間から「国後島」を遠望することができました。幸運でした。
曇天・強風の知床峠園地からは国後島を見ることはできませんでした。羅臼岳には雲がかかっていました。
トイレ休憩程度の滞在で、 強風もあって早々にバスに戻りました。
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バスは羅臼から国道335号を走り中標津町の開陽台に向かいます。街中、海岸、草原を走りタンチョウのつがいにも遭遇しました。
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開陽台
「地球が丸く見える」というキャッチフレーズの中標津町のランドマーク「開陽台」
標高270mの台地から360度の眺望です。
納沙布岬→野付半島→国後島→知床連山→中標津市街→納沙布岬(に戻る)という動画を撮ってみました。
相変わらずの曇天・強風で、素晴らしい眺めとはなりませんでした。
強風のためか、皆さん室内のカフェに行列、お目当ては「はちみつソフト」です。
私も真似っこ。
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摩周湖(川上郡弟子屈町)
風もおさまって、摩周湖の、青墨の色面のようにひたすら静かな水面は素晴らしい景色でした。
時々現れるリスを追いかける人もいたりして。
摩周湖は約7000年前の巨大噴火でできたカルデラ湖です。約211mという深さで、しかも水底が急激に深くなっていて、透明度も高い。そのため青以外の色の反射が少なくなり、「摩周ブルー」と呼ばれる絶景が見られます。湖に接する河川がないことから、外部から 有機物の流入がほとんどありません。
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ノロッコ号 
塘路駅から釧路駅まで50分程度、釧路湿原をノロッコ号で走ります。
車内放送の解説付きです。「広々とした湿原を走る」というイメージではなかった!少々残念。
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釧路湿原・北斗展望台
展望台のすぐ下に大木が並んでいて知床湿原眺望は残念ながら・・・です。
一様写真に撮って・・・バスはすぐに、とかち帯広空港に向かいました。
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苦手な飛行機で、とかち帯広空港から東京へ。
盛沢山の観光地を巡る忙しい三日間でしたが、楽しい日々でした。

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2019.10.03

観てきた展覧会備忘録 2019年9月

あそびのじかん
会期 2019年7月20日(土)〜10月20日(火)
東京都現代美術館

リニューアル・オープン記念展  コレクション展
MOTコレクション 第2期 ただいま/はじめまして
会期 2019年8月3日(土)〜10月20日(火)
東京都現代美術館


「入門 墨の美術 -古写経・古筆・水墨画-」
会期 2019年8月31日(土)〜10月14日(14月・祝)
静嘉堂文庫美術館

秋の優品展 筆墨の躍動
会期 2019年7月720日(土)〜10月20日(日)
五島美術館


美ら島からの染と織 ─色と文様のマジック
会期 2019年8月10日(土)~9月23日(月・祝)
松濤美術館


サントリー芸術財団50周年
黄瀬戸・瀬戸黒・志野・織部 -美濃の茶陶
会期 2019年9月4日(水)〜11月10日(日)
サントリー美術館


塩田千春展:魂がふるえる
会期 2019年6月20日(木)~ 10月27日(日)
森美術館

 

「PIXARのひみつ展 いのちを生みだすサイエンス」
会期 2019年4月13日(土)~9月16日(月・祝)
六本木ヒルズ展望台 東京シティービュー


風景の科学展 芸術と科学の融合
2019年 9月10日(火)~12月1日(日)
国立科学博物館日本館1階企画展示室

 

「奥の細道330年 芭蕉」
会期 2019年8月31日(土)~9月29日(日)
出光美術館

 

第85回展覧会「大礼-慶祝のかたち」第1期
会期:令和元年9月21日(土)~令和2年1月19日(日)
第1期:9月21日(土)~10月27日(日)
三の丸尚三館


博物館でアジアの旅 LOVE♡アジア(ラブラブアジア)
会期 2019年9月10日(火) ~ 10月14日(月)
東京国立博物館東洋館

 

「円山応挙から近代京都画壇へ」(後期)
会期
前期:2019年8月3日(土) - 9月1日(日)
後期:2019年9月3日(火) - 9月29日(日)
東京藝術大学美術館

 

今月は、北海道東部を旅してきました。ので・・・
博物館 網走監獄

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2019.10.01

北海道東部観光2日目  オシンコシンの滝 道の駅うとろ・シリエトク 知床一湖 知床ナイトサファリ 2019年9月

北海道東部観光2日目の日程
この日は海が荒れていて、知床半島クルーズが中止になり残念でした。予定を変更して、鮭の遡上見学、知床世界遺産センターの見学が追加されました。

温泉旅館🚌メルヘンの丘🚌博物館網走監獄🚌網走海鮮問屋(昼食)🚌オシンコシンの滝🚌知床(知床半島クルーズ🚢(この日は海が荒れていて中止))🚌道の駅うとろ・シリエトク🚌知床一湖🚌知床・ウトロ温泉のホテル🚌夕食後、知床ナイトサファリ🚌ホテル帰着
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網走の海鮮問屋で昼食後、オシンコシンの滝に向かいました。

オシンコシンの滝に向かう途中、6㎞の直進道路(入口)



オシンコシンの滝 
駐車場から階段を昇ってすぐのところにあります。
途中から流れが2つに分かれていることから「双美の滝」とも呼ばれています。
季節によって、北海道ならではの滝が楽しめそうです。
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オシンコシンの滝見学を終えて次の目的地「道の駅うとろ・シリエトク」に向かう海岸沿いに虹が現れました、海岸沿いの鮮やかな虹、その景色にに観光バス内は大はしゃぎでした。



道の駅うとろ・シリエトク
—HPから—
国道334号線沿いにある「道の駅うとろ・シリエトク」は世界自然遺産『知床』の玄関口に位置し、漁師の番屋風の建物になっています。知床観光の拠点施設としており、常に生きた情報を提供する観光案内所、地元の特産品を数多く揃う売店、知床の旬の味を提供するレストランがあります。

この日の夜「ナイトサファリ」参加予定なので、夜、吞むものがないと不安なので「酒とつまみ」を購入。トイレ休憩の目的もありました。


知床一湖(知床五湖
ツアー参加者が2班に別れて、ガイドさんの説明を聞きながら、一湖につながる木道を往復しました。正面に知床連山が聳え、背後にはオホーツク海が遠望出来ます。知床五湖の中で、高架木道を歩くのは一湖のみ。熊よけの電気柵(微電流)が張られているそうです。ここでも虹が見られました。広々とした平原にそびえる知床連山、湧水で出来た鏡面のような一湖、絵になる光景です。虹のおまけ付き!
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知床ナイトサファリ
夕食後、ホテルをバスで出発。知床一湖の駐車場までの往復。途中から、ゆっくり走るバスの室内灯を消して、動物を探します。(1時間30分)左右で3個づつ配られた懐中電灯で暗闇を照らすのですが、なかなか現れません。途中、鹿とキツネに遭遇、ガイドさんが探してみてくださいと言う熊、フクロウは、見つけることはできませんでした。暗闇に熊の輪郭を見つけるのは難しいのかな〜なんて思いました。

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