日本・オーストリア外交樹立150周年記念 ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道
日本・オーストリア外交樹立150周年記念
「ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」は、
国立新美術館で開催されています。
会 期 2019年4月24日(水)~8月5日(月)
クリムトとシーレの作品を観るが大きな目的の一つだったので一様満足ですが・・・
この展覧会のコピーは、
ウィーン世紀末の全貌をまだ、あなたは知らない。
ウィーン世紀末 — それは新たな始まりだった。
ウィーンの世紀末文化を「近代化モダニズムへの過程」という視点から紐解く新しい試みの展覧会です。(展覧会の概要から)
絵画、建築、グラフィック、工芸、音楽、ファッション、調度品それぞれ分野での時代を代表する作品の数々に私の能力ではなかなか整理がつかなかった。でもこの規模の作品を集めて見せてくれたのはありがたかったです。
展覧会の構成は次のとおりです。
第1章 啓蒙主義時代のウィーン — 近代社会への序章 —
女帝マリア・テレジアの、息子、皇帝ヨーゼフ2世は啓蒙思想の支持者で、行政や法律、経済、教育においてさまざまな改革を行った。ウィーンは自由な精神をもつ知識人たちを魅了し、ヨーロッパ文化の中心地へと変貌しました。
1-1 啓蒙主義時代のウィーン
1-2 フリーメーソンの影響
1-3 皇帝ヨーゼフ2世の改革
第2章 ビーダーマイアー時代のウィーン ― ウィーン世紀末芸術のモデル ―
ウィーン会議以降、1848年に革命が勃発するまでの期間は、「ビーダーマイアー」と呼ばれました。人々の関心は「倹しい生活をそつなく送る」私的な領域に向けられました。画家たちは、日常生活や農村風景を描きました。
2-1 ビーダーマイヤー時代のウィーン
2-2 シューベルトの時代の都市生活
《髭剃り用洗面器》 フランツ・ヴァルネーファー 1821年頃 プレス成型された銀 ウィーン・ミュージアム蔵
2-3 ビーダーマイヤ時代の絵画
2-4 フェルディナント・ゲオルク・ヴァルトミューラー — 自然を描く
2-5 ルドルフ・フォン・アルト — ウィーンの都市景観画家
第3章 リンク通りとウィーン — 新たな芸術パトロンの登場
皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の治世の間(1848-1916年)に、ウィーンは帝国の近代的首都へと変貌を遂げ、1857年に皇帝が都市を取り囲む城壁の取り壊しを命じ、新しいウィーンの大動脈となる、「リンク通り(リンクシュトラーセ)」を開通させました。沿道には、古典主義様式の国会議事堂、ゴシック様式の奉献教会、ルネサンス様式の大学などさまざまな歴史主義建築の建物が立ち並び、さらに19世紀末にはウィーン分離派のメンバーによる建物も建設されました。
3-1 リンク通りとウィーン
3-2「画家のプリンス」ハンス・マカルト
ハンス・マカルト《ドーラ・フルニエ=ガビロン》18797-80年頃 油彩/板
3-3 ウィーン万国博覧会(1873年)
3-4「ワルツの王」ヨハン・シュトラウス
第4章 1900年 世紀末のウィーン — 近代都市ウィーンの誕生
カール・ルエーガーがウィーン市長として活躍した時代(1897-1910年)には、さらに都市機能が充実します。路面電車や地下鉄など公共交通機関も発展し、建築家オットー・ヴァーグナーがウィーンの都市デザイン・プロジェクトを数多く提案しました。(HPから)
絵画の分野では、1897年にグスタフ・クリムトに率いられた若い画家たちのグループが、オーストリア造形芸術家組合(ウィーン分離派)を結成、また、1903年には、ウィーン工房が設立されました。
4-1 1900年 世紀末のウィーン
4-2 オットー・ヴァーグナー — 近代建築の先駆者
オットー・ヴァーグナー《カール・ルエーガー市長のための椅子》 1904年 ローズウッド、真珠母貝による象嵌、アルミニューム、皮
4-3-1 グスタフ・クリムトの初期作品 — 寓意画
4-3-2 ウィーン分離派の創設
グスタフ・クリムト 《パラス・アテナ》 1898年 油彩/カンヴァス ウィーン・ミュージアム蔵
グスタフ・クリムト《第一回ウィーン分離派ポスター》検閲後 1898年 カラーリトグラフ ウィーン・ミュージアム蔵
4-3-3 素描家グスタフ・クリムト
4-3-4 ウィーン分離派の画家たち
マクシミリアン・クルツヴァイル《黄色いドレスの女性(画家の妻)》1899年 油彩/合板 ウィーン・ミュージアム蔵
カール・モル《朝食にて(母と子)》1903年 油彩/カンヴァス ウィーン・ミュージアム蔵
4-3-5 ウィーン分離派のグラフィック
4-4 エミーリエ・フレーゲとグスタフ・クリムト
グスタフ・クリムト 《エミーリエ・フレーゲの肖像》1902年 油彩/カンヴァス
ウィーン・ミュージアム蔵
この作品は撮影可でした。
《エミーリエ・フレーゲのドレス》複製 ウィーン・ミュージアム蔵
4-5-1 ウィーン工房の応用芸術
4-5-2 ウィーン工房のグラフィック
4-6-1 エゴン・シーレ — ユーゲント・シュティールの先へ
エゴン・シーレ《ひまわり》
1909-10年 油彩/カンヴァス 149.5 x 30 cm ウィーン・ミュージアム蔵 ©Wien Museum / Foto Peter Kainz
エゴン・シーレ《自画像》 1911年 油彩/板 ウィーン・ミュージアム蔵
エゴン・シーレ《美術批評家アルトゥール・レスラーの肖像》 1910年 油彩/カンヴァス ウィーン・ミュージアム蔵
4-6-2 表現主義 — 新時代のスタイル
オスカー・ココシュカ《『夢見る少年たち』8.少女リーと私 出版:ウィーン工房 1907-08年 ウィーン・ミュージアム蔵
4-6-3 芸術批評と革新
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展覧会概要(HPから)
19世紀末から20世紀初頭にかけて、ウィーンでは、絵画や建築、工芸、デザイン、ファッションなど、それぞれの領域を超えて、新しい芸術を求める動きが盛んになり、ウィーン独自の装飾的で煌きらびやかな文化が開花しました。今日では「世紀末芸術」と呼ばれるこの時代に、画家グスタフ・クリムト(1862-1918)やエゴン・シーレ(1890-1918)、建築家オットー・ヴァーグナー(1841-1918)、ヨーゼフ・ホフマン(1876-1958)、アドルフ・ロース(1870-1933)など各界を代表する芸術家たちが登場し、ウィーンの文化は黄金期を迎えます。それは美術の分野のみならず、音楽や精神医学など多岐にわたるものでした。
本展は、ウィーンの世紀末文化を「近代化モダニズムへの過程」という視点から紐解く新しい試みの展覧会です。18世紀の女帝マリア・テレジアの時代の啓蒙思想がビーダーマイアー時代に発展し、ウィーンのモダニズム文化の萌芽となって19世紀末の豪華絢爛な芸術運動へとつながっていった軌跡をたどる本展は、ウィーンの豊穣な文化を知る展覧会の決定版と言えます。
国立新美術館「ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」
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