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2019.04.26

平成31年春の特別展 江戸時代の天皇

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「平成31年春の特別展 江戸時代の天皇」は、

国立公文書館で開催されています。

会期 平成31年4月6日(土)〜5月12日(日)  

展覧会の「はじめに ―天皇と将軍―」から・・・
寛永3年(1626)9月、大御所秀忠・将軍家光が上洛し、後水尾天皇が二条城に行幸します。上洛と行幸の目的は、将軍家と天皇との緊密さを示すとともに、全国の武家を総動員し、新将軍家家光、ひいては幕府の力を誇示するための一大イベントという意味もありました。
江戸幕府は天皇・朝廷への介入・統制を行う一方、天皇・朝廷との関係の緊密化も図ります。元和6年(1620)の秀忠の娘・和子(まさこ)の入内や、秀忠・家光の上洛もその一環でした。その中で最も大規模な上洛がこの寛永3年の上洛でした。なお、この行幸は、天正16年(1588)4月14日に後陽成天皇が豊臣秀吉の居城である聚楽第の行幸した先例にならって行われています。

天皇の大規模かつ御所外への行幸は、文久3年(1863)孝明天皇の石清水八幡宮などへの行幸迄、およそ240年間、行われませんでした。幕府は火災などやむを得ない場合を除き、天皇の行幸を一切認めませんでした。

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江戸時代の天皇のイメージは、と問われると?
答えに窮してしまいますが・・・・

この展覧会でお勉強です。

天下人(信長・秀吉・家康)と天皇・朝廷の駆け引きに始まり、「江戸幕府と天皇」その関係と変遷、当時の天皇のありようと社会生活との関わりなどを検証して、今現在の皇室の立ち位置との相関を見せてくれます。良い企画展だと思いました。

展覧会の構成は以下の通りです。はじめに ―天皇と将軍―
第1章 天皇・朝廷と天下人
第2章 江戸幕府と朝廷
第3章 元号の選定と改元
第4章 光格天皇と朝議復興
第5章 天皇・朝廷と民衆
おわりに ―天皇・上皇の行幸と御幸―

展示風景
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御行幸の次第「寛永行幸記」 全3軸 内務省旧蔵


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幕府による朝廷統制 本光国師日記 原本は南禅寺金地院所蔵 全45冊


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礼儀類典 紅葉山文庫旧蔵 全515冊
水戸光圀が朝議の実用に役立てることを目的として編纂したもの。

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改元にあたり、タイムリーな展示として、この様なものもありました。

002_2
翁草 全101冊 内務省旧蔵

江戸時代中期以降の元号の評判
江戸時代には30回を超える改元が行われましたが、各元号に対する世間の評判も様々でした。
例えば「明和」は明和9年(1772)が「めいわく(迷惑)」、「天明」は「天命が尽きる」など、不吉なことを連想させる評判が立ちました。実際に、天明9年2月に江戸で大火が発生したり、天明8年(1788)正月に京都で大火が起こったりしたため、「明和」は「安永」に、「天明」は「寛政」に改元されています。

「平成(元号)の書(原本)」「 平成」と「令和」の出典資料展示もあります。

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展覧会の概要(HPから)
 平成31年(2019)は天皇陛下の御退位と皇太子殿下の御即位が行われます。
 本展では、この御退位・御即位を記念し、江戸時代の天皇について取り上げます。
 織田信長・豊臣秀吉・徳川家康ら天下人が登場し、それに続く江戸幕府による支配の中で、天皇・朝廷はどのように渡り合い、関係を構築していったのか。光格天皇による朝廷儀式の再興、江戸時代の元号の選定と改元などについて、当館所蔵の絵巻物や公家日記などを中心に御紹介いたします。

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