科博NEWS展示「黒潮を越えた丸木舟 ~台湾→与那国島 航海の全記録~」
科博NEWS展示「黒潮を越えた丸木舟 ~台湾→与那国島 航海の全記録~」は、
国立科学博物館「日本館1階中央ホール」で開催されています。
会期 2019年8月16日(金)~9月8日(日)
準備に3年、実行にさらに3年をかけた実験航海が今年7月に見事成功して話題になりました。この展示会場には今回の航海に使った丸木舟、櫂、旧石器時代の石斧レプリカなどが展示されています。
さらに初公開の短編動画、パネルで詳細を解説しています。
日本旧石器時代の砥石 刀部磨製石斧(いずれもレプリカ)
プロジェクトの歩み
解説パネルの展示風景
この実験航海は「日本人はどこから来たのか?」という命題の解を求める一連の研究の一つです。
チームリーダー海野陽介さんの著作でその全体像を知ることができます。
日本人はどこから来たのか?(文春文庫)
2019年2月10日 第1刷
著者 海部陽介
発行所 株式会社 文芸春秋
日本人はどこから来たのか? (目次)
はじめに 私たちはどこから来たのか?
遺跡調査は日本の国内で閉じているかぎり本当のことはわからない。本書は、海外の遺跡との比較とDNAの研究と言う重層的なこの10年の研究で浮かび上がってきた、人類がこの日本に到達するまでの新しい仮説である
第1章 海岸沿いに広がったのか?
私が強く違和感を抱いてきたのが、欧米研究者の間でいつのまにか定説となっている「海外移住説」だった。アフリカを出た人類は、中東から海岸沿いに広がっていったというものだが、はたしてそれは本当だろうか?
第2章 私たち以前の人類について
かつて私たちホモ・サピエンス以外にもいくつもの種類の人類がいた。北京原人やジャワ原人らの原人、より人間に近いネアンデルタール人らの旧人。これら滅びてしまった人類のことをまず、整理しておく必要がある
第3章 ヒマラヤ南ルート
世界各地の遺跡年代をマッピングすると、ホモサピエンスは4万8000年前、ヒマラヤ山脈を隔てて、南北に分かれて拡散していったことがわかる。インドから東南アジアへ進んだ「南ルート」をたどった者たちを見る
第4章 ヒマラヤ北ルート
ヒマラヤの北ルートへ回った集団は予想外に早く南シベリアに進み、北極圏に至ったものまでいた。さらにモンゴルを経て、4万年前頃には中国、中国、朝鮮半島など東アジアに到達したらしいことが、石器の特徴から見えてくる
第5章 日本への3つの進出ルート
日本では3万8000年前に、突如人類遺跡が爆発的に現れる。それ以前の遺跡には確証がない。それまでいわば無人の野だった日本へ、対馬、沖縄、北海道の3ルートから別々に、初めて祖先が足を踏み入れた
第6章 対馬ルート、最初の日本人の謎
3ルートで最も早く日本に入ったのが対馬、学会では見過ごされてきたが、対馬から本州へは海を越える必要がある。しかし到来直後の遺跡からは、世界最古の往復航海を示す証拠が。最初の日本人は、航海者だったのだ。
第7章 沖縄ルート、難関の大航海
沖縄に来た祖先は誰だったのか。本州と全く異なる遺跡証拠は南ルートを示唆する。だがそれには台湾から黒潮を横断し100キロをはるかに超える航海が必要。その本当の困難さを知るには、航海の再現実験しかない
第8章 北海道ルート、シベリアからの大移動
北海道の人類出現は3ルートで最も遅い。すると彼らは大陸でなく本州由来の可能性もあるのか?だが北海道の2万5000年前の石器文化は北ルートと共通する。やはりシベリアから南下してきた祖先がいたのだ
第9章 1万年後の再会
対馬から入ってきた「最初の日本人」のルーツはどこなのだろう。今わかる証拠から考えられることはひとつ。ヒマラヤ南北ルートをたどったそれぞれの集団は、東アジアで1万年ぶりに再会し、混じりあったのだ
第10章 日本人の成立
3つのルートからそれぞれ日本列島に入ってきた3つのグループはいかにして今日の日本人までつながっているのだろうか? 朝鮮半島や中国で発掘される人骨や石器 などとの比較や、DNA研究でここまでわかった
第11章 ついに始動した「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」
アジア大陸と日本列島の間に広がる大きな海。3万年以上前に、祖先たちはこれをどう越えたのか? 謎を解くための壮大な実験プロジェクトが始まっている。数々の新しい発見を生み出した、プロジェクトの過去2年間を振り返る
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過去の関連投稿です。
ヒマラヤの北ルートへ回った集団は予想外に早く南シベリアに進み・・・・マンモスに遭遇した?
「マンモス展」-その『生命』は蘇るのか-
北海道ルート シベリアからの大移動
北海道縄文人 全ゲノム完全解読(礼文島の船泊遺跡から出土した約3800年前の縄文人)
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