林忠正―ジャポニスムを支えたパリの美術商
「林忠正―ジャポニスムを支えたパリの美術商」展は、
国立西洋美術館[新館 版画素描展示室]で開催されています。
会期 2019年2月19日(火)~2019年5月19日(日)
近年「林忠正」という名前を見かけることが多くなったと思いませんか?
この展覧会は、林忠正の孫の夫人で歴史作家の木々康子氏の所蔵品を中心に、交流書簡、ノート、写真、関連資料で、林忠正の生涯にわたる活動を概観しています。
展覧会にはよく出向くのですが、美術教育を受けたのは高校まで、関連本もほとんど読まないまま過ごしてきましたが、やはり少し勉強した方が理解が深まるかなと・・・この年になって痛感しています。
しかし、なかなかね~
以前購入した、
原田マハ著 「たゆたえども沈まず」も林忠正の生涯と助手の重吉、ゴッホと弟テオの物語ですが、この本も数十ページ読んで積読状態。
私が、初めて林忠正を知ったのは「木々康子著 春画と印象派 ”春画を売った国賊”林忠正をめぐって」をたまたま読んでみたことからです。
この本の拙投稿記事はこちら。
この展覧会は、この様な経緯から興味があって観に行ったのですが、いかんせん書簡類が多く、あまり目の良くない私にとって難関!
上野にはよく行くので、何度か通って少しずつ咀嚼したいと思っています。
著作との照合ですね。
「林忠正」に関心のある方は是非、お勧めです。
「たゆたえども沈まず」はこれを機会に最後まで読むことにします。
展覧会の構成は次の通りです。
Ⅰ.修業時代ー西洋との出会い
1878年 パリ万博博覧会
Ⅱ.画商としてー万国博覧会の時代
1889年 パリ万国博覧会
1893年 シカゴ・コロンブス記念万国博覧会
1894年 リヨン国際植民地博覧会
1898年 トリノ・イタリア勧業博覧会
1900年 パリ万国博覧会
Ⅲ.華麗なる交流ージャポニズムの拡がり
林忠正の著作
Ⅳ.コレクションの行方
1902年 デュラン=リュエル画廊、パリ
1903年 オテル・ドュルオー、パリ
1907年 東京美術倶楽部
1908年 東京
1910年 東京
1913年 アメリカ芸術協会、ニューヨーク
1915年 東京
1918年 東京美術俱楽部
1922年 東京
1927年 東京美術俱楽部
1930年 日仏美術社画廊、東京
1932年 東京
HPの解説です。
当館の松方コレクションを作り上げた松方幸次郎は、1910年代後半に日本に美術館が必要と考え建設を志したのですが、じつはそれより25年も前に、同じ考えを持った人物がいました。パリで活躍した美術商、林忠正(1853-1906)です。
林忠正(1853-1906)は、西洋で日本美術品を商った初めての日本人です。日本でフランス語を習得し、1878(明治10)年のパリ万国博覧会を機に通訳として渡仏しました。折しも日本の美術・工芸品が大きな人気を博していた時代、万博終了後もパリに留まる決心をした林は、当地でそれらを商う店を構えます。林が日本から直接仕入れた絵画や工芸品そして浮世絵などは、彼が提供する商品に関する該博な知識と共に、西洋の日本美術愛好家たちに熱心に受容され、ジャポニスム隆盛の大きな原動力となりました。
各地で開催された博覧会への参加や自身の美術商としての活動を通じて、日本の美術・工芸品の紹介に尽力する一方、現地で美術館がもつ文化的役割の重要性を認識していた林は、日本での美術館建設を夢見て、同時代の作家を中心とする西洋美術コレクションを少しずつ充実させてゆきました。当館のコレクションの中核を形成した松方幸次郎に先立つこと実に25年前、林はすでに西洋美術館建設を構想していたのです。しかしその構想は、林の帰国とその早すぎる死によって実現することはなく、彼のコレクションも生前・没後の数回にわたる売り立てによって散逸を余儀なくされました。
本展は、林忠正の孫の夫人で歴史作家の木々康子氏の所蔵品を中心に、万博などとの関わりや、日本そして西洋の美術・工芸品を介して培われた交友、さらにはコレクションがたどった運命に注目し、林忠正の生涯にわたる活動を概観するものです。林は、浮世絵をはじめとする大量の日本美術・工芸品を国外に流出させた人物として、ときに批判的に語られることもあります。しかし本展が、芸術を介した日欧文化交流に尽力した林の功績を再考する機会となれば幸いです。
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