没後50年記念 加藤土師萌展 色絵磁器を極めた人間国宝 その技とデザイン
「没後50年記念 加藤土師萌展 色絵磁器を極めた人間国宝 その技とデザイン」は、
町田市立博物館で開催されています。
会期 2018年12月8日(土)~2019年1月27日(日)
加藤土師萌は、
中国色絵磁器の中でも最も難しいとされた「黄地紅彩」や「萌黄金襴手」などを再現し、昭和36年(1961年)には「色絵磁器」で人間国宝に認定されました。
晩年は皇居新宮殿におさめる高さ150センチの大作「萌黄金襴手菊文蓋付大飾壺」の制作に没頭し、完成間近の昭和43年(1968年)にこの世を去りましたが、遺族の手によって仕上げられ、現在の皇居正殿の竹の間で国賓などを迎えています。
展覧会の構成は以下の通りです。
⒈瀬戸時代 図案家から陶芸家へ
⒉多治見時代 岐阜県陶磁器試験場の陶工技師として
⒊横浜時代 色絵磁器の人間国宝
以下、展覧会場のキャプションを部分引用しています。
萌黄金襴手丸筥、昭和33年、東京国立近代美術館蔵
萌葱金襴手によって器面全体に宝相華を施した優美な作品。加藤土師萌は、金箔を施したものを金襴手、金泥のものを金彩と区別している。こうした萌葱金襴手や黄地紅彩などの再現を経て昭和36年(1961)には、色絵磁器で人間国宝に認定されている。
萌葱金襴手は、中国明時代、嘉靖年間の景徳鎮窯で最も高度に発展した。加藤土師萌は昭和30年(1955)頃再現に成功している。
色絵染付金襴手迎春花文喰朗籠 昭和42年(1967) 個人蔵
迎春花とは黄梅の漢名で、中国原産のモクセイ科の落葉低木。葉より先に黄色く筒状で先の6裂した花を付ける。染付と上絵付によりこの迎春花を描き、内部にはさらに、鶯も描いている。また帯状の金襴手による菱格子に十文字や上絵付による間道文、鋸歯文が見られる。
瑠璃釉雲文金彩コーヒーセット 昭和14年81939)頃 岐阜県セラミックス研究所
瑠璃釉に雲の文様を白抜きし、その輪郭部分を金線で絵付けしたもの。
昭和15年(1940)の日本工芸品ブラジル国際見本市に出展されたと伝わる。
柿釉色絵菊花文大皿 昭和17年(1942) 瀬戸市美術館
辰砂釉華文飾壺 昭和4年(1929) 愛知県陶磁美術館
スケッチ「均窯鶴首壺(デイヴィット・コレクション)」 昭和32年(1957) イギリス 個人蔵
スケッチ「オーフス」 昭和32年(1957) デンマーク 個人蔵
展覧会概要(HPから)
萌黄金襴手丸筥、昭和33年、東京国立近代美術館蔵
重要無形文化財保持者(人間国宝)加藤かとう土師萌はじめ(1900年から1968年)は、横浜市の日吉に窯を築いて作陶した、日本を代表する陶芸家です。
加藤は愛知県瀬戸市に生まれ、地元で図案を学んだ後、岐阜県多治見の岐阜県陶磁器試験場(現・岐阜県セラミックス研究所)に迎えられ、窯業技術と陶磁器デザインの開発に取り組みました。昭和12年(1937年)パリ万国博覧会では、日本館の室内調度を手がける陶磁器デザイナーとして活躍しただけではなく、個人としての出品作がグランプリを受賞しました。やがて、加藤の芸術家としての才能は、独立と日吉窯開窯の道に向かいました。多治見時代に培った豊富な技術や知識とデザイン力を大きくはばたかせていきます。
加藤は横浜に移った後、東京藝術大学初の陶器講座担当教授として教鞭をとる傍ら、苦心の末、中国色絵磁器の中でも最も難しいとされた「黄おう地じ紅こう彩さい」や「萌もえ黄ぎ金きん襴らん手で」などを再現し、昭和36年(1961年)には「色絵磁器」で人間国宝に認定されました。晩年は皇居新宮殿におさめる高さ150センチの大作「萌黄金襴手菊文蓋付大飾壺」の制作に没頭し、完成間近の昭和43年(1968年)にこの世を去りました。
本展覧会は、加藤土師萌の没後50年を記念し、初期の岐阜県陶磁器試験場で制作された多数の作品をはじめ、その後横浜時代に手がけた技法の作品により、加藤の比類ない技術と創造性を明らかにします。また、古陶磁の調査や海外視察の際に描かれた美しいスケッチ類などを併せて展示し、芸術家にして陶磁器研究者、そしてデザイナーとしてもすぐれた功績を残した幅広い創作活動を紹介します。
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