北海道東部観光2日目 メルヘンの丘 博物館網走監獄 網走の海岸 2019年9月
北海道東部観光2日目の日程
この日は海が荒れていて、知床半島クルーズが中止になり残念でした。予定を変更して、鮭の遡上見学、知床世界遺産センターの見学が追加されました。
温泉旅館🚌メルヘンの丘🚌博物館網走監獄🚌網走海鮮問屋(昼食)🚌オシンコシンの滝🚌知床(知床半島クルーズ🚢(この日は海が荒れていて中止))🚌道の駅うとろ・シリエトク🚌知床一湖🚌知床・ウトロ温泉のホテル🚌夕食後、知床ナイトサファリ🚌ホテル帰着
メルヘンの丘
メルヘンの丘は、北見・網走間を結ぶ国道39号沿いに位置しています。
路側帯にバスを止めて、15分間の撮影タイム。バイク旅の方も盛んに撮影していました。
黒澤明監督作品「夢」のロケ地だそうです。
バスはメルヘンから監獄へ直行します。
博物館網走監獄
—HPから—
博物館網走監獄とは
博物館網走監獄は、明治以来、網走市と深く関わりを持っていた網走刑務所旧建造物を保存公開する野外歴史博物館です。網走国定公園の景勝天都山網走湖側に位置し、敷地面積は約東京ドーム3.5個分に相当します。ユニバーサルミュージアムを指標に、日々施設充実を目標に地域に根ざした活動を進めています。
あまり興味はなかったのですが、実際見学してみるとなかなか面白く、勉強にもなりました。
正門
旧網走監獄庁舎
放射状 舎房入口
小説・テレビになった脱獄事件(Y・S事件)
旧網走監獄 舎房内部 上に脱獄するY・Sがいます。
教誨堂内部
歴史館メイン展示は、中央道路の開削をテーマにした映像展示です。
—HPのから—
網走刑務所は最初「網走囚徒外役所」と呼ばれ中央道路開削工事のため明治23年1200人もの囚人が送り込まれました。
道無き道を進む囚人の旅は険しい地形と熊との戦いだったと言います。道央とオホーツク沿岸を結ぶ道路の開削工事が、千人を超える囚人により昼夜兼行で強行されました。逃亡を防ぐため囚人は二人ずつ鉄の鎖でつながれながら(連鎖という)の重労働でした。工事現場が山中深く移動するにつれ食料運搬がうまく行かなくなり栄養失調やケガなどで死亡者が続出困難を極める難工です。 あまりの苦痛に耐え切れず逃亡を企てて看守に抵抗しようとした者は、その場で斬り殺されたのです。たとえ首尾よく逃げられたとしても食料もなにもない山の中のこと、結局、戻って来るしかありませんでした。
死んだ囚人たちは、現場に埋葬され目印に鎖を墓標のそばに置いたと言い伝えられ、そこで誰言うともなしに囚人たちの墓を「鎖塚」と呼ぶようになりました。昭和30年頃から郷土史を研究する人々や住民を中心にこれらの遺骨を発掘する作業が熱心に進められ今では追悼碑やお墓が建てられるまでになりました。千人の従事者から看守も含め、二百人以上の犠牲者を出したというのです。北海道での囚人労働は炭鉱や硫黄採取などでも行われ、そのつど多数の犠牲者を出していました。特にここは犠牲者が多く、囚人道路と呼ばれています。「囚人は果たして二重の刑罰を科されるべきか」と、国会で追及されるに及びついに明治27年廃止されたのです。
博物館で撮った写真の纏めです。
私たちを乗せた観光バスはその囚人道路を走り抜ける(走り抜けた)のでした。
そして、昼食をとる海産問屋に向けて網走の海岸を・・美しい知床連山の稜線を遠望しながら観光バスが走ります。
昼食後、海岸に降りてみました。オホーツク海のくっきりとした水平線、美しい雲、知床連山・・北海道らしい風景です。
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